鏡にひそむ謎 後編
鏡にひそむ謎
【後編】
〈前編のあらすじ〉
大手不動産会社に勤務していた深津見二は、一生懸命という言葉が全く当てはまらない、真逆の人物だった。
会社からしてみれば、出来の悪いお荷物社員でしかなかった。
その出来の悪い見二は、ある日を境に、人が変わったかのように一生懸命働き、どんどん実績を積み上げていくようになった。
そう、人が変わっていたのだ。
それは、ある日突然のことだった……見二の自宅アパートにある洗面所の鏡から男性が出てきたのだ。
その男性は自分にそっくりで、同じ顔をした人物だった。
不思議なことだが、それからその男性との同棲生活がはじまった。
元々アパートに居た住人である深津見二は、仕事が嫌いという生ぬるいレベルではなく大嫌いで、どうしても仕事をサボることが優先となり、もちろん会社での成績は最下位だった。
そうなれば、当然のように毎日上司に怒られ、それが続けば会社にも行きたくなくなってしまう、それが普通なのかもしれない。
鏡の中から現れた見二は、本物の見二の代わり見二が働く会社に行くことになった。
鏡から出てきた見二は仕事を頑張り成果を出して、どんどん実績を積み上げていった。
その結果、鏡の見二は出世をしていき、本物の見二はニートな生活で太り、前よりもどんどんダメな人間になっていった。
そんな生活が始まってもうすぐで二年が経つというタイミングで、ある期限がやって来たのだ……鏡の見二は成果を出し出世を重ねていった結果、広島への栄転を勝ち取りアパートを出ることになる。
これがきっかけで二人の見二の内、どちか一人が鏡の中に戻らなければいけなくなってしまった。
鏡の中に入ったのは本物の見二、そして鏡から出てきていた見二は、深津見二としてこの世に残ることになった。
鏡の役割とは、この世に相応しくない人間を取り締まることだと言う。
出来の良い方をこの世に残し、悪い方を鏡の中で更生させている。
この世に残った者は、入れ代わった人の身体を使って生きることになるのだが、その人が受け継いでいた遺伝子はそのままなので、代わった者でも予想のつかないことも起きてしまう。
この世に残ることができバリバリ働いていた鏡の見二だったが、入れ替わってから八年後にこの世を去ってしまう……彼はガンだった。
鏡の中に入っている見二は元気だったが、自身の元々の肉体がもう既に、この世には存在しないということは、この段階ではまだ知らなかった。
見二はこの鏡の中で、いつまで修行を続けていかなくてはならないのだろうか……それは見二しだいである。
第一章
映る鏡によって、自分の顔の映り方が違うと感じたことはありませんか?
例えば自宅にある鏡で見る顔、会社の鏡で見る顔、あれ? 何か違うなって思ったことありませんか?
それが正解です。
それは鏡の中に潜んでいる、真似っ子の仕業かもしれません。
それぞれの鏡の中に住みついている、真似っ子が違うからですよ。
ちなみに『この世』それに『あの世』、そして『鏡の世』なんていうのがあっても不思議ではないでしょう。
本物の深津見二が、元々暮らしていたこの世での暮らし振りというのは、会社に行けば仕事に向き合う姿勢などまるでなっていなかった。
とにかくいい加減で、仕事は毎日サボることが当たり前、会社から出発した普通の営業マンが向かう先というのは、顧客の所というのが当たり前の話なのだが、営業マン見二が毎日向かう先は違っていた……競輪、競馬、パチンコ……仕事をサボりあらゆるギャンブルを楽しんでいたのだ。
そう! 見二の考えというのは、とにかく人生は楽な方へ、楽な方へと向かっていき、一生懸命生きるということなどバカにしてきた人生だから、ずっと真逆の行動を取ってきていた。
その結果、突然、鏡の中から現れてきた深津見二のそっくりさんに、自分の存在や居場所を丸ごと乗っ取られてしまい、代わりに自分が鏡の中へと押し込められてしまった。
見二が押し込められた鏡の中の世界とは、曲がった根性を治す、言わば修行の場といったようなところだ。
その見二も鏡の中に入ってから早いもので、もう十年が過ぎようとしていたが、未だ鏡の中での修行が続いていたが、根性が治る気配など一向に見られなかった。
これはこれで、なかなかの頑固者である。
これには、鏡の主である長老もうんざりしていたのだった。
「なぁお主、もう少し真面目に修行したらどうなんじゃ。お主がここに来てから、もう十年が過ぎてしまっているのじゃぞ」
「もう十年ですか、早いものですね。なんか人の真似ばかりしているからか、全く歳を取っていない気がします。このまま一生、この世界でも十分じゃないかと思っています」
もしかしたら見二には、荒療法しかないのではと、鏡の主も考えはじめていた。
そんなタイミングで見二が、ある質問を投げかけてきた。
「ところで俺と入れ替わった奴はどうなったのですか?」
「んっ、何を突然……。言いにくいのう……」
「なに? どうかしたのですか? なぜ私に言いにくいのですか?」
「あいつはのう、お主と入れ替わった後も調子良くやってはいたのだが、ほんの少しのボタンの掛け違いから、気持ちを落としてしまい、そして病気を発症させてしまったのだ。奴はその病気が原因で……亡くなってしまったのだ。ガンだった」
「えっ! なに? 俺は死んでしまったってことなのか! なんてことだ……。うちの家系は昔からガンの家系だったからな。それじゃあいつに悪いことをしてしまったな」
「いや、お主は悪くない、それも運命というものなのじゃ、仕方がないことよ」
見二は知ってしまった……もうこの世に、自分の身体が存在しないということを……
「俺はあいつと入れ代わる事なく、あのまま生活をしていたら、死んでいたのは俺だったということか。運命というものは分からないものだ」
「生き残っているお主には、これから色んな経験をしてもらおうと思っておるのじゃ。鏡とはどういう物なのか、どんな大切な役割をしているのかということを、お主にたくさん教えてやりたい」
そう言った鏡の主は、見二の目をジッと見て、鏡について語りはじめた。
鏡の歴史はとても古い。
昔むかしは、他人の顔は見ることができても、自分の顔を見ることはできなかった。
自分の顔を見てみたい、誰もがそういう願望を持っていたであろう。
ならば古代の人々は、どのようにして自分の顔を見ることができたのだろうか。
それは水に映る自分の顔、それを見たのではないだろうか。
しかし水では、ハッキリと自分の顔を見ることはできなかったであろう。
まだ鏡が存在しない時代では、それが限界であったろう。
鏡が無い時代のことは、まだワシも想像でしか言えないのじゃがのう……
人はもっとハッキリと自分の顔を見てみたい、そんな欲求を満たし、そして叶えるために、青銅の表面を磨き上げたりして、少しずつだが自分の欲求を叶えていったのだ。
やがて鏡は、銅からガラスといった進化を遂げ、より精度の高い鏡が作られて、自分の顔がハッキリと見えるようになっていくのじゃが、そんな精度の高い鏡が日本に持ち込まれたのは、一五四九年で、持ち込んだのは当時キリスト教布教のために来日していたフランシスコ・ザビエルじゃ。
ワシが鏡の中に入ることになったのは、それから三十年ほど後のことになる。
何故ワシが鏡の中に入ることになったのか、そこには深く悲しい、とても辛い思い出が存在するのじゃ。
その頃のワシはまだ若かった。
そうは言っても三年前に元服を終えていた、十八歳の時だった。
その当時で十八歳といったら、立派な大人として扱われておったのじゃ。
ワシがその時に名乗っていた名前は、原田 格之進。
時は戦国の時代、有力な武将達は天下を取ることに必死だった時代じゃ。
ワシの家は織田家に仕えておった。
ワシは武家に生を成しておったから、度々戦場に駆り出されることがあった。
ワシはその頃好きな女性がいたのだが、その頃は頻繁に戦争があり、その女性に告白することすらできずにいたのじゃ。
当時の結婚というものは、お家通しのものがほとんどで、なかなか自分の思うようにはいかないものだったのだが、ワシにはそれを打ち砕く勇気も無かったのじゃ。
そうこうしている内に、織田家から依頼がありまた戦場に行かなくてはならなくなったのだが、このままでは好きな女性の顔を、二度と見ることができなくなるのではと思ってしまったのじゃ。
戦場は常に死と隣り合わせだから……
ワシは彼女に会いたい、だから戦場には行きたくないとの思いから、女性の家で匿ってもらおうと屋敷に侵入したのだが、それが失敗じゃった……
その瞬間からワシは、くせ者として追われる身になってしまった。
ワシは屋敷の中を無我夢中で逃げておったが、たまたま逃げ込んだあの部屋、あれがたぶんあの女性の部屋だったのだと思う。
その部屋でワシは、その当時では珍しい鏡を見つけたのじゃ。
鏡には奇麗な織物が掛けてあったのだが、ワシはそれを勢いよく捲ったのじゃ。
ワシはな、もうワラにもすがる想いで、この鏡の中に入ることができないものかと真剣に思い、鏡をじっと見ていた。
屋敷の中はどんどん騒がしくなり、追ってはすぐ側まで来ていたのだが、鏡を見ていたワシは、あることに気づいてしまったのじゃ……
鏡に映っていたのは正真正銘ワシの顔じゃ、そのとき初めて見ることになった自分の顔に衝撃を受けてしまった。
そこに映る顔はあまりにも醜く、そしてブサイクで、ワシは自分の顔を見て愕然としてしまった。
こんな顔では彼女に気に入られることなどない、彼女との恋愛などは叶うことのない夢物語だったのだと思った……そうしたら急に、今まで持っていた恋心というものがとても恥しくなり、そしてあまりのショックから、ワシは死にたいとその時に思った。
ワシは目の前にある鏡に、思いっきり頭をぶつけたら死ねるのではないかと考えたのだ。
そして……えいっ! 思い切り頭をぶつけてみた。
しかし、全く痛くはなかった……
それもそのはず、ワシの頭は鏡にはぶつかっていなかったのだから。
何故かワシの頭は、鏡に当たることなく、そのまま身体ごと鏡の中へ入っていたのだ。
その時は何が起きたのかすら分からなかったが、この状況のことを、しばらくは何も考えることができなかった。
ただ、ひとまず追っ手から逃れることができたという安堵感、それと同時に、もう二度と彼女に会えなくなってしまうのだろうということだけは理解することができていた。
その後、追っ手の者は鏡の前までは来るが、「おらぬ、おらぬ」と言ってその場を後にしていた。
追っ手の何人かの者は、この時代では珍しい鏡をキラキラした目で覗き込んでいる者もおった。
その中でもナルシストな者はおってのう、男の自分の顔に見惚れて、なんて美しいのだこの顔はと、うっとりして帰っていく者までおったわい。
ワシはそれが、とても気持ちが悪くてのう……今思い出してみても吐き気がするわい。
その時にある疑問が浮かんだのだ、鏡の前に立った者は自分の姿だけを確認して去っていく、それが不思議じゃった。
ならば鏡の中に居るワシは何処に居るのじゃ?
鏡の中に居るワシのことは、外からは見えてないということになってしまう。
ワシはいったい何処におるのじゃ? ワシはここにおるではないか! なぜ見えぬのじゃ……どれだけ考えても考えても分からなかった。
鏡の中に入ってから何日か経ったある日、ワシはハァ! っとした……そういえばワシは、戦にも行っていないではないか……
それと同時に、親は心配していないだろうか、戦に行かなかったことで怒っている者がおるのではないだろうか、呆然となっていた長い時間がとても心配になってしまった。
すると呆然とするワシの後ろから、声が聞こえてきたのだ。
「お主が居るこの場所は鏡の世界だ。お主は選ばれた者である。この鏡に協力をしてはもらえぬだろうか?」
声が聞こえる方を見てみるが、誰もいない。
ただ、声がする方向には微かな光の点のような物が見えていた。
声はその点から発信されているようだった。
「そうだ、私はその光だ。鏡の世界を取り仕切る鏡の主だ。お主の力を借りて、世の中を良くしていきたいと思っておる。鏡とはそういう役目を担っているのだ。お主、鏡に力を借してはくれまいか」
ワシは少し悩んだのだが、自分で自ら飛び込んだこの鏡の世界、ワシはそこに身を隠すことができたお陰で、このようにまだ息ができておるのだと悟った。
もう元の世界に戻ることはできないだろうと、ワシはこのとき腹を括ったのじゃ。
そして、この鏡の世界に、恩返しをしていこうと……
だからワシは「わかりました」とだけ答えたのじゃ。
自分がどれだけ、鏡に協力ができるかということは、別として。
「あれから、四〇〇年余りの時が経ったが、やっとだよ、鏡が持つ本当の謎というものが分かってきたのは……鏡の世界は不思議なことばかりなんじゃぞ」
第二章
鏡の世界など全く知らないワシは、鏡の主に聞いてみた。
「鏡の主、いったい私に、何ができるというのでしょうか?」
「お主は強い精神力を持った素晴らしい武士であったことは分かっておる。お主が暮らしてきた経歴、すなわち過去は、全て見させてもらった。その強い精神力は今後、この世界できっと、役に立つことであろう」
「私の過去を見たとは、どのようにですか? そのようなことが本当にできるのでしょうか?」
「鏡にはな、特殊な力が存在するのじゃ。お主からしてみれば、それは不思議な話であろうが、この世界では当たり前の話である。そのうちお主も分かるときが来るはずだ」
「私のような者でも、分かるようになりますでしょうか」
「お主なら大丈夫だ」
ワシは鏡の主の、その言葉を信じてみることにした。
「早速だが、お主に一つ手伝って欲しいことがある。長宗我部家に仕える家臣で、田村 忠家という者がおる。こいつは農民に厳しく、逆らった者は容赦なく斬っている、とんでもない奴なのだ。弱い者いじめをするこの者は、この世では必要の無い人間なのじゃ。格之進、お主に、この者を討ち取って欲しい」
「しかし長宗我部と言えば大きな大名になります。そこの家臣である者を、私などが討ち取ることができますでしょうか?」
「大丈夫じゃ、そこは鏡の世界の力と、お主の剣の腕があれば大丈夫だ」
「分かりました、貴方様を信じてみることにします」
そんなやり取りのあった翌日、それは実行された。
そしてこの時に、鏡の世界の謎の一つ目を知ることになる。
鏡の謎の一つとは、鏡から鏡へ自由に瞬間移動ができるということだ。
田村忠家は長宗我部の家臣の中でも大きな大名であり、屋敷には立派な鏡が置いてあった。
その田村家の鏡に瞬間移動し、忠家を斬るというのが今回の作戦であった。
瞬間移動とは、今で言うワープなのだが、そんなことが本当にできるのだろうか?
