第113話 プール③ —同級生との対峙と、お姫様の乱入—
「その手を離せよ——田畑」
「っ……」
翔が指先に少しだけ力を込めると、田畑は小さく息を呑み、女性を解放した。
怯えた表情の二人組を背中に隠し、翔は田畑と向かい合った。
心臓が早鐘を打ち、嫌な汗が背中を伝う感覚がある。
けれど、不思議と足は震えていなかった。
田畑の仲間らしき三人が、怪訝そうな目でこちらを見ている。
「おい、田畑。こいつ、誰?」
「……中学ん時の同級生だよ」
田畑は舌打ちしながら答え、舐めるように翔の全身を観察した。
「なにお前、筋トレでもしてんの?」
「まあ、一応」
「へぇ、まさか高校デビューってやつか?」
「別にそういうわけじゃないけど。というか、相手が嫌がってるんだから、大人しく引けよ」
「っ……生意気な口を聞くようになったじゃねーか。中学ん時は、ビビって俺から逃げ回ってたくせに」
お前がしつこく絡んでくるからだろ——。
翔は喉から出かかった反論をぐっと飲み込んだ。
それを怯えていると勘違いしたのか、田畑はニヤリと口の端を吊り上げた。
「そういえば、聞いたぜ。お前、赤月にフラれたんだってなぁ」
「なに、こいつ、こんなヒーローよろしく登場して傷心中?」
ここぞとばかりに、仲間の一人が口を挟み、翔に嘲笑を向けた。
田畑は満足そうにうなずいて、
「らしいぜ。しかも、そいつとだって幼馴染だから付き合えてただけだしな。釣り合わねーってみんなから言われてたのに調子乗ってたから、勘違いすんなって優しく教えてやったら、こいつもうビビり散らかしちゃってさ!」
「はっ、そりゃ、フラれて当然だわ!」
翔はそっと拳を握りしめた。
爪が掌に食い込む痛みが、冷静さを保たせてくれる。
(……ここは、我慢だ)
向こうが勝手に盛り上がってくれるのなら、むしろ好都合だ。
騒ぎを聞きつけた警備員が来るまで、刺激しないことだけを意識していればいい。
「あ、それで筋トレ始めたんじゃね? 筋肉さえあればモテる、みたいなの信じちゃってさ」
「うわ、ありそ〜」
「それで正義のヒーロー気取りで乗り込んできちゃったってか? ——妄想はシコってるときだけにしろよ!」
田畑が得意げに言い放つと、どっと他の三人が沸いた。
小学校のとき、教室で大声で下ネタを連呼する男子がクラスに一人はいたが、たまたまそれが四人も同じ高校に集まってしまったのだろうか。
「あー、笑った……つーかお前、もしかして一人?」
「いや、友達と来てるけど」
「ふーん。そいつら、どこだよ?」
「今は別行動してる」
翔が答えると、四人は顔を見合わせて「ぷっ」と吹き出した。
「やばっ、こいつ邪魔者扱いされてんじゃん!」
「男にまで嫌われてんのかよ!」
「空気読めなくて置いていかれたんだろ!」
別に、男だけで来ているとは言っていない。
だが、訂正する必要も感じなかった。
ここで「女の子と来ている」と言えば、彼らの興味がそちらに向くのは明白だ。
自分のちっぽけなプライドのために、彩花を巻き込むわけにはいかない。
翔が、彩花のほうに向けそうになった視線を戻したところで、
「草薙君。お待たせ」
聞き覚えのある声が、背後から飛んできた。
「……えっ?」
翔の喉から、間の抜けた声が漏れた。
——彩花が、手を振りながら駆け寄ってきていた。
「この人たち、誰? 知り合い?」
彼女は翔の隣に並ぶと、田畑たちを見上げて小首を傾げた。
「ああ、いや……一人が中学の同級生で」
「へぇ、そうなんだ。はじめまして。草薙君の彼女です」
「「——はっ⁉︎」」
翔と田畑の声が重なった。
「え……彼女?」
「こんな子が? はっ?」
田畑たちがざわつく中、翔は彩花の横顔を盗み見た。
彼女は涼しい顔で田畑たちを見返していたが、その口元には、わずかに意地の悪そうな笑みが浮かんでいる。
(……声、聞こえてたのか)
彩花が乗り込んできた理由を悟り、翔は小さく息を吐いた。
嬉しさと、申し訳なさが同時に込み上げてくる。
「い、いやいや、嘘だろ。本当に付き合ってんのかよ?」
田畑が疑わしげな目で二人を交互に見る。
「うん。わざわざ嘘つく理由なんてないでしょ?」
「っ……いや、弱みでも握られてる可能性とかあるし」
「た、確かに! こいつに脅されてんじゃねーのか?」
田畑たちが再び勢いづいた。
「そんなわけないでしょ」
彩花が眉を寄せてそう言い返しながら、翔の腕をとった。
ぎゅっと抱き込むように密着してきて、翔の心臓が跳ねた。
「っ……」
柔らかい感触と、ほのかに香る甘い匂い。
翔は視線を泳がせながら、横目で彩花を窺った。
彼女の耳は真っ赤だった。けれど、離れる気配はない。覚悟を決めているようだ。
ならば、翔も流れに乗るしかない。
