出会い
繁華街にある有名チェーンのファミレス。客層は学生や家族連れが多く、休日の夕食時ということもあってかかなりの混雑具合で、先ほどから店員がオーダーと提供で俺たちの座っているテーブルを横切っている。
そんな店員を横目で見ながら、俺が大げさにため息をつくと目の前に座っている男が呆れたように口を開く。
「どうしたのさ、ため息なんてついて」
「いやー、なんか面白い事ねえかなあって。毎日毎日同じことの繰り返しでよ、つまんねえ」
忙しなく働く店員を横目に、俺はテーブルにだらりと肘をつく。
「まったく、孝之ってホント無気力というか、ダウナーというか。もっとここの店員さんを見習いなって」
「いや、でもバイトは俺だってしてるさ。そういうことをいいたいんじゃないのさ」
「はいはい、ここから先はおそらく今までも何回も聞かされてきた事だろうからノーサンキューだよ」
そういいながら、先ほどから俺の愚痴を受け流している男、矢代宏太が手のひらを向けてストップの合図を送ってくる。
宏太は高校からの同級生で今も同じ大学に通っている。宏太が同じ大学に通う事自体は以前から知っていたが、最初のオリエンテーションで同じクラスにこいつの姿を見かけた時はその偶然にさすがに驚いてしまい、静まり返る教室でお互いに大声をあげてしまった。細身で優し気な風貌に、気さくで穏やかな人柄が一緒にいてとても落ち着く。どちらかといえばインドア趣味なのも親近感があり、俺にとって気の置けない友人である。
「それに、繰り返しを嘆いている割には、会うたびにいつも同じぼやきを繰り返していて、これは何というか皮肉というか、ちょっと面白いよね」
「う、なんかそれちょっと心にグサッと刺さったわ」
「……ふう、やっと終わった。ねえねえ、何の話?」
すると、さきほどから俺の隣でずっとスマホとにらめっこをしていた坂上ゆりえが俺たちの意味のない会話に参加してきた。
ゆりえも、宏太と同じ高校からの同級生だ。彼女は学部は同じだがクラスは別で、女子特有の群れる風潮が苦手で、あまり大学内での新しい交流を持てておらず、俺たちと一緒に行動することが多い。シンプルな黒髪のセミロングヘアーで、やや高めな身長に涼しげな目元から、女子大生にしては大人びた印象を受ける。
「いや、いつもの孝之の口癖だよ」
「ああ、なんだ。聞いて損したわ」
そういってゆりえは再びスマホをいじり始める。
「ゆりえ、さっきから何やってるんだ?」
「何って、今日行った所の感想をブログに乗せてたのよ」
「ああ、そういうことね」
そう、俺たちはただ飯を食べるためだけにこんな混雑したファミレスに来たのでは無い。
「あんたのお望み通り面白そうだと思って、心霊スポットに連れて行ってあげたんじゃない。その感想よ」
ゆりえはオカルト方面に興味があり、趣味でそういった関連のブログを書いているのだ。高校時代から細々と続けている趣味で、その界隈ではそれなりに人気のあるサイトらしい。そのネタ集めとして色々な文献を読んでみたり、後は今日のように直接出向いてその実態を調べたりしている。そして、その帰りにこうしてここで反省会を兼ねて食事をしているというわけだ。
「確かに、俺たちは今噂の心霊スポットに行ったさ」
しかし、俺にとって重要なのは今日行ったそのスポットで起きた余りにも肩透かしな出来事だ。
「その上で、俺は驚きを通り越して呆れているんだぞ」
「なんでよ?」
「なにって、お前それ本気で言ってるのか?」
「当たり前じゃない」
「ふざけるなあ!」
「うわ、ちょっと何よ」
突然大きな声を出した俺に、ゆりえは驚きと批難の表情を向ける。同時に、今もなお忙しく動き回る店員の苛立ちのにじんだ視線も向けられているのを感じた。
「ゆりえ、お前はなんて言ってそこに連れ出した!?」
「えっと、誰もいないはずなのに人の話し声がするトンネル……だったかしら」
「そしてトンネルには何がいた!?」
「おじさん……の、霊」
ゆりえの語尾が弱弱しくなるのを俺は見逃さなかった。
「違う!あれは、普通にただの点検のおっちゃんだ!」
