第3話 偶然の再会
「ねぇ、双葉さん。このあと暇?」
六時間目が終わった直後、浩平がそわそわした様子で彩花に話しかけた。
それを皮切りに、後ろにいた他の者たちも次々と声をかける。
「みんなでカラオケ行くんだけど、よかったら来ない?」
「普通に歌ってもいいし、人狼とかするのもアリだから、そこは気楽でいいぜ」
「そうそう。吉良もいるし」
「こら、私を彩花を釣るための道具に使わないの」
彩花の隣にいた吉良美波が、呆れ顔で浩平の頭をコツンと叩く。
浩平は少しニヤけながらも、慌てたように手を振った。
「そ、そういうわけじゃねえよ! ただ、友達がいたほうが安心できるかなって思っただけだっつーの」
「怪しいなぁ。けど、どっちにしろ無理だよ。彩花は今日、予定あるもんね?」
「うん。弟と遊ぶ約束したから。ごめんね」
彩花が申し訳なさそうに手を合わせた。
「そっか、さすがだなぁ」
「弟と遊んであげるとか、マジで優しいじゃん」
「さすがお姫様だな〜」
浩平一派と呼ぶべき彼らは、口々に彩花を持ち上げる。
下手に出たその態度は、本当に家来がお姫様に仕えるように、とまではいかないが、明らかに普通の同級生と会話してる感じではない。
「そんなことないよ。毎回相手してるわけじゃないし」
彩花は苦笑した。見慣れているはずの丁寧な口調と柔らかい表情に、どこか違和感を覚える。
少なくとも、昨日とは明らかに雰囲気が違った。
(お姫様扱い、嫌がってたもんな)
だが、気がついたときには、その風潮が広まっていた。
それこそ、誰かが仕立て上げたと言っても不思議ではないほどのスピードだった。
さすがに考えすぎだろうが、そのような状況では、彩花も空気に従わざるを得ないのだろう。
「君たち。おだててオトせるほど、彩花は軽い女じゃないぞ〜?」
「わ、わかってるって!」
美波にさりげなく牽制され、浩平たちは引き下がった。
美波は彩花の中学からの友人らしく、唯一と言っていいほどフランクに接する存在だ。彩花も、美波と話しているときだけはある意味崩れた表情を見せる。
翔は、美波にもどこか演じているような違和感を覚えていたが、きっと彩花が周囲と壁を作っているから、同じように捉えてしまっているだけだろう。
「相変わらず人気だなぁ、双葉は」
いつの間にか近くにやってきていた潤が、呑気な声を出す。
彼女持ちである彼もまた、彩花に遠慮を抱かない数少ない一人だ。
「そりゃまあ、あの見た目だからな」
「おっ、翔も興味あるのか?」
「まさか。レベルが違いすぎるわ。目の保養って感じだろ」
「間違いねーな」
潤がケタケタと笑う。
特別視はしていなくても、高嶺の花であることに変わりはない。
「そもそもあの様子じゃ、恋愛とか興味なさそうだよな。自分から男子に話しかけてるのとか、見たことねーし」
「確かにな」
どころか、彩花が能動的に話しかけるのは、女子を含めても美波くらいだ。
(昨日のは、明らかに例外だしな)
「ん、どうした?」
「いや、なんでも」
翔はゆっくり首を振った。
普段は鈍いくせに、変なところで勘が鋭いのだから、なかなか困ったものである。
◇ ◇ ◇
「じゃあ、みんな気をつけて帰れよー」
帰りのホームルームが終わると、翔は癖で香澄のほうを見てしまい、胸がざわついた。
もう二度と、一緒に帰ろうと誘う日は来ないだろう。
(どころか、話すことすらないかもな……)
今後、自分たちの関係がどうなるかわからない。翔が立ち直ったら、普通のクラスメイトくらいで落ち着く可能性もある。
それでも、とにかく今は、彼女のことなんて考えたくもなかった。
しかし、神様というのは残酷だ。
部活に行くという潤と少しだけ雑談をしてから学校を出ると、途中の曲がり角で、香澄と翼が並んで笑っているのが目に入った。
思わず、食い入るように見てしまったせいか、香澄が振り返った。
一瞬だけ視線が交わるが、すぐに逸らされた。
「っ……」
視界がにじんで霞む。思わず拳を握りしめた。
あぁ、今日はサッカー部が休みだから一緒に帰ってるのか——。
その程度にしか思わない、わけがなかった。
家に帰ると、じっとしていられずに外へ出た。
気づけば、足は彩花と出会ったあの公園へ向かっていた。
