7. 逃げられない現実
陽斗は、震える足で、怪物に向かって駆け出した。
「はあああっ!」
影刃を振りかざし、怪物の脚に斬りつける。しかし、F級の陽斗の力では、怪物の外骨格を傷つけることすらできない。
「くそっ、硬い……!」
怪物は、陽斗の攻撃を無視し、鎌状の前足を振り下ろした。
陽斗は、間一髪でそれをかわしたが、バランスを崩し、地面に転がってしまう。
「ギィィィィ!」
怪物が、陽斗にトドメを刺そうと、鎌を振り上げる。
(もう、ダメだ……!)
陽斗は、死を覚悟した、その時。
「そこまでだ!」
凛とした声が響き、閃光が走った。
次の瞬間、陽斗の目の前にいた怪物が、真っ二つに両断され、黒い体液を撒き散らしながら崩れ落ちた。
「え……?」
陽斗が顔を上げると、そこには、一人の青年が立っていた。
腰まである長い銀髪をなびかせ、青いロングコートを纏った青年は、まるでゲームの世界から飛び出してきたかのように見えた。
その手には、青白く光る剣が握られている。
青年は、残りのモンスターに目を向けた。
「まだ残っていたか……。面倒だが、仕方ない」
青年は、剣を構え、流れるような動きでモンスターを斬り捨てていく。
その剣捌きは、まるで舞踊のようでありながら、恐ろしいほどの破壊力を秘めていた。
あっという間に、全てのモンスターが倒された。
青年は、剣を鞘に納め、陽斗に近づいてきた。
「大丈夫か?」
「は、はい……」
陽斗は、呆然としながらも、何とか立ち上がった。
「俺は伊吹薫。君は……どこのハンターだ?」
伊吹は、陽斗の服装をじっと見ながら、尋ねた。
「ハンター……?」
「ああ。……まさか、ハンター証を取っていないのか? なら、なぜ能力を使った? 一般人が、覚醒者としての能力を無許可で使うのは、危険行為だぞ」
「え……?」
陽斗は、伊吹の言葉に、混乱した。
ハンター? 能力の使用許可? 一体、何の話だ……?
「とにかく、ここは危ない。早く逃げて、警察か、……いや、"ハンター協会"に通報しろ」
伊吹は、そう言うと、空中に残る黒い渦巻き――ゲートを見上げた。
渦巻きは、まだ消えていない。
「俺は、このゲートを閉じる。……お前は、とにかく逃げろ」
陽斗は、伊吹の言葉に従い、その場を離れようとした、その時。
「動くな!」
鋭い声が響き、陽斗は肩をびくりと震わせた。
見ると、黒い制服を着た数人の男女が、陽斗と伊吹を取り囲むように立っていた。
全員、腰に特殊な形状の銃を携えている。
「君、能力を使ったね? 所属は? ハンター証を見せなさい」
一人の隊員が、厳しい口調で陽斗に尋ねた。
「え……? ハンター……?」
陽斗は、混乱した。何が何だか分からない。
「まさか、無許可で能力を使ったのか? ……とにかく、署まで来てもらう」
隊員たちは、陽斗の返答を待たず、彼を拘束しようとした、が。
「待て!」
伊吹が鋭い声で遮った。
「彼を捕まえる必要はない。ゲートからモンスターが現れて、人々が襲われそうになっていた。彼が能力を使ったのは、自分と周りの人を守るためだ。緊急避難として認められるべきだ」
伊吹は、陽斗から銃を構えた隊員たちへ視線をうつす。
「それより、お前たちはゲートを放置していいのか? ……俺1人に押し付けるな」
警備隊員は伊吹の言葉に、押し黙る。
「……とにかく、署まで来てもらう」
隊員たちは、陽斗を拘束し、パトカーのような車両に乗せられ、連行されていった。
◇◇◇
連れてこられたのは、近代的で無機質な建物だった。
入り口には、「ハンター協会 警備部」と書かれた看板がある。
陽斗は、取調室のような部屋で、一人の男性職員と向かい合っていた。
「黒崎陽斗君、だね? 君には、覚醒者能力の無許可使用の疑いがある。正直に話してほしい」
職員は、淡々とした口調で言った。
陽斗は、震える声で、これまでの経緯を説明した。
2年間の昏睡状態だったこと、目覚めたら世界が変わっていたこと、そして、今日、突然現れたゲートとモンスターのこと……。
職員は、陽斗の話を黙って聞いていたが、その表情は変わらない。
「……なるほど。信じがたい話だが、嘘ではないようだね」
職員は、深くため息をついた。
