初日
一通りの説明を受けた後、俺は十神が手配してくれたタクシーに乗ってメイと一緒に部屋に戻っていた。
まず生活に関して。これは人間と全く同じ。あらかじめインストールされたプログラムにより生活行為は彼女が自発的に行えるとの事。例えば空腹を感じれば食事を求めるし、催せばトイレに行く。
次に彼女の身元について。十神は豊富な人脈を持っているようで、そのつてで「作った」という免許証を渡された。
「名前が十神メイ。年齢は……18歳ってことか。住所は……」
記載された住所をスマホで検索してみると、都内のどこかのアパートの住所の様だった。他にも公布日、有効期限、付款条件、免許証番号その他もろもろ。どこから見ても免許証だった。
「まあ、普通に犯罪だよな、これって」
言うまでもなく偽造免許証だ。こういう公的証明書の偽造って結構罪重いんじゃないのだろうか。そもそもこんなもの作ることのできるコネを持ってる時点で十神の存在自体もかなり胡散臭い。もはや不法侵入くらいでビビってた自分が馬鹿みたいだ。
そしてその中で一番大事なことがある。メイには人格機能と言語機能にエラーが起きている可能性があるということだった。この件については十神にとってイレギュラーなことらしく、原因と対策が見つかるまでは俺にフォローをお願いするということだった。
「まえだ、たかゆき!」
「ん、どうし……うわっ」
不意に、妙に弾んだ声で呼びかけられたと思ったら、唐突にメイが俺の胸に飛び込んで来た。
「お、おい。なんだよ急に!」
「えへへ、まえだたかゆき、すき」
そのまま人懐っこい小型犬のように頬ずりを始める。その動きに合わせて美しい銀髪がシルクのカーテンのようにさらさらと揺れ、俺の肌をくすぐった。唐突な行動に彼女を慌てて引き剝がすと、まるでフランス人形のように大きな瞳が上目遣いに批難の視線を送り付けてきた。
「むー、なんで!」
「そりゃお前、いきなりあんなことをされたらびっくりするだろうが」
「うう、まえだたかゆきは、いやだった?」
「いや、別に嫌とかそういうんじゃないんだけどさ」
「ほんと!やったあ」
言いながらメイが再び俺の方に襲い掛かってくる。それを彼女の頭を押さえつけるようにして制止する。触れた手のひらの向こうでメイがじたばたと暴れまわる。
「もー、だからなんでよう」
「なんでとかじゃなくて!好きでもない男女がくっついたりしちゃいけないんだよ!」
「まえだたかゆきのこと、すきだもん!」
「は、はあ?なんで……」
言いかけて、先ほど十神の部屋で言われた単語が脳裏をよぎる。それは刷り込みプログラムと呼ばれるもの。最初に見た物に愛情を感じるという、けったいな機能が目の前の少女には付けられているのだという。
どういった理屈なのかは見当もつかないが、彼女の様子を見てると正直言って欠陥機能でしかないように思える。こんな風に何でもないときに抱き着いてこられてはこっちの精神が持たないし、生活が成り立たない。
「まえだたかゆきは、あたしのこと、きらいなの?」
「そんなこと……ないけどさ。ま、まずは落ち着いてくれ、な?」
そもそも出会ってまだ数時間しかたっていないんだから、好きも嫌いもあるわけがない。しかし目の前でこうも瞳を潤ませられるとなんだか悪いことをしているような気分になる。
「と、とりあえず、いきなり抱き着かれるとびっくりするからさ、その、節度を持ってほしいというか」
「うー、じゃあ、まえだたかゆきが、いいっていえば、いい?」
「まあ、たまにだったらな」
「わかった、じゃあ、まえだたかゆきの、いうとおりに、するね」
「あ、ああ、よろしく頼む」
俺のしどろもどろな言い分にたいして、メイは思いのほか聞き分けが良かった。ひとまず適切な距離感というものを理解してくれた事に安堵を感じながらも、もう一つ別に先ほどからずっと違和感を覚えている事を聞くことにした。
