第7話 恋心
真白視点です。
よろしくお願いします。
※この作品は「カクヨム」様、「アルファポリス」様にも掲載させていただいています。
遂に藤堂臣との決戦日を迎えた真白はうんざりしていた。
「ほんっっとうに送らなくていいのか?」
「歩いて行くからいいよ」
「影は連れて行くよな?」
「連れて行かないよ。今日は休み」
納得のいかない答えに海は不満をもらす。朝から三十分おきに繰り返されるやりとりを重ね、気が付けば正午を回り家を出る時間に迫っている。元々心配性の彼だがここまでくるとこちらが心配になるレベルだ。真白はいつものトートバッグにスケッチブックとペンなど必要最低限の物をしまう。玄関にはいつもの面子が見送りをしようと集まる。
「ほんっっとうに送らなくて…」
「和海」
再度聞いてこようとするのを月城春が笑顔で制する。
「あんまりしつこいと嫌われっちまうぞ」
海の肩に手を置いてからかうように笑う凰士朗は確実にこの状況を楽しんでいる。彼の手を払いのけ不機嫌な様子で部屋へ戻ってしまう。
「凰士朗がからかうから不機嫌になった」
「いやいや俺のせいじゃねーって」
そう主張しながらも全員からの視線に耐えられなくなったのだろう。軽く頭を掻きながら「しゃーねぇな」と言って彼の後を追いかけていった。
「こっちの事は気にしないで楽しんできてね」
「じゃあ春兄、影行ってきます」
玄関を開け、見送りをする皆に手を振り家を出た。
◇
待ち合わせ時間二十分前。真白は某所駅前の柱で隠れていた。目の前には約束時間前にも関わらず黒のトレンチコートに身を包み待つ臣の姿があった。仏頂面で近寄りがたい雰囲気を纏いながらも隠しきれない美形は通る人の目を奪う。特に女性は目がハートになっているような気がする。
「お兄さん一人ですか〜?」
「よかったら連絡先教えてください」
通り過ぎる人が大勢いる中、若い二人の女性が彼に声をかける。一人はブロンズの髪を毛先だけ緩く巻き、耳には大きめのピアス。短めのコートにショートパンツで生脚を露わにし、ヒールのついたブーツを履く女性。もう一人は黒髪をハーフアップにし、首もとには控えめに光るネックレス。ロングコートにロングスカートという清楚系の服を着ていた。きっと近くの大学生とかだろう。
真白はふと視線を落とし、自身の服を見直す。普段と変わらず大きめのパーカーにスキニーのズボンという洒落っ気のない格好。イヤーカフも今は外しているのでアクセサリーは一つも身につけていない。唯一のお洒落といえばコートにファーがついている程度だ。
(お洒落…してくればよかったかな)
そんな考えに陥る自分に気付き首を振る。
(いやいや、もうこれで会うのは最後だし気にする必要はないはず)
しっかりしなければと頬を叩き、気合いを入れ直す。
「人を待ってるんで」
彼女達の誘いを断る臣だが、相手も諦めない。
「でも、お兄さんずぅ〜と前からここで待ってるよ?相手来ないんじゃな〜?」
「そ、それなら私達と遊びに行きませんか?」
一体何時からいるんだという疑問はさておき。断り続ける彼の手を握り、連れて行こうと引っ張る。繋がれた手を見ると何故か胸に棘が刺さったみたいに痛む。思わず目を背ける。
(どこか悪いのかな?)
