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第34話 お姫様の服選び

 やってきたのは、前に翔の服を買った店だった。

 通りに面したガラスに昼の光が反射して、看板のロゴが柔らかく揺れて見える。


「双葉もここで買うのか」


 ハイブランドを着ている姿は見たことがないし、イメージもない。

 ただ、家が裕福なので、もう少し穴場のような小洒落た店を想像していた。


「なんで安心してんの?」

「おしゃれすぎるところだと、ちょっと入りづらいからさ」

「そういうとこは私もあんまり得意じゃないし、こういうお店でも十分かわいい服はあるよ」


 確かに、着るのが彩花である時点で、たいていの服は映えるだろう。結局は何を着るかではなく、誰が着るかだ。

 彩花がふと、瞳を細めてロゴを見上げる。


「なんか、懐かしいね」

「けっこう前な感じするよな」


 実際には、まだ二ヶ月も経っていない。けれど、今は筋トレに勉強にと、これまでの翔なら考えられないほど詰め込んだ生活をしている。

 時間感覚は、小学生の毎日外で遊び回っていたころと似たような感じだ。


(ほんと、双葉のおかげだな)


 香澄と付き合っていた日々も楽しかったが、なにかを頑張ろうとはしていなかった。

 むしろ、劣等感から逃げていたのだと、今ならわかる。


「服を買ったあと、草薙君がカフェ奢ってくれたよね」

「ま、さすがにあそこまで付き合ってもらっておいて、なにもしないのは違うしな」


 彩花自身にも友達がほしいという狙いがあったことを後に知ったが、それでも美容院を紹介してくれて、服まで一緒に選んでくれたのだ。

 ささやかながら、お礼をするのは当然のことだっただろう。


「でも、ちょっと強引に誘った自覚はあったからさ。あそこまでしてくれてびっくりしたよ。しかも、すっごくおしゃれだったし」

「あそこよかったよな」

「ね、また行こうよ」

「そうだな」


 軽く同意すると、ふいに彩花がじっと見つめてくる。


「えっと……どうした?」

「ううん、あのときに比べて、姿勢も表情もだいぶ良くなってるなーって。というか、今日いつもより姿勢いいよね?」

「さっき怒られたからな」

「素直でよろしい」


 正直、まだ恥ずかしさは残っている。

 それでも、他人の目を気にして全力を出さないほうがダサいというのは、感覚的に理解できた。彩花も満足そうにうなずいている。


「うん、本当にそのほうがいいよ。髪もちゃんとセットしてるし、もしかしたら逆ナンされちゃうかもね」

「いや、髪型ひとつでそんな——」


 咄嗟に否定しかけて、口を閉じた。

 たとえお世辞でも、励ましてくれているのだ。善意で言っているのに否定ばかりされては、彩花も気分が悪いだろう。


「ん、なに?」

「いや……俺の見た目は一旦置いておいて、双葉の前で俺に声かける勇気のある女子なんて、まずいないだろ」

「あれ、もしかして褒めてくれてる?」

「悪いか?」

「ううん——嬉しい」


 彩花はゆっくりと首を振り、はにかむような笑みを浮かべた。

 翔の胸の鼓動が、わずかに早まる。


「……ま、とりあえず入ろうぜ」

「そうだね。草薙君の時間もあるし」


 彩花はサラリと答えて、時計に目を落とした。

 彼女としては、特別なことを言ったつもりはないのだろう。


「時間は気にしなくていいよ。最初に遅れたのは潤だし、こっちにも待たせる権利はあるからな」

「ふふ、そっか……やっぱり優しいね」

「なにがだよ」


 そっぽを向いた翔の横で、彩花が軽やかに笑った。

 結果として、翔は唇を尖らせたまま、自動ドアをくぐった。




「うーん、これもいいな……」


 店内を一巡りして、彩花は何着か手に取っては戻し、また別のラックへ歩く。

 その足取りは弾んでいて、選ぶ行為そのものを楽しんでいるのが伝わってきた。


「草薙君——」


 見渡す限りの女性服という環境が居たたまれず、なんとなく遠くを見つめていた翔は、名前を呼ばれて振り返った。


「この三つで迷ってるんだけど、どれがいいと思う?」


 彩花はハンガーを三枚、胸元の高さで横一列に広げ、肩先を小さく揺らして見せた。

 淡い青のカーディガン、白いブラウス、落ち着いた柄のワンピース——どれも彩花が持つ清潔感に合っているように思えた。


「どれでもいいと思うぞ」


 紛れもない本心だったのだが、彩花はムッと眉を寄せた。


「……ねぇ、面倒くさがってない?」

「いや、そんなことないって。どれも似合ってるから、選べないんだよ」

