第42話 お姫様の親友からの接触
「今日は彩花と一緒じゃないんだ?」
隣に並ぶなり、美波は軽い調子で尋ねてきた。
挨拶代わりのようなもので、本題は別にあるのだろう。
「毎日一緒に帰ってるわけじゃないからな」
「そっか。習い事がない日は別々なんだっけ」
美波がわざとらしく「習い事」の部分を強調した。
彼女は、翔と彩花が双葉家のホームジムでトレーニングしていることを知っている。
「それより、なんでこっちに? 逆方面じゃないのか?」
「参考書とか買おうと思っててさ。新品は高いから」
「なるほどな」
学校の最寄り駅から一駅先のところに、中古本を扱う店があったはずだ。
「それと、草薙君に伝えておきたいことがあって」
「俺に?」
「うん——浩平たちは、もう君に絡んでくることはないよ」
「っ……」
不意を突かれ、翔は息を呑んだ。思わず足が止まる。
「……なんで、そんなことがわかる?」
「彩花を狙うにしても、草薙君に絡むのはデメリットしかないって説明したから」
「それで、古田たちは納得したのか?」
いくら体育が男女別の教科だとはいえ、他の人の目もある中で絡んできた連中だ。損得でブレーキがかかるタイプではないだろう。
それに以前、浩平は美波の牽制を受け、逆に彩花への執着を強めていた。その美波の忠告を聞き入れる余裕など、果たしてあったのだろうか。
「彩花の中学時代の話を聞いたならわかると思うけど、あの子、ああいうガツガツしたタイプが好きじゃないからさ。それを言ったら納得してたよ。さすがに嫌われたくはないだろうからね」
「そうか……まあ、吉良の言うことなら、説得力あるか」
「そういうこと。それに、現に草薙君と一緒にいることが、なによりの証拠だしね」
どこか含みのある口調だった。仲良くなっても距離感を間違えるな、という一種の牽制かもしれない。
「そうだな。それは理解してる」
「あ、別に、草薙君を陰キャとか言ってるわけじゃないからね?」
翔が神妙な口調で答えると、美波は慌てたように付け加えた。
「あいつらが素直に引いたのも、草薙君が普通に格好良くなってるから、警戒し出したんだと思うよ」
「そうだといいけど」
初めて髪の毛をセットして行った日、浩平たちは翔を見て動揺していた。
少しでも牽制できているのなら、勇気を出した甲斐があったというものだ。
「顔つきも前とは変わったし。やっぱり——習い事の効果が出てるのかな?」
「それなりに筋肉はついたと思うぞ」
「おっ、なかなかうまくかわすね」
くすくす笑う美波に、翔は無言で肩をすくめた。
(なんか、捉えどころがないな……)
彩花といるときとも、浩平たちと話していたときとも違う空気だ。少なくとも、彼らのようにわかりやすくはない。
だからこそ、彩花の火消し役が務まるのかもしれない——。そう考えているうちに、駅に着いた。
『白線の内側までお下がりください——』
アナウンスの声に重なるように、ガタガタと音を鳴らしながら電車が滑り込んでくる。
「おっ、ちょうど二つ空いてるよ。座る?」
「吉良に任せるよ」
「じゃあ、座ろっか」
隣り合って腰を下ろすと、二の腕同士がこすれた。翔はそっと座り直した。
「あっ、ごめん」
「いや、こっちこそ」
お互い、左右に余裕があるわけではない。
美波が気にしていないようなので、翔も気にしないことにした。
美波の目的地である次の駅までは、二分もかからない。
発車してから間もなくして、電車が減速を始めた。
「ありがとな、古田たちを注意してくれて」
「気にしなくていいよ。ただ話しただけだし、彩花も過ごしやすくなるだろうから」
改めて謝意を伝えると、美波はゆっくりと首を振り、膝に置いていたカバンの持ち手を握り直した。
「——でも、私と彩花、それに潤が味方なら、誰も手出しできないだろうね」
「確かに」
これまでより距離が近いように感じたのも、周囲へのアピールなのかもしれない。
その三人なら、誰かしらの抑止力にはなり得るだろう。翼と香澄は微妙なラインだが、そもそも彼らが翔と彩花に害意を抱いていないのは、屋上での昼食の噂を広めなかったことで証明されている。
「にしても、草薙君ってけっこう面白いんだね。彩花もなかなか見る目がある」
「単に警戒されてないだけだと思うけどな」
「どうだろうね?」
美波が指先を絡め、小さく伸びをした。
「でも、草薙君が努力を続けたら、周りからもっと評価されるようになるんじゃないかな。彩花だけじゃなくてね」
「そうなるよう、頑張るよ」
「うん。応援してる」
美波はふっと頬を緩め、停車のアナウンスに合わせて立ち上がった。
「じゃ、また明日ね」
「おう。気をつけて」
軽やかに手を振る美波に、翔も手を挙げて答えた。
◇ ◇ ◇
「翔、あいつらボコしたのか?」
潤のあごの先には、浩平と取り巻きの秋野、長谷川がいた。
彼らは今日一日、徹底して翔から距離を取っていた。人柄を知らない者が見たら、翔を恐れているように見えてもおかしくないほどだ。
「別に、なんもしてないよ」
嘘はついていない。釘を刺したのは、翔ではなく美波だ。
「ふーん。別に、一発や二発くらい殴っても、誰も責めねーと思うけど」
「そんなことしないって。同じ立場にはなりたくないから」
「間違いねーな。ま、なんにせよ、大人しくなったならいーけどよ」
潤が頭の後ろで手を組みながら、ちらっと浩平たちに目を向けた。
すると、こちらを伺っていたらしい三人は、揃って顔を背けた。
「……なんか、やりづれー」
潤は苦笑いを浮かべ、耳の後ろをポリポリと掻いた。
——翔も同感だった。
放課後になっても、彼らのしおらしい態度は変わらなかった。
「おい、部活行くぞ」
「おう」
「行こうぜ」
ホームルームが終わると、浩平を先頭に、誰よりも先に教室を出て行った。
「古田たち、今日どうした?」
「いつも、支度しながら騒いでるのにね」
「逆に怖いんだけど」
クラスメイトのひそひそ話が聞こえてきた。
(吉良、どんな脅し文句を使ったんだ……)
少々やりすぎている気もするが、身の安全が確保されたのなら、これほどありがたいことはない。
翔はリュックを背負って立ち上がり、美波のもとへ向かった。
「吉良、ありがとな」
「うん。私も安心したよ」
美波は浩平たちが出て行った扉にチラリと目を向け、瞳を細めた。
「えっ、な、なにが? 二人とも、なんの話?」
彩花が翔と美波の顔を見比べ、声を上擦らせた。
どうやら、美波は昨日のことを伝えていなかったらしい。
「さあ、なんだろうね? ——じゃ、私は帰ろうかな」
「ちょ、美波⁉︎」
「それじゃあ、くれぐれも仲良く帰るように。バイバーイ」
彩花の引き留める声にウインクを返し、美波は弾んだ足取りで廊下へ消えていった。
(面倒な置き土産を残していったな……助けてもらってるから文句は言えないけど)
翔は横顔にじっとりと注がれる視線を感じながら、静かにまぶたを閉じた。