9. それでも、前へ
指定された場所は、緑ヶ丘区の若葉公園のすぐそばだった。公園の奥、普段は立ち入り禁止になっているエリアに、青白い光の膜が揺らめいている。あれが、ゲート……。
陽斗は、緊張と期待で高鳴る鼓動を感じながら、ゲートの前に足を踏み入れた。既に数人のハンターたちが集まっている。全員、陽斗よりも年上で、身につけている装備も本格的だ。彼らの纏う雰囲気から、E級以上のハンターであることは明らかだった。
その中に、見覚えのある顔があった。先日、街でモンスターに襲われた時に助けてくれた、あのハンター、伊吹だ。
「あ、君は……」
伊吹も陽斗に気づき、軽く会釈した。
「黒崎陽斗です。F級ハンターです」
「……そうか。今回は、E級ゲートのモンスター討伐補助が仕事だ。ボスモンスターの討伐が主な目的だな。F級の君は、基本的に後方支援。……まあ、荷物運びがメインになるだろう」
伊吹は、ぶっきらぼうな口調で説明した。そして、他のハンターたちに陽斗を紹介する。
「大手ギルド『獅子王』所属のC級ハンター、伊吹だ。今日はよろしく頼む」
他のハンターたちも、それぞれ自己紹介を始めた。
「D級ハンターの岩田だ。よろしく」
「E級の佐藤です」
「同じくE級の加藤」
「E級の鈴木です」
陽斗も、彼らに倣って自己紹介をする。
「F級ハンターの黒崎陽斗です。スキルは影刃と影縫いですが、まだ上手く扱えません。よろしくお願いします」
他のハンターたちは、陽斗の言葉に、一瞬だけ怪訝な表情を見せたが、すぐに興味を失ったように視線をそらした。明らかに戦力として期待されていない。少し悔しいが、今の自分では仕方がない。
伊吹が、全員に指示を出す。
「じゃあ、行くぞ。ゲート内は、何が起こるか分からない。常に周囲に気を配れ」
伊吹を先頭に、ハンターたちは次々とゲートの中へと吸い込まれていく。陽斗も、彼らに続いてゲートをくぐった。
ゲートの内部は、薄暗く、ひんやりとした空気が漂っていた。どこからともなく、獣のような、それでいて金属のような、奇妙な匂いがする。足元は、湿った土と、砕けた石が混ざり合ったような感触だ。
(ここが、ゲートの中……)
初めてのゲート内部に、陽斗は圧倒されていた。
しばらく進むと、伊吹が立ち止まり、陽斗に話しかけた。
「君は、どうしてハンターになったんだ?」
「え?」
突然の質問に、陽斗は戸惑った。
「……稼げるから、とか……ですかね?」
伊吹は、陽斗の目をじっと見つめる。
「それもあるけど……母の治療費が必要なんです。それに……」
陽斗は、言葉を詰まらせた。
「……それだけじゃないんだな?」
伊吹の問いかけに、陽斗は頷いた。
「俺は、姉貴をモンスターに殺されたんだ」
伊吹は、重い口調で語り始めた。
「あの日、姉貴は俺を庇って……。突然現れたモンスターに……」
伊吹の脳裏に、生々しい記憶が蘇る。悲鳴。血の匂い。姉の最期の姿。
「だから、俺はハンターになった。モンスターを駆逐して、ゲートの謎を解き明かして、こんな悲劇を二度と繰り返させないために。……まあ、C級の俺にできることは限られてるがな」
伊吹は、自嘲気味に笑った。
「魔力は、訓練すればある程度は上がる。でも、才能の壁は、やっぱりでかい。なかなか等級を上げるのは難しいんだ」
伊吹の言葉には、悔しさと、諦めのようなものが混じっていた。
その時、前方で何かが動いた。
「モンスターだ!」
D級ハンターの岩田が叫んだ。
暗闇の中から、巨大な蜘蛛のようなモンスターが現れた。
他のハンターたちが、一斉に武器を構える。伊吹も、腰に下げていた剣を抜き放った。
「陽斗、君は下がってろ!」
伊吹は、そう言い残すと、モンスターに向かって駆け出した。
岩田が、腰に携えた巨大なハンマーを振りかぶる。
「喰らえ!」
ハンマーが、蜘蛛のようなモンスターの甲殻に叩きつけられ、鈍い音を立てた。しかし、そのモンスターは怯むことなく、鋭い牙を剥き出しにして岩田に襲いかかる。
佐藤、加藤、鈴木のE級ハンターたちも、それぞれの武器で攻撃を仕掛ける。剣戟の音、魔法の発動音、モンスターの唸り声が、ゲート内に響き渡る。
伊吹は、剣を巧みに操り、蜘蛛のようなモンスターの攻撃をかわしながら、隙を見ては斬りつけていく。
「裂空斬!」
伊吹が叫ぶと、剣先から三日月状の衝撃波が放たれ、蜘蛛のようなモンスターの甲殻に深々と突き刺さった。
動きが鈍ったモンスターに、他のハンターたちが一斉に攻撃を仕掛ける。
陽斗も、影刃を出そうとしたが、うまく形にならない。
(くそっ……!)