その理由はまだわからないまま。
「真白さん。来ていたんですね。気付かなくてすいません」
「……!」
突如かけられた声に驚いて口から心臓が出そうになる。振り返るとそこには臣が立っていた。慌てて紙を取り出し挨拶文を書く。先までの仏頂面はどこへいったのか。ぐちゃぐちゃな文字を見て頬を緩め控えめに笑う。いつものオールバックではなく髪を下ろした彼は少し子供っぽく見える。
「ま、待ち合わせの人来ちゃいましたね」
「え〜。てかあの程度ならウチらの方が可愛いじゃんね〜」
誘っていた女性二人組の言葉に傷が抉られるような感覚に陥る。臣は振り返ると彼女達は「ヤバいじゃん。行こ」という声と共に走り去った。
「早速行きましょうか」
◇
無事何事もなく水族館に着いた真白と臣は入口で揉めていた。
『チケット代払います』
「これは俺が事前に用意していただけなので真白さんは気にしないでください」
事前に用意されているというのは一般的な女性にとって嬉しい事かもしれないが、今回で金の貸し借りをなくしたい真白にとっては有難迷惑だった。
「じゃあ夕御飯は奢ってもらってもいいですか?」
臣の提案にそれならと頷く。上手く言いくるめられた気もしたがいつまでも揉めている訳にはいかないなと自身に言い聞かせ、入館へ進んだ。
「手を繋ぎませんか?」
入館直後、手を差し伸べる彼がそんな事を言う。真剣な表情で冗談を言っているようには見えない。意図がわからず首を傾げた。
「この人混みです。はぐれたら大変ですから」
確かに土曜日の水族館は人が多く、万一にもはぐれたら二度と巡り会えなさそうだ。真白は恐る恐る手を重ねる。彼の手は少し汗ばんでいた。顔をほんのり赤くしている臣につられてしまう。
始めこそ緊張してたものの、色々見て回っている中で楽しさが勝ち満喫していた。
「先に進みますか?」
その問いかけに真白は臣の手を一回強く握る。その反応で彼はゆっくり歩き出す。
人混みの多さからノートを出し、文字を書くのが困難な彼女を想った彼の提案で問いかけに対しイエスなら一回、ノーなら二回手を強く握ることになった。優しさでされた提案だが、本来なら言葉を話せる真白にとっては少々良心が痛んだ。
「次何見たい?」
「え〜! じゃあペンギン!」
「僕も同じ! 行こっか!」
恋人繋ぎで楽しそうに話すカップルを見て、自分もいつかそんな日が来るのだろうかと思う。その相手は臣だったらいいのに。
(そんな日が来るわけもないのに)
喉の奥が痛い。何故か涙が出そうになるのを必死に堪え俯く。
「どうしましたか?」
心配そうな彼の声が降ってくる。なんでもないと伝えたくて手を離しトートバッグを開く。スケッチブックを取り出そうとした時、背中を押されるような感覚にバランスを崩す。
「あぶな!」
倒れる程ではなかったが慌てる臣の腕に引き寄せられ、彼の胸に収まる。胸が高鳴り、落ち着かない。
「大丈夫ですか?」
その声に頷かなければと頭ではわかっている。だが、彼の速すぎる鼓動と微かに香る匂いに離れがたいと思ってしまう。
(ああ、私は藤堂臣の事が好きなんだ)
先の女性に話しかけられたのを目撃した時に感じた痛みも、今苦しいくらい高鳴る鼓動も離れがたい気持ちも以前彩花に教えられたものと同じだった。
(この気持ちは駄目だ)
自覚した恋心は伝える事はないだろう。それを寂しいと思いつつも彼の腕の中から離れた。手を取り、指で『大丈夫』と伝える。笑顔を見せると彼は安堵の表情を見せる。
「じゃあ行きましょうか。イルカショーも始まるみたいです」
再び差し出された手を取り、歩き出す。その後はイルカショーや大水槽、お土産などを満喫した。二人が水族館を出る頃には日が沈んでいた。十一月も後半になれば所々でイルミネーションが煌めき、親子連れやカップルが寒空の下でもはしゃいでいる。自分達も端から見れば同じように思われているのだろう。水族館から出たものの離しどきがわからず繋がれたままの手を見つめながら考えていた。
