第49話 ツーショット、再び
「……内カメ?」
「うん。せっかく草薙君がくれたんだから、一緒に撮ろうよ」
翔が戸惑って首を傾げると、彩花は定期入れを顔の横に掲げてみせた。
「いや、そんな気遣わなくてもいいぞ」
「気遣いじゃなくて、記念だよ。女の子って、なにかと記念を大事にする生き物なんだからね」
「それは、まあ、なんとなく知ってるけど……」
彩花はほんの軽い気持ちで誘ってくれているのだろうが、女の子とのツーショットなど、意識するなというほうが無理な話だろう。
語尾を濁す翔に、彩花が腕を組み、胸を張る。
「——草薙君」
「なに?」
「私、明日誕生日だよ?」
得意げな声色に、翔は小さく肩を落とした。
「……当日の特権じゃないのか、それ」
「いいの。それに、草薙君はちょっと写真に慣れておいたほうがいいしね」
「あっ、なるほど。そういうことか。さすがプロデューサーだな」
「あ……うん」
やや強引だった理由がわかって手放しに賞賛すると、彩花は曖昧にうなずいた。
笑みを浮かべているが、どこか口元が引きつっているように見える。
「ん、どうした?」
「ううん、なんでもないよ」
彩花は勢いよく首を振ると、ずいっとハンドクリームを差し出してくる。
「それより、インタビューみたいな感じにしない? 草薙君がチューブを差し出す感じでさ」
「なるほど。面白いな」
「でしょ?」
彩花が白い歯を見せるが、先程のどこか沈んだ表情は、気のせいではなかったように思える。
露骨な褒め方が嫌だったのだろうか、などと考えつつ、翔はスマホを内カメに切り替えて腕を伸ばした。
構えた瞬間、彩花がスッと肩口へ寄る。
髪がかすめ、フローラルな匂いが鼻先を撫でた。思わず、持ち上げた腕がほんの少し震えた。
「気楽に撮ってくれていいよ。いい写真は私が厳選するから」
「……おう」
写真の出来を心配しているわけじゃないんだけどな、と思いながら、翔はハンドクリームを彩花のあご下に固定した。
数枚連写すると、彩花が定期入れを翔の顔付近に添えた。
「主役は俺じゃないだろ」
「いいの。ほら、うさちゃんの頭、撫でてあげて」
「……わかったよ」
翔はなぜか、花音がまだ小さかったころ、おままごとに付き合わされていたことを思い出した。
あの頃の草薙家では、花音はまさに「お姫様」だった。
「よし、もう十分かな。ありがと」
彩花がスッと手のひらを向けてきたので、スマホを乗せる。
「もういいのか?」
「うん——ふふ」
「どうした?」
「まだちゃんとは見てないけど、草薙君、やっぱりちょっと表情が固いね」
「……そんなすぐに、慣れるものじゃないだろ」
それに、もう少し距離を保ってくれていれば、わざわざカメラを凝視する必要もなくなるのだ。
そう思うと、少しだけ悔しい。つい数時間前の情景を思い出す。
「というか、それを言うなら双葉だって、俺ん家に来るときはまだ緊張してるじゃん」
「そ、それは……写真と家に行くのは、ハードルが違うでしょ」
「まあな」
それは事実だし、揶揄いすぎて、花音のときのように微妙な空気にはなりたくない。
翔があっさり矛を収めると、彩花はわずかに目を見開いた。
「なんだかなー……」
ぶつぶつとつぶやきながら、写真のチェックに戻った。
指をスワイプするたびに、徐々に眉間のシワが緩み、目元が和らいでいく。
「うん、いい感じ」
彩花がスマホを仕舞いながら、満足げにうなずいた。
「厳選したの、後で送るね」
「おう、頼む」
翔としては、ほとんど一緒なのだから悩む必要もないのではないかと思ってしまうが、自分に迷惑がかかるわけでもないので、口には出さない。
余計なお世話だと思われて、終わりだろう。
「でも、ここまでしてくれたなら、来年の草薙君の誕生日は豪華にしなきゃね」
「いや、ほんの気持ちだから別にいいよ」
