第12話 お姫様からの贈り物
「ごめん、美波。今日は一緒に食べられない」
彩花の声は、決して大きなものではなかった。
それでもその瞬間、ざわめきが止まった。
「えっ……彩花、まさか?」
「違うって」
彩花は苦笑しながら首を振ったが、教室内には戸惑いの空気が広がる。
彼女と美波が別々に昼を取るなんて、ほとんど前例がない。
(これは、バレないようにしないとな)
翔は身の引き締まる思いがした。
「おい、双葉さん。吉良とじゃなくて他のやつと飯食うらしいぞ」
「マジ? でも、お姫様と釣り合うやつとかほとんどいなくね? 翼も潤も彼女いるし」
「いや、単純に他クラスの女子とかに用事あるだけだろ」
「……だよな」
真実を話したとしても変に勘繰られるだけなのは、聞こえてくるヒソヒソ話から容易に想像できる。
特にこれまで何回も彩花を遊びに誘っているバスケ部の浩平は、忙しなく貧乏ゆすりをしていた。一緒にいるところを見られるのは、得策ではなさそうだ。
(でも、マジで渡したいものってなんだろう? さすがにダンベルとかじゃないよな)
普通ならあり得ないが、わざわざ美波との昼を断ったくらいだし、彩花の本気ぶりを考えるとゼロではない。
「……一応、食べないで待っておくか」
潤は友達が多いから、昼を一緒に食べるのはせいぜい週に一回程度。
だから屋上に向かうにも、誰に断りを入れる必要もない。
風が通るベンチに腰掛けて待っていると、扉が開いて彩花がやってきた。
「全然食べててよかったのに」
「いや、なんとなく。用事もわかんないし」
「あっ、もしかして手作り弁当だとか思った?」
「そんなわけ。図々しすぎるわ」
むしろ、翔が毎日お弁当を献上してもいいくらいだろう。
サラリと答えると、彩花はどこか不満そうに唇を尖らせる。
「草薙君は多少図々しくなってもいいと思うけどね。男の子には、多少の強引さも必要なんだよ?」
「そうかもだけど……で、今日はどうしたんだ? まさか、ここでも筋トレしろとは言わないよな」
「へっ?」
彩花は一瞬ポカンとしたあと、ぷっと吹き出した。
「さすがに、ちゃんと回復の時間も確保するって」
「それはありがたい」
翔がホッと息を吐くと、彩花はゴソゴソと手に持っていた袋を漁る。
「手作りじゃないけど、食べ物ではあるんだ」
差し出されたのは、粉の入ったシェイカーと水だった。
どこからどう見ても、プロテインにしか見えない。
「筋トレしてないのに?」
「毎食飲むといいんだって」
「そうなのか……なら、昨日の時点で言ってくれればよかったのに」
どんな無茶振りかと半ば本気で心配していたので、少し拍子抜けだ。
「ふふ、びっくりした?」
「そりゃ、もう。声出て、妹にうるさいって怒られたよ」
「そっかそっか」
妙に楽しそうな顔をしている。完全に遊ばれてる気しかしない。
でも、もらってる立場で強くは出られない。
というより、そもそももらえない。そっと手のひらでシェイカーを遮る。
「でも、プロテインくらい自分で買うから。ジムでも用意してくれなくて大丈夫だぞ」
「あっ……もしかして、迷惑だった?」
「いや、さすがに申し訳ないから。これもそうだし、昨日のスムージーだって色々入れてくれてるだろ」
「あれね、お父さんのせいで材料余っちゃってるから、むしろもらってほしいくらいなんだ。実はこれも、お父さんが出張前に飲んでたやつでさ。ぶっちゃけ早く消費したいんだよね。というわけで——遠慮せず飲んじゃってよ」
そんな言葉と共に、シェイカーをずいっと押し付けられる。
ここまで言ってくれているのに断るのは、逆に失礼かもしれない。
「……じゃあ、これはありがたくもらうけど、せめて今後はプロテインの粉くらいは用意させてくれ」
「えっ、いいよそんなの」
彩花はパタパタと手を振った。
「なんか買わせてるみたいになっちゃうし、私が好きでやってるんだから、気にしないで」
「こっちも自分のためだよ。金払ってるならしっかりやらなきゃってなるだろ?」
「そうだけど……無理してない?」
「大丈夫。別に罪悪感とか対抗心とか、そういうわけじゃないから」
他に使うところもないから、自己投資に使うのはアリだろう。
「ならいいけど、変に気を遣わないでよね。やりづらいから」
「結構素だよ。じゃあ、いただくな」
「うん」
水を入れてシェイカーを振ると、耐えられないほどではないが、腕がじんわりと重たい。筋肉痛だ。
思わず顔をしかめてしまうと、彩花がニヤリと笑う。
「ふふ、しっかり効いてるみたいだね」
「双葉はどうなんだよ?」
「私は肩にきてるかな」
「あっ、あのバー引き下げるやつ? めっちゃ勢いよくやってたもんな」
「ま、まあね」
彩花はふと視線を逸らした。その頬は、なぜかほんのり赤らんでいる。
(こういうのは恥ずかしがるのか)
少しだけ違和感を覚えるが、そこを突く趣味はない。
「へぇ、ただのプロテインもけっこう飲めるんだな」
「ココアは外れないよね。率直に、昨日のスムージーとどっちがいい?」
「断然スムージーだな」
翔が即答すると、彩花が「おっ」と目を細める。
「なかなか女の子の扱い方わかってるねぇ」
「いや、普通に美味しかったからさ」
「そう? じゃあ、次回も腕によりをかけてあげよう」
彩花が張り切るように力こぶを作り、イタタ、と肩に手を添えている。
「おう、楽しみにしてる」
最後に美味しいものが待っていると思うと、キツいトレーニングも頑張れる気がした。
(サボったら青汁入りになるっぽいしな)
彩花なら本当にやりかねない。
やはり遊ばれているとしか思えないが、彼女なりに楽しんでくれているのなら気が楽だし、あえてプレッシャーをかけてくれているのかもしれない。
どのみち、継続的にお返しをしていく必要はあるだろう。
カフェばっかりも下心があると思われそうなので、筋トレついでにケーキかお菓子でも買っていくのもいいかもしれない。
(ちょっと探してみるか)
スマホを取り出していると、彩花が再び袋の中に手を伸ばした。
これ以上はさすがにもらえない、と翔が密かに身構える中、取り出されたのは弁当箱だった。
まさか、本当に手作り弁当を用意してきてくれた——わけはない。
量的にも、普通に彼女が食べるのだろう。
(でも、なんでここで?)
用事が終わったら、てっきり戻ると思っていたのに。
『ごめん、美波。今日は一緒に食べられない』
教室での彼女の発言が、脳裏に蘇る。
(えっ、まさか……?)
その横顔をまじまじと見つめてしまう。
視線に気づいたのか、彩花はふとこちらを見て——不思議そうに首をかしげた。
「あれ、草薙君は食べないの?」
18時ごろに第13話も公開予定です!