その事実を格之進は、直ぐに知ることとなった。
瞬間移動が始まったが鏡の中の様子は全く変わりない、やや空気感が変わるというか、匂いが変わったような気がした。
それとワシが居る場所の明るさなどは変わりはないのだが、何故か奥の方だけは暗い闇となっていた。
「おそらく鏡に織物が掛けてあるのだろう。だから映る側の鏡の面は隠れていて暗くなっているのであろう」
「確かに私が入った鏡にも織物が掛けてありました。それをめくったら私の顔が映りました」
「鏡には色んな謂れがあるのだが、その一つとして霊界との通り道だとも言われている。だから使用しない時はなるべく、鏡の面を隠すようになったのじゃ」
「そうなんですね。鏡が霊界とも繋がっているのですね。それは知りませんでした」
「いずれお主もそれを体験することになるであろう」
「私も? 私はそんな体験をするのでしょうか? いずれ、私がですか……」
「今のお主には、まだ理解ができないだろうがのう」
鏡の主と格之進が居る場所は、田村家に置いてある鏡台の中だった。
鏡の主と格之進は、田村家の主である忠家を斬るため、そのチャンスを静かに待っていた。
格之進は時間が経つにつれ、増している緊張感に気づいていた。
絶対に失敗はできない。
ついに、その時がやって来た。
鏡台の鏡に掛かっていた織物が、静かに上がっていった。
『誰だ! 忠家か?』格之進は息を飲んだ。
鏡の下の方からゆっくり明るくなってくる。
誰かが織物を上げているのだ。
徐々に姿が見えてきたが、その着物を見て格之進は『女か!』開けたのは忠家の妻『たえ』であった。
格之進は後ろを向き、鏡の主に向かって何やら目で合図をした。
鏡の主から指示が欲しかったのであろう。
鏡の主もそれを察知して、格之進にだけ聞こえる特殊な声でこう指示を出した。
「あの女は忠家の妻、たえだ。たえが鏡を覗き込んだら、お主も同じように鏡を覗き込むように近づけ。そうすればお主は、あの女と同じ姿になることができる。そうなれば鏡の外に出て、代わりにたえをこの鏡の中に入れるのだ。たえはワシがおとなしくさせる。お主はたえに成り代わり、誰にも怪しまれることなく忠家を討って来い。討ったあとはこの鏡の中に戻り、たえを鏡の外に出す。そうすればお主は元の姿に戻ることができる」
「分かりました」
織物を完全に上げ、たえは自分の顔を確認するように鏡に顔を近づけた。
格之進は先ほど鏡の主に言われていた通り、鏡に向かって顔を近づけてみた。
するとたちまち格之進は、目の前に居るたえとそっくりな姿に変わっていったのだ。
そして格之進は鏡から飛び出し、たえを捕まえ鏡の中へと突き落とした。
たえに成り代わった格之進は、屋敷の奥へ奥へと歩んで行った。
『見つけた! 奴だ、忠家だ! 奴に間違いない』
格之進は何度か見たことのある、忠家の顔をしっかりと覚えていた。
しかし、格之進には武器がなかった。
『忠家のいる場所は分かった。ここは一度引き上げて、武器を調達する必要がある』
そう考えた格之進は、たえの姿のまま屋敷を詮索した。
その行為に、誰も怪しむ者はいなかった。
有名大名である田村忠家の屋敷は、高価な物がたくさん置いてあった。
当然、太刀もあった。
たえに成り代わった姿の格之進が、その屋敷から太刀を手に入れることは容易いことであった。
それも、切れ味抜群の名刀を……
何本も並ぶ名刀の中から、桂井の短刀を選び、それを着物に忍ばせて忠家の居る部屋に向かった。
その部屋の襖を勢いよく開けた格之進、しかしそこには忠家の姿は無かった。
格之進に動揺が走った……
『何故だ、何故いない。あっ! もしかして、奴は、あの鏡のある部屋なのか?』
格之進はなるべく足音を立てないよう静かに、元いた部屋に戻って行った。
『ここにも居ない。何故だ? もしや、たえを探して回っているのか……』
格之進は、先ほど忠家を見かけた部屋に戻ってみた。
『いた! 忠家だ』
「たえ、何処に行っていおったのじゃ?」
「すみません、厠へ行っておりました」
「そうであったか。心配したぞ。たえの部屋辺りで、何やら怪しげな物音が聞こえておったのでのう」
「私は大丈夫でございます」
「なら良かった。たえが部屋にもおらぬから心配しておったわい」
そう言った忠家の左手には、同じく桂井作の名刀、太刀が握られていたのだ。
その太刀はまだ鞘から抜かれていない状態だが、太刀は忠家の左手でしっかり握られていた。
「殿、そのようなものが必要な事態なのでしょうか?」
「まだ分からぬ……ただ、何か空気が違うのだ。何やら怪しい空気が流れておる」
『奴は何かを察知しているのか……ただ、今、奴を殺すのはとても危険だ。しかし、奴を殺るのは今しか無いのも事実だ。私はどうしたら良いのだ……』
『お主の力を信じておる。剣の達人であるお主の力を』
突然、鏡の主の声が耳に届いた。
それは特殊な声の様だった。
その声は耳にではなく、実は脳に届いていていたのだ。
そのあと格之進は忠家の背後に回り、それもかなり近い位置に付けた。
今起こっている得体の知れない恐怖から、私の身を守って欲しいという弱い女を装いながら忠家の後ろに近づいた。
たえのその行為に、忠家は完全に油断をしてしまった……
『ぐさっ!』
忠家の左胸が真っ赤に染まった。
背中から突いた短刀は忠家の身体を貫き、心臓を超えて刃先は胸から出ていた。
忠家は声すら上げることが出来ないまま、床に倒れ込んだ。
たえは忠家が握っていた太刀を奪い、鏡がある部屋まで戻ろうとした。
たえが忠家の太刀を奪ったのは、鏡の部屋にたどり着くまでの万が一を考えたからだった。
その万が一は的中することになる……屋敷の中は騒がしくなってき、次第に危険度は増してていっていた。
『まずいな、屋敷の者と出くわさなければ良いのだが』
「たえ殿、大丈夫でしたか。今は屋敷内をうろつかない方が良いですぞ。くせ者が侵入しておる可能性がござりまする」
「はい、分かりました」
バレてはいない、格之進はそのまま急いで鏡がある部屋に帰れば大丈夫と思っていた。
そして、たえがもうすぐ鏡の部屋に着くというとき……家来が叫んだ。
「たえ殿、その刀はなんですか! 御館様の太刀、それはどうされたのですか?」
「こ、これは、御館様が私の身を案じて、私に渡されました」
このままではマズいと思っていた矢先、屋敷の奥の部屋で発せられた大きな声が屋敷中に響き渡った。
「お、御館様!」
どうやら忠家の遺体が見つかってしまったようだ。
『しまった! マズい……』
どんどん屋敷の中が騒がしくなっていった。
「おい! たえ殿、待たれ」
『もはや絶対絶命……鏡の主、私はどうすれば良いのだ?』
『致し方がない、そやつを斬り捨てろ』
『やるしかない!』
そう決めた格之進の気持ちに迷いは無かった。
たえを呼び止めた家来の声に、足を止めた格之進。
太刀を鞘から素早く抜き、振り向きざまに忠家の家来を一刀両断、斬りつけた。
見事な太刀捌き、ひと太刀で完全に仕留め、この男にも声すら上げさせなかった。
格之進は太刀を握ったまま鏡の部屋まで突っ走った。
部屋までの道のり、それを阻む家来と出くわしてしまい、一人また一人と斬り、家来を合わせて三人斬ったところで鏡の部屋に辿り着いた。
「鏡の主、頼む」
「鏡に飛び込め!」
たえの格好をした格之進は太刀を握ったまま、鏡の中に飛び込んだ。
鏡は格之進の身体を包み込むように柔らかく受け止めてくれた。
鏡の中では本物のたえが、力なくうずくまっていた。
「格之進よ、たえに太刀を渡せ」
格之進は血で真っ赤に染まった太刀を、たえの右手に握らせた。
「たえ、外に出るが良い」
そう声を上げた鏡の主、たえは押し出されるように鏡の中から部屋へと追い出された。
鏡から出ることができた本物のたえは、部屋で太刀を握りしめ、その場でうずくまっていた。
そこに屋敷を守るの家来達が続々と集まって来た。
「たえ殿、あなたは何て酷いことをしてくれたのだ」
「私ではござりません」
「たわけ! その太刀は何だ? あなたがその太刀を振り、人を斬っている姿を何人もの者が見ておるのじゃ」
「それは私ではございません。鏡の中に潜む者の仕業です」
「鏡の中の者? たえ殿、正気か! お主は気でも狂ったのか? おい十兵衛、あの鏡を叩き割って来い。何か出るか調べてみろ」
「分かりました」
十兵衛は言われるがまま鏡に向かい、刀の柄の部分を使って、思いっ切り鏡を叩き割った。
当たり前なのだが、鏡面は砕けた……しかし、それ以上、何も起こることはなかった。
たえは大嘘つき者となった。
「何故? 何故なのだ……さっきまで私はあの中に居たのに……きっとこれは悪い夢じゃ、そうじゃ私は、夢を見ておるのじゃ。ならば!」
そう言って、たえは握っていた太刀を首にあて、思いっきり右手を引いた。
その瞬間、おびただしい血が吹き上がった。
その血は天井にまで吹き上がり、天井の一部は真っ赤に染まり、そこから血がしたたり落ちていた。
やはりこれは、夢ではなかったということだ。
田村家はこの短い時間で、屋敷の主とその妻を失った。
田村家が滅びるのは、時間の問題であった。
鏡は仕事を全うしたのだ。
ただ、疑問に残ることがある……壊された鏡の中で、鏡の主と格之進は、いったいどうなってしまったのだろうか?
鏡というものは不思議な物で、映る面にある通路をふさいでしまえば、ただの鏡となり、中には全く影響が無いのだそうだ。
そう、鏡の中には全く問題が無かったのだ。
「格之進よ、次の課題に取り組むぞ」
鏡の主は言った。
「次ですか? 鏡とは忙しいものですね」
「お主の太刀さばきは見事であった。感謝している。ワシはお主と組んで良かったわい。これはお主とでなけれ なし得られなかったことよ。ありがとう」
「そんな、もったいないお言葉、貴方様には感謝しかござりません」
二人の信頼と絆が深まった瞬間であった。
第三章
あの事件のあと、田村家は崩れ落ちるように衰退していった。
しかし田村家の衰退は、それだけでは終わらなかったのだ。
その後、田村家では家臣同士の権力争いが起き、お互いに憎しみ合うようになり、やがて内乱が起こり田村家は完全に滅亡していった。
この時点で鏡の任務は、完全に完了したことになる。
「鏡の役目とは、このようなものなのじゃ。鏡とは、世を正す秘密幕府と言ったところかのう」
「秘密幕府ですか?」
「はっはっはぁーー、それはどうか分からんがのう。でも、鏡の役目はまだまだたくさんあるのじゃ。お主はこれからも手伝ってくれるか?」
「もちろんです。この御恩のある鏡の世界、是非、私にも協力させてください」
「ありがとう。ならば早速なのだが、次の場所に向かわなければならないようだ。ところで、お主の御館様は確か……織田信長であったよのう?」
「そうですが、何か?」
「その御館様が、マズいことになっているようじゃ。直ぐ助けに行かねばならん」
「信長様がマズいことに? そんなバカな……そんなことが起きるはずが無いのだが……もし本当であれば、直ぐに助けに行きましょう」
「そうしよう」
鏡の主は激しい光を放ち、何やらお祈りのような声を上げはじめた。
そのパワーは凄まじく、圧倒的であった。
鏡の主の祈りが終わったあと、格之進は鏡の主に、何をおこなっていたのか聞いてみた。
「そうじゃのう、呪文みたいなものかのう。そのうちお主にも伝授していく。ワシは姿を持たぬから、ゆくゆくは姿有る者に伝授していく予定じゃった」
「寂しいことを言わないでください。ずっとこの私を指導してください」
「それは無理じゃ、ワシは姿を持たんからのう。おう、ワシが言っていた例の場所に着いたわ」
「鏡の主、ここは何ですか? もの凄く熱い! ここは何処なのですか?」
「ここは本能寺じゃ」
「本能寺?」
「そうじゃ、本能寺じゃ。今、本能寺には火が放たれておる」
「何故、本能寺に火が?」
「それはわからんが、織田信長はその火中におる。だから助けなくてはならん。この国の宝である信長を、絶対に死なせてはいかん」
「このようなことを企てたのはいったい、誰なのでしょうか?」
「お主にはまだ見えぬようだのう。ならば、それを見せてやろう」
鏡の主はそう言って光を壁に当て、映像として格之進に見せてくれた。
それは今まさに外で起きている光景、その映像はとても衝撃的なものであった。
「本能寺を取り囲んでいるのは……水色の桔梗? えっ、明智光秀! 何故だ! 。これは本当のことなのですか? これはいったい……何が起こっているというのだ」
明智光秀と言えば織田信長の家臣、なのに何故ゆえ、このようなことが起こっているのかが、格之進には全く理解することができなかった。
「これで分かっただろう。とにかく信長を助け出さなければならん。格之進、信長を救い出すぞ」
「無謀です! この状況で助けるなど、絶対に無理でございます」
「お主はまだ、鏡を信じれぬと言うのか?」
「鏡の主、それではあなた様には、信長様を助ける策があると申されるのでしょうか?」
「その通りじゃ」
「わかりました、信長様を助けましょう!」
「本能寺の中にある鏡を信長に覗いてもらわないといけない。どうすれば良いかのう……信長は既に痛手を負っているはず。早くせねばならん」
「私が外に出て誘導しましょう」
「大丈夫か? 一つ間違えたらお主は殺されてしまう」
「私は鏡を信じます。早く! 時間がありません」
「わかった、鏡から出よ!」
勢いよく飛び出した格之進、目の前には腕に痛手を負った信長が立っていた。
信長が最後を迎えようとしていた部屋には、運良く鏡が存在していたのだ。
まさに危機一髪だが……格之進も危機一髪の事態にさらされていた。
信長は、突然目の前に現れた格之進に驚き、槍を突き付けてきた。
「信長様、私をお忘れでしょうか? 原田格之進にござります。信長様を助けに参りました」
「なに? ワシを助けに来たんじゃと? 格之進、この部屋にはどうやって入って来たのじゃ」
「説明はあとにしましょう。今は早く、ここから撤退しましょう」
そう言って信長の腰を掴み、本能寺にあった鏡に飛び込んでいった。
その後、本能寺は焼け落ちていった。
鏡は信長を、既のところで助けることができた。
「信長様、大丈夫でしょうか?」
二人は鏡の中に逃げ込むことが出来たが、矢が刺さった信長の腕の傷は、かなりの重傷であった。
「こ、こ、ここは何処じゃ?」
「鏡の中にござります」
「鏡の中じゃと? 何故にワシをこのような場所に連れてきた?」
「これしか方法はございませんでした。信長様に、あのような企てを起こした者の正体にお気づきでしょうか?」
「水色の桔梗、光秀だ。用意周到な光秀のこと、もう無理だと気づいたわ」
「私共は、貴方様を失いたくない一心で、助けに参りました。私は鏡に助けられ、今は鏡の世界に身を置き、世直しのお手伝いをしております。貴方様は国の宝でございます。あのような場所で死なせる訳にはいきませんでした」
「ワシを生かすと言うのか?」
「その通りです」
「ワシは痛手を負っておる、もう無理じゃ」
鏡の主が「その傷、ワシが治そう」
鏡の世界とは、現実の世界とはまるで異なる、空想の世界に近いのかもしれんな。
鏡の世界では病気や怪我、それに伴う痛みなどは全く存在しない世界なのだ。
だから鏡の中では、信長が負っていた深い傷は、またたく間に完治していくのだ。
「何故じゃ! 何故痛くないのじゃ?」
「鏡の世界には痛みなど存在せぬわ。鏡の世界では、傷も病気も直ぐに失せる。織田信長よ、お主には、これから姿や名前を変えて生きてもらう。それに、生きていく時代も変えてもらう。お主には、全く別の時代を生きてもらおうと思っておる。お主はその時代で働き、この国を良くしていって欲しいのじゃ」
「ワシは、この時代の覇者に成りたかったのだ。何をバカなことを抜かす!」
「ただ、実際には出来なかったではないか。あの状況でお主は、あの場所で死を迎えるしかなかったのだぞ。この事件は本能寺の変と名付けられているが、お主の遺体だけは、最後まで見つからんかったそうじゃ。そう、ワシらが違う時代に連れていったからだ。信長よ、第二の人生を歩んではみないか?」
「第二の人生? 本当にそのようなことが出来るのか? 出来るというならワシは、いつの時代に行くというのだ?」
「鏡に出来ぬことなどはない。お主には『明治』という時代に行ってもらう」
「明治だと? そんな名前の時代など聞いたことがないわ」
「あっはっは、それはそうじゃろう、遥か未来の話じゃからのう。そう、未来の話じゃ。お主は特別じゃ……本来であれば、鏡の中というものは修行をおこなう場になっておる。現世で怠けていたり、時代に貢献できていなかった者が鏡の中に入り、そこで修行し、更生できた者だけがまた世に出ることが許されておる。鏡とはそういう世界なのじゃが、しかし、お主は違う。この世から消えて失うことが勿体ない男じゃ。ワシらはそう判断したから、お主をこの鏡の世界に連れてきたのだ。これから生きてもらう時代は今とは異なり、いろんな苦労があると思うのだが、お主にはまだまだ力を借りたいと思っておるのじゃ。信長よどうじゃ、明治に行ってみぬか?」
「何がなんだか、まだ理解することも出来ぬが、この信長の救われたこの命、その新しい時代とやらで使わせてもらおうぞ」
「よし分かった、今からそこにお主を連れて行く!」
えっ! 鏡とは、未来にも行けるというのだろうか?
