第33話 お姫様からのご指名
「わぁ、うまそう!」
切り分けられたケーキを前に、弓弦がフォークを握りしめながら歓声を上げた。
横長のダイニングテーブルは四人ずつ横に座れる造りで、片側に輝樹、弓弦、翔。向かいに真美と彩花が並んでいる。せっかくだからと、五人でケーキを食べることになったのだ。
翔が今回セレクトしたのは、ベリーがこんもり乗ったチーズケーキだ。薄く立てられたミントの葉が、彩りを添えている。
「いただきます——うまっ!」
手を合わせるや否やケーキに突進した弓弦が、口の端に赤い色素をつけたまま満面の笑みを上げた。
「うん、美味しいな」
「ベリーの酸っぱさとケーキの甘さのバランスがいいわね」
「草薙君、なかなかセンスあるじゃん」
ほかの三人からも好評の声が上がり、翔はようやく肩の力を抜いて一口運んだ。
酸味が口に広がって、あとからやさしい甘さが追いかけてくる。重たさはなく、いくらでも食べられそうだ。
「そういえば、お父さんはいつまでいるの?」
コーヒーを飲んだ彩花が、軽い調子で尋ねる。
「実は、午後からちょっと急な付き合いが入ってしまってな。弓弦と一緒に出ようと思ってるんだ」
「あらら、大変だね」
彩花の口調は軽かった。突き放す感じではない。輝樹も軽くうなずく程度だ。
翔は隣の弓弦の顔を覗き込んだ。
「弓弦はサッカースクールか?」
「うん! 翔くんに蹴り方教えてもらってから、けっこう強く蹴れるようになったんだよ」
弓弦は胸を張ってうなずいた。鼻の下にクリームのヒゲを立派に蓄えている。
「おっ、それは何よりだな」
「ね、またサッカー教えてよ!」
「もちろんいいぞ。また、的当てとかするか?」
最近はゲームで遊ぶことが多かったが、前に外でボールを蹴ったときの楽しさは、弓弦の反応から十分伝わってきた。
最近ではボール遊びが禁止されるところもあるらしいが、やはり小さいころは公園で遊ぶべきだと思う。そこで学べることだって、たくさんあるのだから。
「いいね、しようしよう! いつが空いてる?」
「そうだな。ちょっと待ってよ——あっ、ちょっとスマホ使っていいですか?」
「えぇ、もちろん」
真美が柔らかくうなずく。翔が日程を確認していると、弓弦はキラキラした目で画面を見つめた。
——その様子を見た輝樹が、向かいの真美にそっと目配せをする。真美は小さく笑ってうなずき、輝樹も満足そうに頬を緩めて立ち上がった。
「よし。せっかく翔君もいるんだし、茶を入れてあげよう」
「あら、いいじゃない。翔君、この人なかなかうまいのよ」
「そうなんですね。でも、迷惑じゃないですか?」
「構わないさ。一人増えてもやることは変わらないしな」
そう言って、輝樹は大きくうなずいてキッチンへ向かった。
「入れてあげようの言い方とか、双葉に似てるな。さすが父娘だ」
「えー、それはなんかやだ」
翔が茶化すと、彩花は眉を寄せて唇を尖らせた。
すかさず、台所から輝樹の声が飛んでくる。
「よし、彩花のは特別に愛情を込めて作ってやろう。——たっぷり時間をかけてな」
「苦くなるからやめて」
彩花が思い切り眉間に皺を寄せ、テーブルの上に笑いが広がった。
湯気の立つ湯飲みを手に、四人でゲームをする時間はあっという間に過ぎた。
ほどなくして、輝樹と弓弦が出立する時間になる。
「もしも彩花を悲しませたら、俺はどんな重要な仕事でも放り出して帰ってくるからな」
そう翔に耳打ちして、輝樹は去っていった。
元々そのつもりではあるが、双葉家の安泰のためにも、彩花への接し方には気を配る必要がありそうだ。
「ねぇ、お父さんに何言われてたの?」
「ん? ああ、次来るときまでにもっと鍛えておけってさ。にしても忙しいんだな、輝樹さん」
「まあねー。ちょいちょいビデオ通話とかはしてるから、あんまり久しぶりな感じもしないけど。むしろ、画面越しくらいがちょうどいいかも」
彩花がカバンから教科書を取り出し、肩をすくめる。
「でも、俺らのこともそんなに深くは聞いてこなかったし、線引きしてくれてるんじゃないか?」
「そうなんだけど、存在がうるさいっていうか」
「あー……」
言いたいことの輪郭はわかる気がして、翔は曖昧に相槌を打った。
輝樹は確かに存在感のある人だ。ビデオ通話であっても、まるで隣にいるような感覚を味わえるだろう。
「ま、お父さんは置いといて、とりあえず勉強しよっか。そんなに時間ないでしょ?」
「そうだな」
翔はソファから腰を上げ、テーブルに教科書を並べてペンを取った。
◇ ◇ ◇
ひと通り勉強を終えて帰り支度に取りかかったところで、翔のスマホが震えた。潤からのメッセージだ。
用事ができて少し遅くなるという連絡が、ボロボロと涙を流しているウサギのスタンプとともに送られてきた。
「どうしたの? 珍しく真剣な顔して」
ソファの背もたれ越しに、彩花が覗き込んでくる。
ふわっと甘い香りが近づく。翔は背もたれに体を預け、伸びをした。
「いつもそんなちゃらんぽらんしてないだろ……潤が、急な用事でちょっと遅くなるらしいから、どうやって時間を潰そうかなって」
「あらら、それは困ったね」
彩花は一拍置いてから、思いついたように手を打った。
「じゃあさ。もしよかったら、ちょっとだけ買い物に付き合ってくれない?」
「おっ、荷物持ちが必要か?」
「そんなわがままじゃないよ」
彩花は小さく頬を膨らませ、翔の肩を小突いた。
「服とか見たいなって思ってて。男の子の視点もほしいから。いい?」
「もちろん。プロデュースはできないけどな」
自分の服ですら、まともに選んでいないのだ。
女子の服装についてなど、口を出せるはずがない。
「男子代表だから、責任重大だよ?」
「荷が重いって」
「補欠はいないから頑張ってね」
軽口を交わしながらも、翔は胸の奥がくすぐったくなるのを覚えた。自分が選ばれているような感覚が、妙に落ち着かない。
競合がたまたま一次審査すら通過できなかったからこそ、今の地位を確立できただけなのだが。
もしも浩平ではなく、潤や翼が彩花を狙っていたら、今でもただのクラスメイトだったかもしれない。
(……って、何考えてんだ、俺は)
そもそも、翔と彩花はそういう関係ではない。
信頼してもらえている自信はあるが、だからこそ、それを裏切りたくないという気持ちのほうが強かった。
「じゃあ、お母さん。ちょっと出掛けてくるねー」
「はーい、気をつけて。翔君、彩花をよろしくね」
「はい、お邪魔しました」
もちろん周囲には意識を向けておくが、休日の昼間にショッピングモールに行くだけなので、過度に気を張る必要はないだろう。
「何を買うのかは決めてるのか?」
「うーん、行ってみてかな。夏服を揃えたくてさ。草薙君の意見もちゃんと取り入れるつもりだから、期待してるよ?」
彩花がウインクを向けてきた。
いつも通りの距離感のはずなのに、先程まで変なことを考えてしまっていたせいか、胸の鼓動が早まる。
「……指名の責任は、そっちにあるからな」
結果として、翔は目も合わせられないまま、ぶっきらぼうな返事をすることしかできなかった。




