第13話 お姫様との昼食と、予想外の来訪者
「えっと……双葉もここで食べるのか?」
「うん。あっ、もしかして迷惑だった?」
わずかに揺れた彩花の瞳を見て、翔は慌てて首を振った。
「そんなことはないけど、吉良はいいのかって思って」
「美波とはそんなべったりじゃないから、大丈夫だよ。それに——」
彩花は屋上の周囲をぐるりと見渡した。
「せっかく屋上まで来たのに、プロテインだけ渡して帰るのはもったいなくない?」
「ま、なんとなく特別感はあるよな」
「そういうこと。実は一回来てみたくてさ。付き合わせちゃってごめんね」
「いや、むしろありがたいくらいだよ。教室で渡されてたら、絶対に問い詰められてたからな」
「私たちのことなんだから、みんなは関係ないのにね」
どこか不満そうな口調だった。やはり、今の空気にやりづらさを感じてるんだろう。
彼女にとっては何気ない行動でも、拡大解釈されて、誰にヘイトが向くかわからないのだから。
(でも、そんなのおかしいよな)
周囲に気を遣って、彩花一人が溜め込まなければならないなんて、あまりにも理不尽だ。
「草薙君。どうしたの? なんか怖い顔してるよ」
「いや……ああは言ったけど、俺は別に周りの視線とかどうでもいいから。双葉もそこは気にしなくていいぞ」
彩花はハッと息を呑み——それから、噛みしめるようにうなずいた。
「……やっぱり優しいね、草薙君は」
「そんなことないと思うけど」
真正面から感謝されるのもむず痒いが、それで彼女の気が楽になるのなら構わない。
返さなければならない恩は、まだまだあるのだから。
「じゃあ今度、みんなの前で腕立てとかしてもらおうかな」
「落ち着け」
「ふふ、冗談だよ。お礼とお詫びに卵焼きを贈呈しよう」
「えっ? いや、そんなのいいって」
「遠慮しないで。卵は完全栄養食だから、筋トレとの相性もバッチリなんだよ」
「それは聞いたことあるけど……」
そもそもプロテインをもらってしまっているのに、ちょっと言葉をかけただけでさらにもらってしまうのは気が引けた。
しかし、
「お肉はさすがにあげられないけど、一応感謝の気持ちだから」
彩花は思ったよりも強引だった。借りはその場で返しておきたいのかもしれない。
「じゃあ……悪いな。ありがたくいただきます」
他のおかずに触れてしまわないよう、慎重に箸を伸ばす。
「ベンチプレスの最後くらい手震えてるけど?」
「しょうがないだろ」
「ふふ。それで、味はどう?」
「めっちゃ美味い。ほうれん草も合うな」
ふんわりとした卵の食感に、バターの香るほうれん草が絶妙にマッチしていた。
手放しに賞賛すると、彩花の口角がニヤリと釣り上がる。
「よかった。実はこれ、私が作ったんだよ」
「マジ? すごいな」
「卵焼きだけだけどね」
サラリとした答えが返ってくるが、それだけのことをできていないのが、翔を含めた多くの高校生の現状だ。
新たな一面を知れば知るほど、彼女がただの「お姫様」ではなく、しっかりと努力をしている女の子であることがわかってくる。
「それでもすごいよ」
念を押すように繰り返すと、彩花はわずかに目を見開いた。
「……うん、ありがと」
そう小さくつぶやき、ふと翔の頭上に目を向ける。
「それより、髪型はどうしたの?」
「うっ……なんかちょっと、恥ずかしくてさ」
一応ワックスは買ったのだが、失敗するのが怖くて、結局これまで通りに軽くクシを通しただけだった。
「もっと自信持っていいのに。普通に似合ってたよ?」
「ウジウジしててごめんな。せっかく色々してくれてるのに」
「ま、そこは地道にいくしかないところだけどね」
身を縮こまらせると、励ますようにポンポンと肩を叩かれる。
「そのために筋トレも始めたんだし、焦ることはないよ」
「結局、やることをやるしかないか」
「そういうこと。行動にフォーカスしたら、きっと不安も少なくなるって。とりあえず、髪は土日とかに練習してみたら?」
「そうしてみるよ」
行動にフォーカスをする。確かに大事なことだ。
結果は自分ではどうにもならない部分もあるのだから。
「とりあえずは髪と筋トレと……あと、勉強もちょっと頑張ってみようかな」
「おっ、いいじゃん。それなら私が付き合ってあげようか? こう見えても成績いいんだよ」
「いいも何も、中間学年一位だっただろ」
「あれ、知ってるんだ?」
「上位は貼り出されてたし、噂くらいは入ってくるからな」
というより、浩平たちがこぞって彩花を褒め称えていたので、普通に耳に入ってきたのだが。
「でも、俺が一方的に教えられるだけになりそうだし、迷惑だろ」