焼け落ちていく本能寺から信長を救い、そして未来へと移動させる……
本当にそのようなことが起こっていたとすれば、信長の遺体が本能寺から見つからなかったことにも理解が出来るというものだ。
更に驚いたことは、鏡は時間を自由に行き来することが出来るということだった。
瞬間移動に、時間の移動……鏡というものは、時空を超えることが出来る世界であったのだ。
信長との話し合いを終えた鏡の主、目を閉じゆっくりと祈りをはじめた……時空を超えて行くための祈りだった。
やがて鏡の中では、徐々に変化が生じはじめていた。
それは自分が真っ直ぐに立っているという感覚すら無くしてしまうというか、身体が斜めになっているのではと思うような妙な感覚が生じていた。
この平衡感覚が失なうような状態は、時間にして約十分ほど続いた。
「やっと着いたぞ。ここが明治四十年の東京じゃ」
鏡の主は壁に光を当て、外の世界を映像として信長に見せてやった。
「これが明治という時代なのか……しかし、東京とは何処のことなのだ?」
「江戸じゃ」
「江戸? あの土地は海からの影響を受けやすく、全く使い物にもならぬような湿地だったはず。そのような場所がいったい……何故! こんなに栄えているのじゃ。いったい、これは、どういうことなのじゃ?」
「徳川家康が海を埋め立て、土地を広げて発展させたのだ。お主が生きておった戦国の時代を終わらせたのも徳川家康じゃ。その徳川の時代は、二百六十八年も続いたのだ」
「あの時代の天下を……それを最終的に天下を手に入れたのは、家康だったということか? あのタヌキ親父め。ワシはこれから、この時代でどうすれば良いのだ?」
「お主には、この時代の現世の者と入れ代わってもらうことになる。外務省に入省したばかりの男、吉田茂という男と入れ代わり、この国を良くしていって欲しい」
「まだよく分からないが、それをやってみよう」
「今からお主の記憶の全てを抜かせてもらう。そして吉田茂が過ごしてきた全ての記憶を入れる。そしてお主の姿は鏡を通して変わることになる。吉田が鏡を覗き込み、鏡に姿を映した時点で奴の姿を複写する。そしてお主は外に出て、吉田茂となり生きていくのだ。本物の吉田茂には、この鏡に入ってもらわなければならない理由があるのだ。そして奴は、鏡の世界で修行をしてもらうことになる」
「なに? ワシの記憶を抜くだと、そんなことは聞いておらん。そんなことはならぬ!」
「えぇぃ、往生際が悪いわ、信長!」
鏡の主は、抵抗しようとする信長の額に光を当てた。
信長の脳にあった記憶は一瞬にして空となった。
吉田茂は言わずと知れた、日本を代表する総理大臣である。
一九四六年(昭和二十一年)に総理大臣となり、第一次吉田内閣が発足するが一年で終了、それから一年後に再び総理大臣に返り咲き、一九五四年(昭和二十九年)の第五次吉田内閣終了まで、総理大臣として在位することになる。
その中身が織田信長であったということは、鏡のみぞ知る事実であった。
第四章
鏡にはとんでもない秘密が隠されていたことを知った格之進、鏡の主からは自分の後を継ぐように言われていた。
鏡の主はかなりの高齢であり、もうこれ以上は、この厳しい警備を続けていくことは出来ないということを誰よりも知っていたのだろう。
鏡の主は銅鏡の時代からもう既に、千年以上も働いてきたのだから。
このとき格之進は、鏡の中に入って既に、三十年を迎えていた。
格之進は鏡の主の想いに対して覚悟を決め、鏡の主から鏡の役目の全てを引き継ぎ、第二代 鏡の主となった。
この時から、初代鏡の主は裏方に入り、未熟な二代目を支えてくれることになった。
そして格之進が引き継いでから約四百年後、初代鏡の主の光は完全に消えてしまった。
これはつい最近、十年前の話だ。
二代目の鏡の主である格之進は、一向に進歩のない見二に、あれこれ手をやいていたのだが、何故か、あえて見二に自分の経緯や生い立ちを話していたのだ。
その話を聞いた見二は意外なことを口にした。
「鏡の主、俺に何か手伝わせてはもらえないか?」
「お主、本気なのか?」
「こんなこと冗談では言わないですよ。私は鏡の主の活躍に感銘を受けました。それに、この偉大な鏡の世界のことを、もっと勉強したいという気持ちになりました。それに鏡の主も先代を失くされて大変でしょうから、私で良ければお手伝いさせてください」
「そうか、ありがとう。まぁ、お主にワシの手伝いが出来るかどうかは別として、少しだけ手伝ってもらうことにするかのう」
「何だか一言多いような気がしますが、ありがとうございます。全力でやってみます」
「あはっはっは、一言多かったかのう。ただ、ワシの本音を話したまでじゃが。でもな、お主のその気持ちが嬉しかったぞ」
鏡の修行でも全く根性が治らなかった見二が、何故か鏡の世界のお手伝いをすることとなった。
見二はおそらく、鏡の主の仕事ぶりに感動したのだろう。
それと、鏡が持つ不思議な力を、もっと知りたいとの思いがあったに違いない。
この鏡の世界で、見二が手伝う最初の仕事というのは、いったいどのような仕事になるのだろうか。
先ずはそれを見てみることにしよう。
この頃、鏡の主は厄介な悩みを抱えていた。
初代 鏡の主も、この問題の対処を図っていたようだが、その力はあまりにも微力で、取り組んでも取り組んでも焼け石に水といったところだったようだ。
二代目鏡の主である格之進は、その課題に対して、進展をもたらしたいと考えていたのだ。
そして鏡の主は、見二にそのことを語りはじめた。
「ここ最近、過去の歴史をかき回して、自分達の良いように歴史を塗り替えているヤカラがおるようだ。それは時空を越え、自由自在に瞬間移動ができる乗り物に乗っているようなのだ。瞬間移動が出来るのは、どうやら鏡だけでは無いようだ。UFOと言われておる未確認飛行物体も、時空を移動することができるようなのじゃ……」
「何だか難しい話で、私には全く理解が出来ません」
「あはは、そうじゃった、お主には、まだまだ難しい話だったようじゃのう。もう少しお主に解りやすいように話すと、未確認飛行物体と言われている乗り物は、実はタイムマシンなのじゃ」
「えっ! UFOってタイムマシンなんですか?」
「そうだ、ようやく分かってくれたかのう。奴らは古代文明にまでイタズラをしておる。おかげで歴史も随分変わってしまっているのじゃが、その数やスピードはとても速く、ワシだけの力だけではどうにも手がつけられない状況になっている。それに、あれは宇宙人なんかではない、遥か未来から来た地球人なのだ。とてもとても、ワシらだけの力では敵わないような相手なのじゃ。それに奴らに変えられてしまった歴史の数は、到底ワシらの力だけでは修復が間に合わないような数になっておる。今、過去の歴史というものはそのような事態になっておるのじゃ」
「大変なことですね! 我々はこれから、どのようにしていけばよろしいのでしょうか?」
「古代文明に関しては、もう既にたくさんの歴史が塗り替えられてしまっている。これに関してはもう修復ができん、だからどうにもならんじゃろうな。だが奴らが、これから仕掛けてくること、変えようとする歴史に関しては、何が何でも、我々が阻止せねばならん」
「鏡の主、微力ながら、私も力になります」
「見二よ、覚悟せいや。お主の命を賭けるようなことになる。これから奴らが仕掛けてくることを阻止していく。ここからがお主の、本当の修行の始まりじゃ」
「はい」
これから未来人との戦いが始まると言うのだろうか。
二人は未来人の悪事を、どのような手段で撃退していくのだろうか。
鏡は時空を超えることができる。
それに鏡は、鏡がある所に瞬間移動することができる。
その特性を活かし、鏡同士がネットワークで繋がり、そこからたくさんの情報を得て的確に行動してくことが重要になるのであろう。
鏡の主は「先ずは未来に行こう。未来人と対等に戦うためには、未来人のことを知り、そして未来人と戦うことを未来の警察的組織から許可を受けることが必要だ。それと、それに立ち向かえるだけの武器が必要になる」そう言って、未来に向けてタイムワープを開始したのだった。
このタイムワープ時間にして三十分という旅になる。
これはタイムワープの時間としては長い部類に入る。
それもそのはず、着いた先は今の時代から約三千年後の世界だったのだから。
その未来の世界では、今まで見たこともないような景色が広がっていたが、かろうじてここが日本であると思わせるような場所ではあった。
埋め立てが進められていったのか、海は小さくなり、見渡す限り全てが都市化しているように感じた。
そして乗り物の多くは空を行き来していた。
太陽は私達がこれまで見てきた太陽とは違い、薄い光で少し寂しい感じがした。
あの太陽は人工のものなのだろうか、ギラギラした赤く熱いものではなく、紫外線というものをあまり感じないような白っぽい光の玉のように見えた。
鏡の主は以前からこの地の、ある人物とコンタクトを取っていたようだが、今回はその人物に直接会いに来たのだった。
その人物というのは、この時代の警視庁長官にあたる人物で、タイムパトロールの監視にも力を入れている人物である。
今回のこのコンタクトは、二人の間には受付や他の人を介さず、鏡を通じて連絡を取り合い、長官の部屋にある鏡を介して直接部屋に入り話しを進めることになっていた。
長官に会うために何故、ここまで警戒をする必要があったのだろうか?
それはスパイによりどこから情報が漏れてしまうか分からないことから、長官から提案されていたものだった。
今回は長官と直接話し合い、今後、悪い未来人へ攻撃することの許可を得ることや、先進的な未来人と戦うために、武器の提供を受けることが目的であった。
今まで長官とは鏡越しで会うことはあったが、直接会って話しをするというのは今回が初めてで、さすがに鏡の主も緊張しているようだった。
やがて未来に向けたタイムワープが終了し、鏡の主が鏡を通じ長官と交信を始めた。
その一部始終を見届けようとする見二、これが平和に繋がる第一歩だとしたら本当に凄いことだ。
普通では絶対に経験ができないようなことが、実際に目の前で起きようとしているのだと実感した。
「さぁ行くぞ、お主も来い」
そう言って鏡の主は、鏡に向かって歩きはじめた。
「はい」
見二といったら瞬き一つもしない、おまけに身体はガチガチの緊張状態で、まるで昔の機械のような動きになっていた。
なんとか鏡の主に置いていかれないようにと、頑張って歩いたていた見二なのだが、未来人との距離はあと僅か五メートルの位置にまで迫っていた。
二人は更に進みついに未来人と向き合った鏡の主、この時代では握手をするという習慣は無く、二人は二メートルほどの距離を保ち挨拶を交わした。
未来人の姿は、今の人間の姿とはまるで違っていた。
頭と目は異常に大きいのだが、身体と手は足は細く、それは宇宙人を想像させるような姿をしていた。
未来人はテレパシーが使えるのだろうか、口は小さくさほど動きが無い。
未来人の姿に注目をしていた時、何処からともなくスッと現れた三つの椅子、それは映像にでも映されたような不思議な椅子であった。
三人はそれに腰掛けて、いよいよ歴史を賭けた話し合いが始まった。
過去の歴史を守るために。
話し合いの時間は一時間を予定していたが、是非とも充実した話にしたいものだ。
逆にそれ以上の時間をかけることは、周りの者に察知されるおそれがあり、それが反逆者の耳に入ると危険が伴い厄介な事態になってしまうからだ。
この時代にも裏切り者や反逆者は多かった。
これは絶対に他には漏れてはいけない話だった。
最初に話題になったのは、未来人の悪事を取り締まることが出来るよう、警察と同様の権力を得ることが出来るかということだったが、それについて交渉がはじまった。
これまで過去の歴史を荒らしていた者達は、この未来のこの時代で生活しているということは明らかであり、このことは、この時代の警察もしっかり把握していた。
悪事をはたらく者達は組織化されており、それぞれグループ名も存在していた。
だいたい一つひとつのグループは、約十名ほどのメンバーで構成されており、メンバーの名前も全て把握することはできていた。
ここ最近、歴史を頻繁に荒しているグループの名前も把握することができていたのだ。
当然ながら未来の警察もこのグループをマークしており、タイムパトロールと連携して証拠集めをおこなっているが、とにかく動きが早く逮捕までには至っていない。
奴らが最近狙っていると思われる場所は日本で、狙っている時代は幅が広く、戦国時代から明治にかけて多くの歴史が荒らされていた。
未来人は過去の時代に勃発した戦などに、最新の技術を持ち込んで戦争に加担し、歴史上の敗者を勝者へとひっくり返ってしまうという事態も起きていた。
歴史的に徳川家康が負けるようなことが起これば、日本の歴史はとんでもないことになってしまう。
過去の世界での警察権に関しては、未来人と四十分の時間をかけて話し合った結果、未来人の逮捕権と我々の身に危険がある場合、それと歴史を守るためであれば未来人への攻撃が許されることになった。
そうなると次は武器の交渉だ。
この時代の武器とはいったいどのような物なのだろうか。
実弾が入ったピストルや、鋼の刀などは骨董品としてのみ存在しているという。
もちろん核ミサイルや水爆といった物は未来には存在していない。
全ては過去の物だ。
実弾を使ったピストルや刀の様に形がある物は、未来人の身体には通用しないという。
身体に到達する前に相手に避けられてしまうらしい。
それに未来人の身体はゼリー状のものに覆われているらしく、過去の武器では身体まで達することはないらしい。
だからこの時代の武器といえば、レーザー光線が主流となっていた。
核ミサイルに関しては、過去に一度、核を使った全面戦争が起きていた。
その時、人類は滅亡しかけていたのだ。
だから今は、核というものは兵器としてではなく、大切な燃料としての役割しかないのだ。
もしも兵器に転用するようなことがあれば、世界中の人類から製造している場所に対して、力強く長距離への攻撃が可能な、スーパーレーザーを使った一斉攻撃をしかけられてしまう。
それほどこの時代では警戒されている物なのだ。
一斉攻撃がおこなわれた場合、核の爆発に伴い放射能が放出される可能性があるのだが、放射能が拡散をする前に大きな籠のようなもので、一瞬にして蓋がされ大気中に漏れ出ることを防ぎ周りに影響が出るようなことはない。
もちろん爆風も止めることができる。
核はこの時代、兵器にしたとしても全く通用しない物なのだ。
未来人と対峙するとなると、スーパーレーザーとまではいかなくても、レーザー銃が十丁ぐらいは必要になるであろう。
あとはレーザーの元となる燃料や、銃の扱い方を知ること、射撃の練習をすることも必要となる。
しかし、この武器の調達交渉は意外に難航していた。
何故ならば、過去の世界には存在しないハイテク兵器を、目の前にいる古代人間に渡して良いものか悩んでいた。
これを過去の時代に忘れたり、落としたりすることで、歴史が変わるような大変な事態が起こり兼ねないからだ。
鏡の主は長官に対して粘りに粘った、自分達のこれまでの功績を話してようやく信じてもらうことができ、レーザー銃十丁とその燃料を二百本、それに念の為と無痛の麻酔銃を三丁手に入れる事ができた。
レーザー銃の交渉は五十分ほど掛かり、逮捕権の交渉と合わせると九十分ほど、予定していた六十分から三十分もオーバーしてしまい危険な交渉となってしまった。
これは反逆者に気づかれてもおかしくない状況である。
この状況を鑑みて銃の取り扱い方に関しては、EGを使用して勉強するしか方法は無かった。
EGとは現代でいうDVDのような映像を観る機械で、この時代では更なる進化した物だった。
長官は更に、万が一の為にとビックレーザー砲も一門、鏡の主に提供してくれた。
これは手で撃つことが出来る大砲のような物だが、コンパクトで取り扱いがしやすく、力強いレーザーが遠くまで届くものであった。
一回の発射で一本の燃料を消費する程の、大迫力な兵器である。
未来人がタイムワープに使う乗り物は、通常ではUFOと呼ばれているあの未確認飛行物体だが、未来ではタイムワープのために使用している飛行船だった。
ビックレーザー砲の威力は、飛行船を撃ち落とすぐらいの力はあるらしい。
早速、二人は提供を受けた武器の試し撃ちをおこなった。
鏡の主である格之進は、レーザー銃とビックレーザー砲を難なく使いこなした、さすが剣の達人、どんな武器を持たせても難なく使いこなすものである。
それ以上に驚いたのは、見二がこのレーザー銃とビックレーザー砲を完璧に使いこなし、ほとんどの的を正確に撃ち抜いていたことだった。
昔、夢中でやっていたゲームで鍛えた腕がここで発揮されたのだろう。
未来の警視庁長官との交渉の成果は、満点だったと言えるだろう。
いろいろと便宜を図ってくれた警視庁長官に対し丁寧に挨拶を済ませた二人は、鏡の中へと帰って行った。
鏡の主には権利と武器が揃い、いよいよ未来人の取り締まりを開始する時がやって来た。
二人の向かう先は既に決まっていた……二人が向かう先は、西暦一六〇〇年の戦国時代、場所は徳川家の屋敷であった。
未来からやって来るやから共は、この時代の歴史を変えるためにやって来ているようだ。
この一六〇〇年という時代は、大きく歴史が動くきっかけになった年、そう、関ヶ原の戦いが起きた年なのだ。
第五章
西暦一六〇〇年に、未来人が潜伏したとの情報を得ていた鏡の主は、鏡のネットワークを使い調べを開始したのだが、その答えは直ぐに出た。
「なに? 未来人はおるか! 奴らは何を狙っておるのじゃ?」
「東軍の徳川家康が天下を目指して、石田三成と毛利率いる西軍との戦がもうすぐ始まります。奴らはこの戦場に来ております」
「そうか、奴らの狙いが分かったぞ。徳川が率いる東軍の転覆じゃ。この戦では東軍が勝利するのじゃが、奴らは西軍に肩入れをして、西軍を勝利させようとしているのではないのだろうか。そして歴史を大きく変えようとしているのじゃ。そのようなことになれば、この先二六〇年も続くことになる江戸という時代は、今後存在しないことになってしまう」
「鏡の主、いかがいたしましょうか?」
「奴らどのような手法で、どの部隊に肩入れしようとしているのかが分かればなぁ……どうすれば良いかのう。とりあえず徳川家康、黒田長政、徳川秀忠の部隊の多くの者に、手鏡をを持参してもらって欲しい。そうすれば関ヶ原だろうが、上田だろうが、何か事が起これば直ぐに対処ができるはずじゃ、頼む!」
「分かりました。全力で対処いたします」
しかし、どうやって手鏡を持参させるのだろうか?
