第38話 琴葉からの「サービス」と、お姫様からのお誘い
誤字報告ありがとうございます!
電車に揺られていると、彩花のスマホが通知を告げた。
「っ……」
彩花は画面を確認すると、ハッとした表情になった。
ちらっと翔を見てから、少しだけスマホを自分のほうへ傾けた。
(なんか、見られたくないものでもあるのか?)
珍しい行動に訝しさを覚えていると、今度は翔のポケットが震えた。
一枚の写真とともに、『サービスしてあげよう』というメッセージが、琴葉から送られてきていた。
嫌な予感がして、翔は少しだけ画面を自分に近づけた。
潤と彩花の真ん中に座っているため、どちらかに傾けることができないのだ。
左右に横目を走らせてから、写真を表示させ——翔は息を呑んだ。
鼓動が早くなり、体がじんわりと熱を帯びる。
「翔、どうした?」
「い、いや、なんでもない」
翔は勢いよく首を振り、潤に覗き込まれる前に、画面を伏せた。
思わず、視界の隅に貼られている広告を睨んだ。
(琴葉のやつ……っ)
送られてきた写真は、琴葉が勝手に撮ったツーショットだった。
まじまじと観察したわけではないが、互いに笑みを浮かべてうなずき合っている自分たちの姿は、少なくともただの知り合いには見えなかった。
「……ふふ」
彩花が小さく笑みを漏らした。
その眼差しは、まっすぐ画面に向けられている。
「双葉、どうした?」
「えっ? あ、ううん。その、美波が変な写真送ってきてさ」
「そっか。吉良って、けっこうおふざけなんだな」
「そうなんだよ」
意外とね、笑みを浮かべながら、彩花はスマホをポケットにしまった。
タイミング的に、琴葉が彩花にも同じ写真を送っていたのかと思ったが、違ったようだ。
(そもそも、あの写真で笑う理由もないだろうしな)
翔はふっと肩の力を抜き、静かにまぶたを閉じた。
規則的な振動に揺られていると、少しずつ気持ちが落ち着くのを感じる。
間もなくして、電車は減速を始めた。彩花の最寄り駅が迫っていた。
彼女は立ち上がると、手を差し出してきた。
「荷物、持ってくれてありがとね」
「おう」
「そういえば草薙君、忘れてない?」
「大丈夫、覚えてるよ」
言いたいことはわかった。以前、電話で注意されたことだろう。
翔は彩花にだけ見えるよう、一瞬だけ潤に視線を向けた。
「よろしい。それじゃ、またね」
彩花は満足そうに瞳を細めて、手を振りながら電車を降りた。
潤がその背中を見送り、翔へ視線を戻す。
「なぁ、翔——」
「習い事のついでに荷物持ちをしてた。以上。以後口を開いたら家に入れない」
「怖えって。わかったよ」
潤は苦笑いを浮かべ、肩をすくめた。
◇ ◇ ◇
駅から住宅街を通り、コンビニの角を曲がれば、草薙家はすぐそこだ。
しかし、梅雨の時期には珍しく太陽光が降り注ぎ、家に着くころには軽く汗をかいていた。
「おっ、涼しい!」
玄関を開けた途端、潤が歓声をあげた。
「潤君、いらっしゃい」
落ち着いた声とともに、京香が顔を見せた。
「お邪魔しまーす!」
潤が勢いよく靴を脱ぎ捨て、迷いのない足取りで家に入っていく。
まだ数回しか来訪していないにもかかわらず、すでに通い慣れた感じを出せるのは、少し羨ましい気もする。
(にしても豪快すぎるだろ、この靴の脱ぎ方は)
翔は苦笑しながら、自分のを整えると同時に、潤の靴の向きを変えた。
京香が小さな笑い声を漏らす。
「ちょっと前までは、翔もひどい脱ぎ方だったけどね」
「最近は気をつけてるから。かかとも踏まないようにしてるし」
「そうね。靴べらは時々ほっぽり出してるけど」
「……ちゃんと片づけます」
翔は口先を尖らせ、憮然とした表情を浮かべた。自覚はあるので、反論はできなかった。
翔と潤が手洗いうがいをしている間に、ダイニングテーブルには麦茶の入った透明なグラスが並べられていた。