焦れば焦るほど、力は空回りする。
「邪魔だ、下がってろ! F級のくせに、足手まといなんだよ!」
E級ハンターの加藤が、吐き捨てるように言った。
「おい、言い過ぎだぞ!」
伊吹が、加藤に注意するが、他のハンターたちも陽斗を冷ややかな目で見ている。
「本当のことだろ? F級なんて、いてもいなくても同じだ」
「しっかし、影使いって……。ハズレスキル引いちまったんだな、可哀想に」
D級ハンターの岩田や、E級ハンターの佐藤も、嘲笑混じりに言う。
「影なんて、何に使えるってんだよ。日陰でも作るのか?」
「的当てごっこが精々だろうな、がはは!」
陽斗は、何も言い返せない。悔しさと情けなさで、唇を噛み締める。
結局、陽斗は何もできないまま、その蜘蛛のようなモンスターは他のハンターたちによって倒された。
その後も、何度かモンスターとの遭遇があった。陽斗はそのたびに、戦闘に参加しようとするが、うまく力を発揮できない。それどころか、モンスターの攻撃を避けきれずに、他のハンターに庇われる場面もあった。
「おいおい、本当にハンターかよ?」
「F級って、こんなもんか。笑わせるな」
D級ハンターやE級ハンターたちは、陽斗を馬鹿にするような言葉を浴びせ続ける。伊吹はそのたびに彼らを窘めるが、陽斗への侮蔑はやまない。
陽斗は、ゲート内を進むにつれて、ますます自信を失っていった。
ゲートの最奥部に到達すると、ひときわ大きな空間が広がっていた。そこに、巨大なトカゲのようなモンスターが、ゆっくりと姿を現した。
「あれが、ボスか……」
伊吹が、息を呑んだ。
そのトカゲのようなモンスターは、全身が硬い鱗に覆われており、口からは炎を吐き出す。
伊吹と岩田が、前に出る。
「ここは、俺と岩田さんでやる。お前らは、下がってろ」
伊吹は、他のハンターたちに指示を出した。
トカゲのようなモンスターが、咆哮を上げ、突進してくる。伊吹は、剣を構え、岩田は、ハンマーを振り上げた。
激しい戦闘が始まった。トカゲのようなモンスターの炎と岩の攻撃、伊吹の剣技とC級スキル、岩田のハンマーによる打撃。陽斗は、その光景を、ただ呆然と見つめていた。
激戦の末、伊吹と岩田の連携攻撃が、トカゲのようなモンスターの急所を捉えた。そのモンスターは、断末魔の叫びを上げ、その巨体を地面に沈めた。
「やった……」
伊吹が、息を切らしながら呟いた。
ハンターたちは、ボスが落とした鉱石や素材を回収する。
帰還の時が来た。ゲートをくぐり、外の世界へと戻る。
陽斗は、達成感よりも、深い無力感を味わっていた。
ギルド職員から報酬を受け取る。他のハンターたちに比べて陽斗の報酬は少ないが、それでも5万円が手渡された。
(たったこれだけのことしかしてないのに、5万円……。もっと強くなれば、もっと稼げるようになるんだ!)
陽斗は、強く拳を握りしめた。
その時、ふと、衡田博士との約束を思い出した。
(そうだ、博士に会いに行こう。何か、ヒントが得られるかもしれない。というか、ゲームの世界で使えたスキルが、現実でも使えるようになってるんだ。博士には、聞きたいことが山ほどある)
陽斗は、新たな決意と、そして大きな期待を胸に、衡田博士の研究所へと向かった。