2. 失われた感覚
2030年5月下旬。
テレビのニュース番組で、シンクロニカ社の特別番組が放送されていた。
新製品発表会――脳波インターフェース型VRゲーム「シンクロ・ワールド」の記者会見の様子だ。
プロジェクトリーダーの衡田博士が、熱弁を振るっている。
「シンクロ・ワールドは、単なるゲームではありません。我々が長年研究してきた、脳と仮想空間を直接つなぐ技術の結晶です。五感の全てを再現し、現実と区別がつかないほどの没入感を実現しました……!」
リビングでそのニュースを見ていた陽斗の妹、美亜が、興奮した様子で声を上げた。
「お兄ちゃん! これ、お兄ちゃんが参加するゲームのやつだよね!?」
「ああ、そうだけど……」
陽斗は、少し気恥ずかしそうに答える。
βテスターに応募したことは、家族には話してあったが、まさかこんな大々的に発表されるとは思っていなかった。
画面の中の衡田博士が、言葉を続ける。
「今回のβテストは、全世界で15名、日本からは1名のみの参加となります!」
「ええっ!? 日本から一人だけなの!?」
美亜が、目を丸くして驚く。
「まじかよ……」
陽斗も、初めて知った事実に、思わずつぶやいた。
30万円の報酬に惹かれて応募しただけだったが、自分がとんでもないプロジェクトに参加することになったのだと、改めて実感した。
「すごいじゃん、お兄ちゃん! 選ばれたんだ!」
「いや、まあ、運が良かっただけだって……」
「そんなことないよ! 絶対すごいって! ……ねえ、ゲームの中、どんな感じなの? 教えてよ!」
「いや、まだ始まってないから……」
「そっか。……でも、楽しみだね!」
美亜は、無邪気に笑った。
その笑顔を見て、陽斗は、少しだけ誇らしい気持ちになった。
◇◇◇
2030年6月3日、午前10時15分。
陽斗は、自室のベッドに横たわり、深呼吸を繰り返していた。
手元には、先日届いたばかりのVRデバイス「ニューロ・コネクト」。
流線形のデザイン、滑らかな手触り、そして、驚くほど軽い。
まるで、SF映画に出てくる小道具のようだ。
「本当に、これでゲームの世界に入れるのか……?」
半信半疑ながらも、陽斗の胸は高鳴っていた。
未知の世界への好奇心と、わずかな不安が入り混じった、複雑な感情。
取扱説明書には、「午前10時25分にデバイスを装着し、ログインしてください」と書かれていた。
時計の針は、10時24分を指している。
「……よし」
陽斗は、意を決して、「ニューロ・コネクト」を頭に装着した。
視界が暗転し、一瞬、浮遊感のようなものを感じる。
そして――
「……システム、全接続」
どこからか、低い声が聞こえた。
それは、まるで神の声のようであり、悪魔の囁きのようでもあった。
次の瞬間、陽斗の意識は、光の渦に吸い込まれるように、急速に遠のいていった――。
……気がつくと、陽斗は、草原の中に立っていた。
どこまでも続く、緑の絨毯。
空は、澄み切った青色。
頬を撫でる風は、心地よく、太陽の光は、暖かく肌を包み込む。
遠くには、木々が生い茂る森や、岩肌が露出した山々が見える。
「……ここが、シンクロ・ワールド……?」
陽斗は、思わず、息を呑んだ。
まるで、本当に別の世界に来てしまったかのようだ。
かすかに草の匂いが混じった風が、陽斗の髪を揺らす。
「……すごい。本当に、現実みたいだ……」
陽斗は、周囲を見回しながら、呟いた。
風の音、草の匂い、肌に感じる温度……全てが、現実世界と何も変わらない。
いや、むしろ、現実世界よりも、全てが鮮明に感じられる。
(これが、脳波インターフェース……? シンクロニカの技術、恐るべし……)
すると、陽斗の目の前に、半透明のウィンドウがふわりと現れた。
《シンクロ・ワールドへようこそ! プレイヤー名を入力してください》
「えっと……ハルト、で」
陽斗がそう言うと、ウィンドウの表示が変わった。
《ハルトさん、ですね。次に、プレイヤータイプを選択してください。近接戦闘タイプ、遠距離戦闘タイプ、魔法タイプなどがあります。もちろん、それらを組み合わせたタイプも可能です》
「え、タイプ? いきなり言われても……。魔法とか、使えるの?」
《はい、もちろんです。この世界では、様々な魔法が存在します》
「マジか……。じゃあ、魔法タイプで!」
