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幼馴染にフラれた日、ヤケクソで助けた男の子の姉がクラスのお姫様だった 〜お姫様直々のプロデュースで、幼馴染を見返します〜  作者: 桜 偉村
第二章

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第25話 お姫様の弱音

 双葉家に到着してからも、筋トレ中も、その後の勉強会でも、先程の話は一切出なかった。

 翔も何を言っていいのかわからなかったし、彩花もその話題を避けるように、いつもより少しだけ口数が多かった。


「ここは、イディオムが飛び飛びになってて——」


 彩花がワークの文章をペンでなぞる。

 やはりどうしても距離感は近くなってしまうが、翔は以前のようにドキドキはしていなかった。

 その横顔から思い出すのは、教室に乗り込もうとしていた自分を止めたときの伏せられたまつ毛と、微かに震えていた指先。


 言って聞く人なら、最初から言わない。まさにその通りだ。

 変に正義感を発揮して注意すれば、ますます状況はエスカレートしていくかもしれない。


(けど……っ)


「だから、ここは——って、草薙君、聞いてる?」

「えっ? ……あぁ、ごめん。ちょっとぼーっとしてて。悪いけど、もう一回説明してもらっていいか?」


 彩花はペン先を止め、じっと翔を見つめてから、椅子にもたれ直した。


「一旦休憩しよっか」

「……ごめん」


 翔は視線を落とし、ノートの角を指で整えた。

 辛いのは彩花なのに、こちらが気を遣われてしまっている。


「草薙君——」


 不意に名前を呼ばれ、ハッと顔を上げる。


「あんなの、全然気にしなくていいからね。面と向かって言われてるわけでもないし、実害もないんだからさ」


 彩花は眉尻を下げ、困ったように笑っていた。

 けれど、その笑みはお姫様モードのときよりもぎこちなかった。


 胸に鋭い痛みを覚える。翔はふっと息を吐き出した。


「……我慢しなくていいぞ、双葉」

「えっ?」


 彩花がパチパチと瞬きをした。


「気遣わなくていいって言っただろ。俺の前じゃ、無理しなくていいから」

「っ……!」


 正面から見つめると、彩花は瞳を揺らした。視線を逸らし、足先でトントンと床を打つ。


「……わかっちゃうんだ」

「意外と素直だからな」

「うるさいなぁ」


 おどけたような口調だが、その声はわずかに震えていた。

 翔が黙っていると、彩花はそっと目元を拭い、ぽつぽつと言葉を紡ぎ始めた。


「……中学のときから、そうだったんだ。好きじゃないから断ってるだけなのに、お高くとまってるとか、調子乗ってるとか言われてさ」

「うん」


 翔はただ、相槌を打った。かつて、彩花がそうしてくれたように。


「デートも告白も、受けるかどうかは私の自由じゃん。それなのに媚び売ってるとか計算高いとか言われて、話したことない子からも嫌われてて……こっちは普通に楽しく過ごしたいだけなのに……っ」


 膝の上で握りしめられた拳は、細かく震えていた。

 そこには、プロデューサーとして自分を引っ張ってくれていた頼もしさはどこにもなかった。吹けば消えてしまいそうな儚い少女だけが、そこにはいた。


 彩花がお姫様扱いを受け入れた理由が、ようやくちゃんと理解できた気がした。

 最初から他人を寄せ付けなければ、嫉妬されることも少なくなる。事実、浩平を除いて、表立ってアプローチをかけている人物はいない。


 中学に比べて平和に過ごせているのというのも、嘘じゃないのだろう。

 でも、それはきっと、本来の自分を隠すことで手に入れた仮初(かりそめ)の平和だ。彼女が何かを我慢しなければならない状況に変わりはないし、そこまでしても、嫉妬や陰口はなくなったわけじゃない。