鏡の主には何か作戦があるのだろうか……鏡の主は、未来人から提供してもらった無痛の麻酔銃を用意していた。
いったい無痛の麻酔銃をどのように使用するつもりなのだろうか?
それは家康が鏡を覗き込んだタイミングで、鏡はその姿を完全にコピーする。
そして鏡の外にいる、家康本人に対して麻酔銃を撃ち込み、家康を鏡の中へと引き入れる。
麻酔銃を撃たれた家康本人は、麻酔の効果で丸一日眠ったままとなる。
この隙にコピーされた家康は鏡の外に出て、徳川家康として家臣らに司令を出していく。
その指令の内容はこうである……
「この戦、絶対に勝利しなければならない。そのため皆には、この戦でなるべく持参して欲しい物がある。それは鏡じゃ! 鏡は守り神様である。よって手鏡が自宅にある者は、必ず、この大戦に持参すること。大名に限っては、必ず持参のこと」であった。
麻酔銃の効果が続く丸一日間を利用して、コピーされた家康は家臣らに広く伝えていったのだ。
丸一日が過ぎたあと、二人の家康は元の状態に戻っていった。
鏡の主は、やれるだけのことはやった、あとは家臣達が手鏡を持参してくれることを信じるしかなかった。
ここから十日後、大一番の戦いが始まった……関ヶ原の戦いだ。
しかし、この大戦に遅れている部隊があった。
その部隊は上田城で足止めを食らっていた。
この部隊の大将は徳川秀忠である。
未来人はここに手を入れて来るのだろうか?
「んっ!」
一瞬、上田城近くで何かが光った。
そして次第に秀忠の部隊がざわつきはじめた。
「うわぁ!」
前線にに出ていた兵士から、大きな声が上がったあとに、二十人くらいの兵士が一斉に倒れ込んでしまった。
「何があったのだ?」
そう叫ぶ秀忠。
「わかりません! どうやら敵の攻撃を受けたようなのですが、どこから攻撃されたのかすら分かりません……他の者に確かめさせます」
秀忠の側近が、兵隊に確かめるよう指示を出した。
確かめに向かった十名ほどの兵士が走っている最中、また上田城近くで強い光が出た、その光は一瞬にして兵士の近くまで届き爆発した。
一斉に兵隊は倒れ、そのまま全く動かなくなってしまった。
「な、な、何だあれは! あの光、それにあの爆発、何が起こっているというのだ」
秀忠は一瞬にしてパニック状態に陥ってしまった。
周りにいた家臣達が一生懸命、秀忠を落ち着かせようとするが、あのような攻撃を誰もが今まで経験したことがないというのは勿論のこと、この時代の者には衝撃が強すぎたのか、中々自分を取り戻すことができなくなっていた。
そこに一人の家臣が「秀忠殿、鏡、鏡はどうですか? お館様から言われていたあの鏡です」
「あっ! 持っていくように言われておったあれか! おい誰か! 早く、早く手鏡を出せ!」
その言葉にすぐ反応した一人の側近は、布で丁寧に包まれていた手鏡を秀忠に差し出した。
秀忠は布を慎重に外していき、ピカピカに光る手鏡を敵の城に向けて叫んだ。
「これは神じゃ! 神が我らを救ってくれようぞ!」
鏡を敵陣に向けたままの秀忠、周りの者達はそれを後押しするように、大きな声で雄叫びを上げていた。
「おっ! 何だこれは!」
手鏡から大きな筒のような物が現れた。
「ワシは鏡の神じゃ。今からお主らに加勢を致す。今まで見たこともない、大きな力を見せようぞ」
その声のあと、筒の先端が激しく光った。
かと思ったら、その光りは上田城に目掛け、一直線に真っ直ぐ伸びていった。
『ズッドーン』
上田城の周辺は、激しい光と爆風が起こり、そして辺りに大きな音が響き渡った。
しばらくは光と煙、それに砂ぼこりで、何が起こっているのかを把握することができなかったが、次第にそれは晴れて、上田城周辺の様子が徐々に分かってきた。
あの光の衝撃で上田城の半分は破壊され崩落、あとの半分は火が付き、城は激しく燃え盛っていた。
城から出て合戦していた兵士達のほとんどは慌て逃げ惑い、あっという間に戦場から居なくなってしまった。
それもそのはず、あんな未知なる兵器の破壊力を見せられたのだから、それは当然のことである。
そして上田城から人は居なくなった……と思われた、その時! 燃え盛る上田城から何かがスッと飛び出してきた。
それは真上にスッと上がった、円盤型の乗り物だった。
その円盤は、ある程度上昇してから横移動し、あっという間に戦場から居なくなってしまった。
「あれが未来人の乗り物か? あれがタイムワープできるという飛行船なのか? 俺にはUFOにしか見えない」
やはり西軍の手助けをしていたのは未来人だったようだ。
未来の技術に対して、この時代の兵器では全く歯が立たない。
やはり未来の技術には、未来の兵器でしか対応できないものだ。
上田城から逃げて行った未来人を乗せた乗り物は、いったい何処に向かって行ったのだろうか?
奴らには、次なる目標がきっとあるはずだ。
「ワシが思うに、奴らの向かった先は、きっと関ヶ原ではないのだろうか。ワシらも早く向かい、家康の陣の者に知らせねばならん」
鏡の主は、他の鏡とコンタクトを取るため、家康の陣にある複数の鏡を覗いて見て回ったが、まだ手鏡を覆っている布を外している手鏡は無いようだった。
『この事態を何とかしなければ』
その時、手鏡にかけてあった布が、偶然にも半分ほどズレて外れかかっている鏡を見つけることができた。
「これだ! 見二、この手鏡に入り込み、あとの半分掛かっている布を外して、未来人からの攻撃に対応するぞ」
鏡の主は見二にこう伝え、直ちに作戦は開始された。
今回もビックレーザー砲を使用することになるのであろう。
あのタイムマシンである飛行船、鏡の主は撃墜もやむなしと見二に伝え、見二の答えも勿論、鏡の主と同じ撃墜やむなしであった。
見二にはプレッシャーが掛かる仕事になるだろうが、決して失敗は許されない。
見二は布が半分外れている手鏡に入り、鏡の中から半分かかっていた布を外し、鏡面全体があらわになった状態にした。
あとは戦場に居る兵士を、この手鏡でコピーすることができれば準備万端となる。
見二は、手鏡から自身の身体を半分ほど外に出した状態で、周りの様子を伺った。
「いた!」
手鏡の場所から二メートルくらいのところで座っている兵士を見つけた。
見二は下に落ちていた石ころを一つ拾い、近くで座っている兵士に向けて石を投げつけた。
「痛い! 誰だ、何をしやがる! あれ? どこにおる?」
「おい、こっちだ! どこを見ているのか。こっちだぞ」
「ふざけやがって、どこだ! 出て来い」
ようやく声のする方に向け歩き出した兵士は、どんどん手鏡に近づいてくる……その兵士はなんと! 福島正則であった。
見二は、手鏡の前まで福島正則を誘導し、正則が鏡を覗き込み鏡に顔が映った瞬間を狙い、正則の姿ををコピーしてから麻酔銃を撃ち込んだ。
そして本物の福島正則を鏡の中に引きずり込んだあと、正則を完全コピーした見二が、レーザー銃を腰に付け、ビックレーザー砲を肩にかけて鏡の中から出て、関ヶ原でおこなわれている戦場へと向かって行った。
徳川家康は、自分の陣は戦況が有利であったため、当初は落ち着いて戦ができていたが、……それが一変してしまうような出来事が起こった。
「ドッカーン!」
家康が構える陣の近くで次の合戦に向け準備を行っていた兵士達、その側で凄まじく大きな爆発が起こったのだ。
それは正に一瞬の出来事であった。
一瞬強い光が見えたと思ったのと同時に、それは起きた。
いったい、あの光はどこからやって来たのだろうか……爆発した場所の真上、その遥か上空には、例の円盤型の乗り物、飛行船が停滞していたのだ。
まるで猛獣が、大量の獲物を狙うかのように……
この状況から家康の陣は、かなりざわつきはじめていた……それだからなのか上空にいる飛行船の存在には全く気づいていない様子だった。
見二は、上空で停滞する飛行船からは死角になるような場所を探し、下からビックレーザー砲で撃墜するチャンスを覗った。
『これではまだ遠すぎる。これでは撃墜できないかもしれない……仕方がない、もう少し待つしかないのか……』
焦りが原因で狙いを外してしまってはいけない、そうなれば敵を逃してしまうことにもなる。
「おっ! あれは」
未来人は家康に狙いを定めているのか、飛行船は先ほど飛んでいた高さよりも低い位置に降りてきていたのだ。
『これはチャンスだ!』
見二は静かにビックレーザー砲を構えた。
そして狙いを定め飛行船をロックオン、誘導レーザーで撃った。
飛行船も自機がロックオンされたことを察知したのだろう、凄い勢いで回転して移動をはじめた。
飛行船の周りにある赤いライトが勢いよく回転している、未来人はかなり焦っていると思われる。
見二がビックレーザー砲から放った太いレーザー柱は、飛行船を追いかけている。
飛行船は横移動をはじめたが、見二の放ったレーザーの速度はかなり速い。
飛行船が低い位置にいた時に誘導で撃ったこともあり、飛行船は回避できずに撃墜されてしまった。
撃墜された飛行船は、レーザーの威力で全て焼き尽くされ、跡形もなく消えてしまった。
それを見届け落ち着いたところで見二は、関ヶ原の戦場に目を向けてみた。
そこには、走って逃げていく未来人の姿があった。
走る未来人は二人、見二はビックレーザー砲を手鏡の中に戻し、レーザー銃を手に二人を追った。
未来人はあまり筋肉が発達していないのだろうか、走っている姿なのに何故か速度は上がらず、とても遅い。
見二は、逃げる未来人をレーザー銃の射程距離まで追ってから、その場に伏せてレーザー銃で二人を撃った。
「うわぁー、うわぁー」
見二の放ったレーザーは、二人を正確に捉え、未来人の身体を撃ち抜いた。
二人の未来人はその場に倒れて動かなくなった。
鏡の主と見二は、しばらくの間この時代に残り、関ヶ原の合戦が決着するまで戦いを見届けた。
この戦いに再度、未来人が参加してくることはなく、関ヶ原の戦いは予定通り徳川家康が勝利を納めた。
結果的に、この時代の歴史は守られた。
今回は、未来人との戦いに勝利したのだが、未来人もこれで諦めた訳ではないだろう。
奴らはまた、違う時代に現れる……次に未来人が狙い、現れるとしたら、それはいったい、いつの時代になるのだろうか。
第六章
鏡の主は未来の警視庁長官にコンタクトを取った。
それは未来人が使っていた飛行船を撃墜したこと、それにニ名の未来人を銃殺したことを報告するためだった。
未来人達は、未来の兵器を使用して、歴史の転覆や改ざんを目論んでいたようだが、鏡の主と見二の働きで見事に撃退することができた。
今回のこの事件、歴史を守るために二人は、この方法しかなかったということを伝え、警視庁長官にも理解してもらうことができた。
飛行船はビックレーザー砲で完全に焼き尽くしたことから、過去の世界に未来で作られた特殊な残骸を残してくることはなかった。
レーザー銃で殺害した未来人の遺体は、関ケ原の合戦が落ち着いたあとで鏡の中に回収し、未来の世界で処分してもらっていた。
未来人の族を少しだけ縮小させる事ができたのだが、戦いはこれからもまだまだ続いていく。
奴らはこの程度のことで、手を引くことは無いだろうから。
未来人の族達の狙いは、歴史を塗り替えることである。
自分達の都合の良いように、そして好きなように歴史を変えてしまうことである。
それを阻止するために鏡は活躍しているのだ。
あの関ヶ原の合戦の日から幾日も経っていないが、鏡の主の元には他の鏡から、ある情報がネットワークを通じて飛び込んできた。
それは西暦一九四四年の、またもや日本からだった。
この時代というのは、第二次世界大戦が真っ只中の時である。
未来人の族達は、この時代で何をしようと企んでいるのだろうか?
