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4. 空白の二年

「……黒崎君、意識が戻って本当によかった……」


 衡田博士は、絞り出すような声で言った。

 その声には、深い安堵と、そして、拭いきれない後悔の念が滲んでいた。


「俺は、どうなったんですか……?」


 陽斗は、混乱したまま、衡田博士に問いかけた。


「ここは、シンクロニカ社の研究施設内にある医療区画だ。君は……君は、2年間、眠っていたんだ……」


「2年……!?」


 陽斗は、耳を疑った。

 2年もの間、自分が眠っていたなんて、信じられない。


「そんな……嘘だ……」


 陽斗は、震える声で呟いた。

 頭が、ガンガンと痛む。

 記憶が、ひどく曖昧だった。


「……本当にすまない、黒崎君」


 衡田博士は、深く頭を下げた。


「全て、私の責任だ……」


「責任……? 一体、何があったんですか!? 説明してください!」


 陽斗は、声を荒げた。


「……そうだ、母さんは!? 美亜は!?」


 陽斗は、必死の形相で、衡田博士に詰め寄った。

 2年もの間、自分が眠っていたとすれば、家族は、どれほど心配したことだろうか。


 衡田博士は、重い口を開いた。


「妹の美亜君は無事だ。君が眠っている間、シンクロニカ社の方で、生活のサポートをさせてもらっていた」


「本当ですか……!?」


 陽斗は、安堵の息を漏らした。

 しかし、その安堵も束の間、もう一つの、そして最も気がかりな疑問が、陽斗の胸を締め付ける。


「……母さんは?」


 衡田博士は、目を伏せ、痛ましげな表情を浮かべた。


「……君の母親は……入院している」


「入院……!? どうして……!?」


 陽斗は、再び衡田博士に詰め寄った。

 衡田博士は、言葉を選びながら、ゆっくりと説明を始めた。


「……君が、βテストに参加した、あの日……。シンクロ・ワールドのシステムを全接続オールコネクトした、その瞬間……実験室が、原因不明の光に包まれ、大爆発を起こしたんだ」


「爆発……!?」


「ああ。私は、そこに居合わせたが……奇跡的に一命は取り留めた。だが……この体だ」


 衡田博士は、自嘲気味に笑い、車椅子を軽く叩いた。


「……他の人は?」


「……残念ながら、私以外の研究員は、全員……」


 衡田博士は、言葉を詰まらせた。

 陽斗は、言葉を失った。

 まさか、そんな大惨事が起きていたなんて……。


「その爆発の影響で、世界中で、様々な異常現象が起こり始めた。……君の母親も、その影響を受けて……」


 衡田博士は、そこで言葉を切り、深く息を吸い込んだ。


「詳しいことは、後で説明する。……今は、とにかく、君の母親も、美亜君も、命に別状はない、ということだけは信じてほしい」


「……」


 陽斗は、何も言えなかった。

 母親が入院している、という事実が、重くのしかかる。


 衡田博士は、顔を上げ、陽斗を真っ直ぐに見つめた。


「シンクロ・ワールドのシステムを全接続した、あの瞬間……我々が想定していなかった、ある現象が起きたんだ」


「現象……?」


「ああ。我々の研究施設……いや、正確には、その地下深くに設置されていた、大型の粒子加速器……それが、暴走したんだ」


 陽斗は、衡田博士の言葉に、眉をひそめた。

 粒子加速器……? そんなものが、シンクロニカ社にあったのか?


「加速器は、素粒子を光速近くまで加速し、衝突させることで、宇宙誕生の瞬間を再現しようとする装置だ。我々は、その過程で生じる、極めて高いエネルギー状態を利用して、VR空間をより現実に近づける研究をしていたんだが……」


 衡田博士は、そこで言葉を切り、苦しげに顔を歪めた。


「……全接続の際、加速器が想定外の挙動を示し、制御不能なレベルの高エネルギー状態が発生してしまった。その結果……時空に歪みが生じ、通常ではありえない現象が起こり始めたんだ」


「時空の歪み……?」


「ああ。そして、その歪みが、世界各地に、渦を巻いた奇妙な『ゲート』を出現させるようになったんだ」


「ゲート……?」


「そのゲートの先には、『ダンジョン』と呼ばれる空間が広がっている。……そして、ゲートを放置すると、そこから、この世界には存在しないはずの、異世界のモンスターが現れるようになったんだ」


