第5話 警告
随分久しぶりになってしまいました。
おかげで最終話まで書けました。
※この作品は「カクヨム」様、「アルファポリス」様にも掲載させていただいています。
結城彩花と浮気男の言い合いの最中、真白の視界に見覚えのある赤髪が入っていた。
(二色大雅? 何でここに?)
更に隣には藤堂臣と鵤冴久の姿も見える。平然としているが、彼女は内心焦りを感じていた。どうやって彩花を連れ、この場を離れようか必死に思考を巡らせる。臣が一歩踏み出す。冷や汗がゆっくりと彼女の背中を伝う。
「もう二度と顔見せないで!」
平手打ちの快音が夜の街に響く。一刻も早くこの場から去りたいが、肩を震わせて涙を零しながら抱きつく彼女を放ってはおけない。
「彩姉、頑張ったね」
背中をさすりながら声をかける。真白の言葉に彼女は何度も頷く。周りにいた見物客も次々と何処かへ行ってしまう。
「帰ろう? 愚痴でもお酒でも何でも付き合うよ」
泣きながら頷くのを立たせ、手を繋ぐ。集まっていた人の流れに便乗するように来た道を引き返す。「何でそんな急いでるの」と戸惑う彼女の手を引き、海と凰士朗の待つ場所へ向かう。
「真白さん!!」
その声は真白の耳に届いていた。だが、ここで振り返るわけにはいかない。海達と合流すると彩花にヘルメットをつけさせバイクに乗り込む。
「海、凰士朗早く出して!」
何かあったのかと聞きたげな顔の二人を無視して出発した。
帰宅後、彩花を部屋に向かわせ海に相手をしてもらう。その間に月城春と凰士朗に彩花といる所を見られた事、鵤冴久もその場にいて自分の顔が割れた可能性を伝えた。
「陽の情報は全て秘匿にしてある。月城組との繋がりを疑われるくらいだよ。心配しなくて大丈夫」
春に頭を撫でられる。彼の言葉と優しい手に落ち着きを取り戻す。
「陽。交代。俺、彩花の相手無理…」
何故か疲れた顔の海が降りてくる。
(そういえば海は彩姉が苦手なんだっけ)
「ひーなーたー! 和海が冷たいー! ひーなーたー!」
遠くからすっかりできあがった彩花の叫びのような声が聞こえてくる。とりあえず返事をして自分の部屋へ戻った。アルコールの匂いが充する部屋では机や床に空いたビール缶が何本も倒れている。
「陽! やっと来た! 飲も!」
顔を赤らめながら次のビール缶を開けている。
「陽も飲んでよ〜」
(今日は長くなりそう…)
渡れたチューハイの缶を少量ずつ飲みながら聞く彩花の話は日が昇るまで続いた。
「やだー! まだ話すの〜飲むの〜」
帰らないと駄々をこねる彩花を車に押し込む。今日は日曜日。明日から仕事の彼女をここに居させたら月曜日に二日酔いどころの話ではないだろう。
「影。よろしくね」
筋骨隆々の男は頷くと運転席に乗り込み発進させる。彼は月城組のナンバースリー、影。普段は護衛として真白に近づく危険を排除している。肉弾戦が得意で体脂肪は僅か四パーセントという驚異の体の持ち主だ。きっとマッチョとは彼のためにある言葉なのだろう。車を見送りながらそんな事を考えていた。
◇
三週間前。春を筆頭に真白と凰士朗、影の四人は月城組元組長・月城秀継の自宅に招待されていた。彼が真白を施設から引き取った本人である。彼女にとっては恩人のようなものだ。彼は突如隠居を始めてからお菓子作りにハマったらしく直近ではウエディングケーキのように何段も積み重なったものを作って大興奮していた。そのせいだろう。現役とは比べられぬ程太りマスコットのような見目になっている。そんな彼には一つ問題がある。
居間のソファで向き合うように座る。目の前には彼の作ったこの秋新作ケーキ、お芋のモンブランが置かれる。真白は一目散に飛びついた。頬張る彼女を嬉しそうに見ながら「翡翠の指輪盗まれちゃった」と軽い口調で告げられる。凰士朗は口に含んでいたお茶を吹き出す。翡翠の指輪とは月城組組長が代々受け継がれる代物だ。本来ならば彼が隠居を決めた時点で春へと渡されるべき物だが、気に入っているらしく中々手放さない。春も指輪に興味がないらしく放っているが、世界で唯一の指輪を盗まれるのは非常事態だ。
「今度はどこの女性ですか?」
ため息をつきながら春が問う。
「偶然会った女の子なんだけどすっごく美人で、お酒進んじゃって」