その後、未来の警視庁長官にも調べてもらったのだが、未来からの情報によれば、二機から五機の飛行船が、この第二次世界大戦の時代を繰り返し行き来しているようだった。
誰と接触しているのかまでは分かっていないが、先ずはその時代に実際に行って、探らなくてはいけないと鏡の主は考えていた。
未来の族達は、前回の関ヶ原の戦いで作戦が失敗しているだけに、今回は慎重になっているに違いない……鏡の主はそうも考えていたのだった。
そこから、奴らの狙いを暴いていくのは容易なことではないだろう。
この頃の日本は、敗色ムードが漂う厳しい戦況の中、戦力の中心は特攻隊が担っていた。
敵国には暗号も解読されていて、やること全てが見抜かれているといった状態であった。
そのため、このときに計画していた軍事作戦のほとんどが、失敗に終わっていた。
そもそも論だが、この戦争は、はじめから勝てるはずの無い戦争。
その戦争を何故、日本は始めてしまったのだろうか?
神風というものが、また吹くとでも思っていたのだろうか。
未来人は、日本が到底勝てないこの戦争を、勝利させようとしているのかも知れない。
それでは歴史が壊れ、崩れてしまう。
ただこの頃、日本でも原子爆弾の研究がおこなわれていたことはご存知だろうか。
本当の歴史においては、原子爆弾は日本が先か、アメリカが先かという状態だった。
もし日本の研究や実験が、アメリカの研究を上回り、実行するのが先だったとしたら、今頃はどんな世界になっていたのだろうか。
もしかしたら未来人は、これを狙っているのかもしれない。
もしこの時代に、未来の知識や技術が詰まった、そんな凄い核兵器が使用されることになれば、それはとんでもないことになってしまう。
この時点で世界が終わってしまうかも知れない……そんなことを決して許してはならない。
例え世界が終わらなかったとしても、そんなことが起きてしまえば日本という国は、半永久的に信頼を失い、二度と国として回復することは無いだろう。
だから絶対に、歴史は変えてはいけないのだ。
当時の大日本帝国という国は、中身よりも外身ばかりが大きくなり過ぎてしまい、結果的にそれが勘違いに繋がったのかもしれない。
ご存知のように日本は、この第二次世界大戦で大きな打撃を受け、最後は無条件降伏を勧告されて、それを受けざるを得ないような完全敗北を期してしまった。
そう、日本は全てを失ったのだ……
全てを失い壊れたからこそ、日本は復興と再建を果たすことができたのだろう。
これは結果論だが、だから日本という国は今日まで、先進国の仲間入りをしているのだ。
今日という日本があるのは、このような悲しい歴史があるからだと思う。
この日本の歴史を、決して曲げるようなことをしてはいけない。
この歴史は悔しく、悲しい出来事であったことは間違いのない事実だ。
だが我々日本人は、これはこれで受け入れなければならない事実なのである。
鏡の主と見二は、未来から来ている飛行船の動きを把握することに重点を置くことにした。
それと、この時代に原子核の研究をおこなっていた施設を探し出し、そこへの調査もしていきたいと考えていた。
強い気持ちで挑んだこの調査だったが……調査開始から二日が経ったても、なに一つ成果となるものが出てこないのだ。
「鏡の主、どうしたら良いのでしょうか? もしかしたら、捜査のやり方が間違っているのでしょうか? それとも、未来人がかなり警戒心を持って対応しているのでしょうか?」
「ワシも鏡のネットワークを使って捜査しておるが、有力な情報などはなに一つ上がって来ないのじゃ。それどころか目撃情報すら無いのが現状じゃ。未来から貰っている最新の情報では、やはり未来の飛行船は三機から五機、この時代を行き来しているようじゃ。しかしここでは、目撃情報が全く無いのだ」
「あの飛行船、姿を消すことが出来るということはないでしょうか?」
「姿を消す? もしかして、そのようなことが出来るのかもしれんな。未来に問い合わせて聞いてみよう」
鏡の主は直ぐ鏡の機能であるタイムマシンを使い、未来へと向かって行った。
その後、鏡の主は未来の警視庁長官の部屋に置いてある鏡を通して、長官とコンタクトを取った。
そして長官に、未来の飛行船の構造や機能について教えてもらった。
あの飛行船には、あらゆる時空間を自由に行き来するタイムマシン機能と、その他に宇宙遊泳をすることが可能であること、最後に教えてもらったことは、やはり姿を消すことが出来るということだった。
この機能の使用は、未来では一切禁止されている。
万が一、その機能を未来で使用していたとしても、未来の世界では決して通用しないのだと言う。
特殊なガスがかかっている未来では、完全に姿を消すことなど不可能であるらしい。
それに飛行船の操縦をする際には、特殊なメガネを装着するのことが義務化されており、そのメガネの前で飛行船は、姿を消すことができないような仕組みになっているのだ。
「ならば、そのメガネをかければ、姿を消している飛行船でも、ワシらは見ることができるということでしょうか?」
「そうです」
鏡の主は、長官にこんなお願いをしてみた。
「その特殊なメガネ、私共がお借りすることはできないでしょうか?」
「それは構いません」
「ありがとうございます」
「礼を言うのはこちらの方です。族に対するあなた方の働き、それにはとても感謝しております。鏡の主殿、メガネをいくつご用意したら宜しいでしょうか?」
「はい、十本ほどお借りでききたら有り難いのですが、どうでしょう、大丈夫でしょうか?」
「分かりました。十本ですね、直ぐにご用意いたしましょう」
「ありがとうございます」
長官は直ぐに知り合いに連絡を取り、特殊なメガネを十本用意してくれた。
それを受け取った鏡の主は、再び鏡の機能であるタイムマシンを使い、一九四四年の日本へと戻って行った。
タイムマシンでの移動は、意外に体力を消耗してしまうものだ。
例えるなら海外に行った時、時差ボケでボーッとしてしまうような感じに近い。
それに目眩が加わったような感覚だ。
ただ、鏡の主も「疲れた」なんてことは言っていられない、歴史が変えられてしまうことに対しては、とにかく待った無しである。
未来人の族共は、この時間にも着々と歴史変革のため、日本の何処かで準備を進めているのだ。
もし間に合わなければ、とんでもない歴史が作られてしまうことになる。
やはり鏡の責任は重い、これは絶対に阻止しなければならないことなのだ。
だから鏡の主と見二に、休んでいる暇など無い。
第二次世界大戦の時代に戻った二人は、直ぐ調査に戻って行った。
未来人は日本の学者と共に、核の研究や製造をしている可能性がある場所の特定を急いだ。
研究所を特定するため鏡のネットワークを使い探した結果、有力な研究所数ヵ所を特定することができた。
そして特定した施設の近くに住む鏡の住人に声をかけて、特殊なメガネを一本ずつ配っていった。
施設の数は全部で八箇所、鏡の主が話を聞いた結果、どれも有力であると判断したのだ。
今回、鏡の主と見二は別れて行動することになる。
八ヶ所ある研究所の近くで監視している鏡の住人の所に、二人は別れて出向き、監視の手伝いをすることにしていた。
鏡の主の狙いは、未来人が乗ってきている飛行船が何処の研究所に出入りしているのかだった……先ずはそれを掴むことが先決だ。
未来人と核兵器の問題に関しては、大日本帝国陸軍の関与していると考えられていた。
だから陸軍に対しても、しっかりマークしていかなければならなかった。
「これだけ目星を付けて、そして未来からも援助を受けて監視しているのだから、きっと奴らを見つけることができるはずじゃ」
「そうですね、奴らの狙いは明確です。この計画で奴らを、徹底的にマークしていきましょう。奴らの悪い考えを絶対に許してはいけません。そしてこれに関わっている未来人は、二度と未来に帰さない。皆殺しにしてやる! 私達が歴史を守ってみせる」
「ワシも同じ考えじゃ! 武士だった頃のワシの血が騒ぐわ!」
「落ち着いてください鏡の主、血管が切れそうですよ。だから、もう少し落ち着いてください」
「んむ……わかっておるわ」
「鏡が歴史を守るのです」
「早速、手分けして張り込みをするのじゃ」
「はい」
二人は別れて、八つある研究所の張り込みの手伝いに向かった。
勿論、有力な情報が入れば二人は、直ぐに集まることになっているが、ハつの持ち場を担当する者は、絶対にその場を離れないようにと指示が出されていた。
「見二、そっちの様子はどうじゃ?」
「こちらは変わりなく静かです。建物に出入りする者も少く、それも研究員のみです。陸軍の出入りなどは全くありませんね」
「そうか、こちらもそうじゃ。そろそろ別の場所移るとするか」
「わかりました」
二人は三ヶ所目と四ヶ所目の監視場所に向かって行った。
鏡の主が向かった三ヶ所目でも全く変化なし、見二が向かった四ヶ所目も飛行船などの目撃情報や、これといった有力な情報などは得られなかった。
「見二、これは長丁場になりそうじゃぞ」
「はい……こんなに奴らの姿を発見できないとは思いませんでした」
「そうだな、ワシらの探し方に、何か間違いでもあるのだろうか? それとも何か見落としたことでもあるのだろうか? もしワシらのやっていることが見当違いだとしたら……修正も考えねばならんかもな」
「そうですね。とにかく次に向かいましょう」
「そうだな」
これまでは何の情報も得られぬままだったが、鏡の主と見二は、五ヶ所目と六ヶ所目の研究所に向かって行った。
鏡の主は五ヶ所目、見二は六ヶ所目に入ったのだが、ここでも変わった様子はなかったようだ。
どちらの施設の監視員も、手を抜くことなく十分に監視をおこなっていたが、やはり、これといった変化は無かったと言う。
「んっ、あれは何じゃ?」鏡の主がその場所をゆび指さした。
「あれは陸軍ですね」監視員が答える。
それは研究所に向かって歩く、陸軍の軍服を着た軍人三人の姿だった。
「ここなのか! 未来人が潜伏している研究所は!」
「しばらく様子を見てみましょう。そうであれば、必ず飛行船がやって来るはずです」
二人は特殊なメガネをかけ、飛行船の飛来するのを待った。
一時間後……飛行船の飛来は無く、そして先ほどの軍人三人は研究所から出て行った。
「どういうことだ?」
「私が研究所にある鏡に潜り込み、確認して参ります」
「くれぐれも気をつけるのじゃぞ」
「わかりました」
研究所に潜り込んだ監視員は、二十分後に鏡の主が待つ鏡に戻って来た。
「どうやら軍人は、研究所の職員に赤紙を持ってきたようです」
「赤紙じゃと?」
「はい、赤紙、召集令状です。日本は戦況が厳しく、この研究所の職員にまで召集令状を出したようです。それに、ここでは原爆の研究はおこなわれてはいないようですね。ここで研究がおこなわれていたとすれば、召集令状を出して戦場に研究員を放出するのではなく、重要な研究を優先するはずですから」
「そうじゃのう……ならばここも違ったということなのか」
「そのようですね。しかし、ここはここで、監視を継続していきます」
「頼んだぞ」
五ヶ所目もバツが付いた。
「見二、六ヶ所目はどうだ?」
「全く動きがありません。研究所としての機能すら無くなっているようです。それより鏡の主の方はどうでしたか?」
「ダメじゃった。赤紙が届いていた」
「研究員に赤紙ですか?……そこまで日本は追い込まれているということですね。この国は、この先のことを全く考えていないという証拠です。鏡の主、早く七ヶ所目、八ヶ所目に向かい調査を続けましょう」
「分かった、次に行こう」
もし次に進展がなければ、この仮説は完全に暗礁に乗り上げてしまうことになる。
それは振り出しに戻るというよりも、更に後退してしまうということになってしまう。
二人は想像している事態を見つけたいという気持ちと、実はそんな馬鹿げた物は作っていない、作っていなければ良いとの二つの想いが交差していた。
七ヶ所目は鏡の主、ハヶ所目は見二が応援に向かった。
七ヶ所目についた鏡の主、監視員とコンタクトを取り合流した。
「何か変化は無いか?」
「私はずっと監視しておりましたが、これといった変化はありません」
「そうか、ここもなのか。どこの研究所に行っても同じなんじゃ……ワシが回っている研究所の見回りも、実はここが最後なんじゃ。あとは見二が行っているハヶ所目を残すだけだ。もしそこに変化がなければ、今度は策の練り直しになる。また未来に顔を出しに行かなければならんのう」
「鏡の主、私が言えるのは、この研究所で核の研究がおこなわれていないのは明らかです」
「そうじゃのう……ワシは見二のところに行ってくる、ここはお主に任せた」
「わかりました、お気を付けて」
鏡の主は、七ヶ所目の研究所をあとにした。
そのころ見二は、ハヶ所目の研究所を担当する監視員から、これまでの監視の様子を聞いていた。
「そうですね……変わった事と言えば、陸軍と思われる軍人が、先ほどあの研究所の中に入って行きました。入っていった者を見ていたのですが、あの制服の様子から見て上官クラスの軍人だと思われます」
「そうか、その陸軍は何人で来ているのだ?」
「全員で五人、そのうち二人は護衛の者だと思われます」
「上官クラスが三人も居たとなると尋常ではないな……おい! その特殊なメガネはずっとかけて監視していたのか?」
「すみません、夜はさすがに見えにくくなってしまいますので、ほとんど外していました」
「じゃあ、夜は、飛行船の監視ができていないということだな?」
「はい……申し訳ありません」
「まあ、過ぎたことを言っても仕方がない。これからはしっかり監視するのだぞ」
「はい、すみません」
「鏡の主、聞こえますか?」
「どうした? ワシは今からそっちに向かうつもりじゃったが」
「そうですか! では鏡の主をお待ちしております。このハヶ所目の研究所、ここは怪しいですよ」
「そうか! 急いで向かうわ」
鏡の主は、鏡のワープ機能を使い、急いで見二の元に移動してきた。
やはりこの移動も体力を使うからキツイのだろうか、鏡の主は少しよろけながら見二の前に現れた。
「ここか! ここが怪しいのか?」
「陸軍の上官三名が、ニ名護衛を付けて中に入って行ったそうです」
「それは怪しいのう……確かここは」
「はい、理化学研究所です」
「ここは、優秀な人材が集まっておる研究所だぞ」
「そうです、ここなら原爆の研究がおこなわれていても不思議ではないと思います。そこに狙いを付け未来人が協力していても、全くおかしな話ではありません」
「そうじゃのう」
「これはまだ、おそらくという範囲でしかありませんが……飛行船の存在を確かめていないので」
「しばらくここで、この特殊なメガネをかけ三人で監視を続けよう。ここを出入りする飛行船の有無を確かめるぞ」
鏡の主達は、この理化学研究所で原爆研究がおこなわれていると睨んだのだ。
二人には、それしか選択がなかったのも事実であるが……
この当時、理化学研究所では陸軍の頼みで、原子爆弾を作るための研究をおこなっていたのは事実である。
あの戦況から、大日本帝国は起死回生を企んでいたのは事実なのだ。
ただ当時の理化学研究所が考えていたことは、この戦争が終わるまでに、日本が原爆を完成させることなど出来ないという風に考えていた。
それであれば何故、原子爆弾の研究や開発を受け入れたのだろうか?
それは、ここで働く優秀な人材を守るためだったと言われている。
優秀な研究者達が、赤紙により戦場へと送られるのを防いでいたのだろう。
この研究をおこなっている間は、絶対に招集されることがないからだ。
その理化学研究所に、未来人が入り込んでいるとなると話は別になってしまう。
未来人の最先端の知識と、未来からの材料が投入されているとしたら、あの大きなアメリカ本土を枯れ地にすることぐらいは簡単なことだろう。
もしそんなことが起こってしまえば、今までの歴史は完全に変わってしまう! そんなことを絶対に許してはならない!
