5. ここはゲームか、現実か?
陽斗は、自分の影を見つめたまま、呆然と立ち尽くしていた。
黒い炎のように揺らめいていた影は、いつの間にか、元の形に戻っている。
「な、何だったんだ、今の……」
陽斗は、震える手で、自分の影に触れようとした。
しかし、その影は、何の変哲もない、普通の影だった。
「……気のせい、か……?」
いや、違う。
確かに、何かが起こった。
陽斗の体の中で、何かが変化した。
そんな確信があった。
その時、陽斗は、ふと、あることを思い出した。
あの、草原でスライムと戦った時……。
使えなかったはずの、「影縫い」のスキル。
あの時、自分の影が、意思を持ったかのように伸びていった、あの感覚……。
「……まさか」
陽斗は、ゴクリと唾を飲み込んだ。
そして、おそるおそる、呟いた。
「……ステータス」
次の瞬間、陽斗の目の前に、半透明のウィンドウが、ふわりと現れた。
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プレイヤー名:ハルト
レベル:2
タイプ:影使い
HP:100/100
MP:90/90
攻撃力:8
防御力:7
素早さ:10
装備:鋼鉄製の短剣(攻撃力+5)
スキル:
・影縫い(レベル1) 消費MP10 成功率:低
・影刃(レベル1) 消費MP8 成功率:中
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「……!?」
陽斗は、目を見開いた。
そこに表示されていたのは、紛れもなく、「シンクロ・ワールド」で見た、自分のステータス画面だった。
「レベルが……上がってる。それに、タイプも……影使いに……? 新しいスキル、影刃……?」
陽斗は混乱しながらも、ステータス画面を詳しく確認した。レベルが2に上がったことで、HPやMPが上昇している。
スライムを倒した経験と、あの影の異変が、自分を"魔法使い見習い"から"影使い"へと成長させたのだろうか。
「な、なんで……? ここは、現実世界、だよな……?」
陽斗は、混乱した。
まるで、まだゲームの中にいるような感覚。
しかし、腕に刺さった点滴の針、心電図モニターの音、そして、何よりも、この重苦しい空気……全てが、ここが現実であることを示している、はずなのに。
すると、ステータスウィンドウの横に、新たなウィンドウが表示された。
《デイリーミッションがあります。確認しますか? [はい] [いいえ]》
「デイリーミッション……?」
陽斗は、反射的に「はい」を選択した。
すると、ウィンドウの表示が切り替わる。
《デイリーミッション
1. シンクロ・ワールドにログインする(報酬:経験値100、100G)
2. 筋力トレーニングを行う(報酬:経験値10、筋力+1)
3. 瞑想を行う(報酬:経験値10、MP+5)
》
「……ログイン? ログインが必要ってことは、ここはゲームの中じゃない……現実世界ってことか?」
陽斗は、頭を抱えた。情報が多すぎる。何が何だか分からない。
「……ウィンドウ、閉じる」
陽斗がそう言うと、ウィンドウは、まるで最初から何もなかったかのように、すっと消え去った。
「……」
陽斗は、息を呑んだ。
やはり、ここは現実世界だ。
しかし、なぜ、自分のステータスが表示された?
なぜ、デイリーミッションなんてものがあるんだ?
(……とにかく、落ち着け)
陽斗は、自分に言い聞かせた。
今は、何を考えても仕方がない。
まずは、ここを出て、家族に会わなければ。
「……美亜、母さん……」
陽斗は、震える声で、家族の名前を呟いた。
ゆっくりとベッドから降り、部屋の出口へと向かった。
しかし、ドアを開けた瞬間、陽斗は、自分の目を疑った。
廊下には、誰もいない。
それどころか、人気ひとけが全く感じられない。
窓の外は、薄暗く、重苦しい空気が漂っている。
(……なんだ、ここは?)
陽斗は、不安に駆られながら、廊下を歩き始めた。
しかし、どこまで行っても、同じような白い壁と、無機質なドアが続くだけ。
まるで、迷路に迷い込んでしまったかのようだ。
不意に、背後から声がした。
「陽斗君!」
振り返ると、白衣を着た若い女性が、息を切らして立っていた。先ほどコーヒーとサンドイッチを運んできてくれた女性だ。
「えっと……」
「無事だったのね! よかったわ……」
女性―――田中は、安堵の表情を浮かべた後、すぐに真剣な顔つきになった。
「脈は……少し早いわね。でも、他に異常はなさそうで安心したわ。……どこかへ行こうとしていたの?」
「ええ……家族に会いたくて。美亜と、母さんに……」
「……落ち着いて聞いてちょうだい」
田中は、陽斗の言葉を遮った。
「陽斗君はまだ、動くべきじゃないの。……本当にどこにも異常がないか、検査する必要があるわ」
「検査?」
「ええ。……大爆発の後、一部の人間に、特殊な能力が発現するようになったの。……それを、私たちは"覚醒"と呼んでいるわ。陽斗君は、爆発当時ニューロ・デバイスを装着していたでしょう? それが原因で、直接何らかの影響を受けている可能性が高いわ」
田中は、言葉を選びながら説明した。
「……!」
陽斗は、衡田から聞いた話を思い出した。大爆発、そして、世界が変わってしまったこと……。
「……私たちのせいで、本当にごめんなさい」
田中は、周囲を警戒するように見回し、続けた。
「実は……シンクロ・ワールドのβテスター参加者15人の内、あなた以外の14人が行方不明になっているの」
「え……!?」
「……だから、安全のため、あなたにはここを動かないでほしいの。……衡田博士も、そうおっしゃっていたわ」
「……博士が?」
「……大爆発が原因で、シンクロニカの社員のほとんどはやめてしまったの。残っているのは、私と、衡田博士、もう一人だけよ」
陽斗は、田中の言葉に、衝撃を受けた。
家族に会いたい。しかし、"覚醒"とは? 行方不明のテスターたちとは? そして、この場所は……?
新たな謎と不安が、陽斗の胸中に渦巻いていた。