16. D級ゲート
「よし、時間だ! ブリーフィングを始める!」
リーダー役を務めるB級ハンターが、パンパンと手を叩いて他のハンターたちを集めた。陽斗は岩田たちから少し離れた後方で、静かにその声に耳を傾ける。
リーダー役のハンターがテキパキと指示を飛ばしていく。そして、一通りの説明が終わると、参加者リストに目を落とし、陽斗の名前を読み上げた。
「……それから、F級の黒崎君」
「はい」
陽斗が返事をすると、リーダーは少し困ったような、それでいて事務的な口調で言った。
「君は基本的に後方待機。戦闘には極力参加せず、負傷者が出た場合のサポートや、ドロップアイテムの回収補助を頼む」
予想通りの指示だった。F級ハンターに対する扱いは、どこへ行ってもこんなものなのだろう。周囲からは、やはりな、といった視線や、憐れむような視線が送られてくる。岩田がこちらを見て、鼻で笑うのが見えた。
(今はまだ、それでいい……)
陽斗は反論せず、黙って頷いた。今は目立つ必要はない。いざという時に動ければそれでいい。
「よし、各自準備はいいな? 突入する!」
リーダーの号令一下、ハンターたちは次々と廃工場の奥にある青い渦――ゲートへと吸い込まれていく。陽斗も列の後方に続き、湿った異世界の空気へと身を投じた。
ゲート内部は、じめじめとした洞窟だった。壁や天井からは苔むした水滴が滴り落ち、腐葉土とカビの混じったような淀んだ匂いが漂っている。
視界は悪く、ハンターたちが持つライトの光だけが頼りだ。
「警戒を怠るな! いつ出てきてもおかしくないぞ!」
先頭を行くリーダーの声が、洞窟内に反響する。その言葉通り、一行が少し進んだところで、前方の暗がりから複数の影が蠢いた。
「グルルル……」
「ゴブリンだ! 数は……6、7体!」
斥候役のハンターが報告する。D級ゲートのゴブリンは、E級のものより一回り大きく、目つきも凶暴そうだ。
「ふん、ゴブリンか。雑魚だな」
「さっさと片付けるぞ!」
リーダーや岩田をはじめとする前衛のハンターたちが、手慣れた様子でゴブリンの群れに突っ込んでいく。
岩田は巨大なハンマーを振り回し、ゴブリンを面白いように殴り飛ばす。他のハンターたちも危なげなく連携し、あっという間にゴブリンは掃討された。まるでウォーミングアップにすらならないといった様子だ。
その後方で、陽斗は別の意味で驚きを感じていた。
(ゴブリン……シンクロ・ワールドで遭遇したやつらと、そっくりじゃないか……!)
姿形、動き、そして放つ気配まで。ゲームで嫌というほど戦ったモンスターと瓜二つだ。単なる偶然の一致とは思えない。
(やっぱり、「シンクロ・ワールド」とこの現実のゲートは、何か深い繋がりがあるのか……?)
陽斗の疑問は深まるばかりだった。
最初の遭遇戦があまりにも呆気なかったためか、一行にはわずかな油断が生まれていた。道中はその後、特に危険なモンスターも現れず、順調に洞窟の奥へと進んでいく。
「なんだ、今回のD級は楽勝かもな」
「ボスまでこの調子だといいんだが」
そんな軽口が聞こえ始めた矢先だった。一行がやや開けた空間に出た瞬間、空気が一変した。
じめじめとした生温かい空気から、肌を刺すような冷気と、濃密な殺意が漂ってくる。
「な、なんだ……!?」
「この気配……まずいぞ!」
ハンターたちが武器を構え直したその時、空間の奥の暗闇から、“それ”はゆっくりと姿を現した。
全長3メートルはあろうかという、漆黒の体毛に覆われた四足獣。爬虫類のような縦長の瞳が複数、不気味に輝き、鋭利な爪が岩盤を引っ掻く音が響く。口からは絶えず腐臭を伴う黒い瘴気が漏れ出ており、存在そのものが死を振りまいているかのようだ。
データにない、完全な未知のモンスターだった。
「見たことないモンスターだ……! 総員、最大警戒!」
リーダーが叫ぶ。その声には明らかな焦りが滲んでいた。
「くっ、先手必勝よ!」
パーティーにいたC級の女性魔法使いである竹田が、いち早く杖を構え、詠唱を開始する。彼女はこのパーティーの中ではリーダーに次ぐ実力者だった。
「サンダーランス!」
眩い光と共に、強力な雷の槍がモンスター目掛けて放たれる。直撃すれば、D級モンスターなら動きを止められるはずの一撃。
しかし――
「――!?」
モンスターは雷槍が迫る刹那、陽斗ですら目で追うのがやっとというほどの速度で横に跳躍し、攻撃を回避した。そして、着地と同時に、漆黒の影のように竹田へと突進する。
「きゃあああっ!?」