「……そうだけど、あんたもすごい怖がってたじゃない」
「そりゃ、トンネルの奥から話声が聞こえたからだ。まさかそれがそのおっちゃんのただの独り言だったなんてな」
「でも、あれはあれで怖いじゃない」
「きっと一人の時の方がテンションが上がるタイプなんだろうね」
宏太がどうでもいいタイミングで合いの手を入れてきたが無視をする。
「あんなの、俺の求める面白い事にはほど遠いんだよ」
「でも、心霊スポットになるくらいの独り言ってむしろすごいと思わない?よっぽど頻繁に、あんな大声で独り言を……いや、もはや一人シャウトをしてるのかって感じよね。あの人の会社の労働環境の闇が見えるわね」
「いや、だからそういうことを言ってるんじゃなくてだな……」
ちなみに俺たちの存在に気づいた、恐らく点検係のおじさんは恥ずかしかったのか点検を放り出してどこかへいってしまった。あのおじちゃんは、明日からちゃんと出勤するのか幾ばくかの不安がよぎった。
「まあまあ。心霊スポットは貴之の言う通り残念だったとしてもさ、ちょっとした観光をしたと考えれば僕は楽しかったと思うよ」
「そうよ。そもそも今日の移動は宏太の家の車でしかも運転はずっと宏太がしてくれたじゃない。あんたになんの損害があるっていうの?」
「う……まあ、そうだけど」
反論できずに歯噛みする。彼女の言う通り、今日は宏太にとても苦労をさせた自覚はあった。
それにしても宏太が集合場所にマイカーで現れたのは驚いた。しかもセダンの高級タイプの車で、宏太が言うには18歳になってすぐ免許を取り、高校卒業と同時にお下がりとしてもらったとの事だった。そんな事をこともなげに言ってのける宏太は、所謂ボンボンというやつで、元から知ってはいたが、今日それを改めて感じさせられた。俺にとってはトンネルのおっちゃんよりも宏太の金持ちっぷりの方がよっぽどホラーだった。ちなみにその車は今、コスパの良さが売りのファミレスの駐車場に止められている。
「でも、ゆりえだって乗ってただけじゃねえか」
「ふん。それにあんたは気づかなかったかもしれないけど、あたしは今日のガソリン代は宏太に渡してあるから。まあ、こんなの言うまでもない当然の事なんだけど、どうせ孝之は払ってないでしょ?」
「そ、そうなのか?」
「あはは、何度もいらないって言ったんだけど、どうしてもっていうからさ」
「く」
今度こそ俺は何も言い返すことが出来なかった。
「まったく。面白い事探すとか言う前に、まず周りの事にしっかり目を向けることね」
「うぐ」
とどめと言わんばかりのゆりえの正論にが突き刺さる。確かに、特に何の努力もしていないのに、面白い事が勝手に起きるのを期待するのは幼稚な考え方だ。それに変化に富んだ、刺激的な日常を過ごしている人は須らく行動力がある。環境のせいにしているうちは、いつまで立ってもモノクロのカレンダーしか捲ることが出来ないのだ。
「ま、まあ何にせよ、プチ旅行は楽しかったし良かったと思うよ、僕は」
「そ、そうね。あたしもちょっと調子に乗っていろいろ言いすぎたっていうか。その、あんまり本気にしないでよね」
俺が思ったよりも落ち込んでしまったのを察して二人が慌ててフォローを入れてくれる。
「ああ、悪い。ちょっと考え事してただけだから、気にすんなって。なんか話してたら小腹が空いてきたわ、もうちょい頼んでもいいか?」
雰囲気が重くなりかけたのを感じ、俺も慌てて明るい表情を作る。俺の反応に宏太とゆりえもいくらかほっとしたような表情になった。
「もちろん、全然いいよ!」
「ええ、好きなの頼みなさいな~」
そんな二人の様子に俺も同様に安心する。しかし俺の胸の内には先ほどの脳裏に浮かんだ考えが、不完全燃焼のまま、いつまでも燻り続けていた。
ファミレスを出た後、俺は宏太とゆりえとは別れて一人繁華街をぶらついていた。大騒ぎしている大学生の集団や、いかがわしい雰囲気を感じる男女二人組、それに夜の仕事の女性など、様々な人間が不必要なくらいに大声で騒ぎ立てている。
