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「はあ……疲れた」

 自宅への帰り道、俺は大きくため息をついた。思いのほか増えてしまった荷物は、俺の両手の重みとなり、それが先ほどまでの気苦労をより深く体に刻み込んでくる。俯きがちの俺の首元には、無駄にやる気満々の真夏の太陽光が降り注いでいて、重しを追加してくる。

 結論として、必要なものは全てかいそろえることが出来た。駅前の大手のアパレルショップにて、出来るだけ無難な物で済まそうと一通り店内を物色して、一着のシンプルな水色のワンピースに目が留まった。無垢なメイのイメージにはぴったりで、我ながら良い買い物ができたと思っている。

 ここまでは問題なかった。しかし幸か不幸か、俺はワンピースの会計をしながらふと気が付いてしまったのだ……メイが白衣の下に下着をつけていないということに。

 そこからは地獄だった。ドギマギしながら下着のコーナーを物色していると、周りの客がおかしなものを見るような視線を投げかけてきた。はりのむしろになりながらもどうしようかと悩んでいるとワンピースの会計をしてくれた店員がなぜかにやにやと声をかけてきて、親切に色々教えてくれた。そんな店員の心遣いに正直助かったと思ったのも束の間、怒涛の営業トークが始まり、あれよあれよの間に靴と、あげく小物まで買わされてしまったのだ。

 両手の重みとは対照的に、風に飛ばされるくらい軽くなってしまった財布にがくりと肩を落と死ながら歩いてやがて自宅にたどり着いた。どこかのポケットに入っているはずの鍵をごそごそと探していると、中からがちゃがちゃと音がしたと思ったら、勢いよくドアが開いて中から嬉しそうなメイの顔が飛び出してくる。

「たかゆき!」

「ただいま。ごめんな、遅くなって。これ、買ってきたやつ」

「わーい!」

 俺から紙袋を受け取った紙袋をさっそく改めるメイ。

「おおーすごい!」

 メイが取り出したのは今回のメインであるワンピースだった。彼女は何度も角度を変えながら嬉しそうにそのデザインを確認している。その姿は子供っぽさと同時にとても女の子らしくもあった。

「ねえ、きていい?これきていい?」

「もちろん。そのために買ってきたんだからな」

「やったあ!……よい、しょ」

「おわあ、ちょっと待て」

「え?」

 何の気もなしに俺の目の前で着替え始めようとするメイを咄嗟にけん制する。メイは上から二番目のボタンに手をかけた状態でぴたりと止まった。

「あのな、人前で着替えちゃいけないんだ」

「なんで?」

「なんでも!」

「うー、わかったよお」

 しぶしぶメイはトイレの方へ向かっていく。ガチャリとドアが閉まると中からガサゴソという音が聞こえてくる。中で悪戦苦闘しているメイの姿を想像して頬が緩む。まあワンピースなんて上からかぶるように着るだけだし、特に問題はないだろう。

 ふと、何か大事なものを忘れているような気がしたが思い出せず、なんとなくモヤモヤしている間にトイレのドアが開けられた。

「おわったよ!」

 元気な声とともにメイが出てくる。澄み切った空のような水色のワンピースに身を包んだ彼女の姿はまるで太陽を背負った海辺みたいに眩しかった。やや深めの襟はメイの細身ながらもボリュームのある胸元をより女らしく彩り、三分丈のパフスリーブは彼女のナチュラルな可愛さを引き立てている。

「ねえ、にあうにあう?」

「まあ、似合ってる、かな」

 我ながらいいセンスで、なぜか俺が照れくさくなってしまった。

「わーい、やったあ!」

 メイはステップを踏みながら全身で喜びを表現している。服一着でここまで喜んでもらえると、こちらの苦労も報われるというものだった。

 しかし、それとは別に俺は彼女に似合うと思っているものをもう一つ買ってきた。

「なあ、メイ、ちょっとこっち向いてくれるか?」

「え?」

 言われるがまま、メイが俺の方へ顔を向ける。そして彼女の前髪の右側辺りでごそごそとやっている俺の手元をぽけーっと目で見つめている。

 やがてそれをつけ終えて、俺は綺麗な風景をカメラで撮るときのように一歩下がった。

「よし、できた。鏡、見てみな」

「お、おお~~~」

 俺に促されるようにメイが部屋の姿見の前で映った自分に感嘆の声を上げる。

「すごい、かわいい!たかゆきがかってくれたの?」

「ああ、まあな」

 それはイルカの形をしたヘアーピンだった。買い物の時にショップ店員に勧められて購入したもので、色々買わされていく中で、それだけは本当にメイに似合うと思っていた。それは予想通りで、可愛らしい小さなイルカは彼女の銀色の髪の輝きの中で生き生きと泳いでいた。

「わーい、やった、やったあ」

 さっきよりもより嬉しそうなメイ。しかし、なぜか急に動きを止め、何かを考えるようにうーんと唸り出す。

「どうした、やっぱり気に入らなかったか?」

「ねえ、こういう時はなんていうの?」

「え?」

「あのね、たべるまえはいただきます、たべておいしかったってときはごちそうさま、じゃあ、すっごくうれしいときはなんていうのかなっておもったの」

 メイの質問は自分の今知っている言葉では表し切れないと、そういうことを言っているんだろう。一般的な常識内でそんな事を聞かれることはほぼないだろう。皆が当たり前のように知っていて、何気なく使う言葉だからだ。

 それは奇しくも今まで、漠然と何か非日常を探していた俺に突き刺さった。皆が当然のように素通りしてしまう事の中に、ありふれた事の中にこそ大事なものがあると。彼女は言外にそう教えてくれているのだ。

「ありがとう、だ」

「ありがとう?」

「そう。嬉しい時は、嬉しいことをしてくれた人にありがとうっていうんだ」

 メイに倣って俺も真剣にその言葉の意味を彼女に教授する。慣れないことをしているせいか、頬に微かな熱を感じる。しかし、それでも俺はメイに間違ったことを教えているつもりはなかった。

「後はありがとうの時は、必ず笑って言うことだ。そうすれば自分だけじゃなくて、相手も嬉しくなる」

「わかった!」

 そしてメイは俺の言った通りその端正な顔いっぱいに笑顔を作りながら、俺に向けてその言葉を告げた。

「たかゆき、ありがと!」

「お、おう」

 傍から見れば小恥ずかしいやりとりだ。しかしそれでも、俺はメイにちゃんとしたことを教えられたことに満足していた。

「わーい、これでたかゆきもうれしい!?」

「ああ、もちろんだ」

「やったあ、わーい!」

 俺の肯定がよほど嬉しかったのか、メイはご機嫌だ。さっきよりも軽やかにくるくると喜びの舞を踊るメイはとても可憐だった。可愛らしい動きに合わせて、曇り一つない水色のワンピースのスカートが蝶の羽のようにひらひらとはためいて――その下の真っ白なお尻が露わになった。

「ぶほおっ!」

 俺は思わず、漫画のように吹き出してしまった。そういえば着替えの時にメイはワンピースしか持って行ってなかったな……。

「メ、メイ……これも一緒に着てくれな」

「え?」

 ぽかんとした表情のメイは……なんというか、とてもメイらしかった。

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