《魔法タイプですね。初期スキルとして、初級火魔法、初級水魔法、そして、あなたの潜在能力に基づき、影使いのスキル「影縫い」を習得しました。それでは、ハルトさんの冒険が始まります!》
ウィンドウが消え、代わりに、新しいウィンドウが表示された。
《新しいミッションが10件あります。確認しますか? [はい] [いいえ]》
「え、もうミッション? その前に、自分のステータスとか見れないの?」
《はい、確認できます。「ステータス」と発声してください》
「ステータス」
陽斗の目の前に、詳細なステータス画面が表示された。
------------------------------------
プレイヤー名:ハルト
レベル:1
タイプ:魔法使い見習い
HP:50/50
MP:80/80
攻撃力:5
防御力:3
素早さ:7
装備:ボロい短剣(攻撃力+2)
スキル:
・影縫い(レベル1) 消費MP10 成功率:低
・初級火魔法(レベル1) 消費MP5
・初級水魔法(レベル1) 消費MP5
------------------------------------
「……レベル1か。まあ、最初はこんなもんか。……って、攻撃力低っ!」
陽斗は、自分のステータスの低さに、少しがっかりした。
しかし、すぐに気を取り直し、ミッションを確認することにした。
「ミッション、確認」
《ミッション一覧
1. チュートリアル:スライムを3体倒せ(報酬:経験値10、10G)
2. 薬草採取:薬草を5個集めろ(報酬:経験値5、ポーション×3)
3. 初心者訓練:村の周辺の魔物を5体倒せ(報酬:経験値15、50G)
》
「最初はスライムか……楽勝だな。……ん? 他にも、薬草採取とか、色々あるみたいだな」
陽斗は、軽い気持ちで最初のミッションを受けることにした。
「ミッション1、やってみるか」
《ミッション1を受諾しました。スライムは、村の近くの草原に生息しています》
陽斗は、草原を見渡した。
すると、遠くに、青いゼリー状の物体が、ぷるぷると跳ねているのが見えた。
よく見ると、半透明の体の中には、黒い核のようなものが見える。
「あれがスライムか……?」
陽斗は、ゆっくりとスライムに近づいていった。
スライムは、陽斗に気づいていないようだ。
距離にして、およそ10メートル。
「よし、今のうちに……影縫い!」
陽斗は、右手を前に突き出し、呪文を唱えた。
すると、陽斗の影がスライムの影に向かって伸びていき……しかし、スライムの影に触れる寸前で、陽斗の影は力なく消えてしまった。
「え? なんで!? ……って、影が薄すぎるのか!」
陽斗は、自分の足元を見た。
今は、太陽が真上近くにある時間帯。
影は、ほとんど真下にしかできていない。
スライムは、陽斗の攻撃をものともせず、不気味な音を立てながら、猛スピードで突進してくる。
「くっ……こうなったら!」
陽斗は、腰に下げていた「ボロい短剣」を抜き、スライムに斬りかかった。
しかし、刃はスライムのゼリー状の体に弾かれ、全くダメージを与えられない。
それどころか、短剣にスライムの体の一部が付着し、ねっとりと絡みついてくる。
「うそだろ……!?」
スライムは、短剣を弾き返した勢いで、陽斗の足にぶつかってきた。
陽斗はバランスを崩して転倒した。
「痛っ……!」
スライムは、転んだ陽斗に覆いかぶさってきた。
冷たく、重いゼリー状の体が、陽斗の顔にべっとりと張り付く。
同時に、ツンとした刺激臭が鼻を突いた。
「う、苦しい……! こ、このままじゃ……」
陽斗は、必死にもがいたが、スライムはびくともしない。
息ができず、視界がチカチカと点滅し始める。
心臓が、早鐘のように激しく打ち鳴らされていた。
(ま、まさか……こんなところで、死ぬのか……!? 母さんや、美亜は……?)
陽斗の脳裏に、家族の顔が走馬灯のように浮かんだ。
――その時、何かが、陽斗のすぐ近くを、猛スピードで駆け抜けていった。
風圧を感じ、スライムの動きが一瞬止まる。
(助かった……?)
陽斗は、かすかな希望を抱いた。
しかし、次の瞬間、全身に、焼けるような激痛が走った。
「……が、ああああああああああああ!!!」
陽斗の絶叫が、草原に響き渡る。
スライムの体内で、何かが弾け、強烈な酸が陽斗の体を溶かしていく。
視界が、真っ赤に染まる。
全身の感覚が、急速に失われていく。
――GAME OVER――
陽斗の目の前に、無機質な文字が浮かび上がった。