「君は、まだ覚醒者としてハンター協会に申告していない。本来なら、未申告、かつ、無許可で能力を使ったことに対して厳罰に処されるところだが……今回は、緊急避難であり、なおかつ初犯であること、特殊な事情も考慮して、不問に付す。その代わり、今すぐここで、覚醒者としての申告をしてもらう。それと、ハンターになるかどうか……意思確認をさせてくれ。ハンター登録は任意だが、希望するなら、後日、試験を受けてもらうことになる」
「覚醒者……の申告と、ハンター……ですか?」
「ああ。まず、覚醒者は、能力の発現が確認されたら、速やかにハンター協会に申告する義務があるんだ。これは法律で決まっている。そして、ハンター資格を持たない者が、みだりに能力を使うことも禁じられている。ハンターになるかどうかは自由だが、覚醒者のほとんどは、その道を選ぶ。ゲートから出現するモンスターを討伐したり、ゲートの奥にあるダンジョンを攻略して、ゲートを封鎖するのがハンターの仕事だ。危険だが、その分、報酬も高い。ダンジョン内では、特殊な鉱石や、モンスターの素材なども手に入るからね」
職員は、陽斗に書類を差し出した。
「ここにサインと、いくつか必要事項を記入してくれ。それと、写真撮影と、指紋採取も行う」
「……分かりました」
陽斗は、言われるがままに、書類に記入し、手続きを済ませた。
「……よし。これで、君は覚醒者として、ハンター協会に登録された。ハンター試験は定期的に開催されている。興味があるなら、協会のウェブサイトで情報を確認してくれ」
職員は、そう言うと「今日はもう帰っていいよ」と許可をだした。
(ハンターか……危険な仕事だろう。でも、もしハンターになれば、母さんや美亜を経済的に助けられるかもしれない……。いや、でも、俺はまだF級で、戦い方もよくわからない……。ゲームの中でも、スライムにすぐ殺られたしな……)
陽斗は、ぺこりと頭をさげ、ハンター協会を後にした。
陽斗は、重い足取りで家へと向かった。
ハンター協会の建物を出てからも、頭の中は様々な考えで渦巻いていた。
(ハンター……俺に、できるのか……?)
不安が胸を締め付ける。しかし、同時に、微かな希望も、確かに感じていた。
ようやく家に着き、玄関のドアを開けると、妹の美亜が、飛びついてきた。
「お兄ちゃん!」
「ただい……ま?」
陽斗は、美亜の様子がおかしいことに気づいた。
美亜は、目に涙を浮かべ、顔面蒼白だった。
「美亜、どうしたんだ? 何かあったのか?」
「お、お母さんが……!」
美亜は、震える声で言った。
「病院から連絡があって……容態が、急に悪くなったって……!」
「な……!」
陽斗は、全身の血の気が引いていくのを感じた。
「すぐに行こう!」
陽斗は、美亜の手を引き、家を飛び出した。
◇◇◇
病院に駆けつけると、母は、集中治療室のベッドで眠っていた。
酸素マスクをつけられ、たくさんの管に繋がれている。
その顔は、青白く、生気を失っているように見えた。
「お母さん……!」
美亜が、ベッドに駆け寄り、母の手を握りしめた。
陽斗は、呆然と立ち尽くしていた。
2年間も昏睡状態だった自分が、ようやく目覚めたというのに、今度は母が……。
医師が、陽斗と美亜に説明を始めた。
「原因は……不明です。あらゆる検査をしましたが、異常は見つかりませんでした。……ただ、血液検査で、通常の病気では見られない数値が出ているんです。……もしかすると、これは……」
医師は、言葉を濁した。
「もしかすると、何なんです!?」
陽斗は、思わず声を荒げた。
「……異世界の病気、かもしれません」
「異世界……?」
「ええ。大爆発以降、世界中で、原因不明の病気が報告されています。その中には、従来の医学では説明のつかない症状も多く……」
医師は、重苦しそうに言った。
「……母を、助ける方法は、ないんですか?」
陽斗は、震える声で尋ねた。
「……」
医師は、首を横に振った。
陽斗は、絶望感に打ちひしがれた。
しかし、その時、陽斗は先ほどハンター協会で聞いた話を思い出した。
(待てよ……もし、本当に異世界の病気なら……)
ゲートの奥には、ダンジョンと呼ばれる異世界が広がっている。
そこには、未知の資源や、モンスターの素材など、様々なものが存在する。
もしかしたら、その中に、母の病気を治す手がかりがあるかもしれない。
(俺が、ハンターになれば……)
陽斗は、拳を握りしめた。
恐怖はあった。不安もあった。
しかし、もう迷っている暇はない。
陽斗は、眠っている母の顔を見つめ、静かに、しかし力強く呟いた。
「……必ず、助けるからな。……俺、ハンターになる」