「な、なに適当なこと言ってんの」


 彩花の頬が、照明の反射を受けたようにほんのり色づく。


「適当じゃないから。本音だって」


 翔は体が熱くなるのを感じながらも、なんとか目は逸らさなかった。

 ハンガーを抱え直した彩花は、服に顔を埋めるようにうつむき、しばし逡巡するように足先でリズムを刻んだ。それから、おずおずと顔を上げる。


「……じゃあ、草薙君の好みで選んでよ。決め手がほしいから聞いてるんだし」

「いいけど、俺なんかのセレクトでいいのか?」

「うん。だって、私と一番一緒にいる男の子、草薙君なんだから……それに、ファッションも無難だから、事故らないだろうし」


(信頼されているのか、貶されているのか……)


 複雑な気持ちのまま、翔は三着を見比べた。

 しかし、それだけでは判断できないし、頼ってくれたのなら適当な返事はしたくない。


「悪い。実際に着たところも見てみたいから、試着してくれるか?」

「あっ……うん、そうだね」


 彩花は一瞬だけ目を瞬かせたが、すぐにこくんと首を縦に振り、試着室へ向かった。


「じゃあ、ちょっと待ってて」

「おう」


 ハンガーが外れる軽い音と、布の擦れる気配がカーテンの向こうから伝わってきた。

 スマホを取り出すが、それもなんだか失礼な気がして、すぐにポケットに押し込む。


(めっちゃ気まずい……)


 無意味に指先を絡ませたり、解いたりしていると、やがてカーテンがゆっくりと横に寄った。


「ど、どうかな……?」


 彩花は淡い青のカーディガンを羽織り、裾を指先でそっと整えた。視線が一度だけ泳ぎ、すぐにこちらへ戻る。


「……似合ってる。爽やかで、夏っぽい」


 自分でも驚くくらい素直な言葉が出た。

 彩花の口元がふわりと和らぎ、肩の力が抜けたように見える。


「そ、そう? よかった。じゃあ、もうちょっと待っててね」


 カーテンが閉まり、再び音が戻る。続いてブラウス、ワンピースと、その後の二着はテンポよく見せてくれた。

 ブラウスは清潔感が強く、ワンピースは少し大人びた雰囲気が出る。どちらもそれぞれ良さがあった。


「——で、どれが良かったと思う?」


 元の服装に戻った彩花が、再び三つのハンガーを胸元の高さに並べた。


「マジでどれもよかったけど……強いて言うなら、これかな」


 翔は迷いながらも、最初のカーディガンを指さした。

 あまり彩花が着ているイメージがなかったし、一番夏っぽくて爽やかだと思った。


「ふーん、これなんだ……」


 彩花は意味深につぶやき、選ばれた服をじっと見つめた。

 もしかすると、内心では他を気に入っていたのかもしれない。


(女の子のどれでもいいは、『私が好きなものならどれでもいい』っていう意味だって言うしな……)


 彩花はどれでもいいと言っていたわけではないが、選べなくて迷っているなら、状況的にはさほど変わりないだろう。


「別に、無理に俺の意見を取り入れる必要はないからな」

「ううん、これにする」


 彩花はカーディガンを抱きかかえた。おもちゃを取られまいとする子供のように、腕にきゅっと力がこもる。


「えっ……そんな簡単に決めていいのか?」

「うん。だって、適当に選んだわけじゃないんでしょ?」

「まあ、それはそうだけど」

「じゃあ、決まり。私もこれが一番しっくりきたし、ウジウジ悩んでも良くなるとは限らないからね」


 言うが早いか、残りの二着を店員に預けると、彩花はスタスタとレジへ向かった。


(思い切りがいいのか、面倒くさくなったのか……)


 翔は苦笑しながら、その背中を追った。

 会計を終えると、店員が丁寧に袋を差し出しながら微笑んだ。


「お買い上げありがとうございます。このあともお出かけ、楽しんでくださいね」

「あっ……えっと、ありがとうございます」


 彩花は曖昧な笑みを浮かべて会釈をすると、そそくさと店を出た。

 その口元は真一文字に引き結ばれている。カップルのように扱われたことが、嫌だったのかもしれない。


「男女が来たら言うことにしてるんだろうし、気にする必要はないと思うぞ」


 早足で進む背中に声をかけると、彩花はぴたりと足を止めた。


「私は気にならなかったよ。草薙君はいやだった?」

「いや、別に。双葉がいいならいいよ」

「……そっか」


 翔が首を横に振ると、彩花は小さくつぶやいて、胸に抱えた袋をそっと抱きしめた。

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