第47話 妹からの直球質問と、わずかな違和感
「うわっ、草薙君、何してんの⁉︎」
翔のキャラクターが放ったボウリングのボールが一直線に転がり、ピンを全て飛ばすと、彩花が悲鳴にも似た声をあげた。
ずっと守ってきた首位の座から彼女が陥落し、同時に翔の勝利が決まった瞬間だった。
「よしっ、逆転!」
「うわ、大人げな……」
ガッツポーズを決める翔に、花音が呆れたような半眼を向ける。
画面では翔のキャラがボールを掲げてはしゃぎ、彩花と花音のキャラは肩を落としていた。
「ストライクじゃなきゃ良い場面で、ストライク取る……?」
「悪い。めっちゃ集中した」
十ピン全てを倒さなければ、彩花の勝ちだった。手を抜こうかという考えはよぎったが、翔は真っ向勝負を選択した。
謝罪をするように両手を合わせると、彩花がムッと眉を寄せる。
「弓弦には、手加減してあげたくせに」
「でも、逆に双葉は嫌がるだろ」
「っ……」
彩花が無言でペチンと翔の太ももを叩いてくる。
「いてっ、あざになったら筋トレできなくなるって」
「打撲くらいじゃ休ませないよ?」
「鬼すぎる」
こういうところが、翔が師弟関係と言い出した要因である。
もちろん、ただの冗談であることはわかっているが。
(前にちょっと無理しようとしたとき、プロじゃないんだから休憩優先だって怒られたもんな……)
青汁が出てこなかったということは、本気で怒っていたのだろう。このくらいは大丈夫、などと言える雰囲気ではなかった。
——どのみち、やはり師弟関係なのではないか、と翔は思った。
「ねぇ、彩花さんも上手くなってきたし、もう一戦やらない?」
「いいぞ」
「うん、やろう。次は勝つからね」
彩花が袖をまくる。最後の最後で翔にまくられて、俄然やる気が出てきたようだ。
こういうタイプなら、やはり手加減の必要はなかったと言っていいだろう。
「次は俺、双葉、花音の順番か」
「そうだね」
再設定を済ませ、翔が一球目を投じようとした瞬間——花音がポツリとつぶやいた。
「二人って、付き合ったの?」
「「……へっ?」」
翔と彩花の声が重なった。操作が狂い、ボールが無情にもガターへと吸い込まれていく。
(つきあ、俺と双葉が? えっ……?)
混乱の最中、翔が思わず隣を見ると、彩花もまたこちらを向いていた。
——視線が交差した瞬間、同時に顔を背けた。花音がごくりと唾を飲む。
「えっ……ほんとに?」
「そ、そんなわけあるか。びっくりしただけだよ」
翔は慌てて反論した。
事実、付き合っていないのだから、後ろめたさを感じる必要はない。
「えー、でも今の反応、絶対なにかあったでしょ」
「なんもないって。というか、そういうお前だって、北斗君と帰ってただろ」
「はっ? な、なんで知ってんの?」
ニヤニヤと笑みを浮かべていた花音は、一転して狼狽の表情を見せた。
「さっき、後ろ姿を見かけてさ。仲良さそうだったぞ」
忙しなく瞬きをする妹に、今度は翔が口の端を吊り上げてみせた。
「……別に、あいつが勝手に着いてきただけだし。二人と違って、約束してずっと一緒に帰ってるわけじゃないから」
「だから、俺らはそういう関係じゃないって」
「こっちも全然違うよ」
互いの視線が交差して、その場を静寂が支配した。
花音が眉を寄せる。翔も目を細めた。逸らしたほうが負け——そんな気がした。
しかし、やがて、彩花がずっと黙っていることに気づいた。
唇を引き結び、手元のコントローラーをじっと見つめている姿に、背中を冷や汗が流れる。
「っ双葉、ごめん! 勝手に言い合って……」
「あっ……ごめんなさい。調子乗りました……っ」
花音もハッとした表情になり、兄妹は揃って頭を下げた。
「……ううん、別に大丈夫だよ」
彩花は瞳を閉じてふっと息を吐き、ゆっくり首を振ると、ほんのり口角を上げた。
「それよりほら、続きやろ?」
「お、おう」
テレビにあごを向ける彩花の表情は、むしろ柔らかいくらいだ。
——それでも、答える前の一瞬の間が、妙に翔の心に残った。
◇ ◇ ◇
「あっ、やべ……」
歩いていた反動で、翔が手に持っていたコップの水が揺れ、床に小さな水滴を作った。
「翔、こぼしたの?」
「うん、ごめん」
「ちょっと待ってて」
京香が洗面所に向かう。雑巾を取りに行ってくれたのだろう。
「そんなに焦らなくても、勝手に始めたりしないよ」
トイレから戻ってきた彩花が、横を通り過ぎながら、口元を緩めた。
口調に気負いは感じられない。揶揄ってくるのも、いつものこと。そのはずなのに——
(やっぱり、なんか距離があるな……避けられてるわけじゃないけど……)
物理的な接触もなければ、拳一つ分、いつもより遠い気もする。
まるで、出会ったばかりのようだ。
「翔、はい」
「あぁ……ありがとう」
翔はため息を吐くのを堪え、目の前に差し出された雑巾を受け取った。
照明を受けて光っている床にそっと押し当てると、水がじんわり染み込んでいって、雑巾の中央に黒い影を作った。
「よし——彩花さん。二人でやりましょうか」
「花音ちゃん、悪女だねぇ」
「フラグを立てたのは彩花さんですよ?」
「ふふ。確かに」
花音と彩花が笑い合う。いつもの距離感だ。
太ももを叩いてきたりと、翔に対してもそうだった——花音と軽い口論をするまでは。
◇ ◇ ◇
「翔、彩花ちゃんを待たせないようにね。暗くなったら危ないし」
「わかってるよ」
ゲームが一段落してから、彩花を送る前に、翔は自室に向かった。
「はあ……」
一人になると、抑えていたものが漏れ出してしまう。
ふと視線を上げると、ベッド脇の水色の巾着袋が視界に映った。手に取ると、心の声が聞こえてくる。
——無理に今日じゃなくてもいいんじゃないか。
——もっと適切なタイミングがあるかもしれない。
昨日はあまりの軽さに頼りなくなったが、今はなぜかずっしりと重みを感じる。
翔は無意識のうちに、袋をベッドに戻しかけていた。
「……いや、ダメだ」
声に出し、思い切ってベッドを離れる。
言い訳はいくらでも思いつく。けど、いちいち逃げていたら、身動きが取れなくなってしまう。
彩花に出会う前の翔が、まさにそうだった。
明日の土曜日は、筋トレも勉強会もない。一度でも逃げてしまったら、きっと次も勇気なんて出ない。
——今日だけが、唯一のチャンスだ。
胸の鼓動が早くなるのを感じながら、袋の取っ手を握り直す。
そして、用意していた手提げの中に、割れ物を扱うようにそっと入れた。
「……よしっ」
一つ息を吐き出し、部屋の扉に向かって歩き出す。
銀色に反射するドアノブは、いつもより少しだけ冷たかった。
いよいよです……!