第41話 お姫様の誕生日と、予期せぬ接触
「セットしてくるなら、私には言っておいてよ。事前に把握しておきたいし」
双葉家へ向かう歩道で、彩花が唇を尖らせた。
翔は後頭部をぽりぽりと掻いた。
「一瞬考えたんだけど、そんな報告されても困るかなって思って」
「全然そんなことないよ。びっくりしちゃったじゃん」
「ごめん。次からは言うよ」
「うん、そうして」
彩花への報告が照れくさかったのは、きっと翔がまだ自分に自信を持ちきれていないからだろう。
これは一朝一夕では身につかない。地道に積み上げるしかないのだ。
「にしても、急にどうしたの? 琴葉に格好良くなったって言われたから、自信ついた?」
「それも若干あるけど……学校でセットしてなかったのも、まさに他人の目を気にしていたからだって思ってさ。双葉のおかげだよ」
「そっかそっか。いい心がけだね」
彩花は満足そうにうなずき、目元を細めた。
翔は瞳を泳がせ、話題を変えた。
「そういえば、俺と潤でドリンクバー取りに行ってたとき、琴葉に変なこと言われてなかったか?」
あのときの彩花は、安堵と申し訳なさが混じったような表情だった。
「そんなことないよ——むしろ、私がちょっと琴葉に失礼なこと聞いちゃったっていうか」
「えっ?」
「あっ、い、いや、なんでもない!」
彩花は慌てて手をぶんぶん振り、顔をわずかに背けた。
「ただ、彼氏持ちは心が広いなってわかっただけ。はい、この話は終わりっ」
「はぁ……」
一本締めみたいに手を打つ彩花に、翔は首を傾げた。
「琴葉にも、聞いちゃダメだからね?」
「大丈夫だって。そんな悪趣味じゃないから」
気にならないと言えば嘘だが、彩花が嫌がるなら踏み込むつもりはない。
そもそも翔と琴葉は、個別で連絡を取り合う仲でもない。
「ま、そこら辺は信頼してるけどさ」
「おう」
そう言われたら、探りを入れようなどという気はますます起こらなくなる。
翔は自然と背筋を伸ばした。
「それにしてもさ、緑川君と琴葉の誕生日って、三日しか違わないんだよね。お祝いとか、一緒にするのかな。クリスマスが近いと、まとめられる的な」
「いや、あの二人はちゃんとお互い祝い合ってるみたいだぞ」
「あ、そうなんだ……なんかいいね、そういう関係」
彩花が目を丸くしたあと、しみじみとつぶやいた。
「まあな。けど、惚気話を聞かされるのは、独り身としては複雑だぞ?」
「でも、今は努力してるじゃん。気後れする必要もないと思うけど」
「そうだけどさ」
最近は、潤の前向きな言葉にも少しずつ共感できるようになっている。
「そういえば、草薙君は誕生日いつなの?」
「俺? 六月十日」
ふと思いついたように彩花が尋ねてきたので、翔もサラリと答えた。
「……ねぇ」
「ん?」
「私たち、その時もう一緒に筋トレしてたよね」
彩花が腕を組み、じとっとした眼差しをむけてきた。
どうやら、知り合っていたのに誕生日を教えられていなかったことが、プロデューサーのお気に召さなかったようだ。
「でも、別に自分からアピールはしないだろ。その日、ジムもなかったし」
「それは、そうかもだけど……」
「そういう双葉は?」
翔が問いかけると、彩花は気まずそうに視線を逸らした。
「……今週の土曜日」
「ほら、そっちも言ってないじゃん」
今日は月曜日なので、五日後だ。自己申告するつもりならば、すでに伝えているだろう。
彩花は頬をほんのり染め、髪を耳にかけ直した。
「そ、そうだけど……来年はちゃんと祝うから。ただのクラスメイトじゃないんだし」
「おう、楽しみにしてる」
来年もこの関係を続けていいと思ってくれている——そう受け取れて、胸の奥がじんわり温かくなった。
「プロテインの大箱とかにしようかな」
「お、それはありがたいな」
「ちょ、冗談なんだけど」
「あっ、マジで? それは申し訳ない」
慌てて手を振る彩花に、翔は片手で空を切る仕草をした。
なにせ、昼休みに屋上に呼び出しておいて、プロテインを渡してくるプロデューサーだ。普通にあり得ると思ってしまった。
「……私をなんだと思ってるの」
「敏腕プロデューサー」
「っ……それはずるいよ」
間髪入れずに答えると、彩花は小さく息を呑み、鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
◇ ◇ ◇
(誕プレ、どうするか……そもそも、付き合ってもないのにあげていいものなのか?)