「暑かったでしょ。よかったら冷たいものでも飲んで」
「あざーす! んー、やっぱ冷てえ麦茶ってうめーよな!」
「冷蔵庫にあるから、好きに飲んでね」
心なしか、京香の声色が柔らかくなっている。
これだけ好意を素直に受け取ってくれたら、気持ちいいだろう。
「じゃあ、俺らゲームしてるから」
「なにかあれば呼んで。部屋にいるから」
「了解」
京香が「くつろいでね」と潤に言い残し、姿を消した。
ゲーム機を起動しながら、翔はぽつりと言った。
「……ありがとな、潤」
「ん、なにが?」
「昨日だよ。古田たちから、守ってくれてたろ」
確証はないが、浩平の取り巻きの一人である秋野は、おそらく技術室の前で翔にぶつかろうとしていた。
翔が転んで荷物をばら撒く滑稽な姿を、クラスメイトに——彩花に見せたかったのかもしれない。
潤はそれから身を挺して守ってくれただけではなく、浩平たちを睨みつけ、一日一緒に過ごすことで、牽制してくれていた。
今思えば、あのとき教室でみんなに聞こえるように遊びに誘ってきたのも、その一環だったのだろう。
「あれは、単純にムカついただけだよ」
「……そっか」
そうであれば、休み時間も含めて一緒にいてくれるはずがない。
それがわかっているからこそ、翔はそれ以上、言葉を重ねなかった。
「あのときはその場にいたからわかったけど、ぶっちゃけあんまりそういうのわかんねーからさ。なんかしてほしいこととかあったら、遠慮なく言えよ」
「サンキュー」
本当は、もっとお礼の言葉を並べるべきなのかもしれない。
でも、これ以上はしつこい気がしたし、恥ずかしかった。それに、感謝の気持ちを示す方法は他にもある。
「なぁ、潤。もし宿題があるなら後で手伝ってやるけど、どうする?」
「えっ、マジ⁉︎」
「おう」
潤がキラキラと瞳を輝かせ、身を乗り出してくる。
翔はケーキを前にした弓弦の表情を思い出しながら、うなずいた。
「それはありがてえ! いやぁ、万が一のために持ってきておいてよかったー」
潤が上機嫌にカバンを叩く。
着替えや部活用具が入っているにしてもパンパンだと思ったら、宿題を詰めていたらしい。
「万が一ってなんだよ」
翔は肩をすくめた。
どうせ、タイミングを見計らってゴリ押しで頼み込んでくるつもりだったのだろう。
「で、どうする? 無償でもいいし、潤が三連勝したらでもいいけど」
「——ハッ」
潤が鼻を鳴らして、ニヤリと口角を上げた。
「もちろん、三連勝したらに決まってんだろ」
「後悔すんなよ」
何戦か重ね、互角の攻防が続く。
お互い二連勝まではできても、その後は必ず相手が意地を見せた。
「よし、次も絶対勝つ!」
四度目の二連勝を飾り、潤が息巻いたところで、そばに置いていた翔のスマホが震えた。『双葉 彩花』という文字が見えた。
翔は反射的にメッセージの中身を確認したが、潤の視線が滑ってくるのを感じ、画面を伏せた。
「翔、もしかして……」
「違う」
翔はスマホを充電器のコンセントに挿すと、コントローラーを握る指先に力を込め、テレビに向き直った。
「ほら、続きやるぞ」
「お、おう」
次の一戦、翔は一機も落とさず潤をストレートで倒した。その後も潤に連勝を許すことなく、反対に翔は最大四連勝を達成した。
気づけば、拮抗していたはずの撃墜数は、倍以上に広がっていた。
「……なんか、いきなり強くなりすぎじゃね」
「そっちが不調なだけだろ。ほら、三連勝しないと宿題手伝わないぞ」
「くそ、もっかい! 次は勝つ!」
「頑張れー」
適当な相槌を打つ翔の脳内には、先程送られてきたメッセージが蘇っていた。
『もうすぐ試験二週間前だから、勉強会しようよ。花音ちゃんにも会いたいし、またそっち行っていい?』
(……返信は、後でゆっくり打とう)
翔はそっと息を吐き出すと、背筋を伸ばし、コントローラーを構え直した。