鏡の主達は、監視を続けたのだが、深夜の十二時を過ぎても何の変化もなかった。
その後も監視は夜通し続けられたが、この状況が一変したのは、夜が明ける少し前、山の線が赤くなる頃だった。
「むむっ、あれは何じゃ!」
「鏡の主、飛行船です! それも三機います! いや、奥にあと二機見えています! 合計で五機の大群です!」
「おう、ワシにもハッキリと見えておるわ、奴らは本気だぞ! おい、理化学研究所の上空で止まったぞ。研究所の中に着陸するつもりなのか」
「鏡の主、いかがしましょう?」
「いったい奴らの研究と制作、それがどこまで進行しているのだろうか……中の様子がわからないことには、不用意に手出しもできん。そのような研究所の中にワシらが飛び込んで行くのは、あまりにも無謀なことじゃ。あの研究所の中にも鏡はあるだろう。その鏡とコンタクトを取って、中の様子を探ってからにしよう。そして念入りに作戦を立ててから攻撃に移るのじゃ。奴らが手にしているのは核、一歩間違えればこの日本が危ないことになってしまう。場合によってはまた未来へ相談に行かなければならんかもな」
「五機という大群、一機に四人の未来人乗っているとしたら、二十人の未来人がここに来ていることになります。私達だけの力で戦えるのでしょうか?」
「しっかり作戦を立てねばならんのう……しかし未来から応援をもらうとなると、この昭和の時代で、未来人同士の全面戦争にも成りかねん。そんなことは絶対にあってはならん」
「はい。先ずは相手の様子を探りましょう」
鏡の主は鏡のネットワークを使い、理化学研究所に設置してある鏡とコンタクトを取りはじめた。
しかし……五分経っても反応がない。
ここから考えられることは、理化学研究所で働くスタッフは、研究に対し意欲を持って取り組んでおる者ばかり、学業も成績優秀な者なので、鏡の中の者が入れ替わるようなやる気のない人間などは居ないことから、鏡の中には誰も住んで居ない可能性が考えられた。
鏡の中に住んで居ないにしても、理化学研究所内にある鏡の中にワープすることはできるが、そうなるとどうしても時間が掛かってしまう。
あまり時間は掛けたくないというのが正直なところ、なんとか六時間以内で突き止めることができるよう努力していこうと考えていた。
見二は、飛行船の監視を続けた。
そして見二は考えていた、何故未来人達は、五機もの飛行船で飛来しているのかと……何かヒントを見つけなければいけない。
そのためには相手の動きを細かく見ていかなければならないと考えていた。
このとき一瞬ではあったが、見二は飛行船を撃墜することも考えていた。
しかし相手は五機でやって来ている、どう考えても、こちら側に勝算などなかった。
この戦いに勝利するため、奴らの狙いや今おこなっている行動パターンを掴むことが先決と、自分の気持ちを落ち着かせていた。
やがて周囲は明るくなりはじめた。
そして完全に夜が明け、全ての視界は良好になっていった。
ただこの視界でも、飛行船が飛来していることは一般の目で捉えることはできない。
捉えるには、この特殊なメガネが必要になる。
見二は特殊なメガネを外すことなく、じっと研究所の上空を監視していた……そして、ある異変に気づいた。
それは戦国時代で見た飛行船とこの時代に飛来している飛行船は、色や形は同じに見えるのだが、その時よりも動きが鈍く遅いことに気がついたのだ。
何か慎重になることがあるのだろうか、見二は考えた。
それからも監視は続いた……
「鏡の主どうですか、理化学研究所の鏡とはコンタクトが取れそうですか?」
「もう少しだと思うのじゃが、中々そこまでいきつかんのじゃ。研究所の鏡はやはり難しい環境に有りそうじゃ」
「難しい環境とは?」
「研究所だけに、鏡の設置というのはあまりないのかも知れん」
「そうであってもトイレぐらいには設置されているでしょう」
「これは、もしかしたらの話じゃが、先の戦国時代での戦いで、未来人は鏡という物が怪しいと察知したのかもしれん」
「まさか! そんなことは無いはずです。だってあの時の未来人は一人残らず退治したはずですから。あの時の情報が他の者に伝わっているとは考えにくいのですが」
「見二、全て『もし』を疑っていかなければならん。『もし』戦国時代に現れた飛行船にカメラが付けられていたとしたら、その映像は未来に送られているはずだ。そうであれば、こちらの情報は筒抜けではないのだろうか。それに『もし』未来人がテレパシーを使えるとしたらどうだ。状況は筒抜けになっているのではないだろうか。そうであれば研究所の鏡は、全て破壊されている可能性がある。もしこの仮説が本当であるとしたら、また作戦の練り直しになってしまう」
「そうですね『もし』ですね……分かりました。いろんな想定で動いていきましょう」
「うむ、ワシは研究所の鏡とのコンタクトが取れるよう交信を続けてみる。研究所にある鏡と繋がることができれば、ワシらにも勝算はある」
「よろしくお願いします。私は監視を続け、奴らの弱点を見つけます」
「頼んだぞ」
この膠着した状態になってから、既に八時間を過ぎようとしていた。
さすがに二人とも疲労の色は隠せなかった。
鏡の主は、研究所の鏡とコンタクトを取るものの、繋がりそうで繋がらないという、もどかしい状態が続いていた。
このとき鏡の主は、最悪のシナリオも想定していた。
研究所内の鏡は、全て未来人に割られて粉々になっているのかもしれないと。
全ての鏡が粉々になっているとしたら、どうやってコンタクトを取れば良いのだろうか……もしコンタクトが取れないとしたら、どうやって中の様子を探ることができるのだろうか。
しかしその答えは出ぬまま、頭を抱えながらコンタクトを取ることに集中していた。
一方、見二はというと、少しずつ何かを掴みはじめてきたのかメモを取りながら考え、またじっくりと観察するということを繰り返していた。
この飛行船の飛来には、何やら法則が存在するようだ。
何故か飛行船は、ここを離れてから一時間半周期で飛来していた。
鏡であっても、この西暦一九四四年から西暦五〇二二年までワープするには、片道だけでも約三十分はかかる。
それは未来人の飛行船も一緒だろう。
それなら計算上、往復で一時間となる、残る三十分は未来で何をしているのだろうか。
燃料補給? いや、あの飛行船に燃料の補給などは要らないはず、核燃料を更に進化させた特殊燃料を使用しているので、燃料補給など必要ないのだ。
三十分、この時間は未来で何をしている時間なのだろうか?
低速でタイムワープしているとすると、なぜ低速でタイムワープをする必要があるのだろうか?
それは違うだろう、タイムワープ中に速度を落とすことなど絶対にないからだ。
奴らがおこなうタイムワープは、歴史を破壊するための違法的なワープ、速度を落としてしまえばタイムパトロールに捕まってしまうことになる。
いくら奴らでも、そんな危険なことはしないだろう。
そうなると、そんな危険をおかしてまで、未来と行き来しなければならない理由とは何なのだ……
「あっ!」
見二は、ある推測からひらめいた。
「奴ら、未来で製造した核ミサイルを、分解し細かくして五機の飛行船で運んでいるのかもしれない。行きのタイムワープでかかる時間が三十分、核ミサイルの部品を積むのに三十分、戻りのタイムワープに三十分……合計一時間半。核の部品を積んでいるのにも係わらず、タイムワープ中に速度を落さなくても良いのは、タイムワープ中というのは無重力だからだ! 重力のあるこの世界に入れば、部品を載せていると重力がかかり、速度を上げる邪魔になってしまうのだろう。それに重力がある所での飛行は常に墜落の危険と隣り合わせのため、慎重に操縦しているのではないだろうか。それは核という危険な材料を運んでいるからに違いない。奴らはこの世界に、核ミサイルの研究に来ているのではなく、核ミサイルを製造しに来ているのだ」
見二は鏡の主に、まだ憶測に過ぎないこの話を伝えた。
「その考え、間違いではないと思う。奴らは本気で歴史を変えようとしているのだろう。それも、とんでもなく大きく歪がんだ歴史に、変えようとしているのだ」
「はい、何とか阻止しなければいけません」
「おっ、そうじゃ! 必ず阻止してやる! それと、何とか良い所まで来た、理化学研究所内の鏡とコンタクトが取れそうじゃぞ! 鏡は全て破壊されたようじゃが、完全な形ではないけど、大きな鏡の破片が残っておった。割られた鏡の破片は、全て片付けられたのだが、人目につかないような隅に一つだけ残っておったのじゃ。その鏡の中に一人の男が入っていて、今はその鏡とワシの鏡を繋げようとしている最中じゃ。それが完全に繋がれば、研究所の中の様子を確認することができるようになるだろう」
「ありがとうございます! この戦い、必ず勝利しましょう」
「当たり前だ、必ず阻止してみせる! それが鏡の役目なんじゃ」
第七章
私達が当たり前に生活しているこの西暦二〇二ニ年が、ある日突然、消えて無くなってしまうことがある。
それは未来人がタイムマシンという飛行船に乗って過去に向かい、奴らが歴史そのものを変えてしまったからかもしれない。
中には歴史を大きく変えるとまではいかないが、やむなく現代まで残ってしまった歴史の歪曲なども存在している。
大きく歴史を変えてしまう、未来人の野望を阻止していたのは、実は鏡だったのだ。
ただ、今は……究極とも言える局面に差し掛かっていることは間違いない。
日本、いや世界の歴史が変わってしまうような、危険な事態を迎えていた。
鏡の主と見二は、この局面をどう乗り切っていくのだろうか。
「見二、ようやく研究所の鏡とのコンタクトが開通したぞ!」
「本当ですか! 良かった。お疲れさまです鏡の主」
「研究所の鏡の中におった者は、春日という男じゃった。その者は全面的に、ワシらに協力をしてくれるそうじゃ」
「早速、中の偵察に行きましょうか?」
「焦るな! 研究所の中の事は、もう少し分かってからの方が良い。春日殿に協力してもらい調べてもらおう」
「分かりました」
鏡の主は再度、研究所の鏡の中に居る春日とコンタクトを取り、無理をしない程度で中の様子を調べて欲しいと依頼をかけてみた。
春日からは「鏡がこの様に粉々にされ、身の危険すら感じていたところに意外な助けがあった」と喜んでくれた。
その恩に報いるため、精一杯の努力をすると約束してくれた。
それは研究所の職員が寝静まった深夜、未来人と研究員が最小人数となってからおこなうことにした。
午後の十時過ぎ、五機全ての飛行船は未来に向け飛び立って行った。
飛行船はおそらく、明け方まで飛来することはないと思われた。
確かに全機が飛び立っては行ったが、研究所の中に未来人が残り、監視しているということはないだろうか?
それも考えられることだとは思うが、未来人のことだ、残らなくても監視することはできるはずだ。
監視カメラの設置はおこなっているに違いない。
当然ながら危険は付きものだろう、それでも最小限のリスクで行動するしか方法はなかった。
この戦況から大日本帝国軍は、未来人の考えに従うしか勝利の方法はなかったのだろう……未来人が居なければ、この戦争の大逆転はないだろうから。
それを誰よりも分かっていたのは、陸軍であり、陸軍と振興のあった理化学研究所は、この頼みを断ることなどできなかったのだろう。
それに、今まで見たこともないような、未来の最先端技術を見せつけられては、怖くて逆らうことなどは絶対にできないはずだ。
ここを探るなら警備が手薄になる夜しかない。
理化学研究所に残った鏡の破片は、大きいとはいっても割れた破片である、そこから外の世界に出ていくだけでも大変なことだ。
この偵察は研究員が完全に寝静まった、深夜の二時から決行される。
この破片、鏡としての機能が残っているのであれば、鏡に映った人を真似ることもできるのだが、破片のある場所は人目の届かない隅に飛んでいる。
そんな鏡の破片を覗き込む者など一人もいないだろう。
それどころか、この鏡の破片が見つかることがあれば、即処分されてしまうのが落ちだろう。
だから深夜の偵察は、春日本人の姿でおこなうことになった。
鏡が破壊されたのは今から一ヶ月前、それから春日はこの破片の中でじっと耐えてきたのだ。
鏡から外に出るのは三十年振りになるそうだ。
彼は親不孝が原因で鏡の中に閉じ込められ、過去に失格者の烙印を押され、他人に成り代わられた経験者の一人である。
それからは鏡の中で更生を図り、またいつか世に出ることを夢見てこれまで頑張ってきた。
その彼が今回、人助けのために外に出ることを許されたのだ。
「春日殿、頼みます」
「分かりました。今から行って来ます」
春日は小さく砕かれた鏡の出入口をこじ開けるように、三十年振りとなる外の世界に出ていった。
研究所の中は真っ暗で人の気配は全く無い、それに研究員達はよほど過酷な仕事をしているのだろうか、寝静まる研究所からは物音さえ聞こえて来なかった。
春日は鏡の主から渡された赤外線スコープを目に付け、研究所内を慎重に歩いた。
『もし本当に、この研究所で核のミサイルが組み立てられているとしたら、必ず広い場所があるはずだ』
春日は組み立てをおこなっているだろう広い部屋を探して回っていた。
研究所はいくつもの部屋があり、どの部屋もとても広い、至るところに研究をおこなっている形跡はあるものの、お目当ての部屋には行き着かない。
しばらく歩いて見て回ったが、やはりどの部屋も鏡はなかった。
壁をよく見ると、以前は鏡が備え付けられていたのだろうという、不自然に白くなっている場所が多々あった。
未来人にとっては、そこまで鏡というものが憎く、そして邪魔な存在であったのだろう。
春日は物音を立てないよう、慎重に研究所の奥へと進んでいった。
今のところは鏡が無いというだけで、研究所として不自然な場所は特に見当たらない。
一時間かけ寝室以外の全ての部屋を見て回ったが、ミサイルどころか爆弾などの怪しい物も無かった。
「これはどういうことだ?」
鏡の主の銘により確信を持って潜り込んだ春日だが、まだ何も見つける事が出来ていなかった。
春日は小声で鏡の主と交信した。
「鏡の主、何も見つかりません。それどころか、怪しい場所すらないのです」
「それはおかしい……何故じゃ……」
続いて見二が話しかけてきた。
「通常のフロアーが問題ないとしたら、うえ、天井はどうですか? 上でなければ下、地下とは考えられないでしょうか?」
「そうですね、分かりました。もう一度見て参ります」
「春日殿、悪いが頼む」
春日は今来た道順を逆に進み、今度は上と下を念入りに見て回った。
電球が消された暗い研究所の中を、赤外線スコープを使い一人で探すのは簡単なことではない。
ただ、今夜中に証拠を掴み歴史を守らなければならないという、春日の想いだけが身体を動かしていた。
上と下を見て歩く、これ自体しんどいことだ。
春日の身体も限界を迎えてきていた頃、上を気にするあまり、下にあった配線に足を引っ掛けてつまずいてしまった。
「あっ!」
倒れはしなかったものの、つまずいた際に声をあげてしまった……危険度は一気に上昇する。
『ま、まずい……』
春日はとっさにその場で伏せて、しばらく動かず様子を見た。
それから一分経っても騒ぎは起こらず、特段変わった様子もなくホッとした。
『危なかった……もっと慎重にやらなければいけない……んっ! あれは何だ?』
研究所の床に妙な切り込みが有るのを見つけた。
手で動かしてみるが、びくともしない。
『あっ、あれは何だ?』
切り込みが入った床の横壁に、何やらスイッチらしきものが有るのを見つけた。
『このスイッチを入れたら、床が開くのかもしれない。だが、もし動かして大きな音が出てしまい、研究員や陸軍が起きてしまうのではないだろうか……そうなれば俺は見つかってしまい、殺されてしまうかもしれない……』
春日の頭の中では、そんな不安がよぎった……
