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お気に入りの場所

 喫茶店で休憩した後は、決まった目的もなく色々な場所を周った。雑貨屋、ゲームセンター、服屋などの店内ひとつひとつにメイはいちいち興奮してて、それが見ていて微笑ましかった。

 さんさんと自己主張を続けてきた太陽が遠ざかり宵の気配を感じ始めた頃、俺とメイの初めての外出もそろそろお開きという感じになっていた。

 今日一日かけて主要なスポットはほとんど制覇できたと思う。そう遠くないうちに、メイ一人でも出かけることが出来るようになるかもしれない。そう考えれば、大学の講義をさぼったのもあながち悪い事ではなかったような気がしてくる。

「今日は楽しかったか?」

「うん、たかゆきがいろんなところつれてってくれたから、とってもたのしかった!」

 一日中歩き回ったというのにまだまだ元気は余っているらしい。そのウキウキとした様子は、今日の俺と出かけた事を心の底から喜んでくれてるようだった。そんな彼女に俺はもう一か所知ってほしい場所があった。

「なあ、メイ、あと一か所連れていきたいところがあるんだけどいいかな?」

「いってみたい!なんてところ?」

「まあ、名前とかはとくにないんだけどさ」

「そうなんだ!うん、すぐいこ!」

 まだ場所も教えていないのに駆けだすメイを後ろから誘導しつつ、自宅とは違う通りの、やや長い坂道を上る。道沿いには一軒家が立ち並び、時折夕食の支度をしている家から談笑の声が聞こえてくる。どこからともなく夕食の香ばしい匂いが漂ってきて空腹中枢を刺激してきて、メイがその香気にあてられてすんすんと子犬のように鼻を鳴らしている。

「いいにおい~たかゆき、きょうのごはんなににする?」

「ん~、今から食材買うのも面倒だし、コンビニかどっかで買って帰ろうと思うんだけどいいか?」

「やったー、楽しみ!」

 コンビニ飯なんて世間一般では味気のない食事の提案にもメイはノリノリだ。軽やかな足取りで坂道を上るメイはまだまだ元気が有り余っているようで、案内するはずの俺が置いて行かれそうになる。

 やがて坂道を上り終えると、目の前に小さな公園が現れた。

 遊具などは撤去されてしまい味気のない地面だけの広場の周りを背の低い柵が申し訳程度に囲っており、それらも経年の錆で茶色く変色してしまっている。辺りには逞しく育った木々が立っていて、外界とを隔てる境界面となっていた。それらに隠されるようにひっそりとした空間は、哀愁を感じさせるほどであった。

「たかゆきのすきなばしょってここ?なんにもないよ?」

 メイがやや拍子抜けしたような口調で訪ねてくる。今までどんなものにも興味を示していた彼女もこの寂しげな場所には物足りなさを感じているようで、他に何かがあるはずときょろきょろと辺りを見回している。

「こっちきてみ」

 メイを連れて奥へと進む。柵を乗り越えた先には整備されていない茂みが広がっていて、その中に踏み均したような小さな獣道が通っていた。高めな背丈の草をかき分けるようにして進み、視界を覆っていた木々を潜り抜けると、視界が一気に開けると、小さな丘にでた。

「うわー、すごい!」

 そして丘の向こうには、俺の住んでいる町が一望できた。大小さまざまな家々の屋根が、沈みかけた夕日によって燃え上がるような橙色に染め上げられている。景色の中央を横切る用に敷かれたローカル線上を、陽光を背負うようにで電車がカタカタと音を立てながらゆっくりと走っていく。駅からぽつぽつと出る人影は、週明けの仕事を乗り越えた解放感に浸りながら、のんびりと帰路をたどっている。

 自然と、建物と、人間がそれぞれ一つの風景の中で移り変わっていく様は、まるで一枚の生きた絵画のように見えて、それが見えるこの場所を俺は気に入っていた。

 メイは柵に乗り出すようにしながら町を見下ろしており、彼女がこの場所を気に入ってくれているのが言外に伝わってきた。

「ねえ!きょういったおみせはどこ?」

「ん?ああ、大体あそこらへんかな」

「そうなんだ!たかゆきのおうちってどこらへん?」

「ここからじゃちょっと見えづらいんだけど、大体あの辺りかな」

「じゃあ、あのおっきいたてものはなあに?」

 次々と目の前の風景について訪ねて来るメイに、俺は答えていく。人通りのない二人だけの空間で俺たちは今日一日の軌跡を確かめ合うように語り合う。取り立てて特別なことをしていないはずなのに、メイは本当に楽しそうだった。普通の人間にとって、取るに足らないようなことも、彼女にとってはキラキラと輝く宝石のようなものなのだろう。

