11. ログインしますか?
「黒崎君、覚悟はいいわね」
陽斗の前に立った田中が、まっすぐな視線を向けてきた。以前、陽斗が昏睡状態から目覚めた時に対応してくれた、あの女性研究員だ。今日は白衣ではなく、動きやすそうなトレーニングウェアを着ている。
「はい、もちろんです」
陽斗は、力強く答えた。
「私は主に身体能力の向上を担当する……ついてこれるかしら」
田中の言葉に、陽斗は少しだけ不安を感じた。しかし、すぐにそれを打ち消すように、力強く頷いた。
「やれるだけ、やってみます」
「よし……緑川君は」
田中が、隣に立っている青年に視線を移した。
「俺はスキル面での指導を担当する。よろしくな、黒崎」
緑川は、ラフな服装に身を包んだ、陽斗と同年代くらいの青年だ。気さくな笑顔が印象的だが、その目は鋭い。
「よろしくお願いします」
陽斗は、二人に向かって深々と頭を下げた。
「黒崎君、君の目標は明確だ。まずは、自身の能力を完全に制御できるようになること。そして、レベルアップを通じて、その能力を最大限に引き出すこと。最終的には、君の力が、ゲートの謎を解き明かす鍵となる……我々はそう信じている」
衡田博士の言葉に、陽斗は改めて決意を固めた。
その日から、陽斗のシンクロニカ社でのトレーニングが始まった。
午前中は、田中による徹底的な基礎体力トレーニング。ランニングマシンでの持久走、様々な器具を使った筋力トレーニング、そして入念なストレッチ。
普段運動を全くしてこなかった陽斗にとって、それは地獄のような時間だった。
「はぁ、はぁ……もう、無理……」
開始から数分で、陽斗は息を切らし、床に倒れ込む。
「黒崎君、まだ始まったばかりよ! 諦めないで」
田中は、容赦なく陽斗を叱咤する。その声は厳しいが、どこか温かい。
午後は、緑川によるスキル訓練。まずは、影刃と影縫いの発動を安定させるための練習。陽斗は、緑川の指示に従い、何度も何度もスキルを発動させようと試みる。
「もっと集中しろ! 影を操るイメージを、もっと強く……」
緑川の指導は、的確だが、時に抽象的だ。陽斗は、頭の中で様々なイメージを思い浮かべながら、影を操ろうとする。
最初は失敗ばかりだった。影刃は形にならず、影縫いはすぐに消えてしまう。しかし、陽斗は諦めなかった。
トレーニングの合間には、必ず母の病院を訪れた。
「母さん、今日も頑張ってきたよ……少しずつだけど、強くなってる気がする」
陽斗は、ベッドに横たわる母に、その日の出来事を報告する。母の病状は、シンクロニカ社の紹介してくれた病院のおかげで、安定していた。しかし、完治には至っていない。
「……早く、母さんを楽にしてあげたい……」
陽斗は、母の手を握りしめながら、心の中で強く誓った。
そして、ある日のトレーニング中。陽斗は、いつものように影刃を発動させようとした。
ピン!
突然、陽斗の目の前に、あの半透明のウィンドウが現れた。
《レベルが上がりました!》
《ステータスが更新されました》
陽斗は、ウィンドウに表示されたステータスを、声に出して読み上げた。
「えっと……レベルが3から4に……HP、MP、攻撃力、防御力、素早さ……全部上がってる……スキルは、まだレベル2のままだ……」
衡田、田中、緑川は、陽斗の言葉に耳を傾けているが、ウィンドウは見えていないようだ。
それからも、陽斗はトレーニングに励んだ。そして、レベルアップの度に、ウィンドウが現れ、ステータスが更新されていくのを、陽斗だけが確認した。
一週間後。
陽斗のレベルは、18に到達していた。
最初はついていくのがやっとだったトレーニングも、今では楽々とこなせるようになっていた。身体には薄っすらと筋肉がつき、体力も格段に向上している。
スキルも、目覚ましい進歩を遂げていた。影刃は、より鋭く、より大きく、そしてより長い時間、形を保てるようになった。影縫いも、複数の影を同時に操り、複雑な動きをさせることができるようになっている。
陽斗は、改めて自分のステータス画面をまじまじと見つめた。
(そういえば、装備に鋼鉄製の短剣って書いてあるけど……)
陽斗は、ステータス画面の「装備」の項目に目が留まった。今まで気にも留めていなかったが、これは、ゲームの中で自分が使っていた短剣ではないか。
(まさか……とは思うけど……)
陽斗は、おもむろに右手を前に突き出し、ゲームの中で愛用していた、あの鋼鉄製の短剣を強くイメージした。柄の感触、刃の重さ、冷たい金属の質感……。
すると、どうだろう。
今まで何もなかったはずの陽斗の右手に、鈍い銀色の光を放つ短剣が、確かに握られていた。
「……うそだろ……」
陽斗は、自分の目を疑った。目の前にあるのは、紛れもなく、ゲームの中で使っていた、あの鋼鉄製の短剣だ。
陽斗は、短剣を握りしめ、軽く振ってみる。ずしりとした重みが、心地よい。
(これって……もしかして、他の装備も……?)