『しかし此処で真実を少しでも掴んで置かなければ、信じられないような歴史の転換が起こってしまうかもしれない』
今、少しでも、前に進むことが必要だと春日は悟った。
春日は勇気を持ち、スイッチを入れる決断をする。
『ここで俺がやるしかないんだ、歴史を守るために! 久しぶりに鏡の外に出ることができたし、人に期待してもらうこともできた。この期待に応えることが俺の生きる道だったのかもしれない。だから俺は精一杯の気持ちで返すべきだよな』
春日は『開く』の位置にスイッチを上げた。
やがて床がゆっくりと動き出した……片方の床は上に上がり、もう片方の床は横にスライドしていった、それは音もなくスムーズに動いていた。
大きく開いた床からは巨大な地下工場が現れたのだった。
そこに隠されていた物は最先端の技術が駆使された、今まで見たこともないハイテクな機械と巨大な筒状の物体がニ体あった。
筒状の物体は未完成と思われる状態だった。
「これがミサイルなのか?……それにしてもデカい! こんな大きな物が空を飛ぶというのか! そうだ、写真を撮らなければ」
鏡の主から預かっていた高性能カメラで巨大な地下工場と、そこで製造されていた巨大なミサイルの撮影をおこなった。
撮影は三分ほどで終了したが、これ以上の長居は危険と判断した春日、先ほどのスイッチをゆっくり『閉じる』の位置に下げた。
床はゆっくり閉じていき、床が完全に閉じたことを確認してから、春日はその場をあとにした。
鏡の破片があった部屋は、実はこの部屋の隣りだった。
意外と近い場所に隠し工場があったことになる。
春日は敵と遭遇することなく、無事に鏡に戻ることができた。
そして鏡の主と見二に報告をおこなった。
「やはりそうであったか……奴らは危険極まりない物を作っておる。それは写真からも分かるが、このミサイルはかなりの大きさだ。こんなものを二発も用意しているとは……アメリカ本土を焦土化するつもりだ。そうなれば完全に歴史が変わってしまう。それだけではないぞ、地球にも大きなダメージを与えてしまう。奴らは本気じゃぞ」
「核弾頭はもう運んであるのでしょうか?」
「おそらく……この奥に写るシートの下に隠してあるのだと思う。中では誤爆しないよう、厳重な保護がなされているに違いない」
「なんて恐ろしいことを……どのようにいたしましょうか?」
「これは難しい判断じゃのう……」
「このミサイル、仕上がり具合は何割程度でしょうか?」
「おそらく七割程度、そんなものではないだろうか。しかし、ここには発射台が見当たらんが、その進行具合では八割以上に達しているかもしれん」
「研究所内での戦いになれば、かなり危険を伴うことになりますね。奴らの武器と言えばレーザー銃、そんなに手強いものではないのですが、そこで組み立てている核ミサイルを盾にすることが一番のネック、最後はそこで爆破させないとも限らない」
「先ずは研究所内の占拠じゃ。今なら研究所の中に、未来人は一人も居ないはず。それから奴らの足を奪うため、飛行船を何機かは撃墜する! 見二、お前のその腕が頼りじゃ」
「分かりました」
「それに、あと七人、直ぐに人を集めて欲しい。作戦の決行は人が集まり次第、一気に中にに入り研究所を占拠する」
見二は鏡のネットワークを使いコンタクトを取り、七人を集めるのに掛かった時間はわずか十分であった。
そして十人全員がレーザー銃を持ち、研究所の中へと入っていった。
「何だお前らは!」
陸軍の兵士がいち早く、見二らに気づいた。
「かまわん! 敵は容赦なく打て!」
鏡の主が叫んだ。
見二がレーザー銃を放ち、兵士をその場で射殺した。
見二以外の他九人は散らばり、研究所の中に居る敵を探した。
それからしばらくして、あちらこちらからレーザー銃を放つ音が聞こえてきた。
抵抗しない研究員は殺さずに捕らえて、鏡の中へと送った。
「みんな無事か?」
誰一人ケガすることもなく、理化学研究所を占拠した。
在中していた陸軍は四人であったが、内二人は前線での戦闘経験が少ない上官クラスであり、制圧するまでに時間は掛からなかった。
未来人とのプロジェクトは、陸軍の上層部が居たことで、陸軍肝いりであることが確定した。
鏡の主達のこれからの作戦は、鏡に占拠されたことを知らず訪問してくるだろう陸軍への対処と、飛行船で飛来してくる未来人への対処方法だった。
陸軍に対しては、鏡の者達が研究所に隠れ、陸軍がこちらに気づく前に射殺することになった。
飛行船に対しては、こんな手段を講じることにした。
研究所に飛来してきている飛行船の数は五機、先に三機が飛来したあとに二機が飛来するというのが毎回のパターンだった。
飛行船が同時刻にタイムワープが出来るのは、もしかしたら三機までなのかもしれない。
本当のところは分からないが、何らかの事情があり毎回そのような編隊で来ているのだ。
そう成らざるを得ない事情でもあるのだろうか。
だから今回も、そんな形式で飛来してくること予を測し、それに向けた作戦を立てることにした。
先に飛来してくる三機は予定通り理化学研究所に着陸させて、飛行船から降りてきた未来人を研究所内で射殺する。
あとから飛来してくるニ機は、着陸態勢に入ったところを飛行船ごと撃墜することにした。
飛行船を撃墜するのは見二の役目……見二は絶対に失敗できないというプレッシャーから、手に大量の汗をかくような緊張した状態になっていた。
時刻は朝の五時を迎えた……いつも通りのパターンであれば、もうすぐ一機目の飛行船が飛来してくる時刻だ。
全員特殊なメガネを装着し、特別警戒時間として飛行船の監視にあたっていた。
「来ました!」
「うむ、それでは、それぞれの持ち場に配置するのじゃ」
「はい」
着陸後、どのような形で未来人が研究所に入って来るのか、鏡の主でも予想がついてはいなかった。
そのため考えられる全ての行動を想定して、未来人や兵士との銃撃戦に備えるよう示唆した。
飛行船は、どんどん研究所に近づいてきて真上で静止、上空からゆっくりと降りてきた。
飛行船は更にゆっくり研究所に向かって降りてくる……すると研究所の屋根が開き、研究所の中へと入ってきたのだ。
驚いたのは、開いたのは屋根だけではなかったことだ……なんと研究所の床も大きく開いたのだ。
そこには深く大きな穴の駐機場が現れた。
「何だあれは! もの凄くデカい穴だ」
「あそこに飛行船を停めるのだろう……しかし凄い、これが未来の技術というものなのか」
「す、凄い! 間近で見ると凄く大きい。そして凄い迫力だ!」
「関心するのもこれで終了じゃ! ワシらは敵を討つだけじゃ」
駐機場に降りた飛行船の中から、二人の未来人が降りてきた。
ここに来るのは慣れているのか、全く周りも気にせず決まったコースを歩いているという感じだ。
『ヤバい! あのままだと未来人は、鏡の主が隠れている所を通ることになる』
鏡の主が隠れていた場所が、飛行船とのメイン通路になっていたようだ。
どんどん鏡の主が居る場所に二人は近づいていく……
『このままでは鏡の主が危ない』
他の隠れている仲間もそれを感じていた……
見二は未来人に気づかれないよう、静かに移動して未来人との距離を詰めていく。
それに合わせるように、他の鏡の仲間達も静かに移動を始め、三人が未来人二人を取り巻くような形になった。
そして! 「ビュー、ビュー、ビュー」三人からレーザーが放たれた。
レーザー銃は近づく三人から同時に放たれ、威力の強いレーザーは二人の未来人の身体を確実に捉えていた。
そして二人の未来人が最後を迎えるまでレーザーを撃ち込み、完全に動かなくなったことを確認してから、遺体を研究所の奥へと移動させた。
そして、その出来事など知らないニ機目の飛行船が、研究所の上空で着陸態勢に入っていた。
二機目は先程の一機目よりも、かなり慎重に降りて来ているように見えた。
「あの飛行船には上官でも乗っているのだろうか? やけに慎重だ……それとも核弾頭のような危険な物でも積んでいるのだろうか?」
「見二、しっかり動きを見ているんだぞ。最後に来る二機を撃墜してもらわなければならんからのう」
「分かっています」
飛行船は時間をかけゆっくりと、そして慎重に着陸をおこない二機目が駐機場に収まった。
やがて飛行船の扉が開き、中から未来人が上半身を出してきた。
今度の飛行船には、何人の未来人が乗っているのだろうか……まだこの時点ではまだ不明であった。
一人目の未来人は上半身を飛行船から出したままで、不思議そうに周りを見ている。
何か不審なことでもあるのだろうか、更にキョロキョロと周りを見回していた。
もしかしたら、先に降りた一機目の仲間が見当たらないことに、不審感を抱いているのかもしれない。
「これはまずいな……」
そして顔を出していた未来人は、扉を閉めて中へと戻っていった。
未来人が戻ってから一分ほどの時間が流れた……
再び顔を出した未来人の手には、レーザー銃が握られていた!
「何かを察知したのか! もしあのニ機目の飛行船に上官が乗っているのだとしたら、先着している奴らが出迎えに来ないことに疑問を抱いているのか……そうなのか?」
もう一人の未来人が飛行船から出てきたが、その未来人の手にもレーザー銃が握られていた。
二人の未来人は、飛行船から完全に降りて周囲を警戒している。
飛行船の扉は開けたままで……
「お主は飛行船の裏にまわれ。お主は飛行船の右側にまわれ」
「分かりました」
鏡の主が仲間達に指示を出す。
鏡の者達は、飛行船の中へ強行突破するつもりなのだろうか。
飛行船から降りて見回っていた未来人の一人が、鏡の主の隠れている直ぐそばまでやってきた。
鏡の主はスッと立ち上がり、レーザー銃で未来人を撃った。
それが合図となり、もう一人の未来人も鏡の仲間に撃ち抜かれた。
飛行船の近くで控えていた鏡の仲間二人は、開いてた扉から船内に入った。
少し離れた場所で待機していた仲間三人も、飛行船に駆け寄り船内へと入っていった。
先に入った二人は既に未来人と銃撃戦を繰り広げているようで、船内ではレーザーが放たれる音が鳴り響いていた。
後から入った三人もその銃撃戦に加わった。
船内では未来人が一人倒れていたが、更にその奥では、鏡の仲間一人が撃たれ横たわっていた。
「大丈夫か!」
叫ぶ他の仲間の声に対し彼の反応は無かった……どうやら完全に意識を失っているようだ。
更に船内の奥では、鏡の仲間一人が未来人と撃ち合いをおこなっていた。
そこに鏡の仲間三人も加わり、未来人と撃ち合う。
どうやら相手の未来人は二人で応戦しているようだ、数ではこちらが上回ってはいる。
しかし敵の未来人は軍人としての経験があるのだろうか、銃の扱いは中々のものであった。
「よし、二手に別れて攻撃しよう。早く未来人を始末して、倒れている仲間を助けなければ……それに時間を掛けてしまうと、次の飛行船がやって来てしまうぞ」
「分かった」
そのあと残る未来人は二方向からの銃撃に困惑したのだろうか、次第に未来人の攻撃は緩まっていった。
鏡の仲間は今だと言わんばかりにレーザー銃を打ち続けた。
そしてジワリ、ジワリ、未来人との距離を詰めていく……やがて鏡の仲間の視界に未来人の身体が入ってきた!
「くたばれ!」
鏡の仲間は一斉射撃、二人の未来人を完全に仕留めた。
「もう時間がないぞ! 未来人は飛行船の中に残したまま、撃たれた鏡の仲間だけを飛行船から出すぞ」
意識を無くしている仲間を船内から連れ出し、そして鏡の中に戻した。
鏡の中に入りさえすれば、わずかな息さえあれば復活することができるのだ。
皆はこれに賭けるしかなかった。
外では三機目の飛行船が、研究所の直ぐ上空までやって来ていた。
「もう時間がない、早く自分達の配置に着くのだ。負傷してしまった者の穴は全員でカバーするのだぞ」
三機目の飛行船は、既に着陸態勢に入っていた。
「鏡の主、この三機目を撃墜しますか?」
「ならん! そんなことをしては絶対にならん! この飛行船までは計画通り駐機させる」
ゆっくり降りてくる飛行船を、鏡の九人は静かに息を殺して待っていた。
今度はいったい、どんな戦いにるのだろうか、また激しい戦いになってしまうのではないのだろうか……
今度の戦いは、一人の犠牲者も出すことなく終わりたい……そう願わずにはいられなかった。
やがて飛行船は研究所の中へと静かに降り駐機場に停まった。
しかし中々扉が開かない……この静寂な時間は五分も続いた。
飛行船の中から声が聞こえてきた。
しかしその言葉は未来の言葉、何を話しているのかまでは分からなかった。
それから二分後、扉が少し浮いた! 見二はそれを見過ごさなかった。
レーザー銃を撃ち、僅かな隙間から未来人の頭を撃ち抜いた。
鏡の仲間達は飛行船の扉に向けて一斉に走り、扉をこじ開けて飛行船の中へと入った。
レーザー銃を構え敵を探すが、頭を撃ち抜かれた未来人以外、誰一人見当たらない。
「いるか?」
「ここにはいません」
「あの撃たれた奴一人だったのか? いや、そんなことは有り得ないだろう、飛行船の中から話し声が聞こえていた」
「あそこ! 何か動いたぞ!」
「未来人か?」
「私は前に掛かっている物を動かすので、すみませんが援護をお願いします」
「分かった」
鏡の仲間一人が、微かに動いた布状の物を動かすことにし、残りの者は周りを取り囲むようにレーザー銃を構えた。
緊張で震える手、その手で一気に布をめくった。
「撃つな!」
鏡の主が、大声で皆に指示を出した。
そこには小刻みに身体を震わせ、怯えた未来人がうずくまっていた。
「此奴は抵抗などせぬ。生捕りにして鏡の中にある檻にでも入れておけ。いづれ何かの役に立つかもしれん」
「分かりました」
生捕りにした未来人は上官ではないようだが、ここに残る三機の飛行船のことや、核兵器の処理などのことを考えると、生かしておいた方が得だろくと判断したのであった。
捕えた未来人は大人しく、鏡の者達の指示に逆らうことなく鏡の中に入って行った。
二機目の戦いで未来人に撃たれ負傷していた鏡の仲間は、そのまま息を吹き返すこと無く、亡くなってしまった。
彼は鏡に戻る前に死を迎えていたのだった。
今回の戦いで犠牲者が出てしまったことは、鏡の主としてとても悔しい出来事になってしまった。
しかし、これからが本当の勝負になるのだろう。
今から飛来してくる二機の飛行船を、見二が撃墜することが出来れば、未来人の考えていた悪の計画は、ここで終わらせることが出来るはずだ。
この戦いの終結は近い。
彼らに対する裁きについては、未来の未来警察に全て任せるつもりだった。
三機の飛行船に乗っていた未来人との戦いから一時間後、第二段となる飛行船の一機目が理化学研究所の上空に現れた。
その後にやって来るだろう二機目の飛行船は、まだ視界には入っていない。
「あの飛行船を撃墜するなら今しかない!」
見二はビックレーザー砲を手に取った。
しっかり照準を合わせてロックオン! 「イッけー!」見二は飛行船に向けビックレーザー砲を放った。
レーザー砲から放たれたレーザーはとてつもない光を放ち、まだ遠くにいた飛行船を確実に捉え、見事に飛行船を撃墜した。
見二は、次に来た飛行船も見事に撃墜、その後、敵の飛行船が追加で現れるようなことがなければ、この戦いはこれで終わりを迎える。
あれから丸一日が経過した……
それ以降、未来人が飛行船でやって来ることはなかった。
鏡の主は未来の警視庁長官に連絡を取り、無事に戦いが終了したことを報告、そして未来人を一人捕獲しているので翻訳機を借して欲しいとの依頼をした。
鏡の主が捕えた未来人と話をしたいのには理由があった。
この未来から来た族達の、本当の狙いを探ること、それともう一つ、ここに残る核兵器を処分をさせるためだった。
「こ、これは! 鏡の主、未来人が造ったミサイルは、ほぼ完成していますよ!」
地下に存在する隠し工場で、未来人が製造していた核兵器を確認したところ、ミサイルはほぼ完成状態であることが分かった。
そして、あの核ミサイルには大きな核弾頭を搭載することができる、高性能なミサイルであった。