しかしそんな鬱陶しい集団でも、何の不安もなさそうな笑顔をしていて、不思議と不快な感情は湧かなかった。それよりも、今この瞬間を鬱屈とした気分で過ごす自分に、自己嫌悪を感じていた。
胸の中をモヤモヤと掴みどころのない感情が渦巻いている。今の自分の現状に取り立てて不満はない。大きな病気もしてないし、友達もいる。勉強も運動もそこそこ出来るし、そもそも大学に通えてること自体が恵まれているうちに入ると思う。
しかし、そんなそこそこに良い環境だからこそ、何か特別な事が起きることを求めてしまう。無いものねだりな事を自覚しつつも渇望してしまう。
我ながら発展性の無い事を考えながらふらふらと歩いているとふいに尿意が催してきた。トイレを求めてあたりを見回す。こんな繁華街だというのに周りには偶然なのかコンビニが見あたらない。
「……ここでいっか」
やがて探すのも億劫になり、適当な路地の適当な物陰で用を足す。
一応周りの目を気にして急ぎ気味に用を足すと、急に何者かが勢いよく俺にぶつかってきた。
「うわっ」
用足しの直後で油断していて衝撃に大きくよろめく。俺の事など気にも留めず、謝罪すらないまま人影は繁華街の方へ走り去っていった。なぜか白衣を来ていたのは分かったが、咄嗟の事で顔を確認することはできなかった。もう、その人物が誰なのかを特定するのは難しいだろう。
「ったく、なんなんだよ」
徐々にこみあげてくる怒りがやり場を求めて虚空をさまよう。その感情に促されるように男が飛び出してきた方向を見てみと、雑然とした風景の中に隠れるようにして小さな裏道があるのに気づいた。短く細い道の先には廃墟のような建物があり、扉からは薄暗い光がわずかに漏れていて、先ほどの男はそこから出てきたことが窺えた。
――不意に、俺の中に何かが沸き上がるのを感じた。ぼんやりと霧がかった思考が、鼓動の早まりによって徐々にクリアになっていくのを感じる。それは好奇心だった。無気力な生活に飽いていた俺にとって、この繁華街に不釣り合いな白衣を着た男が、まるで秘密基地のような建物からなぜか大慌てで出てきたという状況に、俺はどうしようもない好奇心を抱いてしまった。
「……」
ごくりと生唾を飲み込む。もちろん、他人の家に無断で入ることは不法侵入というれっきとした犯罪だ。それくらいは当然としてわかっているし、いくらさきほどの男が俺にぶつかって謝罪もしない無礼を働いたとしても、不問になることではない。
心臓が早鐘を打つ。好奇心と倫理観の板挟みとなる。葛藤する中で、ふと先ほどのファミレスでの試案が蘇る。刺激的な事は、自ら行動をしなければ起こすことが出来ない。ここで大人しく帰るのは正しい選択なのは疑いようもない。しかし、それでは何も変わらない。多少リスクがあったとしても、何か起こさなければいけないのだ。それに、別に中に入るだけならばそこまで大きな罪に問われることもないだろう。万が一見つかってしまっても、平謝りすれば恐らく許してくれるだろう。
そんな取り違えた行動力と、都合の良い言い訳を手にした俺は、気づけば目の前の扉を開けていた。
建物の中に入るとそこはまるで研究施設のようだった。全面が光沢のある白色の壁に包まれた無機質な空間。それをいくつかの天井のLEDが無表情で照らしている。部屋の中央には大きめのデスクが置かれている。卓上にはノートパソコンと何に使うのかわからないガジェット、後は資料が乱雑に置かれ、その何枚かが椅子や床に散らばって落ちている。
念のためそれらの位置を動かさないように、ゆっくりと部屋の奥に進んでいく。デスクの陰に隠れていたベッドを横目にさらに進むと、今までとは雰囲気の違う物体が視界に飛び込んできた。
「なんだ……これ」
そこには巨大な金属製の装置が佇んでいた。金属でできた土台の上に円柱性のボディが壁側に向かってやや寄りかかるように鎮座している。その前面の上部にはガラス製の小窓がついており、僅かにその中身を伺うことが出来た。
「……は、はああ?」