「ううん、逆に教えるのってすごい勉強になるんだよ。美波にもたまに教えてるけど、その分野のほうが点取れたりするもん。自分がなんとなく理解してるだけじゃダメからさ」
「なるほどな」
確かに、人に教えるといいというのは聞いたことがあるし、花音に質問されたときも、簡単に解けるはずなのに説明に苦労した記憶がある。
「というわけで、筋トレのついでに勉強会とかしない? 運動後は頭良くなるっていうし、逆に勉強のストレスを運動で発散してもいいし」
「それはありがたいというか、ぜひお願いしたいけど……弓弦はどうするんだ?」
「あいつはあいつで宿題とかやらないとだし、友達と遊ぶこともあるから、空いた時間にちょっと相手してくれれば十分だよ。それに、どうせ私の部屋でやるから、邪魔は入らないしね」
「……は?」
唐突すぎて、翔の思考が止まった。
「……双葉の、部屋?」
「うん」
聞き間違いかと思っておそるおそる尋ねると、彩花はあっさり首を縦に振った。
「だって、弓弦がちょっかいかけてくるかもしれないし、お母さんは確定でうるさいから。机は広いから大丈夫だよ」
「い、いや、そういう問題じゃなくてっ」
男を自室に入れるんだから、警戒するべきだろう——。
そう言いかけて、ふと以前の会話を思い出した。
『筋トレするだけだよ。それとも、他に何かするつもり?』
あれは明らかに、翔のことを無害な男だと認識しているからこその発言だろう。変に意識するのも、逆に気持ち悪いかもしれない。
どのみち、彩花は効率よく勉強ができるという程度にしか思っていないはず。
なら、翔が気をつければいいだけの話だ。
「そうだな。じゃあ、お願いするよ」
「うん。責任を持って文武両道にプロデュースしてあげるね」
「プレッシャーすごいんだけど」
「ダイジョブダイジョブ」
「適当すぎるだろ」
反射的にツッコミを入れたとき、屋上の扉が開いた。
「えっ……」
口元が引き攣る。入ってきたのは、なんと香澄と翼だった。
クラスメイトだったら面倒だと思っていたが、それ以上の事態が起こってしまった。
二人は翔と彩花の姿を認めて驚いたような表情になり、ついでバツが悪そうに反対側へ移動していった。
(そういえば……香澄と屋上で食べたことは、なかったな)
そんな発想すらなかった。当然、これからも食べることはないだろう。
胸の奥にわずかなざらつきが生まれ、鼓動が早まる。
すると突然、鼻先に弁当箱が差し出された。
「えっと……お肉とか食べる?」
「は?」
翔は一瞬ぽかんとしたあと——吹き出してしまった。
「大丈夫、気持ちだけで十分だよ。ありがとな」
「そ、そう? ならよかったけど」
彩花は少しだけ頬を赤く染め、はにかむように微笑んだ。
(っ……やっぱり、双葉のおかげだよな)
香澄と翼を見ても、胸が締めつけられるような痛みはもうほとんどない。
あのざらつきも、笑いと一緒に出ていったようだ。鼓動は相変わらず早まったままだが、こちらは気にする必要はないだろう。
(お礼、ケーキにするか。お菓子より豪華だし)
二個でも三個でも奢るべきだろうが、ありがた迷惑であることは判明している。
その代わり、フルーツをこれでもかと乗せたやつにしよう。
(とりあえず、イチゴは好きみたいだな)
彩花の弁当を確認すると、彼女は流し目を向けてきた。
「イチゴはあげないからね?」
「だからそんな図々しくないって」
◇ ◇ ◇
放課後。
チャイムの音が鳴り終わると同時に、彩花の席のまわりに自然と人だかりができていた。穏やかな表情で相槌を打っている姿は、昼休みとはまるで別人だ。
周囲の目など気にせず接すると決めたが、ここでいきなり声をかけてもそれはそれで不自然だし、迷惑なはず。
あくまで機会があったら、くらいのスタンスでちょうどいいだろう。
(普通に帰ろう……ん?)
カバンを背負ったところで、誰かに見られているような感覚を覚えた。しかし、その方向に目をやっても、こっちを見ている者はいない。
代わりに、香澄と翼が言葉を交わしている様子が映る。
(いや、まさかな……)
ふと浮かんだ考えを、頭を振って追い出す。今はそんなことよりも、家に帰ったら早急に準備をしなければならないものがあるのだ。
それを思うと、教室を出る足取りは自然と軽くなった。
早足のまま住宅街を通り、近所のコンビニの角を曲がった、その瞬間だった。
「——ねぇ、ちょっといいかしら?」
翔の頬がわずかに強張り、鼓動がひとつ跳ねた。
振り向けば、感情の色を宿さない瞳が、まっすぐにこちらを射抜いていた。
「香澄……」