第48話 手提げの中身
「陽は長くなってきてるけど、気をつけてね」
「彩花さん、またねー」
京香と花音に見送られながら、翔と彩花は草薙家を後にした。
玄関を出たところで、彩花がふと足を止めて、翔の右手に目を向けた。
「草薙君。その手提げ、なに?」
「……ちょっと、用事があって」
少し躊躇ってから、翔は返事をぼかした。
早く済ませたほうが気は楽になるだろうが、今はまだ、そのタイミングではない。
「それより、空気悪くしてごめん。妹相手に対抗心燃やして……自分が揶揄われたら嫌なのにな」
「兄妹喧嘩なんて普通だし、そんな気にしてないよ」
彩花の口調はあっさりしていた。しかし、その瞳は前方に向けられたままだ。
「ほんとに、そうか?」
「っ……」
彩花は口をつぐみ、迷うように視線を揺らした。やはり、なにか言いたいことがあるのだろう。
翔は手提げの持ち手をぎゅっと握り直した。
「偉そうで悪いけど……言いたいことがあるなら、言ってほしい」
しつこいかもしれないと思いつつ、重ねて問いかけると、彩花はそっと息を吐いた。
「……そんな、大したことじゃないけどね。あんな必死になって否定しなくても、よかったんじゃないかなーって」
「えっ?」
翔は目を瞬かせた。なんのことを言われたのか、わからなかった。
「ほら、花音ちゃんに付き合ってるのか聞かれたときだよ。否定するのは当然だけど、なんか絶対に勘違いされたくないって感じが、少しだけ嫌だったっていうか」
「——あ、いや、それは違うよっ」
大声が出た。咄嗟のことだった。
彩花がびっくりしたように目を丸くするのを見て、咳払いをする。
「あくまで、花音に勘違いされると面倒くさいってだけで……悪い。双葉を傷つけるつもりはなかったんだ」
決して彩花を拒否したわけではなかった。だが、そんなのは他人にはわからない。
恋愛感情の有無に関わらず、異性として見られていないというのは、いい気分はしないものだ。
「それならいいけどさ。ぶっちゃけ、そうじゃないかとは思ってたし……こっちこそ、つまんないこと気にしちゃってごめんね」
「いや、俺の言い方が悪かったよ。俺が双葉の立場でも、同じように感じたと思う」
「ふふ、そっか」
彩花はふっと口元を緩め——少しだけ意地悪そうに目を細める。
「ということは、私は別にナシじゃないんだ?」
「双葉がナシな男子なんて、あんまりいないと思うけど」
「あっ、そ、そう……」
彩花の声が途端に小さくなり、頬がほんのり色づく。
「いや、あくまで一般論だからな?」
容姿端麗、成績優秀を地でいく彩花だ。
実際に彼女を狙う男子は多いし、特別なことは言っていないだろう。
「わかってるよ。自分から言ったくせに、なに恥ずかしがってんの」
「元はと言えば、双葉から揶揄ってきたんだろ」
「そもそもは、草薙君がややこしい言い方したのが発端じゃん」
彩花が唇を尖らせ、髪を耳にかけ直す。
翔は手提げの持ち手をいじった。せっかく誤解が解けたのに、ここで言い争う必要もないだろう。
「……なぁ。痛み分け、ってことにしとかない?」
「うん、平和が一番だね」
彩花が穏やかにうなずく。空気が少しだけ軽くなった気がした。
(今しか、ないよな)
彩花は機嫌を直してくれたようだし、駅も近づいている。
翔は息を整え、手提げから巾着袋を取り出した。
「そういえばさ、双葉——これ」
「えっ?」
彩花が戸惑い気味に、翔の顔と袋を見比べる。
もっと気の利いた渡し方があっただろうに、軽く押し付けるみたいになってしまった。
「一日早いけど、誕生日おめでとう」
「っ……!」
彩花が息を呑み、瞳を大きく見開いた。
「嘘……っ」
「そんなに驚くか?」
胸の奥に生じたくすぐったさを、苦笑とともに逃す。
「だ、だって、話したのも数日前だし、明日は会わないから……メールくらいはくれるかなって、思ってたけど」
「ま、日頃の感謝も込めてな。そんなに大層なものじゃないから、あんまり期待しないでほしいけど」
「くれたことが嬉しいよ。あの、開けてもいい?」
「どうぞ」
彩花は慎重に白色のリボンを解き、包みを開く。
そして、薄くピンクがかったチューブを取り出した。
「ハンドクリーム?」
