第10話 お姫様の家に上がった
「いらっしゃい。母の真美です」
玄関の扉が開くと、明るい声とともに柔らかい香りがふわりと漂ってくる。
そこに立っていたのは、彩花とどこか雰囲気の似た女性だった。
「お邪魔します。草薙翔です」
「あら、なかなかのハンサムボーイじゃない。彩花が男の子連れてきたの、初めてだから、お母さん嬉しいわ〜」
「へ、変なこと言わないで。弓弦の相手してもらうだけだから」
彩花の口調は素っ気ない。どうやら、お姫様も人並みに思春期らしい。
それにしても、この見た目で彼氏がいなかったのは、やはり恋愛に興味がないからだろうか。
(いや、単に連れてきてないだけかもな)
うっすら色づいている耳たぶを見る限り、どちらの可能性もありそうだ。
「ごめんねぇ、翔君。最近ちょっと反抗期みたいで……迷惑かけてない?」
「いえ、彩花さんには色々助けてもらってます。それと、ジムも貸していただいて、すみません」
「いいのよ、あの人ったら揃えるだけ揃えて満足しちゃうんだから。遠慮せず、どんどん使ってね」
「はい、ありがとうございます」
家族全員ゆるいから——。
彩花の言葉が脳裏に蘇る。放任というわけではなさそうだから、娘を信頼しているのだろう。
「ふふ、いい子じゃない。彩花もなかなか隅に置けないわねぇ」
「うるさいな……ほら、草薙君。こっちだよ」
「お、おう」
手首を掴まれ、リビングへと引っ張られる。
彩花の手のひらは、温かくて柔らかかった。落ち着かない気分になるが、今はされるがままになっておくべきだろう。
「お母さん。私たち、三人で遊んでるから」
「はいはーい」
彩花の牽制もどこ吹く風で、真美はニコニコと手を振って台所へ消えていった。
母は強しというやつか。いや、これは少し違うかもしれない。
その姿が見えなくなったところで、彩花は翔の手を解放し、ふーっとため息をつく。
「ごめんね、腕掴んじゃって」
「いいよ。大切にされてるんだな」
「子離れできてないだけだよ……草薙君は?」
「ウチは割と放任だから、詮索されたことはないな」
「いいなぁ」
彩花が小さくつぶやいたとき、二階からトタトタと軽い足音が近づいてきた。
「おっ、きたかな」
「——翔くん!」
勢いよく降りてきた弓弦が、一直線に翔のもとへ駆け寄ってきた。
「おう、弓弦。元気か?」
「うん! ねぇ、ゲームしよ!」
前置きも何もなく本題を突きつけられ、思わず口元が緩む。元々その約束ではあったので、異論はない。
「いいぞ。どれやるんだ?」
「これ!」
弓弦がビシッとゲームのパッケージを掲げた。
ジャンプやアイテムを駆使して、障害物や敵を避けたり倒したりしながらステージをクリアしていくアクションゲームだ。協力してステージを進めることもできるし、対戦型のミニゲームもある。
「いいじゃん。面白いよな、それ」
「やったことあるの?」
隣から、彩花が尋ねてきた。
「家にもあるし、潤ともやったりするぞ」
「へぇ。草薙君って、緑川君と仲良いよね」
「なんでかわかんないけどな。陰と陽なのに」
「またそうやって自分を卑下する……」
「でも、事実ではあるだろ」
誰とでも仲良くする潤と、その潤以外特定の友達がいない翔。
クラスでの立ち位置は、まさに対極だ。
「そうかもだけど、生徒がそんな弱気なのは、プロデューサーとして見過ごせないな。それに、根っこの部分は緑川君に近いと思うけど」
「俺が? それはないだろ」
「あるよ。類は友を呼ぶって言うじゃん」
「俺らは多分その逆だよ」
凹凸だからこそ、うまく噛み合うこともあるだろう。
「まったく、先は長いな……」
「えっ、なに?」
「ううん、なんでもない」
彩花は言いたいことを堪えるように首を振ると、代わりにコントローラーを渡してくる。
「サンキュー。あれ、双葉はやらないのか?」
「私は下手だから見てるよ」
「えー、お姉ちゃんもやろうよー」
弓弦がゴロンと後ろ向きに倒れ、彩花の足にもたれかかる。
彩花はその頭をそっと撫でながら、苦笑した。
「いいよ。どうせボコボコにされるだけだし」
「じゃあ、協力プレイとかにするか?」
ゲームにはそこそこ自信があるので、フォローは可能だ。
「まあ、それなら……」
「弓弦もそれでいいか?」
「うん!」
弓弦くらいの年なら対戦にこだわるかと思ったが、そうでもなかったようだ。
パッと起き上がり、素早い指さばきで設定を進めていくその瞳は、楽しそうに輝いている。
「なら、双葉がこれ使えよ。多分やりやすいから」
「ん、ありがと。じゃあ、草薙君はこっちで」
「おう」
このゲームには、いくつかコントローラーがある。大きいほうが苦手な人でもまだ使いやすいだろうと思って渡せば、彩花は素直に受け取ってくれた。
現在翔の手元にあるのは、片手に収まってしまうほどの小さなものだ。
「これ、キャラによって違いあるんだっけ?」
「いや、なかったと思う」
「そっか……」
彩花はコントローラーを握りながら、わずかに眉を寄せていた。
テスト前の教室で問題集をにらんでいるときのようだ。
(そんなに下手なのか?)
