3. 閉ざされた時間、開かれた扉
薄暗い部屋の中、陽斗はゆっくりと目を開けた。
「……ここは……?」
見慣れない天井、木の匂い、そして、全身を包む、柔らかい何かの感触。
「……生きてるのか?」
陽斗は、ゆっくりと体を起こした。
どうやら、ベッドの上に寝かされていたようだ。
部屋の中を見回すと、質素な家具と、壁にかけられた薬草らしきものが目に入った。
「大丈夫かい?」
突然、声が聞こえた。
見ると、部屋の入り口に、見知らぬおばさんが立っていた。
年の頃は60代くらいだろうか。
白髪交じりの髪を後ろで束ね、穏やかな笑みを浮かべている。
「あ、あなたは……?」
「あたしは、ルーナだよ。あんた、草原で倒れてたんだ。大きな魔物にでもやられたのかい?」
「魔物……? ああ、そういえば……」
陽斗は、スライムに襲われた時のことを思い出した。
全身を焼かれるような痛み、そして、赤い視界……。
「……俺、死んだんじゃ……」
「死んでないさ。確かに酷い怪我だったけど、あたしの薬草と魔法で、どうにか一命は取り留めたよ」
「魔法……?」
「ああ、この世界じゃ、誰でも少しは使えるもんさ。それより、あんた、見たところ、この辺りの人間じゃないね。どこから来たんだい?」
陽斗は、どう答えていいか分からなかった。
「……覚えてないんです。気がついたら、草原に倒れてて……」
「そうかい。まあ、色々あるんだろうね。……さあ、いつまでも寝てないで、そろそろ起きた方がいい。腹も減ってるだろう?」
ルーナに促され、陽斗はベッドから立ち上がった。
体はまだ少し重いが、痛みはない。
「……そういえば、俺の剣は……?」
「ああ、それなら、ここに置いてあるよ」
ルーナは、部屋の隅に立てかけてあった「ボロい短剣」を陽斗に手渡した。
刃は少し欠けているが、まだ使えそうだ。
「ありがとうございます」
「気にしなさんな。それより、あんた、これからどうするんだい? 行く当てがないなら、しばらくここにいてもいいけど……」
「……いえ、とりあえず、この村を見て回りたいです。何か、できることがあるかもしれないし……」
「そうかい。まあ、無理はしなさんなよ」
陽斗は、ルーナの家を出て、村の中を歩き回った。
村は、木造の家々が立ち並び、どこか懐かしい雰囲気が漂っている。
道行く人々は、皆、陽斗のことを珍しそうに見ていた。
「……まずは、情報を集めないと」
陽斗は、村人に話を聞いて回った。
すると、この村には、「ギルド」と呼ばれる組織があり、村人からの依頼をこなすことで報酬がもらえる、ということが分かった。
「これなら、何とかなるかもしれない……」
陽斗は、ギルドに向かった。
ギルドには、様々な依頼が張り出されていた。
「薬草採取、魔物の討伐、迷子のペット探し……いろいろあるな」
陽斗は、一番簡単そうな「薬草採取」の依頼を受けることにした。
指定された場所に生えている薬草を5つ集め、ギルドに持っていくと、報酬として500Gを受け取ることができた。
「これだけあれば、新しい武器が買えるかも……」
陽斗は、村の武器屋に向かった。
店主は、筋骨隆々とした、いかにも職人といった感じの男だった。
「何をお探しかな、若いの?」
「えっと、短剣が欲しいんですけど……」
「短剣か。うちには、いろいろな種類の短剣があるぞ。ほれ、見てみな」
店主は、陽斗に、様々な短剣を見せてくれた。
鋼鉄製の短剣、ミスリル製の短剣、魔力を帯びた短剣……。
値段も、性能も、様々だ。
陽斗は、しばらく悩んだ後、鋼鉄製の短剣を選んだ。
値段は450G。
性能は、「ボロい短剣」よりもはるかに高い。
「これ、ください」
「あいよ。毎度あり!」
新しい短剣を手に入れ、陽斗は、再び草原に向かった。
今度は、スライムに負けるわけにはいかない。
草原には、相変わらず、スライムがぷるぷると跳ねていた。
陽斗は、短剣を構え、スライムに近づいていく。
「今度は、負けない……!」
陽斗は、スライムに斬りかかった。
鋼鉄製の短剣は、スライムのゼリー状の体を、いとも簡単に切り裂いた。
「やった!」
陽斗は、次々とスライムを倒していく。
レベルも上がり、新しいスキルも覚えた。
「これなら、いける……!」
しかし、陽斗がそう思った時、背後から、強烈な殺気を感じた。
振り返ると、そこには、巨大な狼のような魔物が立っていた。
「……!?」
魔物は、鋭い牙を剥き出しにし、燃えるような赤い目で陽斗を睨みつけている。
その体毛は黒く、ところどころ、青白い光を放っていた。
魔物は、低い唸り声を上げながら、ゆっくりと陽斗に近づいてくる。
「な、なんだよ、こいつ……! スライムとは、全然違う……!」
陽斗は、恐怖で体が震えた。
しかし、ここで逃げれば、確実に殺される。
「やるしかない……!」
陽斗は、短剣を構え、魔物に向かって駆け出した。
しかし、魔物は、陽斗の攻撃を軽々と避け、鋭い爪で反撃してきた。
「ぐああああ!」
陽斗は、腕を深く切り裂かれ、地面に倒れた。
傷口から、熱い血が流れ出す。
魔物は、倒れた陽斗に、ゆっくりと近づいてくる。
そして、大きく口を開け、鋭い牙を陽斗の喉元に突き立てようとした――
その瞬間、陽斗の意識は、暗闇の中に沈んでいった。
◇◇◇
白い部屋。
無機質な機械音。
点滴の管。
陽斗は、ゆっくりと目を開けた。
自分が、病院のベッドのようなものに横たわっていることに気づく。
部屋には、心電図モニターや、その他様々な医療機器が置かれており、それらが発する電子音が、静かな空間に響いていた。
「……ここは……?」
陽斗は、ゆっくりと体を起こそうとしたが、全身が鉛のように重く、うまく動かせない。
腕には、点滴の針が刺さっている。
しばらくして、部屋のドアが静かに開き、白衣を着た男が車椅子に乗って入ってきた。
男は、どこか疲れたような、それでいて、どこか悲しげな表情を浮かべている。
見覚えのある顔……シンクロニカ社の、衡田博士だ。
「……衡田、博士……? どうして、ここに……?」
陽斗の問いかけに、衡田博士は、ゆっくりと車椅子を進め、ベッドの方へと近づいた。
「……すまない、黒崎君」
衡田博士は、絞り出すような声で言った。
「私のせいで、君をこんな目に合わせてしまった……」
「え……? 一体、何が……」
陽斗は、混乱したまま、衡田博士の顔を見つめた。
博士は、深く頭を下げた。
「……全て、私の責任だ。本当に……申し訳ない……」
衡田博士は、それ以上何も語ろうとしなかった。
重苦しい沈黙が、部屋を満たす。
陽斗は、状況が全く理解できないまま、ただ呆然と、窓の外を見ていた。
空は、どんよりとした曇り空。
今にも雨が降り出しそうだ。
――あれから、2年の月日が流れたことを、陽斗はまだ知らない。