「はい。それで?」
「あの…春くん。怒っちゃう?」
「いいえ怒りません。その後はどうしたんですか?」
笑顔で聞く春だが、彼のこの顔と言い方は怒っている時のものだ。感情をあまり面に出さず、常に笑顔を保つことを心がけているようだが長年共にいればわかってしまう。
「誘われるままに…。ただ部屋でお酒飲んでからの記憶が全くなくて…起きたら指輪が無くて…彼女もいなくなっちゃって」
隣に座る凰士朗は笑うのを必死に堪えて体が震えている。伝染して笑ってしまいそうなので出来ればやめてほしい。
「女性の名前や特徴は覚えていますか?」
静かに頷きながら渡された紙に名前と特徴を書いていく。途中、順調に綴っていた手が止まる。
「どうしました?」
「うーん…。泣きぼくろがあったのはあの子だったか。その前の子か…。どっちだろうね?」
「知りません。ご自身で思い出してください」
彼の問題点、それは女癖の悪さだ。色々な女に手を出すので誰がどれなのか認識していない。マスコットのような体つきは癒し効果はありそうなもののそこまで魅了されることはないように思える。
(あ、お金か)
行き着いた答えに妙に納得してしまう。頷いていると影が自分のケーキを真白の前に置く。
「いいの?」
「………」
「ありがとう」
置かれたモンブランにフォークを刺し口に運ぶ。二個目だというのに飽きることのない美味しさに感動する。作った本人が向かいで尋問され、小さくなっていなければもっと感動していただろう。
「お前よく影の言ってる事わかるな。俺にはさっぱりだ」
一部始終を見ていた凰士朗が口を出す。影は無口だ。というよりも話すことはほぼない。彼を拾い、十年もの間ずっと共にいる彼女だから言いたい事がわかるのである。
「しっかり思い出してください」
頭を悩ませる秀継と笑顔で問い詰める春。気の毒に思える上、真白には解決する策もあるが自業自得なので擁護は諦める。これで少しでも反省してくれたらと少し願う。
「で、出来たよ…」
尋問が始まって小一時間。若干痩けたような顔をした彼から一枚の紙を渡される。それには女性の名前と特徴の記載がある。それを持ち帰り女性について調べ上げ、三日後には追尾を始めた。
◇
いつもの席から見える女性。名前は高宮凛子。三十五歳。専業主婦。昼間はカフェで時間を潰し、夜にはホストへ行く。その生活を基本的に繰り返す。自慢の身体を露出するような服を纏い、街中でナンパする事もある。きっと秀継もこうやって誘われたのだろう。あれなら誘われるままについていきそうだ。時々声を掛けられれば相手の顔次第でホテルへ行く。彼女の旦那は会社経営者で裕福な暮らしだが、こちらも不倫している。見事なまでの仮面夫婦だ。
ナンパされていた女性を助け、藤堂臣に会うなどトラブルはあったもののそれ以外の問題もなく、この二週間様子を観察している。彼女は翡翠の指輪を相当気に入っているのか肌身離さず身につけている。売るような素振りがない事と彼女がホテルに行く相手の顔面偏差値があまり高くないのがせめてもの救いだ。
(あの程度なら春兄の誘いに乗るだろう)
身内贔屓では無いが春の清潭な顔は女の真白でも綺麗だと見惚れてしまう程だ。顔面偏差値ならそこらへんの男に負けないだろう。作戦も要らないような仕事だが万が一を考え立ててある。明日にでも実行へ移そう。そう思いながらカフェのメニューを開き、デザートの欄を見る。
「あんたが真白?」
最早デザートの全種類を食べ尽くした真白が悩んでいると不意に声をかけられた。許可もなく向かいの席に座られられる。ピンクの髪を緩く巻き、化粧にお洒落な服。中世的な顔も相まって女性のようだ。
「ねぇ、聞いてんの?」
だがマナーはなっていないらしい。渋々頷く。
(如月弦太…。面倒な事になりそう)
大方、月城組とどう繋がってるのかあたりだろう。でもここに影がいないのが唯一の救いだ。もしいたらしらを切れなかった。
「単刀直入に聞く。あんたは月城組の人?」
単刀直入にも程がある。これで素直にそうですなどと答える人がいたらその人は馬鹿だろう。如月弦太も一応は藤堂組幹部なのだからもう少しデリケートに聞いてほしい。