——下手だった。
アイテムをスルーして敵にぶつかり、ジャンプしようとしてそのまま崖から落下していく。
「あっ、ちょっと……!」
テレビと手元を交互に見ながらあたふたと汗をかくその様子に、学校でのお淑やかなお姫様の面影など一片もなかった。
「双葉、そこジャンプだ」
「じゃ、ジャンプ……!」
かちゃかちゃとボタンを押しながら、彩花の体がぴょん、と小さく跳ねた。ジャンプに成功したのは本人のみで、キャラはひたすら爆走している。
真剣そのものである表情を見て、翔は耐えきれずに吹き出してしまった。
「ジャイロ機能はないぞ」
「う、うるさい」
彩花は頬をふくらませて、目線だけでこちらを睨んでくる。
その隙に、彼女のキャラは炎に突進して命を散らしていた。とは言っても、残機がある限りは死んでも泡になるだけで、他のキャラがその泡に触れればすぐに復活できるが。
「……難しい」
一段落して弓弦が飲み物を取りに行ったときに、彩花がむすっとした表情を向けてきた。
教えろ、ということだろう。
「えーっと……」
説明しようにも、言葉が出てこなかった。
「感覚でやってるからなぁ。ちょっと貸してみ」
翔が手を伸ばすと、彩花は一瞬差し出しかけて——サッとコントローラーを引いた。
その動きに引きずられて、翔はバランスを崩す。
「おわっと……双葉、それは危ないって」
「ご、ごめん! でも今、手汗すごくて……っ」
「ああ、なるほど」
らしくもないイタズラかと思えば、理由は至って真面目だった。
「ちょっと拭いてくるね」
「いや、全然気にしなくていいぞ」
「私が気にするの」
「えー、お姉ちゃん。僕に貸すときは拭いたりしないじゃん」
三つのグラスを載せたお盆を抱えて、弓弦が戻ってきた。
「家族は別でしょ」
彩花がサッと立ち上がって、ウェットティッシュを取りに行く。
女の子として、そこは譲れないらしい。
「はい、翔くん。オレンジジュースだって」
「おっ、サンキュー」
弓弦の頭をポンっと撫でてから、台所にも「すみません、いただきます」と声をかける。遠慮しないでねー、というのんびりした声が返ってきた。
同時に、彩花も戻ってくる。
「じゃあ、よろしく」
「おう。まず、これは——」
ゆっくりとキャラを動かして見せると、彩花はグイッと手元に顔を近づけてきた。髪の毛からふわりと甘い香りが漂い、吐息が指にかかる。
色々な意味で、くすぐったくて仕方がない。
(……別に、ゲーム教えるだけだし)
気を逸らすように画面に視線を固定し、無心になって操作する。
何度かミスをしてしまいながらも実演を終了すると、翔は半ば強引にコントローラーを返却した。
「こんな感じだ。ちょっとやってみ」
「うん、ありがと」
彩花はめげずに練習を繰り返した。
しかし、一度に複数のボタンを押すことが難しいようで、なかなか上達が見られない。思ったよりも不器用なようだ。
「ねぇ、先行こうよー」
弓弦が待ちきれないとばかりに声を上げた。
「そうだね。草薙君、やっちゃっていいよ。私は後ろからついていくから」
「いいのか?」
「もちろん。元々、弓弦の相手してもらいに来たんだし」
「そっか」
確かに、この場の空気を考えたときに、優先すべきは弓弦だ。
とはいえ、一人だけ置いてけぼりではつまらないだろうと思って、その目の前にアイテムを落としてやる。
翔としては善意百パーセントの行いだったが——、
「わっ⁉︎」
突然のことに驚いたのか、彩花は素っ頓狂な声をあげながら体を跳ねさせた。
——彼女のキャラも、見事なジャンプでアイテムを回避した。
「……なんで今だけうまいんだよ」
「ご、ごめん。びっくりしちゃって」
「いや、俺も言っとけばよかった」
彩花のサポートをしていると、手を抜かなくても自然と弓弦が先頭になるし、翔自身も緊張感や驚きがある。一石三鳥だ。
「あっ、ミスった」
翔のキャラが泡になる。
そして、ちょうど炎に囲まれているところに差し掛かったところで——弓弦のキャラが、サッとその泡に触れた。
「あっ、おい、弓弦! 俺あと一機しかないのに!」
「あはは、がんばれ!」
「いいぞ、弓弦ー」
「なんでだよ⁉︎」
彩花のゆるいガヤに、翔は必死に炎を避けながら全力でツッコんだ。
姉弟は同時に吹き出し、つられて翔も笑ってしまった。
——その拍子に手元が狂い、無事に全機を失った。
「もう、翔くん。一人死んだらみんなやり直しなんだよ?」
「誰のせいだ、誰の」
軽く首を絞めるフリをしてやると、弓弦は腕の中で無邪気な笑い声を上げた。
(近所のお兄ちゃん役、ちょっとはできてるかな)
ふと彩花に視線を向けると、ちょうど目が合った。
目尻の下がった無防備な表情で、「ん?」と小首を傾げられ——翔は息を呑んだ。
「翔くん、どうしたの?」
「い、いや、なんでもない」
家だから気を抜いているのだろうし、あくまで弓弦が楽しんでいることを喜んでいるのだということは、想像がつく。
それでも、どうしても胸の奥がざわついた。
三人のときはあまり彩花を見ないようにしよう、と心に決めて、翔は「それより、もう一回やろうぜ」とテレビに視線を向けた。
20時ごろに第11話を公開予定です!