俺の視界に飛び込んできたのは、人間の顔だった。ガラス一枚を隔てた狭い空間に、眠るように目を閉じている。 そして次に俺が目を奪われたのは、その輝くような銀色の髪の毛だった。窓枠に遮られて全身をうかがい知ることはできないが、髪の長さからして女の子の様に見える。年は俺と同じくらいだろうか。そのかんばせは寝顔の状態にも関わらず作り物めいて美しく、まるで寓話の眠り姫のような印象を抱かせた。そんな少女が、鋼鉄のゆりかごの中で静かに横たわっている。
余りに現実離れした光景に俺は呆然と立ち尽くす。念のため目を何度か擦ったり、頬を思いっきりつねったりしてみても、決して自室で目が覚めるということはなく、今の状況がまぎれもない現実だということを確認するだけだった。
そしてそんな非現実と対面すると、先ほどまでの好奇心が見る見るうちにしぼんでいき、頭が冷静になっていくのを感じた。
俺は、一体何をやっているんだろうか。勝手に人の家に入って、物色した挙句にこんな、恐らく人目には決して触れてはいけないようなものを見つけてしまった。特に法律に詳しくない俺でも、この装置の存在は何らかの法に触れていることはなんとなく分かった。
もうこれくらいが潮時だろう。ある意味面白いものも見れたわけだし、今日の事はこじらせた俺が見た白昼夢とでも思って心にしまっておこう。本来なら警察に通報すべきであるのだろうが、そこは俺も不法侵入をしている責があるので、おあいこという形で決着させてもらうことにする。
自分の中で上手く結論をつけられた所で踵を返す。そして入り靴の扉に向かって歩き出そうとすると、ふと足の裏に何か踏みつけたような感触を覚えた。
「ん」
足元に目線を落とすと、そこにはリモコンのようなものが俺の脚と床の間に挟まっていた。プラスチックでできた正方形の本体の中央には赤いボタンのようなものがついており、俺の踵はその部分にしっかりと俺の体重を預けていた。
その事実を認識した瞬間、背中の装置から轟音が鳴り響いた。
「……うおっ」
驚きのあまり情けない声を出しながら振り返ると、装置から勢いよく水蒸気のような霧が吐き出されていて、そのただ事ならぬ状況に俺はへっぴり腰になりながら後ずさる。やがて水蒸気を吐き出しつくした装置が前面をオープンカーの屋根のように開き、装置の中身が露わになった。
まず真っ先に俺の視覚が認識したのは、一糸まとわぬ真っ白な肢体。 遠目からでもわかるその美しい比率。小さくすっきりとした輪郭に釣り合いが取れた細身の体躯には豊かな乳房が自己主張をしていた。腰元はハッキリとくびれていて、そこからすらりと伸びる脚の境目にはかすかな……
「う、うーん」
「あ、いや、べ、別に見てたわけじゃなくて!」
不意に、目の前であられもない姿をさらしている女の子の口が開いた。気づけば彼女の体をジロジロと見てしまっていた俺は思わず弁解をする。
しかし女の子はぼんやりとした目つきで周りをきょろきょろと見回した後、装置内のベッドから体を起こした。しかし、彼女の体は糸の切れた人形のようにがくりと崩れ落ちてしまった。
「あ、えっと、だ、大丈夫ですか」
声をかけて駆け寄ろうとするが、彼女が裸であることを思い出し、右手と左足を前に出したなんとも中途半端な体制で停止する。
そんな情けない状態の俺を余所に、彼女は再び体を起こし、今度こそ装置の外に這い出た。そして女の子座りの状態でまた眺めまわすと、遂に俺の存在に気づいた。
「……」
無垢な視線が俺を貫いている。それを卑屈な視線で迎え撃つ。そして交差した視線は、ただ沈黙だけを生んだ。物音一つない、視覚のみが情報の世界で彼女の瞳の奥にある感情は、読み取ることが出来なかった。無限に引き延ばされたと錯覚するほどの時の中、唐突に彼女がゆっくりと俺の方に向かって来た――四つん這いの状態で。
「ちょっ、ちょっと!」
まるで赤ん坊のはいはいのようなその動きには、羞恥心というものが感じられない。剝き出しの双丘が柔らかそうに揺れ、否応なく視線が引き寄せられる。
「うわっ」
