18. ダンジョンボス
「……黒崎君、すまないが……俺はもう戦えない」
壁に寄りかかったまま、リーダーが苦し気に言った。
「ここまでの傷だ。足手まといになるだけだろう……。俺は、ここで待っている。君たちの健闘を祈る……」
「そ、そんな……! 私もリーダーのそばにいます!」
ヒーラーの阿部が悲痛な声を上げる。他の数名の軽傷者も、明らかにボス討伐へ向かう気力はないようだった。
結局、ボス討伐に向かうのは、陽斗と、まだ戦う意志を見せた岩田、そして他に2名のD級ハンターだけとなった。わずか4名。絶望的な戦力だ。
「……行こう、黒崎君」
岩田は、恐怖を押し殺したような硬い表情で、陽斗に声をかけた。彼の目には、もう以前のような侮りはなく、この異常な状況で唯一頼れる存在への、複雑な信頼のようなものが浮かんでいた。
陽斗は黙って頷くと、岩田たちを促して洞窟の奥へと進み始めた。重傷のリーダーや阿部たちを残し、決死の覚悟で最深部を目指す。
道中は、陽斗の影潜みによる索敵能力のおかげで、いくつかのモンスターの奇襲を回避することができた。しかし、洞窟の奥に進むにつれて、空気はますます重く、不気味になっていく。
そして、一行がひときわ広大な空間――おそらくボスの間に繋がるであろう場所――に足を踏み入れた瞬間だった。
グルルルルル……!
キシャアアアアア!
ゴゴゴゴゴゴ……!
四方八方の壁や天井から、無数のモンスターが姿を現した。ゴブリン、オーク、大型センチピード、そして先ほど遭遇した未知のモンスターの小型版のような影も多数混じっている。
その数は、目算でも100を超えるだろう。完全に包囲されていた。
「な、なんだこれは!?」
「うわああああっ!」
「罠だ!」
岩田ともう一人のハンターが、絶望的な叫び声を上げる。
「くそっ!」
陽斗は即座にスキルを発動させる。
(影刃! 影縫い!)
影の刃が周囲を薙ぎ払い、影の触手が迫りくるモンスターの動きを阻害する。しかし、敵の数が多すぎる。倒しても倒しても、次から次へと新たなモンスターが襲いかかってくる。
「黒崎君! 後ろだ!」
岩田が叫び、陽斗の死角から襲いかかろうとしたモンスターをハンマーで殴り飛ばす。他のハンターたちも必死に応戦するが、多勢に無勢。あっという間に数匹のモンスターに囲まれ、引き倒されていく。
「ぐあああっ!」
「た、助け……」
悲鳴と断末魔が響き渡る。陽斗は仲間を助けようと手を伸ばすが、別の方向から襲い来る敵に対応するだけで精一杯だった。
(守りきれない……!)
陽斗の奮闘も虚しく、岩田以外のハンターは、瞬く間にモンスターの波に飲み込まれていった。
「くそっ! くそぉぉぉっ!」
岩田は涙を流しながら、それでもハンマーを振り回し続ける。陽斗も、怒りと悔しさを力に変え、影のスキルを乱れ撃つ。
その時――
《ゴブリン・リーダーを討伐しました。経験値を獲得しました》
《オーク・ジェネラルを討伐しました。経験値を獲得しました》
《レベルが58から59に上がりました》
(レベルアップ……!!)
敵を倒すごとに、力が、速度が、スキルの威力が、目に見えて上昇していくのを陽斗は感じていた。
《レベルが65に上がりました》
《スキル「影刃」のレベルが55に上昇しました》
《スキル「影縫い」のレベルが53に上昇しました》
「うおおおおおおおっ!」
陽斗は咆哮し、もはや人間業とは思えない速度で戦場を駆け巡る。影刃が閃くたびに、数体のモンスターがまとめて吹き飛ぶ。影縫いが大地を覆い、広範囲の敵の動きを封じる。
どれほどの時間が経っただろうか。
気づけば、あれほどいたモンスターの群れは、陽斗の手によって殲滅されていた。
夥しい数のモンスターの死骸が転がる中、立っているのは陽斗と、全身傷だらけで肩で息をする岩田だけだった。
「はぁ……はぁ……やったのか……? 生き残ったのは、俺たちだけ、か……」
岩田が、呆然としながらも、安堵と疲労の入り混じった声で呟く。
だが、休む間もなく、空間の奥、巨大な扉のような岩がゆっくりと開き、真の絶望が姿を現した。
現れたのはダンジョンボス、グレート・リザード。
全長10メートルを超える巨大なトカゲ型のモンスターだ。その全身は溶岩のように赤黒い鱗で覆われ、口からは灼熱のブレスを吐き出す。その威圧感は、先ほどの未知のモンスターや、レッドドラゴンにすら匹敵するかもしれない。
「……ボス、か」
陽斗は、疲労困憊ながらも、レベルアップによって研ぎ澄まされた感覚でボスを見据える。隣では、岩田がゴクリと息を呑む音が聞こえた。
「黒崎君……」
岩田が、震える声で陽斗の名を呼んだ。
「なあ、陽斗君。俺は……君に酷いことを言った……。本当に、すまなかった……!」
岩田は、陽斗に向き直り、深く頭を下げた。
「君みたいな本物のハンターを、俺は……。だが、今は謝ってる場合じゃねえな」
岩田は顔を上げ、覚悟を決めた目でボスを睨みつけた。
「黒崎君、俺も戦う! D級なりに、意地を見せてやる! 生きて帰るぞ!」
その目には、恐怖と共に、ハンターとしての矜持が宿っていた。陽斗は、何も言わずに小さく頷いた。
「グオオオオオ!」
グレート・リザードが咆哮し、戦闘が開始された。
「行くぞ、岩田さん!」
「おう!」
陽斗が影潜みで姿を消し、ボスの側面や背後から影刃で攻撃を仕掛ける。
岩田は、ボスの注意を引きつけるように、正面からハンマーを叩きつけ、陽動を行う。二人の連携は決して完璧ではなかったが、必死さは伝わってきた。
「そら! こっちだ、デカブツ!」
岩田は、ボスの灼熱のブレスや薙ぎ払う尻尾を、必死に転がりながら回避し、挑発するように叫び続ける。彼の奮闘のおかげで、陽斗は比較的自由に動き回り、ボスにダメージを蓄積させることができていた。
しかし、D級ハンターとボスとの地力差は明らかだ。岩田の動きは徐々に鈍り、息も上がっていく。回避しきれない攻撃が掠め、彼の体には傷が増えていった。
「岩田さん、無理しないで!」
陽斗が叫ぶ。
「へへ……まだ、やれるさ……!」
岩田は強がって見せるが、その顔は苦痛に歪んでいた。
その時だった。ボスが巨大な前脚で薙ぎ払う攻撃を仕掛けてきた。岩田はそれをバックステップで回避しようとしたが、疲労で足がもつれたのか、あるいはモンスターの死骸に足を取られたのか、大きく体勢を崩してしまう。
「しまっ……!?」
それは、ほんの一瞬の隙。だが、ボスはその隙を見逃さなかった。
グレート・リザードの巨大な顎が、がら空きになった岩田の胴体目掛けて、猛スピードで襲いかかる!
