*牛の首
家紋武範さま主催の『牛の首企画』参加作品です。
まず台に寝かせた男の首をチェーンソーで切り落とした。
昏睡状態とは言え、生きている人間だ。大量の血が噴き出した。
死んだ人間は血液循環が止まっているためあまり血が出ないと聞いたことがある。
でもまだ死んだ人間を切ったことがないので本当かどうかはわからない。
死んだ人間を傷つけたり痛めつけたりするような、野蛮な行為をするほど私は狂ってはいない。
それは生命に対する冒涜といえる。
今私の行っているのはその正反対のものだ。
私は神を創造する者。神のクリエイター。
言うなれば神の神だ。
部屋に並べた作品たちを眺める。
やはり素晴らしい。
自画自賛だがその言葉が出てくる。それ以上の賞賛の言葉が見当たらない。
アヌビスとは古代エジプトの神で、頭が犬で首から下が人間の姿をしている。
ホルスもまた古代エジプトの神の一人で、こちらは頭がハヤブサで首から下が同じく人間の姿だ。
まだ試作段階のものなので、自立は難しく天井の梁からロープでぶら下げているが、いつかは自我を持つ神を創造するつもりだ。
今もこうして新作に向けて誠心誠意、取り組んでいる。
犬はつかまえやすいのでアヌビスに関しては製作しやすく、すでに四体作った。
しかしハヤブサは手に入れにくく、ホルスに関してはまだ一体しか作れていない。
そこで、思い切って方向転換してみた。
イスラム教では豚が神と崇められていると聞いたので、豚の頭と人間をくっつけてみた。
犬とハヤブサの時は頭の方が小さいため、人間の首の肉をくりぬいて、頭を首にはめ込むように接合したが、豚の場合は逆で、頭の方が大きいため、人間の首を豚の頭にはめ込むようにして接合した。
色味が似ていたので、とても気に入っている。
しかし犬や鳥とは違い、豚は皮が厚かったので縫うのに力が必要だったし、大きめの針を用意しなくちゃならなかった。
私の体は汗と血でぐちゃぐちゃになるし、アトリエは汚れるしで、大変だったが、達成感は大きかった。
しかし後になってわかったことだが、イスラム教では別に豚は神でも何でもなかった。
何だっていい。別種族の融合が神の創造と言える。
ベースに宗教を敷いているが、可能ならカエルやクジラでも作ってみたい。
ちなみに胴の人間は誰でもいいわけではない。
年齢は二十代から三十代くらいが良いと思っている。
やはり人間として生命力に満ちている年代だと思うからだ。
性別は男性の方が理想だが、抵抗されることも考慮し、襲えるならどちらでもいい。
基本的には人気のないところで、一人で歩いている人物を見つけたら、トンカチで頭蓋骨を叩き割って気絶させ、車でここまで運んでくる。
頭は取り換えるので傷ついても構わない。胴だけはきれいなままでいてほしいのでこの手段を取っている。
ごく稀にそのまま死んでしまうこともあるので、その場合は意味がないので持って帰らない。
二回死なせてしまったので、事件として扱われてしまった。
恐怖のハンマー殺人鬼、とマスコミが騒ぎ立てているが、そんな下世話な話ではない。もっと神聖な行為なのだ。
ただ、芸術というものは、評価が後からついてくるものだ。今はその時期ではないので放っておく。
そうそう、マスコミで思い出した。
それは動物首切り魔とハンマー殺人鬼を別で考えていることだ。
今まで作品で使うための首以外の部分、動物の胴は必要がないので、作品の完成後に捨てていた。
豚の時は比べて大きいので、持って帰るのが大変になるため、養豚場で豚の首を切り落とし、大きいクーラーバックに入れて持って帰ってきた。ちなみに今回のものもその手段だ。
それをマスコミが動物首切り魔という謎の猟奇的な人物を作り上げ、何の罪もない視聴者の恐怖を煽っているのだ。視聴者がかわいそうで仕方がない。
動物首切り魔もハンマー殺人鬼も同一人物、つまり私だ。
しかし私はそんな三流ミステリーの登場人物のような小物ではない。
これはまさに神秘的なのだ。
さて、新たな神の創造を続けよう。
今回はインドのヒンドゥー教をベースに作成する。
さすがにガネーシャではない。
象が頭で胴が人間となると、象は元より、それなりの人間も用意しなくてはいけない。
それにまだ技量が足りていない。
若い時分なら技術など後回しで、勢いだけで作成していたかもしれないが、今はそれくらい冷静に判断できる。
冷蔵庫から頭の部分を取り出す。
豚の時と同様に頭の方が大きいので、切断部分をくりぬいておいた牛の頭を、頭を切り落としたばかりの胴と接合し、首の縫製を始めた。