「よくない。もう決めたもん」
彩花はふん、と鼻を鳴らし、そっぽを向いた。そのまま、目を合わせようとしない。
「……頑固だな」
「君には言われたくないよ」
「いてっ」
二の腕をつねられ、翔は顔をしかめた。
——本当に少し痛かったが、残ったのは痛みではなく、くすぐったさだった。
◇ ◇ ◇
「翔、蚊に刺された?」
彩花を駅まで送り届けて、肩の力が抜けた帰り道だった。
達成感の余韻を抱えたまま玄関を開けると、京香が眉をひそめた。
「えっ、なんで?」
「左腕、赤くなってるわよ」
「——あっ」
跡はしっかり残っていたらしい。
「……草とかが、かすったのかも」
「なら、ムヒでも塗っておきなさい。痒くなるわよ」
「そうする」
建前どおり、薬箱からムヒを引っ張り出す。
キャップを回しながら、別れ際の彩花の言葉が蘇った。
『一応、花音ちゃんに謝ったほうがいいと思うよ。ぶっちゃけ、どっちもどっちだと思うけど、女の子は理屈よりも感情だから。草薙君から歩み寄ってあげて?』
別に大喧嘩ってほどでもない。けれど、このままギクシャクしたら面倒だ。
翔はムヒを置き、階段を登ると、花音の部屋の扉をノックした。
「花音、ちょっといいか?」
「……いいけど。開けていいよ」
「サンキュー」
中に入ると、花音はベッドに腰を下ろしながら、怪訝そうな眼差しを向けてきた。
不機嫌ではなさそうだ。わざわざ謝る必要は、ないのかもしれない。
(けど、謝るって決めたしな)
翔は机の椅子に座ると、単刀直入に切り出した。
「あのさ……さっきは、言いすぎてごめん」
「っ——」
花音は小さく息を呑んだ。
そっと視線を逸らし、膝の上で指をもじもじと絡める。
「別にいいよ。そもそも、始めたのはこっちだもん」
「じゃ、喧嘩両成敗ってことにするか」
「……うん」
翔が笑いながら言うと、花音は小さくあごを引いた。
こんなに殊勝な彼女は、翔が気に入っていたコップを落として割ってしまったとき以来かもしれない。
「今後はお互い、相手がいる前ではやめようぜ」
「わかった。確かに、北斗と帰ってるときに揶揄われたら、けっこういやかも——あ、いや、普通にカップル扱いがめんどくさいって話だからね⁉︎」
「わかってるよ」
翔が苦笑すると、花音は頬をほんのり赤くして、枕を軽く叩いた。
「学校の子たちも、ちょっと話してるだけですぐ茶化してくるし……ほんと、めんどくさい」
ちょっと話してるだけの雰囲気じゃないからだろうな——。
喉まで出かかった言葉を飲み込む。物言いたげな視線に気づいたのか、花音がムッと眉を寄せた。
「……なに?」
「いや、気持ちはわかるなって思っただけ」
翔は椅子から立ち上がった。すると、背後で花音がつぶやく。
「……そんなに一緒にいるんだから、二人は疑われて当然だと思うけど」
「なんか言ったか?」
「ううん、なんでもない」
花音はゆっくり首を振ると、扉をあごで示した。
「ほら、用事が済んだなら帰って」
「はいはい」
翔は肩をすくめ、苦笑しながら部屋を後にした。
うっすらと立ち込めていた霧が晴れたように、なんだかスッキリしている。
「……ほんとに、メンターなのかもしれないな」
誰にともなくそうつぶやく。
代わりとばかりに湧き上がってきたくすぐったさを発散するように、翔は階段を駆け降りた。
その日の夕食後、リビングのソファで英単語帳を眺めていると、ブーブーと低い振動音が響いた。
ダイニングテーブルに置いていた翔のスマホが震えている。
「はい、お兄ちゃん」
「サンキュー」
花音がスマホを運んでくる。『双葉 彩花』の文字が見えて、翔は咄嗟に画面を伏せた。
位置的に花音の視界にも入っていたはずだが、彼女は素知らぬ顔でスマホのスクロールに戻っている。
これはこれでやりづらいな、と思いながら、翔は単語帳を閉じて立ち上がった。