陽斗は、新たな可能性に気づき、胸を高鳴らせた。しかし、今はまだ、この力を他の人に見せるべきではない、と本能的に感じた。
陽斗は、短剣を消すことをイメージする。すると、まるで最初から何もなかったかのように、短剣は陽斗の手の中から忽然と姿を消した。
(消えた……やっぱり、これは……)
陽斗は、自分の能力の秘密を、さらに深く探求する必要があると感じた。
「黒崎君、素晴らしい成長だ。しかし……」
その日のトレーニング後、衡田博士が陽斗に声をかけた。
「最近、レベルアップのペースが落ちてきているね」
陽斗も、それは感じていた。最初は頻繁に現れていたウィンドウが、最近では、ほとんど表示されなくなっていた。
「……はい……何か、原因があるんでしょうか」
「おそらく、君の能力が、現在のトレーニング内容に慣れてしまったのだろう……我々のデータと照らし合わせた結果、一つの仮説が浮かび上がってきた」
衡田博士は、そこで言葉を切り、陽斗を見つめた。
「実戦経験……つまり、モンスターとの戦闘が、レベルアップの最も重要な要素なのではないか、と」
「……! それって……」
「ああ。君には、再びハンターとして、ゲートに挑んでもらいたい」
陽斗は、衡田博士の言葉に、一瞬、躊躇した。しかし、すぐに決意を固めた。
「……わかりました」
陽斗の力強い返事に、衡田博士は満足そうに頷いた。
「よし。では、早速準備に取り掛かろう。田中君、緑川君、彼を頼む」
「「はい!」」
田中と緑川は、力強く返事をすると、陽斗に向かって微笑んだ。
「黒崎君、しっかりサポートするから、安心して」
「俺たちはハンターじゃないから、一緒には行けないけどな。まあ、頑張ろうぜ」
二人の言葉に、陽斗は勇気づけられた。
その日の夕方、陽斗は母の病院を訪れた。
「母さん、来たよ」
陽斗は、ベッドに横たわる母に、優しく声をかける。母は、静かに眠っていた。以前よりも、顔色が悪いように見える。
「……母さん、ごめん。俺、もっと強くならなきゃ……」
陽斗は、母の手を握りしめながら、掠れた声で呟いた。
「必ず、母さんを助け出す方法を見つけてやる……だから、もう少しだけ、頑張ってくれ……」
陽斗は、母の顔を見つめながら、改めて決意を固めた。
病院からの帰り道、陽斗は、ふと、ある考えが頭をよぎった。
「そういえば……ゲームの世界のスキルが、こっちでも使えるってことは……もしかして、ゲームの世界でレベルアップすれば、現実世界でもレベルアップする……ってことか」
陽斗は、独り言を呟いた。
その瞬間――
ピン!
陽斗の目の前に、再び、あの半透明のウィンドウが現れた。
《その通りです。ログインしますか?》
「……え」
陽斗は、突然のことに、一瞬、言葉を失った。
《YES》 《NO》
ウィンドウには、二つの選択肢が表示されている。
(ログイン……? まてよ、もしこれが本当なら……母さんを助けるために、もっと早く強くなれるかもしれない。でも……)
陽斗の脳裏に、様々な考えが駆け巡る。
ゲームの世界は、現実とは違う。モンスターもいれば、危険も伴う。もしかしたら、二度と戻ってこられないかもしれない。
しかし、それでも……陽斗には、迷っている時間はない。
(母さんのためなら……!)
陽斗は、震える声で、はっきりと告げた。
「……YES」
陽斗がそう答えると、視界が一瞬にして真っ暗になった。




