第27話 お姫様の拒絶
「お前、最近双葉に付きまとってるんだってなぁ」
翔は浩平とその取り巻きによって、体育倉庫裏の壁際に追い詰められていた。
「前は恩売りに行ってたよな。わざわざ一緒にノート運ぼうとしてたり」
「消しゴムも押し付けてたくね?」
「そういえば、そんなこともあったわー!」
「あれ、やめろよ。双葉、迷惑がってっから」
翔は思わず眉をひそめた。何を知ったような口を聞いているのだろう。
「おっ、もしかしてアピール成功とか思ってたか? ——んなわけねーだろ」
「お姫様は優しいから、その場では断らなかっただけだっつーの」
「習い事、同じなんだろ? 気まずくなっても面倒だから、気遣ってくれてんだよ」
翔は小さく拳を握りしめた。こういう相手には張り合わない——中学校で学んだことだった。
「で、習い事って何やってんだよ?」
おそらく、最も彼らが気になっていることだろう。それがわかっていても、翔は口をつぐんだ。
具体的に答えれば、どこかでボロが出てしまう。怪しまれていることに変わりはないのだから、嘘はなるべく塗り重ねないほうがいい。
「……おい、なに黙ってんだよ」
「もしかして、独占欲発揮しちゃってる感じ?」
「うわっ、引くわー」
「でも、しょうがなくね? 俺らが入ったりしたら、こいつお姫様と話せなくなるし」
「それはそう!」
浩平たちが顔を見合わせ、手を叩いて笑い合う。
笑い声は軽いが、視線は落ち着きなく揺れていた。
「まさか、狙ってるわけじゃねえよな?」
「やめとけよ。可能性ねえんだから」
「なんせ、お姫様だぜ?」
その一言に、翔は眉をぴくりと動かした。——半ば無意識に、口を開いていた。
「俺らのことなんだから、そっちには関係ないだろ」
「……はっ?」
浩平の眉間に縦皺が寄り、顎が上がった。
(ミスった……っ)
鼓動が早まり、喉が乾く。体重の置き場を探すみたいに、翔の片足が半歩引いた。
すかさず、浩平が距離を詰めてくる。
「なにお前、たまたま習い事が一緒だからって、調子乗ってんの?」
「いや、別にそういうわけじゃないけど」
口にした瞬間、授業開始のチャイムが鳴った。
「……チッ、マジで運だけはいいみたいだな」
浩平が距離を取る。周囲もそれに合わせて、距離を取った。
「とにかく、これ以上付きまとうなら、こっちにも考えがあるからな」
「さっさと諦めて解放してやれよ。お姫様がお前を選ぶわけねーんだから」
「勘違いすんなよ、陰キャが」
捨て台詞を残して、彼らは去っていった。
「……ふぅ」
肩の力が抜ける。背中までびっしょり汗をかいていて、服が張り付く不快な感触があった。
決して、付きまとっているわけじゃない。だが、いくらこちらが釈明しても、聞く耳を持たないだろう。
(あのときも、そうだった)
要は、感情の問題なのだ。
彼らが納得するのはきっと、彼らの望みが現実になった場合のみ——翔が彩花と距離を取った場合のみだ。
不意に、彩花の笑顔が脳裏によみがえってくる。
気を遣わなくていいと言ったときも、一緒にジムへ向かうために待っていたときも、彼女は屈託のない笑みを浮かべていた。
——そして何より、弱音も涙もさらけ出して、翔を頼ってくれた。
「くそっ……」
悪態が漏れる。
しばらくの間、唇を噛みしめたまま、その場に佇んでいた。
◇ ◇ ◇
「絶対、先生に相談するべきだよ」
彩花は肩ひもを握りしめながら、断言した。
翔が詰め寄られていたのを目撃したクラスメイトがいたらしく、彼女の耳にも噂が入ってしまっていた。
「大丈夫だって。そんな大したことじゃないから」
どうすればいいのかは、今でもわかっていない。それでも、彩花を巻き込みたくはなかった。
下手なことをすれば、彼女に怒りの矛先が向く可能性すらあるのだ。
気にしなくていいという意味を込めて、翔は努めて軽い声を出した。——それが、かえって不自然だったのかもしれない。
彩花はまばたきを一度だけはさみ、震えた声を出した。
「もしかして、私のこと……?」
「っ……いや、違うよ」
翔は言葉に詰まった。
一瞬のことだったが、そのわずかな間で、彩花は確信したようだ。
「……ごめんね、迷惑かけて」
うつむく彼女の声は、小さくかすれていた。
「違うよ、双葉のせいじゃない。それに、周囲の目なんて気にしなくていいって言っただろ」
「でも、危険な目に遭うなら話は別だよ」
「習い事が同じなら一緒に行動するのは自然だし、さすがに手は出してこないって」
彩花はひとつ息を吐いてから、まっすぐ見上げてきた。
「本当に、そう思う?」
「っ……!」
翔は言葉に詰まった。
『お前なんかじゃ釣り合わねーよ』
また、その声が脳内にこだました。鼓動が早まり、耳鳴りがする。
彩花は小さく息を呑むと、瞳を伏せ、それ以上の言葉を拒むように踵を返した。
「……もう、家以外では話しかけないから、そっちも話しかけてこないで」
目を合わせることなくそう告げ、彼女は早足で去っていった。
その姿が見えなくなるまで、一度も振り返らなかった。
「双葉……っ」
翔はその場に立ち尽くした。追いかけたいのに、足が固まったように動かなかった。
——去っていく直前の、今にも泣き出しそうな彩花の表情が、いつまでもまぶたの裏にこびりついていた。
◇ ◇ ◇
翌日の放課後は、ジムの予定が入っていた。
彩花は昨日、家以外では話しかけないと言った。一度ジムに入ってしまえば、これまで通りに接してくれるのだろう。
それでもいいのではないか、という思いもよぎった。そのほうがいろいろと楽だ。
でも、それは多分、彩花と過去の自分への裏切りだ。
『俺は別に周りの視線とかどうでもいいから。双葉もそこは気にしなくていいぞ』
周囲からのヘイトも承知の上で、それでもそんな理不尽に屈したくなくて——彩花に少しでも恩返しをしたくて、屋上でそう宣言した。
決してその場のノリではなかったし、涙を流す姿を見て、力になりたいという気持ちはますます強まった。
(けど……っ)
今日一日、ずっと浩平たちからの視線を感じていた。
ホームルームが終わると、それはさらに強まった。
『これ以上付きまとうなら、こっちにも考えがあるからな』
昨日の浩平の言葉が、耳に響く。
翔は唇を舐めた。手のひらが湿り、喉が異常に乾いていた。
横目を向けると、彩花が自席でカバンに荷物を詰めていた。その動きは鈍く、肩も小さくすぼめられている。
視線を感じたのか、ふとこちらを振り向いた。
「っ……」
彼女は目を丸くさせたが、次の瞬間には、逃げるように顔を背けた。
——その肩が震え、指先がぎゅっとスカートの裾をつまむのを見た瞬間。
気づけば、翔はそちらへ歩き出していた。