断じて、また会えるかもと期待していたわけではない。むしろ、頭から抜けて落ちていた。
しかし、この状況を見て、誰がその言い分を信じるだろうか。
「「「——あっ」」」
三人が声を上げたのは、同時だった。
公園にたどり着くと、彩花と弓弦がボール遊びをしていた。
「翔くん!」
弓弦がパッと駆け寄ってきた。まだまだ肌寒い季節だというのに、全身から湯気が出ている。
そのエネルギーあふれる様子に、自然と口元がほころんだ。ポン、と頭に手を乗せ、身を屈ませて視線を合わせる。
「おう。元気にしてたか?」
「うん、お姉ちゃんとサッカーしてた! 翔くんも遊びに来たの?」
「あー、まあ、そんなところだ」
まさか、傷ついた心を癒しに来たとも言えずに曖昧な返事をすると、グイッと腕を引っ張られる。
「じゃあ、一緒に遊ぼうよ!」
「えっ、でも……」
戸惑いの視線を向けると、彩花が苦笑しつつ肩をすくめた。
「あれ以降、毎日草薙君の話してるんだ。よかったら、ちょっと遊んであげてくれない?」
「わかった。じゃあ、遊ぼうか」
「やったぁ! パスパスしよ、パスパス!」
弓弦がタタタ、と駆けていき、ボールに足を乗せて嬉しそうに笑う。
翔も釣られるように笑顔になりながら、「よし、来い!」と大きな声を出した。
一応、小学六年生までは地元のサッカークラブに入っていたため、彩花の前で恥をかくことはなかった。
弓弦にも少しだけアドバイスをすると、素直に聞き入れてくれて、それまでよりも狙った方向に飛ばせるようになった。
「弓弦、うまくなってるぞー」
「へへ、でしょ? じゃあ今度、あそこのマークにボール当てるから、見てて!」
弓弦が、L字になっている壁の丸いマークを指差し、ボールをセットする。
子供の体力とは、すさまじいものだ。当然、高校生のほうが体は発達しているはずなのに。
「——草薙君」
苦笑いを浮かべていると、彩花が近づいてきた。
白シャツに薄手のレース生地の羽織もの、それにショートパンツという、見慣れないスポーティな格好に、どこか落ち着かない気分になる。
「お疲れ様。ごめんね、相手させちゃって」
「全然いいって。ちょっと疲れたけどな」
「じゃあ、ちょっと休憩しようよ。私も座りたいし」
彩花が弓弦に「お姉ちゃんたち、ちょっとそこで座ってるねー」と声をかけてから、ベンチに向かっていく。
並んで腰を下ろすと、ほんのり甘い香りが漂ってきた。翔はわずかに体勢をずらした。
「ありがとね、弓弦と遊んでくれて。私はあんなうまくできないから」
「そりゃ、仕方ないだろ。俺も久しぶりにボール蹴ったから、楽しませてもらったよ」
「サッカーやってたんだ?」
「小学生の頃だけどな」
「なるほどね。道理でうまいと思ったよ」
「部活やってるやつらに比べれば、大したことないけどな」
——ズキン。
翼の顔が脳裏に浮かび、また胸が痛んだ。
「にしても、すごい偶然だね。びっくりしちゃった」
「あぁ……」
話題転換にホッと息を漏らしつつ、一応名誉のために釘を刺しておく。
「言っとくけど、待ち伏せとかはしてないからな」
「わかってるって。あの驚いた顔が演技だったら、今すぐ演劇部のエースになれるよ」
「あいにくと主戦場は裏方なんだ」
「ただ面倒くさいだけなんじゃない?」
うっ、と言葉を詰まらせると、彩花が小さく笑った。弓弦というよりは、美波に向けるものに近い気がする。
もちろん、同程度の好感度を持たれているわけはないが、自分を狙わない無害な男、くらいには認識されているのかもしれない。
しかし、その表情はすぐに真剣なものに変わった。
「それより、草薙君は大丈夫なの?」
「えっ……なにが?」
「この前から、ずっと表情暗いよ」
直球で切り込まれて、翔は息を呑んだ。
二人の間を風が吹き抜け、彩花の黒髪がサラサラと揺れる。
「……気づいてたのか」
「そりゃあね。ずーん、って感じだもん」
「なんだそれ」
笑おうとするけど、口元が引き攣ってしまう。
「まあ……大丈夫だよ」
「そんな覇気のない声じゃ、説得力ないって」
彩花がふっと息をこぼし、躊躇うように唇を舐めてから——おずおずと切り出した。
「赤月さんのこと……だよね」
20時ごろに第4話、第5話を続けて公開する予定です!