「……これでわかっただろ?」
翔は努めて平静を装いながら、田畑を見据えた。
彼は唇を噛み、悔しそうに顔を歪めている。
馬鹿にしていた相手にこんな可愛い彼女がいたなど、簡単に認められることではないだろう。
実際には付き合っていないのだから、認める必要もないのだが。
「れ、レンタル彼女じゃねーの? 今そういうのあるらしいじゃん」
仲間の一人が食い下がる。
翔はふっと息を吐いて、
「あいにく、存在しか知らないよ。——知る必要もないしな」
そう言いながら、彩花の腰に手を回し、ぐっと引き寄せた。
半ばヤケクソだった。パーカー越しでも、その柔らかくも弾力のある腰の感触と体温が伝わってきた。
「ひゃっ……⁉︎」
彩花が可愛らしい悲鳴を上げ、肩が大きく跳ねた。
「「「っ……」」」
田畑たちの表情が、さらに険しくなる。
そして、田畑が口を開こうとした瞬間、
「——こら、君たち!」
野太い声とともに、制服姿の警備員が駆け寄ってきた。
「女性が絡まれていると通報があったんだが」
鋭い視線が、翔と田畑たちを行き来する。
すかさず、後ろにいた女性二人組が声を上げた。
「あ、あの! 彼が私たちを守ってくれたんです!」
「そうです! あっちの人たちにしつこくされて困ってて……」
女性たちが田畑たちを指差す。
警備員の表情が一段と厳しくなり、田畑たちに向き直った。
「君たち、ちょっと話を聞かせてもらえるか?」
「は? べ、別に俺ら、なんもしてねーし」
「そうだよ。ナンパくらい普通だろ」
田畑たちは気丈に言い返すが、その声はわずかに震えていた。
警備員はふぅ、と息を吐き出した。
「相手が嫌がっているなら、それは迷惑行為になるんだよ。次やったら退場処分だからね」
そう言い残して、警備員はその場を離れたが、所定の椅子に座ると、厳しい目線でこちらを監視している。
「……チッ」
田畑はポケットに手を突っ込みながら舌打ちした。
仲間の一人が、落ち着かなさそうに周囲を見回しながら声を上げた。
「おい、行こうぜ。なんかもうシラけたわ」
「つーか、わざわざこんな面倒なやつに構う必要もねーだろ。女なんて他にいくらでもいるし」
「それな——精々カッコつけてろよ、草薙」
田畑は翔を一瞥してそう吐き捨てると、そのまま他の三人とともに、人混みの中へと消えていった。
その背中を見送りながら、翔はようやく肩の力を抜いた。
——と同時に、隣の彩花に向き直る。
「双葉、なんで来たんだよ?」
その声は、自分でも驚くほど低かった。
彩花がびくりと肩を震わせ、身を縮こまらせる。
「だ、だって……」
「だってじゃない。待っててって言っただろ? 変に逆恨みされて、双葉に何かあったらどうするんだよ」
「それは……」
彩花は視線を落とし、唇をきゅっと結んだ。
パーカーの裾を、指先がぎゅっと握りしめている。
「あの、あんまり彼女さんを責めないであげてくださいっ」
不意に、女性二人組の一人が声を上げた。
「目の前で好きな人がバカにされたら、私も咄嗟に言い返しちゃうと思いますし……」
「そうそう。あくまで彼氏さんを想っての行動だったんですよ」
もう一人も、優しい目で彩花を見ながらうなずいた。
「えっ、あ、その……」
彩花が顔を上げ、ぱくぱくと口を動かした。
ただ、言葉は出てこなかった。
「……そうですね」
翔は頭を掻き、ため息を吐いた。
そもそも恋人じゃないと否定するのはややこしいし、そこは重要ではないだろう。
彩花が翔のために行動してくれたのは事実だ。
「ごめん、双葉。言いすぎた」
「ううん。私のほうこそ、勝手なことしてごめんなさい」
彩花はぺこりと頭を下げると、困ったように笑った。
翔は女性たちに向き直り、頭を下げた。
「こちらのゴタゴタに付き合わせてしまって、すみません」
「いえ、とんでもないです! 助けていただいて、ありがとうございました」
「あのまま絡まれ続けてたら、どうなってたか……本当に助かりました」
二人は顔を見合わせてから、翔に深々と頭を下げた。
「大したことはしてないですよ。警備員さんが来てくれたおかげですし」
「いいえ、あなたが止めに入ってくれなかったら、もっと大変なことになってましたよ」
女性の一人がそう言って、ふと彩花のほうを見た。
「——素敵な彼氏さんですね」
「っ……!」
彩花の顔が、みるみるうちに赤く染まっていく。
「ふふ。それじゃあ、お世話になりました」
「このあとも楽しんでくださいね」
女性二人組は、その反応を見てくすっと笑い、最後に軽く会釈をして去っていった。
第114話は「プール④ —それぞれの過去—」です!
翔君と彩花さん。それぞれが中学時代について話しますが、その流れで彩花さんが口を滑らせかけて——