「このばしょ、あたしすっごくすきになった」

「気に入ってくれたなら嬉しいぞ」

「うん、ゆうひがすっごくきれいで、たかゆきのすんでるところもみえて、それに、たかゆきのおきにいりのところにつれてきてくれたのが、すっごくうれしかった」

 もうほとんど沈んだ夕焼けを見つめながら、メイは一言一言を噛みしめるように言う。残照に照らされた彼女の横顔は鼈甲細工のように綺麗だった。

「また、つれてきてくれるよね?」

「別に、そんな大した場所でもないし。遠くもないんだからいつでもこれるだろ。

「そっか、うん、そうだよね!」

 メイは合点言ったような表情になると、人形のように整った顔を俺の方に向けた。その瞳はまっすぐと俺の方を見つめている。

「たかゆき、いっしょにおでかけできてすっごくたのしかった!ありがとう」

 暗くなってきた空を再び照らさんとする程に眩しい笑顔でそういった。混じりけのない感謝の気持ちが、俺の視覚を通じて、心に一直線に伝わってきた。彼女の真直ぐな気持ちが嬉しいと同時に、あまりに純粋すぎて目が眩んでしまいそうだった。

「別にこれくらいなら、いつでもやってやるよ。それに俺も今日は楽しかったよ……ありがとな」

 照れくさくて最後の方がぶっきらぼうになるのを自覚する。感謝の表し方としてはやや不適切かもしれないが、それでも俺はなんとか言葉にして彼女に伝えたかった。

 しかしその想いとは裏腹に、俺たちの間には沈黙が訪れた。メイは俺を何かおかしなものを見るかのような目で凝視していた。そんな空気に俺はたちまちやらかしたという気分になる。確かにさっきの言い方はひどく上から目線で尊大な言い方だったように思える。いくらメイでもそんな言い方をされたら気分は良くないだろう。

 自分の失言をどう撤回しようと俺が悩んでいると、メイがふと表情を柔らかくした。

「たかゆき?ありがとうは……笑わなきゃダメなんだよ?」

「え?」

 思いがけず出たその言葉に俺はあっけにとられる。そして、今日同じことをやり取りしたことを思い出す。メイが意外にも細かいことにこだわるんだなと困った気持ちになる。

「そうだったな、悪い」

「うん、じゃあもういっかい」

「は、はああ?」

 俺は一転して窮地に立たされていた。笑顔というものは自然とするものであって、他人から指示されてやる時ほど気恥ずかしさを感じるものはない。なにかのイベントごとや、集合写真なら周りの空気に混じって出来るが、今は俺とメイの二人きりだ。その恥ずかしさは想像を絶する。

「いや、別にいいじゃねえか。伝われば」

「だめだよ!ちゃんといってくれなきゃわかんないもん!」

 誤魔化そうとするがメイは妙にこだわる。

「もしかしてたかゆきはうれしくなかった?きょう、たのしくなかった?」

「わ、わかった、わかったから」

 先ほどの笑顔が嘘のように悲しそうな彼女を必死になだめる。俺は深く息を吐きながら一旦瞑目し、笑う時に使う筋肉をイメージしてから、満を持して目を開ける。

「あ、ありがとう」

 にかっと口元を釣り上げて言った。。不自然にこわばった表情筋の感覚から自分でも不気味な表情になっているのが分かる。さすがにこんな気持ち悪い顔を見せられて喜ぶような人間はいないだろう。それくらい我ながら不格好な表情だ。

「わーい!やったー!」

「うおっ」

 俺の諦念とは打って変わって、メイはぱっと晴れやかな表情で勢いよく抱き着いてきた。銀色の弾丸と化したメイをなんとか受け止める。

「お前、いきなり抱き着くのはやめろっといっただろ」

「たまにならいいんでしょ!」

「おまえなあ……」

「えへへー」

 長い髪を揺らしながら、メイは胸元で無邪気に鼻柱をこすりつける。その幸せいっぱいといった様子のメイに俺もつられて心が温かくなるのを感じる。今まで無気力無感動に生きてきた俺にとって、メイの純粋で、忖度のない天真爛漫さは、沈みゆく直前の太陽の最後の煌めきのように、俺の心を照らす。

 夕暮れに抱かれながら、俺たちはしばらくの間抱擁を交わし続けていた。

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