竹田が悲鳴を上げる間もなかった。モンスターの鋭利な爪が一閃し、彼女の体を、まるで紙のように容易く切り裂いた。鮮血が舞い、竹田は声もなく崩れ落ちる。
即死だった。
「た、竹田さんが……!?」
「うそだろ……!? C級が一瞬で……!?」
「なんなんだよこいつは!? D級ゲートのモンスターじゃない!」
「に、逃げないと……!」
目の前で起きた惨劇に、ハンターたちは完全にパニックに陥った。格上のC級ハンターが一撃で殺されたという事実が、彼らの戦意を根こそぎ奪っていく。
「落ち着け! 陣形を立て直せ! こいつは俺たちが相手をする!」
リーダーが必死に叫び、自らモンスターへと斬りかかる。岩田も恐怖に顔を引き攣らせながら、ヤケクソ気味にハンマーを振り回す。他の数人のハンターも、リーダーに続く形で必死に応戦するが、明らかに力量差がありすぎた。
モンスターの動きは俊敏かつ獰猛で、ハンターたちの攻撃はほとんど当たらない。逆に、モンスターの爪や牙による攻撃は的確で、掠めただけでも重傷を負ってしまう。
「ぐあああああっ!」
連携が乱れた一瞬の隙を突かれ、リーダーの脇腹をモンスターの爪が深く抉った。大量の血を流し、彼はその場に膝をつく。
「リ、リーダー!?」
「くそっ、ここまでか……!」
リーダーの負傷で、戦線は完全に崩壊した。ハンターたちは蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
「ひぃぃぃっ!」
岩田も例外ではなかった。仲間を見捨てて逃げようとしたが、運悪くモンスターに狙いをつけられてしまう。
「う、うわあああああ! 誰か! 助けてくれぇぇぇ!」
モンスターが岩田に飛びかかる。巨大な顎が、岩田の頭を砕こうと開かれた。岩田は腰を抜かし、情けない悲鳴を上げることしかできない。
(……仕方ない)
後方で冷静に戦況を見極めていた陽斗は、短く息を吐くと、地を蹴った。
(影潜み!)
陽斗の気配が完全に消える。モンスターは岩田に意識を集中しており、陽斗の接近に全く気づかない。
岩田にモンスターの牙が届く寸前、陽斗はその側面に回り込んでいた。
(影刃!)
右手に、黒い影で形成された鋭利な刃が出現する。これは「シンクロ・ワールド」で使い慣れたスキル。現実世界でも、陽斗の意思に応じて確かな形を成した。
「――ッ!?」
陽斗は、強化された身体能力を最大限に活かし、モンスターの脇腹、硬そうな外皮のわずかな隙間に、寸分の狂いもなく影刃を突き立てた!
「ギシャアアアアアアアアアッ!!」
未知のモンスターは、初めて苦悶の絶叫を上げた。影刃は物理的な防御をある程度無視してダメージを与える特性があるのか、硬い外皮を貫通し、内部に深刻なダメージを与えたようだった。
モンスターはたまらず岩田から離れ、陽斗の方を睨みつける。複数の目が、初めて陽斗という存在を明確に捉え、激しい敵意を向けてきた。
「……!」
陽斗は冷静にモンスターと対峙する。
次の瞬間、モンスターは陽斗に向かって突進してきた。先ほどC級の魔法使いを屠った、恐るべき速度で。
だが、今の陽斗には、その動きが見えていた。
(遅い――!)
陽斗は紙一重でモンスターの爪を躱し、すれ違いざまに、再び影刃で斬りつける。浅いが、確実にダメージを与えていく。
モンスターは陽斗の素早い動きに翻弄され、焦っているようだった。苛立ちまぎれに周囲に瘴気を撒き散らすが、陽斗は距離を取ってそれを回避する。
(一気に決める……!)
陽斗はチャンスをうかがう。モンスターが再度突進してきたタイミングに合わせ、陽斗も前に出る。そして、すれ違う瞬間、スキルを発動した。
(影縫い!)
陽斗の足元から伸びた影が、モンスターの影に絡みつき、その動きを一瞬だけ拘束する。
「ギッ!?」
動きを止められたモンスターの、がら空きになった首元へ、陽斗は渾身の力を込めた影刃を叩き込んだ。
ズブリ、と鈍い手応え。
「ギ……ギ……」
未知のモンスターは、信じられないといったように陽斗を見つめ、やがて動きを止めると、巨体をゆっくりと地面に横たえた。黒い瘴気も霧散していく。
洞窟内に、再び静寂が戻った。
生き残ったハンターたちは、目の前で起こったことが信じられず、ただ呆然と立ち尽くしていた。負傷したリーダーも、痛みを忘れて陽斗を見つめている。
そして、腰を抜かしたままの岩田は、口をパクパクさせながら、自分を助けた、そしてあの化け物を一人で倒してしまったF級の少年を、恐怖と畏敬の入り混じった目で見上げていた。
「お……おま……いったい……」
かろうじて絞り出した岩田の声は、震えていた。