第120話 妹の特大ブーメランと、お姫様の相談
(なんで手提げを半分こしてるんだ?)
あまり見たことのない光景だ。
翔の脳内を、さまざまな可能性がめぐる。
「あ、い、いやっ、これは違うから!」
翔の視線に気づいたのか、花音は弾かれたように北斗からパッと距離を取った。
「あ、おいっ」
宙ぶらりんになった手提げを、北斗が慌てて持ち直す。
それから翔のほうに向き直り、軽く頭を下げた。
「翔さん、久しぶりっす」
「久しぶり。花音を送ってきてくれたんだ?」
「まあ、一応」
「そっか。ありがとね」
「近所なんで、ただのついでっすよ」
北斗は軽く肩をすくめた。
その瞬間、花音がむっと眉を寄せ、北斗の腕を小突いた。
「いたっ、何すんだよ?」
「今の言い方、なんかムカついた」
花音は北斗の手から手提げを奪い取ると、ぷいっと顔を背けてスタスタと家のほうへ歩いていった。
「……なんだ、あいつ?」
北斗が怪訝そうに首を捻った。
理不尽な暴力にも怒る様子はない。慣れているのか、彼なりの許容範囲なのか。
翔は苦笑しながら、ふと気になっていたことを聞いた。
「なんで二人で手提げを持ってたの?」
「俺が持つって言ったんすけど、あいつがなんか嫌がったんで、ああなりました」
「……そっか」
そうだとしても、半分ずつ持つのは妥協点と言えるのだろうか。
翔は喉まで出かかったツッコミをぐっと飲み込んだ。
「——北斗」
玄関の前で、花音が立ち止まって振り返った。
「なんだよ?」
「その、送ってくれたこと、一応お礼言っておくね。……ありがと」
花音は早口で言い捨てると、逃げるように家の中に入っていった。
「一応ってつける意味、なくないすか?」
北斗が翔に目を向けて苦笑した。
「まあまあ、あいつなりにちゃんと感謝はしてると思うよ」
「いや、まあ、感謝されるためにやってるわけじゃないんで、別にいいんすけど」
北斗はなんでもないようにそう言った。
これはモテるな、と翔は直感した。
手提げを半分ずつ持つことだって、普通の男子中学生なら恥ずかしがるはず。
花音はなかなか茨の道を歩んでいるようだ。
「それじゃ、俺も帰るっす」
「おう、気をつけて。また遊んでやってな」
「うす」
北斗は小さく頭を下げると、夕暮れの道を歩いていった。
翔はその背中を見送ってから、玄関のドアノブに手をかけた。
——ガチャン。
手のひらに軽い衝撃。鍵がかかっていた。
「そんな勢いよく開けようとしたら、壊れちゃうよ?」
ドアの内側から、花音の声が聞こえた。
先程の北斗に対する攻撃だけでは、満足できなかったらしい。
「まず人が入ろうとしてるのに鍵を閉めるな」
「はーい」
花音も引き際は心得ていたようで、すぐに鍵を解錠した。
◇ ◇ ◇
「おかえり、翔」
「母さん、ただいま」
夕食を作っている京香の後ろを通り、冷蔵庫から麦茶を取り出す。
「お兄ちゃん。何か冷たいのちょうだいー」
リビングから花音の声が飛んできた。
「保冷剤でいいか?」
「態度が冷たすぎる」
即座に返ってきたツッコミに、翔は不覚にも吹き出してしまった。
悔しいが、ここは兄として潔く負けを認めるべきだろう。
リビングに戻ると、翔は花音と並んでソファに腰を下ろした。
「で? さっきの誰の車に乗ってたの?」
花音がコップに口をつけながら、鋭い視線を送ってきた。
一瞬、適当に誤魔化そうかという考えが浮かぶ。
けれど、変に隠して後でバレたときのほうが面倒だ。
「双葉家と遊んでたから、その流れで彩花のお父さんに送ってもらったんだ」
「えっ……」
花音が少し驚いたように目を丸くした。
「なんだよ。そんな変な話じゃないだろ」
「いや、うん……まあいいや。それよりどうだったの? 家族ぐるみのデートは」
「弓弦、彩花の弟が誘ってくれたから、混ぜてもらっただけだよ。デートじゃない。——ちゃんと二人で遊んで、手提げを半分こしながら帰ってきたお前らと違ってな」
「あ、あれはあいつが持つって譲らなかったから、仕方なくああしてただけだし」
翔がニヤリと笑うと、花音は不満げに唇を尖らせた。
しかし、その頬にはほんのり朱色が差している。
「なら、持ってもらってもよかったんじゃないか? 持ちづらそうだったぞ」
「だって、借りを作りたくないもん。——というか、それを言うならそっちだって、彩花さんと二人でランニングしてたんでしょ?」
「い、いや、あれはあくまで体力作りの一環だから」
「でも、休日にわざわざ男女で……なんでもない」
言いかけて、花音はぱっと口をつぐんだ。
頬がみるみるうちに赤く染まっていく。
どうやら、特大のブーメランを放とうとしていたことに気づいたらしい。
「……」
「……」
気まずい沈黙が落ちた。
「……この辺にしておかないか?」