夕御飯はカフェに入ることになった。ご飯物も出せるおすすめの店だと言う。クラシックの流れる落ち着いた雰囲気の店内は真白達以外に客はいなかった。
「いらっしゃいませ! ご注文はお決まりでしょうか?」
ポニーテールに結った髪を揺らしながら注文を聞きに来た女性は愛想良く『本日のおすすめ』と書かれたデミグラスソースのかかったオムライスを勧められる。二人は勧められるままにオムライスを注文した。料理を待つ間、水族館の感想やお土産の話など他愛のない話をする。
(この時間が続けばいいのに)
返事を書く間も文句一つ言わずに待っててくれる臣との時間が好きだ。時間がゆっくり流れているように錯覚してしまう。
「お待たせしました! デミオムライスです!」
目の前に並べられた料理を「美味しい」などと言いながら完食し、デザートまで食べきる。食後に飲み物を勧められ紅茶まで嗜む。食事を終えたあたりから妙に静かになった臣は珈琲を一口だけ飲むと覚悟でも決めたように大きく息を吐いた。
「真白さん。大事な話があります。聞いてくれますか?」
彼の切れ長の目が彼女を捉える。ただ、その瞳は迷うように僅かばかり揺れている。
「俺は…」
言葉を溜める彼に固唾を呑む。
「藤堂組の跡取りなんです」
(……知ってます)
真剣な顔すぎて身構えていた真白にとっては拍子抜けする内容だった。それから彼は藤堂組とはどんな組織で何をしているのかを話始めた。
(素直というか、愚直というか…)
更には部下の話もする。特に二色大雅の話をしている際には時折窓の外を眺め、何かを思い出したようにふと笑う。
(交渉とか向いて無さそう)
春なら一度取り込み外堀を完璧に埋め、逃げ場を全て塞いでから話を始めるだろう。よく若頭が務まっているものだと感心する。
「こんな身なので、肩書きにすり寄ってくる女性が多くて…。真白さんに関して少し調べさせてもらいました。事後承諾ですいません」
誰かがデータベースにハッキングしてきたのはわかっていた。そしてそれは鵤冴久だろうというのも想定内だ。一応頷く真白だが、内心穏やかではない。自分の過去に何を思ったか、途中で途切れたデータに何を思ったか、彼女の心配はそこにある。スケッチブックに手を伸ばし、ペンを握る。
(何を書けば…)
悩む手は大きく骨ばった手に包まれる。熱の籠った瞳に捉えられ、目が離せない。
「生きていてくれて、俺と出会ってくれてありがとうございます」
臣から放たれた言葉に真白の頬を涙が伝う。自身のみが生き残ってしまった事に負い目を感じていた彼女にとって生きているの自体を感謝されるのはあまりにも嬉しかった。
「真白さん」
包まれた手には力が入り、若干震えている。緊張しているのが伝わってくる。
「好きです。俺が危険から真白さんを護ります。何よりも大切にします」
歪む視界でも真っ直ぐに自分を見ているのを感じる。堰を切ったように流れる涙は真白の意思とは反して止まらない。
「共に生きてくれませんか?」
告白を通り越してプロポーズにも聞こえる言葉に勢いのまま頷きそうになるのを自制する。断らなければ。返事は決まっている。書く文字も決まっている。頭では理解していてもペンを握る腕は鉛のように重い。
「返事は今度もらってもいいですか?」
気を遣ったのか、断られると勘付いたのか。彼は少し困ったように笑う。頷くと安堵したのか大きく息を吐き、何事もなかったみたいに世間話に花を咲かせた。落ち着いた頃に店を出て集合場所でもあった駅で解散する。今後会うことはないであろう背中を見送る。
「…私も好きだよ」
決して届くことのない声は突如として降りだした雪とともに儚く消えてしまう。
まさかこの後、僅か数日で再会を果たすなど真白は知る由もなかった。
恋に落ちるとは言いますが実際どんな瞬間なのか、どんな気持ちでどんな感覚なのか。それを考えるのは大変でした。
きっと真白は徐々に惹かれてたけど自覚はなく、ちょっとしたきっかけで一気に自覚したタイプだと考えてます。だから「え、恋に落ちるの一瞬すぎん?」とかは御法度です。