18 急な雨に降られて
ラエルに話を聞いてから、私は気がつけば会うたびにヴォルクさんを見つめてしまっていた。
ヴォルクさんなら私を元の世界に戻せるかもしれない……。
私に見つめられたヴォルクさんの目が戸惑うようにさまよっている。
「リ、ナ」
「あっ、はい?」
「鍋、噴きこぼれそうだが」
言われてみると、今にも鍋が噴きこぼれそうになっていた。すっかり忘れていたけど、今は料理中だった。
「あっ!」
慌てて火を消した私はフゥと息を吐く。
「危なかった。教えてくれてありがとうございます!」
「……いや」
アレクシスさんが食べやすいようにスープを作っていたのに、少しも集中できていない。
「あの、アレクシスさんのケガの具合はどうですか?」
「……気になるのか?」
ヴォルクさんの声が低くなったのは気のせいかな?
視線をそらしたヴォルクさんは「傷口は塞がっているから、あとは毒の対処だけだ」と教えてくれた。
「毒ってどういう対処をしたらいいんですか?」
「今のままでも2~3日後にはぬける」
「もっと早く治す方法はないんですか?」
「毒に聞く薬草があるが、今は少し時期がずれていて手に入りにくい」
「でも、手に入るかもしれないんですよね? だったら、私、探しに行って……」
なぜかヴォルクさんが傷ついたような顔をしている。
「……外は危ない」
「でも、ヴォルクさんは嫌がっていたのに、私のせいでアレクシスさんをここに置くことになってしまったので……」
ただでさえお世話になっている身なのに、ヴォルクさんにとっての厄介ごとを呼び込んでしまった。
「私のせいで……ヴォルクさんにたくさんご迷惑を掛けてしまって」
申し訳なくてうつむいてしまった私の肩にヴォルクさんが手を置いた。
「それは気にしなくていい!」
顔を上げるとヴォルクさんの顔がすぐ近くにあった。珍しく私と目が合っている。
黒だと思っていたヴォルクさんの瞳は、よく見ると濃い紫色だった。
「俺は……リナが、ここにいてくれるだけでいいんだ……」
どうして、そんなに悲しそうな顔で、急にそんなことを言うの?
私達は、まだ出会って数日しか経っていないのに。
戸惑いながらヴォルクさんを見つめていると、窓の外がピカッと光りそのあとで雷の音が鳴り響く。
続いてザァと強い雨音が聞こえて来た。
「雨が……」
そう呟いた私は、洗濯物を干していたことを思いだした。
「あっ!」
急いで洗濯場に走って干していたワンピースを下ろしたけど、すでにぐっしょり濡れていた。
「ああ……」
しかも、土砂降りの中で洗濯物を下ろしたから、着ている服まで濡れてしまった。私の髪から水滴がポタッと落ちる。
他の服はまだサイズ直しが終わっていないから、着られる服はあと一枚だけ。
こんなことなら、もっと服をたくさん買っておくんだった。
後悔している私をヴォルクさんが出迎えてくれた。私は「手遅れでした」と濡れたワンピースを見せる。
「ヴォルクさんの師匠さんの服なのに……」
肩を落とす私に、ヴォルクさんは「気にしなくていい」と言ってくれた。その目は盛大に泳いでいる。
「早く着替えたほうがいい。目のやり場に困る……じゃなくて! 風邪を引くといけない、から」
「はい、着替えてきますね」
自分の部屋に戻ろうと歩いていると、廊下の端にアレクシスさんの姿が見えた。向こうも私に気がついたようで手を振っている。
私が手を振り返そうとしたとたんに、その手を後ろから来たヴォルクさんがつかんだ。
何も言わず私の手を引き、アレクシスさんがいる方向とは反対に歩き出す。
「ヴォ、ヴォルクさん?」
返事は返ってこない。ズンズンと歩き部屋の中に入っていく。二人で入ったその部屋は飾り気が少しもなかった。
ベッドとクローゼット。それくらいしか家具はない。
『この部屋は?』と聞こうとしたけど、雨で濡れた体が冷えたのか、私はくしゃみが出てしまった。
そのとたんにハッとなったヴォルクさんは、私の手を離す。
「寒いのか? すぐに着替えを……いや、まだ廊下にアイツがいるか」
そんなことを言いながらクローゼットを開ける。
「うっ、リナが着れそうなまともな服なんて、ここにあるわけないか」
ヴォルクさんのあせるような声を聞きながら、私はまたくしゃみをした。
「すまない、とりあえずこれに着替えてくれないか?」
差し出された服を受け取ると、白いシャツと黒いズボンだった。ヴォルクさんの手にはズボンとセットになっている黒い上着がある。
タキシードとでもいうのかな?