 血の味がする。知らずのうちに、唇を噛みしめていたらしい。

 でも、そんなことはどうでもいい。翔よりもはるかに傷ついている子が、ここにいるのだ。


「……それは、辛かったよな」


 そっと、背中に手を添える。薄い布越しに、体温と速い鼓動が伝わってきた。

 気の利いたことなんて言えない。それでも何かしてあげたかったし、触れていなければ、引いていく波のように消えてしまいそうな気がした。


「っ……!」


 彩花は大きく身を震わせたあと——ぽすっと、翔の胸に倒れ込んできた。

 シャンプーの香りが鼻先をかすめる。


「え……ふ、双葉っ?」

「ちょっとだけでいいから、こうさせて……っ」


 彩花の指が、そっと翔のシャツを摘んだ。

 どこにも行かないで——。そう言われているような気がして、翔は反射的に、その華奢な体を包み込んでいた。


「……胸くらい、いくらでも貸すよ」


 ここまで密着しているのだから、体の強張りも胸の高鳴りも、すべて伝わっているだろう。

 それでも、離れようとは微塵も思わなかった。頼ってくれるなら、いくらでも応えたい。受け止めるだけなら、翔にもできるのだから。


 程なくして、あごの下からかすれた嗚咽が漏れ始める。

 翔は唇を噛みしめ、震える体を抱く腕に、より一層力を込めた。




「……また、情けないとこ見せちゃったね」


 彩花は椅子の上で膝を抱え、顔を埋めた。あまり長くは泣かなかった。

 わずかに覗く目元は赤くなっているが、瞳は少しだけ光を取り戻したようにも見える。


 翔はそっと息を吐き出すと、小さくなっている彩花に微笑みかけ、親指を立てた。


「大丈夫だよ。これまでにもいっぱい見てるから——ゲームで自分も跳ねてたりとか、コンビニ寄ろうとしてたのに思いっきり素通りしたりとか」

「そ、そういうのはまた違うじゃん!」


 彩花の手のひらが、ペシっと翔の二の腕を打った。

 痛くもないのに、なぜかその感触を意識してしまって、翔は咄嗟に反応ができなかった。


 彩花も息を呑み、視線を彷徨わせる。

 お互いの呼吸音だけがわずかに聞こえる中、やがて彩花がぽつりと口を開く。


「……草薙君」

「ん?」

「その、ありがとね」


 翔は頭を掻きながら、そっぽを向いた。


「お互い様だろ。俺は借りを返しただけだから」

「——草薙君?」


 彩花の声のトーンが低くなる。そのむっとした表情を見て、翔はつい数時間前のやりとりを思い出した。

 求められている言葉は、すぐにわかった。けど、それを口に出すのは少しだけ時間が必要だった。


「……どういたしまして」

「うん、よろしい」


 もっと早く答えてほしかったけど、と彩花は笑った。ようやく、いつもの調子が戻ってきたようだ。

 翔は安堵とともにむず痒さ覚えて、もぞもぞと椅子に座り直した。


「でもさ、もう貸し借りとかは良くない? そういう関係じゃないじゃん、私たちって」

「えっ、そうなのか?」

「……もしかして、ただの利害関係だと思ってたの?」

「そういうわけじゃないけど、そもそもプロデュースだって、弓弦の相手が条件だったわけだし」


 これまでの彩花の行動には全て、合理的な理由があった。ドライという表現はしっくりこないが、少なくとも向こうは利害に基づいて行動していると思っていた。

 眉を寄せていた彩花は、途端に瞳を泳がせ始めた。


「い、いや、あれはちょっと、口実というか……」

「えっ……どういうこと?」


 胸の鼓動がわずかに早まる。

 弓弦の相手が口実だというのなら、彩花は別の理由で翔に近づいたことになる。


「あっ、いや、別に変な意味じゃないよ⁉︎ ただ、その、草薙君はずっと普通に接してくれてたし、落ち込んでたから励ましてあげたかったのもあったっていうか……今考えると、自分でも何言ってんだって感じの誘い方だけどね。ああいうの、あんまり慣れてなかったから」


 彩花は照れたように舌を出した。

 今の訂正の仕方を見ても、やはり無害な男だと認識されていたからこそ、距離を縮めてくれたのだろう。中学時代の経験から、恋愛に一種のトラウマを覚えているのかもしれない。


「わかってるよ。変な勘違いはしてないから、安心してくれ」


 そう告げると、胸の奥が少しだけモヤモヤした。

 しかし、勘違いをしてこなかったからこそ、今の関係を築けたのだから、これ以上の贅沢は許されないだろう。


 指先にはまだ、翔の無骨な体とは異なる、しなやかな感触がはっきりと残っている。

 マジで気をつけないとな、と自分に言い聞かせていると、彩花はため息まじりにつぶやいた。


「……なんか、むしろ勘違いしてそうなんだけど……」

「えっ、なに?」

「う、ううん、なんでもない。とにかく、打算で草薙君と接したことなんてないから。そっちも、いつでも頼ってくれていいからね?」

「了解」


 翔は椅子に座り直し、ペンを手に取った。


「じゃあ早速——改めてさっきのとこ、教えてもらっていいか?」

「仕方ないなぁ。ラストチャンスだよ?」


 彩花はふんぞり返るように腕を組んでから、ぱちっと片目をつむった。

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