その大きな核弾頭の中には、普通サイズの核弾頭が四つも入れることができる恐ろしい構造になっていたのだ。
この核ミサイル一発で、同時に四ヶ所を攻撃することができるという、とてつもなく恐ろしい兵器であった。
あとは固形燃料をセットするだけで、このミサイル事態は核弾頭を載せていつでも飛ばせる状態であった。
ミサイルが置いてある地下の更に地下、そこにはミサイルの発射台が完成していた。
「こ、これは、このミサイルは、いつでも、ここから発射できる状態にあったということか」
その通りだ……今日でも、明日でもこの核ミサイルはアメリカに向けて飛ばすことができたのだ。
これが発射されていたら、第二次世界大戦での日本の戦況というものは、ガラリと変わっていたかもしれない。
それを阻止したのは、鏡だったのだ。
それと今まで、世間で言われ続けていた宇宙人説とは、実際は未来人であったことが判明した。
未来人は過去にタイムワープして、今でも歴史を変え続けている。
今回の鏡の主と見二働きは、その一つを阻止したということに過ぎない。
鏡の主は未来から借りた翻訳機を使い、捕らえていた未来人と会話をした。
「お主らが、この時代に来た目的はなんだ?」
「日本のためだ」
「日本が負けることが決まっている、この第二次世界大戦で、未来の技術が詰まった核ミサイルをアメリカに撃ち込み、形勢逆転させて歴史を変えてしまうつもりだったのか?」
「はい、そうです」
「お主らはいったい何者だ?」
「私達は政治結社みたいなものです」
「政治結社?」
「私達は、歴史の転換点を旅しています。そこで政治信条に合う方を支援していく、そういうことをおこなっています。それは歴史が大きく転換するようなことになったとしても、それは致し方のないことなのです。今回の第二次世界大戦もその一つでした」
「なんて恐ろしい奴らだ! 歴史は絶対に変えてはならんのじゃ! それが不幸な事実であったとしてもだ」
「それは分かっています……ただ……私達は、歴史に爪痕を残したかっただけなのかもしれない。私達の考えは間違っていました。どうか私を殺してください」
「馬鹿なことを言うな! お前には、この後、ここでやってきた悪の数々の後始末をしてもらう。そしてその後は、なぁどうだ、ワシと一緒に働いてみないか? お主は、まだまだやり直せるはずじゃ。ワシの前で、素直に反省が出来たのじゃからのう」
「ありがとうございます……」
「鏡の主! それで良いのでしょうか?」
「黙れ見二! 此奴の姿を見よ! ワシは鏡じゃ、ワシの目に映る此奴の姿からは、希望というものが見えておる。鏡のこれからというものは、未来も含めて世直しが必要じゃ。見二も早く、世に出なければな。今のお主であれば、世に出ても恥ずかしくはない人間のはずじゃ。お主が世に出てからもワシは、ずっと見ておるからのう。お主が人生を間違った時は必ず、お灸をすえに行くわ」
「鏡の主……やっと認めてくれましたね……ありがとうございます」
「泣くなよ見二、お主は良く頑張ったではないか。本当にありがとうな」
見二は歴史を守ったと同時に、鏡の主から、世に出ることが許された。
第八章
「見二よ、お主はいつの時代の、誰と代わりたいのだ?」
「はい、出来ることなら私は、あの時の私と入れ代わりたいと思っています。私と代わることになってしまった、鏡の見二と代わりたいのです。あいつには申し訳のないことをしてしまったと反省しています。私の家系がガンの家系であったことで、あいつを早死にさせてしまった……鏡の主からその話を聞いてから、ずっと辛かった。あいつは私とではなく、違う他の誰かと代わっていたなら、もう少し長く人生を味わうことが出来たのではないかと……私はどうしても考えてしまいます。あれは私の人生です。だから私が責任を持って、全うしなければならないと思っています。だから私は、鏡の見二と入れ代わりたい。もう一度、本当の私に戻りたいのです」
「それで良いのか?」
「はい、是非お願いします」
「分かった、そのように致そう」
「ありがとうございます」
「どうにもこうにも成らないと思っていたあの見二が、よくもここまで成長してくれた……涙が出るわ。見二がワシの仕事を手伝ってくれたこと、本当に感謝しているよ、ありがとな」
鏡の主と見二は、今まで居た西暦一九四四年から、鏡の中へ入った西暦二〇二二年へとタイムワープしていった。
「見二よ、どこタイミングで鏡の見二と入れ代わるのだ?」
「鏡の主が、私を鏡に引き込んだあの日でお願いします。あの日、私ではなく、鏡の見二を鏡の中に引き込んでやってください。ただ鏡の見二は、それでは納得しないだろうから、鏡の主からしっかりと説明をしてやってください。あのまま入れ代わっていたら、早死にしてしまっていたこと、そのことを伝えてやってください。今の鏡の見二であれば、誰と代わったとしても世直しは出来ま。奴は優秀で、それに人間が出来ています。次に代わる人は直ぐに見つかります」
「分かった、鏡の見二を鏡に戻し、そして必ず、お主の言葉を伝えよう。そして今回は、奴の記憶は消すことなく残したままにする。この経験を次に活かしてもらいたい」
「鏡の主、本当にありがとうございます」
鏡の中に入るのが嫌で外に逃げた見二を、鏡の主が追いかけ、暴れ騒ぐ身体を捕まえて鏡の中に押し込めたあの日……
あの日の見二と、今の見二……同じ見二なのだが、全くの別人のようである。
鏡の中の修行で、身も心も成長させることが出来たのだろう。
そして二人は、あの時の時代に戻って行った……あのアパートの洗面台の鏡の中に。
見二は感じていた、久しぶりに見るアパートの風景だが……以前とは少し違うような気がしてならないのだ。
「鏡の主、これは本当に、あの日の私のアパートでしょうか?」
「そうじゃが何故だ?」
「そうですか……鏡の主、私を騙してはいませんよね?」
「騙してなどおらぬわ! 何を言っているのじゃ……あっ! そうか、分かったわい、お主の言っていることが。お主は前に見ていた風景とは、まるっきり反対から見ておるからじゃぞ」
「えっ? どういうことですか?」
「お主は今、鏡の中からアパートを見ておる。昔のお主は、鏡の外から見ておったからじゃ」
今見ている風景は、見二が住んでいたアパートで間違いはなかった。
違っていたのは、むしろ、どこから見ている風景なのかである。
初めて鏡の中から自分の部屋を見ただけで、昔は反対から見ていたから風景だっただけだ。
ここは間違いなく、見二のアパートである。
鏡の主は、見二を騙すことなどしてはいなかった。
そして、見二が元住んでいたアパートの鏡が、もの凄い強い光を放ちはじめた……いよいよ、あの攻防が始まるのだ。
アパートでは、見二が財布を手にし玄関に向かうところだった。
「見二よ、あれが昔のお主じゃ。間抜けな顔をしておるじゃろう」
「鏡の主、そんな言い方はないでしょう」
「あっはっは、思ったことを言ったまでよ。確かに今のお主は変わった、早く世に出て活躍して欲しい。今のお主なら人の気持ちも分かるだろうし、何に対しても努力も惜しまず力を注ぐ素晴らしい人間になれるはずじゃ」
「私の考えは、他人の人生ではなく自分の人生を全うしたい。例えそれが短い人生であったとしても……私の人生であれば、しっかりと受け入れることができます」
「そうか……お主の気持ち良く分かったぞ。見二、これからも頑張るのじゃぞ」
「はい」
「どうだ、昔のお主はもう少ししたらアパートから逃げ出すぞ。先ずはそんな弱いお主を、捕まえなければならん」
「そうですね、あの時は逃げ出してしまいましたね。それこそ自分さえ良ければいいと思っていた悪い人間でした。あれはとんでもない奴ですよ。あのような人間であれば、鏡の見二に成り代わられたとしても文句は言えないでしょうね。とても怠けた奴でしたから」
「お主、鏡の見二とまだ入れ代わらないでおくか? 今ならまだ間に合うぞ」
「いいえ、大丈夫です。始めてください」
鏡の主は見二との会話の中で、こういうことも言っていた……「昔のお主を捕まえたら、この鏡の前に連れて来る。そして鏡にあいつの姿を映すから、お主もそのタイミングで、同じように覗き込むのじゃ。その瞬間、お主と奴は同じ一人の人間になる。元々が同じ人物だから、出会った時点で一つになるのじゃが、お主にこのことが分かるかのう? 肉体がある方に吸い込まれていくということなのじゃ。だから、お主が奴の身体に入っていく、そして身体の中に残るのは優れている方の人格だけだ。すなわちお主が、この世に存在する自分の肉体に戻ることになるのだ。優秀になった見二として。さぁ、ワシはそろそろ昔のお主を捕まえに行って来るかのう! 間抜けな方の見二を」
「やっぱり何か一言多いような気がする……鏡の主お願いします」
「おう! 分かった」
鏡の主は光に乗り、鋭い速さで鏡から飛び出して行った。
昔の見二は、絶対に鏡の中なんかに入るものかと、必至になって逃げていく。
「あの野郎、どこまで遠くに逃げているのだ……おっ、見えたぞ!」
鏡の主は凄い光を放っているから、追われている見二も側まで来ていることに気づき、更に加速して逃げて行くが……あっけないものだった。
「うわぁ! やめろ! 捕まえるのは俺じゃないだろう、人違いだ。アパートに居る奴が鏡から出てきた奴なんだよ。鏡に戻らなければいけないのはアパートに居る奴の方なんだよ。俺じゃない」
「うるさいわ! お主は自分の人生を、どれだけぐうたらして生きてきたか分かっておるか。やっぱり此奴は鏡の中に入れるべきかのう……本当に腹が立つわい」
鏡の主は、昔の見二を捕まえた。
昔の見二は、深夜の住宅街で暴れ騒いでいる。
「おい見二うるさいわ、静かにしろ」
鏡の主は、見二をきつく締め上げて静かにさせた。
苦しがる見二だが、もの凄い力で締め上げられているため、全く身動きが取れず声を出すこともできない。
見二は、おとなしくせざるを得ない状態になっていた。
「く、苦しいよ……」
「お主があんなに暴れなければ、もう少し優しく運んでおったのだがのう」
鏡の主と昔の見二は、もうまもなくでアパートという所まで帰って来ていた。
玄関では鏡の見二が、二人の帰りを待っていた。
その鏡の見二の前を通り過ぎる際、捕まった見二が言葉をかけた。
「なぁ、お前が鏡の中に戻ると言ってくれよ。だって鏡から出てきたのはお前だろう……勘弁してくれよ」
「俺はこの世に残り、この世で深津見二として生きていく。俺は頑張ったのだから。俺はこれからも、この人生を精一杯生きていくんだ」
「この恩知らずが!」
鏡の主は、昔の見二の身体を更に強く締め、洗面所に連れて行った。
そして昔の見二の顔を、鏡の前に向けた。
鏡の中に居た見二も、鏡の裏から同じように覗き込んでいた。
そして、それは一瞬の出来事だった……二人からは凄まじい光が放たれた。
光は直ぐに収まり、そこには鏡の主と、先ほどまで捕まっていた昔の見二の姿だけがあった。
鏡の主は、捕まえている見二の締めつけを少しずつ緩めていき、最後は完全に手から離した。
「今、ワシの前に居る見二は、果たしてどっちの見二なのじゃ?」
「鏡の主、ありがとうございます。私は、鏡の主と共に戦って参りました、新しい見二です」
「そうか! 良かった、成功したようじゃ。どうだ、ワシの言った通りだったじゃろう。鏡に出来ぬことなどないわ」
「はい、鏡は本当に素晴らしい。お陰で私は、良い方向に変わることが出来ました」
「お主はのう、鏡に入って来た者の中で、一番の厄介者じゃたわい。そのお主が……ワシが一番ビックリしておるわ」
「私はどうしようもない大馬鹿者でした。これからは心を入れ替え、世の中に奉仕して参ります。あとは病気にも打ち勝ってみせます……絶対に」
「ワシはお主のことを、これからもしっかりと見ておるからのう。もう二度と鏡に戻って来るのではないぞ」
「はい」
「おう、忘れとったわい、鏡から出ていた見二のことを……あいつは鏡の中に連れて帰らねばならんからな。奴は鏡に戻ったとしても、また直ぐに出してやらなければならん。本当であれば、見二として生きていく予定だったのだから」
「よろしくお願いします」
「分かった。おーーい、鏡の見二、お主が鏡の中に戻るのじゃ」
「えっ! 私が戻るのですか? 何故、なぜ私なのでしょうか? 私は成果を出したではないですか!」
「まぁ、詳しいことはあとで話しするから、とにかく一旦鏡の中に戻るのじゃ。また直ぐに鏡から出してやるから」
「でも、それは……納得ができません!」
「次は記憶を消さんから、今回だけは勘弁してやってくれよ」
鏡の主は、鏡の見二の肩をポンと叩くと、腕をグイッと掴んで鏡の中へと入っていった。
そして、見二のアパートにある洗面所の鏡は、普通の鏡へと戻っていたのだ。
夜が明ければ転勤先である広島への引っ越しがはじまる。
再び自分に戻ることができた見二は、新たな人生を歩むことになった……新生、深津見二として……
そして引っ越しも順調に終え、広島での新しい生活がスタートした。
ここからが新しくなった見二の、本当の力が試される場となるのだ。
見二は広島支店への転勤後も順調にキャリアを積み重ね、三十七歳で鏡の見二と同様、支店長にまで昇進することができた。
ただ、鏡の見二と違っていたのはここからだ……俺は仕事が出来るというような、自分に酔いしれる態度はなく、天下を取ったかのような振る舞いも当然ながら全くなかったのだ。
むしろ逆に、部下からは慕われ、上司からの信頼も得て、会社には無くてはならない存在となっていた。
今の見二は鏡の中で更生を果たし、世に出てもそれが変わることはなかった。
今の見二も、鏡の見二がガンを発症した同じ年、三十九歳で同じ様にガンを発症してしまうが、ガンの程度は軽く、手術をしなくても順調に回復していった。
それどころか見二は、運命的な出逢いを果たしていた。
それは四十歳の時ガンの治療のため通っていた病院で、そこで勤務していた六歳年下の女性と出逢い、四十二歳で結婚をしたのだ。
その後は二人の子宝にも恵まれ、幸せ一杯の家庭を作ることができた。
会社を定年退職してからは、特に地域の子供達のことを中心に、ボランティアとして活動して地域に貢献をしていた。
晩年は周りの住人からも慕われるような、素敵な人生を送っていた。
三十九歳の時に発症したガンは、再発することもなく見二は八十八歳まで生きることができた。
ある意味、素晴らしい第二の人生を全うすることができたのだ。
あのあと鏡の主は、鏡の中に戻った見二が納得するまで、長い時間をかけて説明をした。
あのまま深津見二で生きていたら、まだまだ若い三十七歳でガンを発症し、早々に命を落としていた短い人生だったということを、丁寧に丁寧に説明をしてようやく納得させていたのだ。
その話から十日後、鏡の中に入った見二は世の中で怠けていた一人の男と入れ代わり、その人生で大きな成果上げていた。
亡くなったのは七十八歳の時で、見二に成り代わるよりは遥かに長生きすることができた。
二人とも最後まで、鏡の主に感謝しながら人生を全うしたという。
鏡とは、自分を見つめ直す場であり、世の中を取り締まる特殊な世界であった。
そして過去から未来まで幅広く活動する鏡は、歴史までも守っていたのだ。
テレビや雑誌で、未確認飛行物体と言われていた乗り物や、宇宙人と言われていた生命体は事実とは全く違っていた。
未確認飛行物体は未来人が造ったタイムマシンであり、それを操縦していたのは宇宙人ではなく、実は未来人だったということだ。
この話が、本当かどうかは知らないが……
完
著者:通勤時間作家 Z
これまでの作品 (十一作品)
『昨日の夢』
『前世の旅 上』『前世の旅 下』
『哀眼の空』
『もったいぶる青春』
『私が結婚させます』
『ニオイが判る男 』1.能力発見編
2.天使と悪魔の話題 3.霊感がプラスされた話題
『相棒は幽霊』
『鏡にひそむ謎 前編』