「これって、ヴォルクさんの服ですか?」
「ああそうだ。ここは今、俺が使っている部屋で……あっ、俺の服を着るのは嫌か?」
「嫌じゃないですよ。お借りしますね」
ヴォルクさんがこういうきっちりとした服を持っているのを意外だと思ってしまう。
「俺は外にいる」と言ってヴォルクさんは部屋から出て行った。その間に着替えなさいと言うことなのね。
私は有難くヴォルクさんの服を借りることにした。ぐっしょりと濡れた服を脱いで、白いシャツに袖を通すと、よほど身体が冷えていたのか温かく感じた。
白いシャツはサラサラの生地でとても着心地がいい。街で買った服より高級なものだと分かる。
そういえば、アレクシスさんはヴォルクさんのことを『ヴォルクきょう』と呼んでいた。しかも、『アルミリエこうしゃく』がどうとかとも言っていたような気がする。
よく分からないけど、貴族を呼ぶときに使われる言葉だったような?
そして何より、王宮騎士団長のアレクシスさんがヴォルクさんに敬意を払っていた。
「もしかして、ヴォルクさんってすごく偉い人なのかも?」
もちろん、魔王様は偉いに決まっている。でも、今回のことで魔族の王だけではなく、人間の中でも偉いのでは?という疑問が湧いた。
「私、ヴォルクさんのこと、何も知らないのね」
父の書いた小説を読んで知っている気になっていたけど、それが間違いだったと気づく。
ヴォルクさんに貸してもらったズボンをはいたけど、大きすぎてストンと落ちてしまった。仕方がないので白いシャツだけ貸してもらうことにした。ぶかぶかのシャツはお尻まですっぽり覆うほど大きいので、ワンピースみたいに着ても問題ない。
袖は指先が隠れてしまう。改めてヴォルクさんの背の高さを実感した。
私は扉を少し開けて外で待っているヴォルクさんに声をかけた。
「あの、着替え終わりました」
「そうか。じゃあ、濡れた服を乾かすから……」
そういいながら部屋に入って来たヴォルクさんは私の格好を見て固まる。
「あっ、ズボンが大きすぎて!」
視線をそらしたヴォルクさんは顔も首も耳も真っ赤に染まっている。そこまで照れられると、私まで恥ずかしくなってきた。
「す、すみません」
「……い、や」
ヴォルクさんは軽く咳払いをした。
「かまわない。それより濡れた服をこちらに……」
顔をそらせたままのヴォルクさんの手に脱いだ服を渡す。
「時間がかかるから、どこかに座っていてくれ」
座ってと言われても、この部屋には椅子がない。困った私が床に座ろうとすると、驚いたヴォルクさんに「ベッドに座ってくれ!」と指示を受けた。
「あ、はい」
ヴォルクさんが何かつぶやくと室内に風が起こった。それはちいさなつむじ風になり、濡れた服を宙に浮かせる。もう一度、ヴォルクさんが何かつぶやくと今度は小さな炎が現れた。
時間が経つにつれて室内がポカポカと温かくなっていった。