真白は何も知らないと言いたげなとぼけ顔を作る。更にハンドバッグから紙とペンを出し『?』と書く。
「とぼけないで! あんたは結城彩花と繋がってる! そして結城彩花は月城組と繋がってる!!」
机を叩き勢い良く立ち上がる。その大声に他のお客さんも驚いて彼の方を見る。さすがに恥ずかしいのか謝罪をしながら腰を下ろした。
(私がここにいるのも彩姉が月城組にいた事も調べたのは鵤冴久だろう)
それにしても確定的な証拠もなく迫ってくる辺りが何とも短絡的だ。
「お客様。ご注文はいかがなさいますか?」
いつまで経っても注文しないのを変に思ったのか店主に声をかけられる。
「僕、珈琲ね」
メニューも見ずに注文をする彼は腕まで組んで偉そうに言う。真白はショートケーキと紅茶のセットを指さす。
「畏まりました」
注意されるかと思ったが店主の懐は相当広いらしい。微笑みながら去っていく。
「で? 早く答えてよ」
『友達』
それだけ書いて見せる。嘘は言っていない。友達であり姉のように思っている。
「嘘言うな!」
満足のいく答えではなかったらしい。そもそもこの場に臣がいない時点で彼の単独行動だろう。
『うそじゃない』
決定的な証拠などない。真白が引き取られてからの情報は全て伏せてある。このまま知らぬふりをしておけば諦めてくれるだろう。彼はため息をついて頭を掻く。せっかく手入れしたであろう綺麗な髪が台無しだ。
「もういい」
押し問答に埒があかないとでも思ったのか席を立ち上がる。
「これだけは言う。お前は藤堂さんに相応しくない! 次会うので最後にしろ! それ以降も会ったらお前を殺す」
ドスの効いた声でわかりやすく脅してくる。それはドラマで三下が言いがちな台詞にそっくりだった。
『わかってます』
臣に相応しくない事など初めからわかっている。隠し事だらけの自分よりももっと良い人はいるだろう。「ふん!」と鼻を鳴らして店から出ていく如月。
「お待たせ致しました」
彼が出ていった直後に注文していた珈琲とケーキセットが届く。だが、珈琲を注文した当人は既に出ていってしまった。
「珈琲は如何致しましょう?」
二週間も通っている真白は一度も珈琲を頼んだ事がない。きっと飲めないと察しているのだろう。
「店主さんが嫌でなければ飲んでくれませんか? 勿論代金は私が払います」
「では、有り難く頂戴致します」
一礼して珈琲を持ち帰ろうとするのを呼び止める。
「後でいいのでフルーツパフェも追加でください」
「畏まりました」
カウンターへ戻った店主は珈琲を優雅に嗜む。それを見届けてからショートケーキに手をつける。甘すぎないホイップクリームと甘酸っぱい苺の酸味。その絶妙なバランスに食べる手が止まらない。
ふと監視対象に目を配る。先まではいなかった若い男と楽しそうに会話している。
(今夜はあの人かな? 毎日毎日男変えてすごいなあ)
関心しているうちにフルーツパフェがテーブルに置かれる。そのパフェは以前頼んだ時よりフルーツもホイップクリームも増量されていた。店主は珈琲のお礼だと言う。真白はそのパフェを素直に受け取った。
「老婆心ながら一つ言わせて頂いてもよろしいでしょうか」
真白は頷く。彼は手元に開いたままの筆談用のノートを見る。そこには如月に向けて書いた『わかっています』の文字。
「私は周囲の反対を押しきって妻と結婚しましてね。先立たれてしまいましたが、彼女が与えてくれたものは永遠に私の中で生き続けています」
胸に手をあて、微笑みながら話す彼はきっと奥さんの事を想っているのだろう。ただ、何を言いたいのかわからない。
「なので他人の言葉に惑わされず、御自身の気持ちを大事になさってください」
ここまで言われてやっと理解する。何となくノートに触れる。
「長々と申し訳ありません」
「いえ。貴重なお話ありがとうございます」
店主は一礼して微笑む。そしてカウンターへと下がっていった。真白は少し溶けてしまったパフェを食べながら、如月の言葉を思い出す。彼の言い分は正しい。臣とは一緒にいられない。いてはいけない。全てわかっているはずなのに…。何故心臓が痛いのか。その理由がわからないままパフェを食べ続けた彼女はスマホを取り出し電話をかけた。