17. 絶望
洞窟内に響くのは、荒い呼吸と、恐怖に引き攣る声だけだった。
未知のモンスターは倒されたが、C級ハンターを含む犠牲者を出し、パーティーのリーダーも深手を負っている。
そして、その元凶であるはずの化け物を倒したのは、誰もが侮っていたF級ハンター、黒崎陽斗だった。
「お……おま……いったい……」
腰を抜かしたままの岩田が、かろうじて言葉を絞り出す。その目は、先ほどまでの侮蔑とは全く違う、恐怖と畏敬、そして理解不能なものを見る色をしていた。
陽斗は、そんな岩田や他の生存者たちを一瞥すると、冷静に状況を確認し始めた。
「……感傷に浸っている場合じゃありません。まずはリーダーの手当てを。動ける人は、周囲の警戒をお願いします」
その落ち着き払った声に、呆然としていた他のハンターたちも、はっと我に返る。陽斗の言葉には、有無を言わせぬ説得力があった。
「は、はい! 黒崎さんの言う通りに!」
「わ、分かった!」
岩田を含む数人が負傷したリーダーに駆け寄る。その中から、腕に緑十字の腕章をつけた若い女性ハンターが進み出た。
「わ、私がやります! ヒーラーの阿部です!」
D級ヒーラーの阿部は、震える手でリーダーの脇腹の傷を確認すると、すぐに両手をかざし、治癒スキルを発動させた。
「癒しの光よ……ヒール!」
淡い緑色の光が阿部の手のひらから放たれ、リーダーの傷口を包み込む。夥しかった出血が少しずつ止まり、リーダーの苦悶の表情もわずかに和らいだ。
しかし、傷はあまりにも深い。阿部は必死に魔力を注ぎ続けるが、額には脂汗が浮かび、顔色が悪くなっていく。
「くっ……! すみません、私の魔力では、これが限界で……。完全には塞げません……!」
息を切らしながら阿部が言う。リーダーは、まだ顔面蒼白ではあったが、かろうじて頷いた。
「いや……十分だ、阿部さん。おかげで、少し楽になった……。ありがとう……」
リーダーは、痛みと出血で消耗しながらも、意識を取り戻そうとしていた。
「黒崎君……すまない、助かった……」
彼は陽斗に礼を言った。その声には、もはや陽斗を格下として見る響きはない。
「今は回復に専念してください。……ここは危険すぎます。すぐに撤退しましょう」
陽斗の提案に、異を唱える者はいなかった。先ほどの未知のモンスターが一体だけとは限らない。一刻も早く、この呪われた洞窟から脱出すべきだ。
生存者たちは互いに協力し、リーダーを担架代わりの布に乗せて運び始めた。岩田も必死に手伝っている。陽斗は最後尾につき、常に周囲への警戒を怠らない。
幸い、新たなモンスターに遭遇することはなく、一行は来た道を引き返し、ようやく見覚えのある場所までたどり着いた。洞窟の入り口、ゲートである青い渦が、すぐそこに見えている。
「……見えた! 出口だ!」
「助かった……!」
「早く外へ……!」
安堵の声が漏れる。誰もが、一刻も早くこの悪夢のような場所から抜け出したかった。先頭を歩いていたハンターの一人が、勢いよくゲートの渦に駆け寄る。
「お先に失礼しま――」
しかし、そのハンターは、渦に触れた瞬間、見えない壁に弾かれたように後ずさった。
「……え?」
「どうしたんだ!?」
「な、なんだ……? 出られない……!?」
他のハンターも次々に渦に触れるが、結果は同じだった。まるで硬いガラスでもあるかのように、ゲートは彼らの通過を拒んでいる。
「嘘だろ!? なんで出られないんだ!」
「おい! どうなってやがる!」
混乱と焦りが、再び一行を支配する。生還できると安堵した直後だっただけに、その絶望感は計り知れない。
「ま、まさか……」
壁に寄りかかり、荒い息をついていたリーダーが、苦々しい顔で呟いた。
「『ロックアウト』……型のゲート、だというのか……?」
「ロックアウト型?」
「なんだそりゃ!?」
聞き慣れない言葉に、他のハンターが問いかける。
「稀に存在する特殊なゲートだ……。一度侵入すると、特定の条件をクリアするまで、外部から遮断され、脱出も不可能になる……。その条件は、通常……」
リーダーは、絶望的な言葉を続ける。
「……ゲート内のボスモンスターを討伐することだ」
その言葉に、洞窟内は水を打ったように静まり返った。ボス討伐が脱出条件。それはつまり、あの未知のモンスターよりもさらに強いかもしれないボスを倒さなければ、ここから生きては出られないということを意味していた。
「じょ、冗談じゃない……!」
「ボスだって!? あの化け物より強いかもしれないんだぞ!」
「リーダーは重傷だし……もう無理だ……!」
「俺たち、ここで死ぬのか……?」
完全に戦意を喪失し、その場にへたり込む者、壁に頭を打ち付けて嘆く者。先ほどまでの協力体制は崩壊し、絶望が伝染していく。岩田も、顔面蒼白で「お、終わりだ……」と呟いている。
食料や水も残り少ない。ヒーラーの阿部も先ほどの治療で魔力を消耗しているだろう。まさに八方塞がりの状況だった。
そんな絶望的な空気の中、陽斗だけが、静かに思考を巡らせていた。
母さんの病気。美亜の笑顔。帰ると約束した場所。
(……ここで、終わるわけにはいかない)
陽斗は、強く拳を握りしめた。未知のモンスターは強かった。ボスはそれ以上かもしれない。だが、今の自分には「シンクロ・ワールド」で得た力がある。そして、何より、守るべき者のために戦う理由がある。
陽斗は、絶望に打ちひしがれるハンターたちを見渡し、静かに、しかし確固たる意志を持って口を開いた。
「……やるしかないようですね。ボスを倒して、ここから出ます」
その言葉は、あまりにも現実離れしていて、しかし、この場にいる唯一の希望のようにも聞こえた。生存者たちは、力なく陽斗の顔を見上げる。彼の目に宿る、諦めを知らない強い光に、わずかな望みを託すかのように。