「モンスター……!?」


 陽斗は、シンクロ・ワールドで遭遇した、スライムや、巨大な狼のような魔物の姿を思い出した。


「通常の武器では、ヤツらに傷一つ付けることもできない。……しかし、同時に、世界中で、あの爆発以降、特殊な『能力』に目覚める者たちが現れ始めた。『覚醒者』と呼ばれる者たちだ」


「覚醒者……?」


「ああ。彼らは、我々が『魔法』と呼んでいる力や、その他様々な特殊能力を使い、モンスターと戦っている。……そして、ゲートを封鎖するための活動を行なっているんだ」


 衡田博士の説明は、まるでSF映画か、ファンタジー小説のようだった。

 陽斗は、自分の置かれた状況が、全く理解できなかった。


「……何なんだよ、それ……。一体、何がどうなって……」


 陽斗は、頭を抱えた。

 情報量が多すぎて、処理しきれない。

 2年間の昏睡、母親の入院、妹の無事、βテストの失敗、実験室の爆発、世界激変、ゲート、ダンジョン、モンスター、覚醒者、魔法……。


「……黒崎君、少し落ち着きたまえ」


 衡田博士が、静かな声で言った。


「すまないが、今はまだ、全てを話すことはできない。……だが、君には、これから起こることを、知る権利がある」


「……」


 陽斗は、何も答えなかった。

 いや、答えられなかった。

 頭の中が、真っ白になってしまったかのようだ。


「……そうだ、何か飲み物でも持ってくるように言おう。少しは、気分が落ち着くかもしれん」


 衡田博士は、そう言うと、壁に設置されたインターホンに向かって、「田中君、すまないが、こちらにコーヒーと、何か軽食を持ってきてくれないか? ……ああ、頼む」と、指示を出した。


 しばらくして、部屋のドアがノックされ、若い女性研究員が、トレイに乗せたコーヒーとサンドイッチを持って入ってきた。


「失礼します」


 女性研究員は、陽斗に軽く会釈をし、ベッド脇のテーブルにトレイを置いた。


「衡田博士、他に何か御用はございますか?」


「いや、もう大丈夫だ。ありがとう」


 衡田博士の言葉に、女性研究員は再び会釈をし、部屋を出て行った。


「……さあ、黒崎君。少しでもいいから、口にするといい」


 衡田博士は、陽斗にコーヒーを勧めた。

 しかし、陽斗は、ぼんやりとしたまま、何も言わずに、窓の外を見つめている。


「……すまない。今日は、もう休むといい。また、明日、改めて話そう」


 衡田博士は、そう言うと、静かに車椅子を回転させ、部屋を出て行った。


 陽斗は、一人、部屋に残された。

 窓の外では、ついに雨が降り始めたようだ。

 雨粒が、窓ガラスを叩き、不規則な音を立てている。


 陽斗は、テーブルの上に置かれたコーヒーカップを手に取り、一口飲んだ。

 温かい液体が、喉を通り過ぎ、胃に落ちていく。

 しかし、その味は、全く感じられなかった。


 (2年……俺は、2年間も眠っていたっていうのか……?)


 陽斗は、震える手で、自分の腕を掴んだ。

 点滴の針が刺さっていた場所には、小さな痣が残っている。


 (母さんは……どうして入院してるんだ……? 美亜は……本当に無事なのか……?)


 陽斗の心臓が、激しく鼓動する。

 不安、恐怖、怒り、悲しみ……様々な感情が、渦のように陽斗の心の中で渦巻いていた。


 (衡田博士は、何かを隠してる……。爆発は、本当に事故だったのか……? シンクロ・ワールドって、一体何なんだ……?)


 陽斗は、拳を強く握りしめた。

 その時、陽斗の体の中で、何かが弾けるような感覚があった。


 ――ザワッ……


 部屋の中の空気が、一瞬にして、重く、そして冷たくなったような気がした。

 テーブルの上のコーヒーカップが、カタカタと音を立てて揺れている。


 (な、何だ……? 今の……)


 陽斗は、自分の体を見下ろした。

 すると、陽斗の影が、まるで意思を持っているかのように、ゆらゆらと揺らめいているのが見えた。


「……!?」


 陽斗は、息を呑んだ。

 影は、陽斗の動きとは全く関係なく、勝手に動いている。

 そして、その影は、徐々に形を変え、まるで、黒い炎のように、激しく燃え上がり始めた――。

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