第109話 お姫様を誘ってみた
「なぁ、双葉——」
駅へ向かう道中、翔は口を開いた。
「ん?」
「俺って、ちゃんと双葉の刺激になっているか?」
そう問いかける翔の口の中は、少しだけ乾いていた。
香澄が去ってから、ずっと気になっていたことだった。
「もちろん」
彩花は間髪入れずにうなずいた。
「プロデュースする、なんて宣言しちゃった以上、負けるわけにはいかないからね。美波はちゃんと勝負してくれないし、私にとっては草薙君こそが、赤月さんの言う『一緒に高め合えるパートナー』だよ」
「……よかった」
翔はそっと胸を撫で下ろした。
「最近、ちょっとは自信がついてきたと思ったのに……」
彩花がぽつりとこぼした。
翔は眉を下げた。
「……ごめん。ウジウジしてばっかで」
「あ、違う違う! 今のは余計なことを言ってきた赤月さんへの愚痴!」
彩花は慌てて手を振った。
それからふと、眉間にシワを寄せる。
「あー、なんか思い出したらまたむしゃくしゃしてきた……。ね、草薙君。ストレス発散に付き合ってよ」
「いいけど、何するんだ?」
「……考えてなかった」
彩花が照れたように鼻の下をこすった。
「草薙君は何かいいアイデアないの?」
「うーん、筋トレとか?」
「もう、高校生なのに華がないなぁ。第一、筋トレは計画的にやるものだからね」
「確かに。——あ」
翔は一つの選択肢に思い当たり、声を上げた。
「なにか思いついた?」
「うん、まあ……」
「言ってみてよ」
彩花が身を乗り出すようにして尋ねてきた。
「その……」
翔は口ごもった。
筋トレや勉強会以外で誘っても、変な空気にならないだろうか。
『変化を恐れて立ち止まるのは現状維持ですらないわ。——後退よ』
不意に、先程の香澄の声が脳内に響いた。
「……双葉が嫌じゃなかったらだけどさ。カラオケなんか、ストレス発散になるってよく聞くけど」
「あっ、いいじゃん! 行こうよ」
存外、彩花は乗り気だった。
翔は安堵と同時に、小さな達成感のようなものを覚えた。
「でも、噂になって、前みたいに避けたりしないか?」
「大丈夫だよ。もう、気にしないって決めたし。それに、むしろ誤解されたほうが、学校生活も気楽になりそうじゃん?」
「そうか? 逆に面倒くさくなりそうだけど——」
「私がいいって言ってるんだから、いいの」
彩花はピシャリと言い切ると、「それより、どこ行くか決めて予約しちゃおうよ」とスマホを取り出した。
「そうだな。この時間だと、混んでるかもしれないし」
翔はそれ以上は言葉を重ねず、素直に彩花に従った。
◇ ◇ ◇
「先どうぞ」
「ん、ありがと」
翔が扉を開けると、彩花がぺこりと会釈をして室内に足を踏み入れた。
一軒目は満室だったが、二軒目で無事に予約できた。
「採点はどうする?」
ソファーに荷物を置き、彩花がデンモクに手を伸ばした。
「せっかくだし、入れてみてもいいんじゃないか。嫌なら全然いいけど」
「よし、入れよう。——はい、トップバッターよろしく」
彩花は採点を入れると、翔にデンモクとマイクを差し出してきた。
「いや、双葉のストレス発散で来てるんだから、好きに歌っていいよ」
翔としては気遣いのつもりだった。
しかし、彩花はむっとしたように唇を尖らせた。
「今、なんて言った? 翔君」
「あっ」
二人きりなのに、それまでの流れのまま名字で呼んでしまっていた。
彩花はにっこりと笑みを浮かべ、改めてマイクを突きつけてくる。
「どっちから歌う?」
「……もちろん俺から歌わせてもらうよ」
「よろしい」
翔は観念してマイクを受け取った。
カラオケのセオリーなどわからないが、アップテンポな有名曲なら外すことはないだろう。
「あ、この曲いいよね」
イントロが流れ出すと、彩花が楽しそうに手拍子を始めた。
少し照れくさいが、リズムに乗って歌い出すと、意外と気持ちが良かった。
結果、点数は八十八点だった。
「おー、パチパチだ」
彩花が手を叩いてから、「さすがにくだらないか」と照れたように笑った。
「マジでくだらないな」
翔もつられて笑ってしまった。
その後、二、三曲を交互に歌ったところで、彩花がトイレに立った。
採点画面が終わり、曲紹介のチャンネルが流れ始める。
翔はソファーの背に体重を預け、目を閉じた。
脳裏にふと、先程の香澄の様子が蘇る。
けれど、彩花のようにむしゃくしゃはしなかった。
「……あいつ、なんか大丈夫か?」
翔はむしろ、心配を覚えていた。
冷静になって振り返ると、彼女の様子は明らかにおかしかった。
前の美容院帰りに遭遇したときも、らしくない発言を繰り返していた。
香澄は元々、正義感が強く、曲がったことが嫌いな性格だった。
翔が他の男子に馬鹿にされたときも、本気で翔のために怒ってくれた。そんな彼女だからこそ、好きになったのだ。
(けど、今のあいつは——)
「翔君。どうしたの?」
ふわりと甘い香りが鼻先をくすぐるのと同時に、心配そうな声が耳に届いた。
翔はまぶたを持ち上げた。彩花が眉を寄せて翔の顔を覗き込んでいた。
「ああ、ごめん。ちょっと考え事してた」
翔が誤魔化すように笑うと、彩花の瞳がスッと細められた。
「……もしかして、赤月さんのこと?」
「えっ……よくわかったな」
「前に美容院の帰りに赤月さんと会った後も、今と同じような表情してたもん」
「そうなのか」
翔は思わず自分の頬を撫でた。
顔に出していたつもりはないのだが、プロデューサーの観察眼は侮れないものだ。
(……でも、あいつの話をしても、空気が重くなるだけだよな)
彩花のストレス発散で来ているのだ。
ストレスの原因をほじくり返すのは、野暮というものだろう。
「まあ、大したことじゃないから、気にしないでくれ。それより、せっかくだし時間ギリギリまで歌おうぜ」
翔は努めて明るい声を出し、デンモクに手を伸ばした。
「……そうだね」
返ってきた声は、いつもより少しだけ低かった。
第110話は「頬の柔らかさ」です!
どちらがどちらに何をするのか……次話もお楽しみに!