「岩田さーーーーんっ!!」
陽斗が咄嗟に影縫いを放つが、間に合わない。
ゴシャッ、という鈍い音と共に、岩田の体はボスの牙に噛み砕かれた。
「がはっ……ぁ……」
岩田は、信じられないといった顔で陽斗を見つめ、そして力なく崩れ落ちた。
即死だった。
「…………」
陽斗は、目の前で起きた光景に、一瞬、思考が停止した。そして、次の瞬間、激しい怒りが全身を駆け巡った。それは、冷静さを失わせる激昂ではなく、憎悪と覚悟がない交ぜになった、冷たい怒りだった。
「……許さない」
静かに呟くと、陽斗の瞳の色が変わったように見えた。レベルアップで得た力と、岩田を含む仲間たちの死を背負い、陽斗は一人、巨大なボスへと向き直る。
そこからは、死闘だった。
陽斗は影潜みでボスの攻撃を回避し、影刃で鱗の隙間を狙う。レベルアップしたスキルは強力だが、ボスの防御力と再生能力も凄まじい。灼熱のブレスが洞窟を焼き、巨大な爪が陽斗を何度も襲う。
陽斗は何度も吹き飛ばされ、血を流し、意識が遠のきそうになる。だが、そのたびに、母の顔、妹の笑顔、そして散っていった仲間たちの顔が脳裏をよぎり、彼を奮い立たせた。岩田の最後の表情も、焼き付いて離れない。
(まだだ……まだ、終われない……!)
最後の力を振り絞り、陽斗は最大のスキルを発動させる。
(喰らえ……! これが、俺の全力だ!)
渾身の力を込めた影刃が、ボスの喉元――わずかに剥き出しになった弱点へと突き刺さる。
「グギャアアアアアアアアアアアッ!!!」
グレート・リザードは、断末魔の咆哮を上げ、その巨体をゆっくりと大地に沈めた。
「…………はぁ……はぁ……」
陽斗は、その場に膝から崩れ落ちた。全身が痛み、疲労は限界を超えている。
その時――
《ダンジョンボス:グレート・リザードを討伐しました》
《レベルが65から68に上がりました》
(レベル……68……。スキルレベルも、また上がった……)
レベルアップの通知と共に、消耗しきった体に、わずかながら力が戻ってくるような感覚があった。傷が完全に癒えるわけではないが、立ち上がる力は得られたようだ。
だが、勝ったのだ。
しばらくして、陽斗はふらつきながら立ち上がった。夥しい数のモンスターの死骸と、無残な姿となった岩田の亡骸を見渡し、唇を噛み締める。
そして、重傷のリーダーたちが待つ、ゲート入り口へと、重い足取りで戻り始めた。
ゲートの青い渦は、先ほどまでとは違い、静かに揺らめき、外の光をわずかに通しているようだった。ロックは解除されたのだ。
陽斗がリーダーたちの元へたどり着くと、待機していた全員が、驚きと安堵、そして不安が入り混じった表情で彼を迎えた。リーダーが、かすれた声で尋ねる。
「黒崎君……! 無事だったか……! ボスは……? それに、岩田君たちは……?」
陽斗は、力なく首を横に振った。
「ボスは……倒しました。ですが……」
その言葉だけで、岩田たちの結末は伝わった。阿部さんが小さく悲鳴を上げ、他の軽傷者たちも顔を伏せる。
リーダーは目を見開き、そして深く目を閉じた。犠牲は、あまりにも大きかった。
陽斗は、待機していた生存者たちを見渡す。リーダー、阿部さん、そして他に5名のハンター。皆、疲弊しきっている。
「……帰りましょう。ここから出られます」
陽斗が促すと、生存者たちは互いに支え合いながら、ゆっくりと立ち上がった。
陽斗を先頭に、彼らは重い足取りで、解放されたゲートの渦へと足を踏み入れた。生還の喜びよりも、失ったものの重さと、このD級ゲートで起きた異常事態の爪痕が、生存者たちの心を深く抉っていた。