翔はトレーニングをしながら、眉を寄せた。香澄以外の女子へ誕生日プレゼントを渡した記憶はない。
来年は祝うと言ってくれたのだから、翔が今年の分を渡しても問題はないはずだが、引かれないかという不安は拭いきれない。
「——草薙君。腰、曲がってるよ」
「あっ」
翔は慌てて背筋を伸ばした。
「なんか考え事してたでしょ」
「うん、気をつける」
「フォームの乱れは怪我にもつながるから、ちゃんと集中して」
「了解」
仲良くなっても、こうしてちゃんと甘やかさずに注意をしてくれる。
やはり彼女は、根っからのプロデューサーなのだろう。
「次にフォームが乱れてたら、青汁スムージー待ったなしだよ」
「マジでちゃんとやります」
翔が敬礼をすると、彩花はくすっと笑みを漏らした。
「それで、なにを考えてたの?」
「えっ?」
突然の問いに、翔は咄嗟に答えられなかった。
「……いや、別に大したことじゃないよ」
「今の焦り方、怪しいなぁ」
彩花がニヤリと笑い、顔を覗き込む。一筋の汗が首筋を流れ、シャツから覗く鎖骨へと伝った。
視線が吸い寄せられそうになり、翔は慌てて顔を背けた。
「本当になんでもないって。俺、セットの途中だから」
「わかったよ。邪魔してごめんね」
言葉とは裏腹に、その声色は弾んでいた。
「……後で、いろいろ調べよう」
翔は誰にともなくつぶやき、額の汗をぬぐった。
方針が定まると、気持ちが少し軽くなる。なにより、青汁スムージーは避けたい。
(よし、あと五回——)
胸を張りながら腰を浮かせ、頭上のバーを掴む。
肩甲骨を寄せる意識で、一気に胸元まで引き下ろした。
◇ ◇ ◇
「昨日、ネット対戦してたら、相手が負けそうになったところで通信切っちゃってさ、レート上がらなかったんだよ」
「うわ、それは嫌だな。負けも含めてのゲームなのに」
翌日の放課後。潤と取り留めのない話をしていると、彩花がカバンを肩に掛けて席を立つのが見えた。
翔がその背中を目で追いながら、誕プレをどうするか考えていると、潤に肩を軽く叩かれる。
「追いかけてもいいんだぞ?」
「理由がないだろ」
ニヤリと笑う潤に、翔は眉を寄せた。
「でも、平日の半分以上は一緒に帰ってるじゃねーか」
「それは、あくまで習い事があるからだよ」
「ふーん。まあ、翔がいいならいいけどさ」
潤が肩をすくめた。
いちいちサマになるのが、少しだけ癪に障る。
「じゃ、俺はそろそろ部活行くわ」
「おう。がんば」
手を挙げると、潤はもう一度、翔の肩に手を置いた。
「お前も頑張れよ」
「なにをだよ」
「いろいろ。そんじゃ、また明日な」
そう言って親指を立て、潤は軽やかな足取りで去っていった。
「……なんなんだ?」
翔は首を捻りながら立ち上がった。
校門を出ると、前方には、手を繋いで帰るカップルの姿があった。
(用事がなくても一緒に帰るのは、付き合ってるやつらだけだよな)
それに、彩花は案外遠慮がない。最初に草薙家へ来たときも、今度の勉強会も、どちらも向こうから言い出した。
今さら躊躇う理由があるとは思えない。向こうにその気があるなら、もう誘ってきているだろう。
そんなことを考えながら坂を下りていると、背後からタッタッタ、と軽い足音が近づいてきた。
誰かが急いでいるのだろう、と翔は気にも留めなかったが、その足音はすぐ背後で止んだ。
「やっほ、草薙君」
「えっ——」
肩を叩かれて振り返り、翔は目を見開いた。
「……吉良?」