余りに刺激的な光景に俺はパニックを起こし、何かにつまずいて尻もちを打ってしまった。臀部の強かな衝撃は、しかして目の前の情景にたやすく塗りつぶされてしまった。しかも、尻もちをついたことによって俺の目線が低くなり、先ほどよりも煽情的な光景が俺の血流をたぎらせる。距離が近づくにつれてより鮮明になるその色香に俺の心臓はこれでもかというくらい速いリズムを刻む。やがて俺と彼女が触れるほどの距離まで近づいた。
「こらああ、お前、なにやっとるかああ」
「うわっ」
「ひゃっ」
突然、大きな怒号が部屋中に響き渡り、俺と女の子が声をあげる。
声の下方向を見ると、そこには白衣を着た男性が立っていた。
年は見たところ大体五十代くらいに見える。ぼさぼさの髪の毛に、手入れのされてない無精ひげ。そのおよそ人前に出ることを想定していない風体は、見る人によっては清潔感に欠ける印象を与えることもあるだろうが、そんな中にもアウトローというか、アングラ的な、何か独特のオーラのようなものを俺は感じた。
「お前は誰じゃ!それに、なぜワシの部屋におるんじゃ!」
「え、えっと、それは、その」
血走った目で詰問され、口ごもる。その男の容貌を見て、この部屋に来る途中の記憶が蘇る。この男は、さきほど路地で俺にぶつかってきた人物だ。ということは、この部屋の主であり、この状況は最も恐れていた事体、俺の不法侵入が発覚してしまったということだ。
見つかってしまったことへの焦りが動揺を呼び、動揺が再び焦りを生み、嫌な汗がとめどなくあふれる。
「その、本当にすみませんでした!」
俺は床に頭をこすりつけるようにして、誠心誠意の謝罪をする。出来心でやってしまったことで、完全に非は俺にあり、今はとにかく謝るしかない。
「土下座なぞ、なんの価値もないわ!お前、この落とし前どうつけてくれるんじゃ!?」
言いながら男はひれ伏している俺の首根っこをつかんで無理やり引き上げる。
「……生きたまま標本にされるのと、新しい毒薬のサンプルになるの、どっちかいいかのう?」
「ひいっ」
据わった眼で俺の顔を覗き込みながらひどく物騒な事を囁いてくる。ここにきて事の重大さをようやく理解する。頭を下げるとか罪を償うとかそんな生ぬるい事では解決しない、もっと別の次元の危険な領域に踏み入れてしまったのかもしれない。
俺がさきほどまでの軽率な行動を今更ながら悔やんでいると、不意に横から柔らかい衝撃を感じた。
「はっ!?」
さっきの女の子が庇うようにして俺を抱き寄せながら、目の前の男に抗議の視線を送っていた。
「メ、メイ……」
そんな彼女の態度に男は困惑したような、落胆したような様子で呟く。そうか、この女の子はメイというのか。明かされた新事実に幾ばくかの関心を覚える。しかし今の俺の意識は、腕の当たりかけて感じる滑らかな肌と、たわやかな二つのふくらみの感触にメモリの大部分が占有されていた。
「むー、ひどいことやめて」
そんな俺の緊張などつゆ知らずに相変わらず女の子は博士をにらみつけている。彼女の腕に力がこもり、感じていた感触が強まる。そんな状況に気絶しそうなくらい脳を沸騰させながらも、俺の頭の中に一つの疑問が湧く。なぜこの子は俺を庇ってくれるのだろうか。
彼女からすれば俺は不審者だし、目の前の男が名前を知っているということは何らかの関りがあるはずで、現状からすれば敵対するべくは俺の方に思える。
「はあ……やっかいなことになったもんじゃ」
俺が答えを探していると、目の前の男はなにか諦めたような表情でそういった。
「こうなってしまっては仕方がない。おまえにも協力してもらうとしよう」
「えっと、協力というのは、その……何をでしょうか?」
「それも説明するから、一旦メイから離れてくれ」
「は、はい」
そういって俺は彼女の抱擁から抜け出そうとする。しかし、その腕はがっしりと俺を捉えていて、まったく外れなかった。その様子を見て博士が頭痛に耐えるように、頭を抱える。
「……はあ、つくづく面倒じゃのう」
「えっと……あ、あはは……」
どうしていいかわからない俺は、乾いた声で誤魔化し笑い続けることしかできなかった。