「そう。無香料のやつ。冬のほうが必要かなとも思ったんだけど、乾燥しやすいって聞いたから」
「えっ、なんで知ってるの?」
彩花が目を丸くする。翔は視線を泳がせた。
「……弓弦に、ちょっとな」
「もしかして、ジャングルジムで遊んでたとき?」
翔は体が熱くなるのを感じた。
(乾燥しやすいって聞いたとか、言う必要なかったな……)
なんでこんなものを、と思われたくはないがあまりに、自ら墓穴を掘ってしまった。
「そっか……なんか誤魔化されてる気はしたけど、そういうことだったんだね」
彩花はチューブを両手で包み、肩の力を抜く。
経緯はともあれ、これで隠し事はなくなった。今後の信頼関係のためにも、結果的には知られて良かったはずだ。
「いらなかったら、無理に使わなくてもいいからな」
「ううん、今使ってるのが切れたら使わせてもらうよ——って、あれ? まだ何か入ってる?」
彩花がハンドクリームをしまいながら、首を傾げた。
翔の鼓動が跳ねる。できれば後で気づいてほしくて、底に忍ばせておいたのだが。
「わ、うさちゃんだ……!」
彩花が取り出したのは、なんとも言えないドヤ顔を浮かべている、うさぎのキーホルダーだった。
「たまたま、ハンドクリームの近くに売ってたから。その、ついでで」
——嘘だった。ハンドクリームだけではなんだか心許なく感じられて、電車でショッピングモールにまで足を伸ばしたのだ。
選んだ理由は単純。彩花が高頻度でうさぎのスタンプを使用していたためだ。
「かわいいー! ね、これ、定期入れに付けていい?」
「もちろん。双葉のものなんだから、好きにしてくれていいぞ」
「やった。実は自分でもこういうキーホルダー買うか、悩んでたんだよね」
安直すぎるかという不安はあったが、存外喜んでくれたようだ。そわそわと定期入れを取り出す様子は、演技をしているようには見えない。
しかし、焦ってしまっているのか、カチカチと軽やかな音を出すのみで、なかなか金具のリングに通せない。
「あ、あれ、おかしいな。あっ……!」
指の先からキーホルダーがこぼれ落ち、彩花の口から焦ったような声が漏れる。
その手が伸びるよりも早く、翔は宙を舞うキーホルダーをキャッチした。
「こういうの、意外とつけるの難しいよな」
「あ、ありがと。傷つかなくてよかった……」
彩花が優しくうさぎの顔を撫でる。うさぎの不敵な表情との対比に、翔は吹き出してしまった。
すると、定期入れごとキーホルダーを押し付けられる。
「そんなに笑うなら、草薙君がやってよ」
「おう、いいぞ——はい、できた」
「……ありがと」
彩花はむすっと頬を膨らませたが、ひとたびうさぎと目を合わせると、その表情はすぐにゆるゆると和らいだ。
「ほんとにかわいい……!」
心の底から漏れたような声だった。翔は照れくささにうつむきかけて、なんとか踏みとどまる。
彼女でもないのに二個も贈るのは、気持ち悪がられるのではないか——。そんな不安を押し殺してモールまで足を運んだ自分を、少しだけ褒めたくなった。
「そんなに気に入ってくれたなら、よかった」
「うん、めっちゃ嬉しい——そうだ、記念に写真撮ってよ」
彩花がスマホを差し出し、定期入れを顔の横に掲げて、反対の手でピースをする。
「了解」
ハンドクリームよりキーホルダーのほうが嬉しそうだな、と内心で苦笑しつつ、翔はシャッターを切った。
「適当に、もう何枚か撮っていくぞ」
「うん、ありがとー」
角度を変えながら、シャッターを切っていく。
撮れた写真の中の彩花は、どれも少しだけ誇らしげに見えた。
「めっちゃいい感じだよ」
あまり撮りすぎるのも良くないかと思い、翔は頃合いを見計らって、彩花にスマホを差し出した。
「ちょっと待って」
しかし、彩花は手のひらでそれを制すと、前髪を指で整える。
もう一枚かと思って構え直すと、画面の中の彩花の顔がぐんぐん大きくなる。
(え、近っ……)
息を呑む間に、彩花は画角を外れた。次の瞬間、画面から消えた横顔が肩先のすぐそばに現れる。
後ろ髪をまとめる動作に合わせて、フローラルな香りが翔の鼻をくすぐった。
「えっと……どうした?」
彩花はスマホを指差しながら、さらりと告げた。
「草薙君、内カメにして?」