「後、メイはなんで俺の事を毎回フルネームで呼ぶんだ?」
「え?」
「いや、普通は人の名前をそんな風には呼ばないんだ」
「でも、まえだたかゆきは、まえだたかゆきでしょ?」
ぽかんと頭にはてなを浮かべながらメイは言う。その無垢な表情から俺は再び十神の言葉を思い出す。彼女には人格と言語機能にエラーが起きているという事。詳しい話はされなかったのであまりピンと来ていなかったのだが、目の前のメイの様子を見ていてようやく実感がわいた。
「えっとな、俺の場合は前田が苗字で、孝之が名前なんだよ」
「みょーじ?」
「そう。苗字っていうのは、えっと……」
はて、改めて考えると苗字とは何なのだろうか。恐らく家の名前ということだと思うが、今のメイに上手く説明できる自信がないので、深く掘り下げるのはやめておくことにした。
「……とりあえず俺の事は孝之って呼んでくれ」
「……たかゆき」
噛みしめるようなメイのつぶやきに、なんとなくこそばゆい気分になる。何と呼ばせるかは少し迷ったが、とりあえず宏太やゆりえと同じ様にしておけば違和感もないだろう。
「うん!たかゆき……たかゆき!」
「おわっ、だから急に抱き着くなって!」
「たまになら、いいんだもーん」
メイは俺の胸元に顔をうずめながら、微塵も悪びれることなく言った。そんな彼女に俺もそこまで邪件にする必要もないような気がしてくる。特に実害があるわけでもないし、それに俺もなんだかんだ男だし可愛い女の子からなつかれて悪い気分はしない。
それにここまで無邪気な態度で来られると、不思議と邪な感情が湧かなかった。もちろん、俺はプレイボーイとはほど遠い人間であるので、どうしても心臓の負担は高まる。しかし、さっきまでのちょっとしたやりとりで、やはりこの子は人間ではないという意識が強くなった。
メイは本当に今日生まれたばっかりで、知らないことがたくさんある。俺はそんな彼女を導いてあげなければいけないんだという気持ちになっている。それは色恋というものとは別の感情で、どちらかといえば親が子に対して抱く気持ちなのだろうと思う。
そんな事をぼんやりと思案していると、いつのまにかメイの動きがとても大人しくなっているのに気づく。
「メイ?」
「……すー、すー」
「はあ、まったく完全に子供だな」
既にデルタ波まで出していそうなメイをそっとお姫様のように抱き上げると、その軽さに驚いた。彼女の体は、まるで火をつけて数分足らずの間にはその小さくも眩い輝きごと落っこちてしまう線香花火のような儚さを感じた。メイを自分のベッドに横たえると、スプリングが虫の鳴き声くらいの小さな音で軋んだ。
寝具に抱かれるように眠るメイの安らかな寝顔は現実感を失わせるほどの美しさで、ともすれば童話のようにこのまま永遠に眠っているのではないかという錯覚に陥る。
「ん……たかゆき……すき」
メイが夢の中で俺の名前をつぶやく。最後に紡がれた好意の言葉は、彼女に刻まれたプログラムによるものだろう。不意にその事実を思い出し、俺はいくらか気持ちが落ち込むのを感じる。今日から始まるメイとの生活は俺はどこまで本気になっていいのだろうか。そもそも俺なんかに務まるようなことなのだろうか。
話し相手を失って、静かな部屋に一人取り残された俺は、自分でも不思議なくらいに冷静になっていた。考えれば考えるほど、頭の中には不安の種が芽吹いてくる。先ほど抱いた庇護欲が俺のどの感情から来たものなのかわからなくなっていく。美少女に言い寄られて自尊心が満たされたからなのか。それとも偶然訪れた非日常に浅はかな高揚感を覚えたからなのか。
その答えは見つからない。しかし、目の前の少女との生活を通して、俺は何か今までの人生では手に入れることが出来なかった何かを見つけられるかもしれない。
そんな他力本願な期待感を抱きながら、彼女との期間限定の生活一日目が終わった。