「……そうだね」
二人は同時にため息をつき、停戦協定を結んだ。
翔は背もたれに深く体を預け、天井を見上げた。
「というか、高級そうな外車だったね」
花音が思い出したようにつぶやいた。
「ああ。家もすごいぞ。庭もめっちゃ広いし、ホームジムとかあってさ」
「え、ホームジム?」
花音が目を丸くした。
「そう。彩花と筋トレしてる場所なんだけど、会員制のジムくらい器具が揃ってるんだよ。グラスとかもやたら薄かったし、やっぱり住む世界が違う感じはするな」
「へぇ……」
花音は感心したようにうなずき——ふと、ニヤリと口角を上げた。
「ねぇ、お兄ちゃん」
「なんだよ?」
「いつの間に、彩花って呼ぶようになってたの?」
「っ……!」
麦茶が気管に入り、翔は激しくむせた。
(ミスった……っ)
自然に呼びすぎていて、自分でも気づかなかった。
「お兄ちゃん。もしかして——」
「付き合ったわけじゃないからな。あいつにも変なこと聞くなよ」
翔が被せるように釘を刺すと、花音がジト目になる。
「……食い気味すぎると、逆に怪しいんだけど」
「っ……お前が釘を刺しておかないとすぐに暴走するからだろ」
「でも、彩花さんって意外とガード固そうだし、そう簡単には男子に名前呼びなんてさせなそうだけどなぁ」
花音が頭の後ろで手を組み、わざとらしく語尾を伸ばした。
「……さぁな」
翔がぶっきらぼうに返した、そのときだった。
ソファーの前のローテーブルに置いていた翔のスマホが、短く通知音を鳴らした。
画面が明るくなり、メッセージのポップアップが表示される。
——彩花からだった。
(っ、こんなタイミングで……!)
翔は慌てて手を伸ばし、画面を伏せた。
しかし、時はすでに遅かったようだ。
「おやおや、早速次のデートのお誘いですか?」
「違うよ」
「逆・玉の輿ですなぁ」
「しつこいぞ」
翔はスマホを手に取り、メッセージを開いた。
——〇〇日の午前中って空いてるかな? 弓弦が早く三人でランニングしたいってうるさくて。
文面を見て、ふっと頬が緩んだ。
「ほら、花音。弓弦と三人でランニングのお誘いだよ。デートじゃないだろ?」
翔が得意げに画面を見せると、花音は呆れたように肩をすくめた。
「普通の男女は、弟を交えて遊んだりしないと思うけどね」
「っ……弓弦を助けたのが始まりなんだから、俺らにとっては普通だろ。そもそも、遊びじゃなくてランニングだし」
「はいはい」
花音は取り合う気がないようで、相変わらずニヤニヤと笑みを浮かべている。
翔は少しイラッとしたが、ここで反応したら負けだ。
——空いてるよ。
とりあえず彩花に了承のメッセージを送る。
すると、すぐに返信が届いた。
——ちょっと相談したいことがあるんだけど、電話していい?
「えっ……」
胸の鼓動がわずかに早まる。なんの要件だろう。
「おっ、もしかしてその後に——」
「うるさい」
翔は花音の言葉を遮りながら立ち上がり、台所の京香に声をかけた。
「母さん。ちょっと二階行ってていい?」
「出来上がりまであと少しかかるから、十五分くらいならいいわよ」
「わかった」
翔は素早く階段を上がると、自室に入ってドアを閉めた。
ベッドに腰を下ろして電話をかけると、すぐにつながった。
『もしもし、翔君? ごめんね、突然』
「全然いいよ。それより相談って?」
『あのね、ランニングの後なんだけど——そのままウチに来て、今日できなかった分の勉強しない?』
「あ、なるほどな。それはもちろんいい、というかありがたいけど、弓弦がその後も遊びたがるんじゃないか?」
今日の様子を思い出しながら言うと、彩花は軽く笑った。
『ランニングに付き合ってあげるんだから、そこは我慢してもらうよ。お互い勉強が終わった後に時間が余ったら遊べばいいし、あの子自身も夏休みの宿題がまだ残っているからさ』
「そっか。ならそれで行こう」
『うん……』
翔がうなずくと、彩花が小さく息を吸う気配がした。
電話越しに、空気が変わったことを感じ取り、翔は思わず姿勢を正した。
『あのさ、翔君——』
そう切り出す声も、どこか硬い。
雑談を始めるわけではなさそうだ。
「どうした?」
『えっと、その……ううん、やっぱりなんでもない。今度会ったときに話すよ』
「……? そうか、わかった」
気にはなったが、無理に聞き出すのも違う気がした。
『じゃあ、また連絡するね』
「おう、おやすみ」
『おやすみ、翔君』
通話が切れた後も、翔はしばらくスマホを見つめていた。
一体、彩花は何を言おうとしていたのだろう——。
「お兄ちゃん、ご飯だってー」
「……了解」
翔は腰を上げると、スマホをベッドの上に放り出した。
彩花は会ったときに話すと言っていた。ならば、今は考えても仕方ないだろう。




