5
明くる日。
オフィーリアとベルナルドは刑部省の応接室で硬直していた。
出勤するとすぐに課長に呼ばれ、そこには刑部省の官服を着た二人の青年が笑顔で待っていた。そして、そのまま護送馬車に乗せられ連行されたのだ。崩されることのない青年たちの笑顔に、オフィーリアの膝は震えっぱなしだった。
ゆっくりと扉の開く音がして、青い顔で壁の一点を見つめていたオフィーリアはそっと顔を動かした。
「やあ、今日は突然呼び出してしまっ……」
「きゃああ! お兄様!! こないだの誘拐犯よ!!」
オフィーリアは隣に座るベルナルドに飛びついた。
「誘拐犯……」
本日も黒髪を小粋にキメたサムエーレがショックを受けたように口元を手で覆った。立ち止まるその背中をドン、と押して、その後ろからクラウディオが姿を現した。
怯えながらも背中にオフィーリアをかばっていたベルナルドが、表情をこわばらせる。
「ま、まさかこんな組織ぐるみの誘拐だったなんて……」
「こいつらは兄妹揃ってバカなのか」
向かいのソファの隅にどさりと腰を下ろしたクラウディオは、不機嫌そうに眉を寄せて足を組んだ。その隣にサムエーレが座り、ふたりと向かい合った。
「刑部省副長官サムエーレ・アネッレです。先日はどうも」
「はぅぅ……」
「あの、僕たちに何がご用でしょうか……」
無遠慮に睨んでくるクラウディオの視線に、だんだんとベルナルドの声が小さくなっていく。
「長官、あとでちゃんと報告しますから、席外してくださいよ」
「なぜだ」
「威圧感半端ないっス」
「だまれ。俺の事は気にするな」
「そりゃ無理っスよ~」
壁際に控えていたアンジェロがクラウディオに気安く話しかけるのを見て、ベルナルドが少しだけ肩の力を抜いた。あんな軽い感じで話しかけても怒られないんだ。いや、怒ってるような気もするが。
「え、ええと。ベルナルド・ナーヴェ伯爵卿と、オフィーリア・ナーヴェ伯爵令嬢で間違いないだろうか」
わざとらしく咳払いをして、サムエーレが話を始めた。わざとらしい笑顔ではあるがオフィーリアが震えていないところを見ると、騙そうとしているわけではなさそうなので、ベルナルドがおそるおそる頷いた。
「……はい。間違いありません」
「先日は突然失礼した。まあ、君たちの想像通り、我々は君たちの周辺を調査していたわけだが」
「ええっ!? 僕たちを!?」
「気付いていなかったのか」
「全く」
ベルナルドとオフィーリアが顔を見合わせた。不安そうにオフィーリアがベルナルドの袖をつかむ。
「やはり直接聞いた方が早そうだな。お前たち、先日の夜会にはなぜ出席した」
焦れたようにイライラと足を組みかえたクラウディオが、サムエーレをさえぎって口を開いた。
クラウディオの質問に、オフィーリアが一気に青ざめた。
「え、ええっと……あの」
「あの! さささ、さすがに僕も妹もいい年なので、こ、こんにゃく、いえ、婚約者を探さなければならなくって、それでっ」
ベルナルドのしどろもどろの嘘に、オフィーリアの足ががくがくと震えだした。それにクラウディオは目ざとく注目した。サムエーレが変わらない笑顔のまま、会話を引き継ぐ。
「ナーヴェ嬢は今まで全く参加したことがなかったのに?」
「はぅ、はぅ」
ベルナルドの腕にしがみついたまま、がくがくと震えながら首を縦に振るオフィーリアに全員の視線が注がれた。
「す、すみません。妹は人前に出るのが苦手でっ」
「そのようだな」
クラウディオにじとりと睨まれ、オフィーリアが息を呑んだ。やはり結婚式で見た麗しいストラーニ公爵ではない。今、ここにいるのは訝し気な視線を寄こしてくる恐ろしい刑部省長官だ。こんな目で睨まれたら、犯していない罪でも白状してしまいそうになる。
「貴族としてパートナーを探すために参加した、というなら、まあそれは信じてやろう。だが、会場を出た後、お前たちはどこへ行った」
「えっ、どこへって……か、帰りました。やはり、僕達には華やかな場は似合わないと……」
「お前たちには監視を付けていた。もう一度聞く。会場を出て、どこへ向かった」
「う、あの、妹が歩けなかったので、休憩室で休ませようと、思い、えっと」
「はわわわわ」
「オッフィー、我慢して! ええと、あの、休憩室に向かったら、迷ってしまって」
「あうううぅ」
「オッフィー、頑張って」
「大丈夫かい、ナーヴェ嬢。おい、温かいお茶を持ってこい」
サムエーレが心配そうに声をかけ、ブルーノに指示を出した。その声に、アンジェロと一緒に壁際に立っていたブルーノがすぐに動く。その間も、一度も視線をそらすことなく、クラウディオはオフィーリアを監視し続けていた。
「迷ったにしては、しっかりとした足取りだったそうだな。なぜ、あの廊下に向かった」
「偶然です……本当に、道に迷って……」
「ひゃあ!」
ブルーノが、静かにテーブルに熱い紅茶を差し出した。突然背後から現れたその手に、オフィーリアが飛び上がって驚いた。
「お兄さん、おしぼりどうぞー! 尋常じゃない汗っスよ」
「へっ、あ。う、ありがとう、ございます」
これまたいつの間にかすぐ隣に立っていたアンジェロが、ベルナルドに冷たいおしぼりを手渡した。思わず受け取ってしまったベルナルドは、遠慮がちに額の汗をぬぐった。
「ナーヴェ嬢、お砂糖とミルクは必要ですか?」
オフィーリアに優しくほほ笑みかけるブルーノに、オフィーリアは返事もできずにぶんぶんと首を振った。こんな状況でお茶なんかに手が伸びるはずがないのに。
ブルーノとアンジェロは兄妹を挟むように立ち、そのまま動かなかった。クラウディオ以外は全員、ベルナルドとオフィーリアに笑顔を向けている。もう逃げられない。
「なぜ、あの床板が腐っているのを、知っていた」
青ざめた顔色で口をぱくぱくと動かすだけとなったベルナルドの腕に、オフィーリアは顔を押し付けて目を固く閉じた。クラウディオの言葉に震えはこない。彼は疑っているのではない。オフィーリアたちが知っていたと、確信しているのだ。
「それともお前たちが、事前にあの床に仕掛けをしたのか? 聞けばお前たちは建築院の修繕担当らしいな。見回りのふりをして仕込むことなど他愛のないことだろう」
「そんなことはしません!!」
ベルナルドはぱっと顔を上げ、はっきりと答えた。「そんな、誰かが怪我をするようなこと、するはずがありません」
仕事に対する矜持くらいはしっかりと持っているらしい。クラウディオが少しだけ目を眇めた。妹の表情は窺えないが、震えは止まっている。
「では、なぜ、まっすぐにあの廊下へ向かい、腐食した床板をわざわざ踏み抜き、騒ぎを起こした」
「……っ、そっ、それは、騒ぎを起こしたかったわけではなくて、そのっ」
「お兄様……、もう無理よ」
腕に顔を押し付けたまま、オフィーリアがつぶやいた。その小さな声を、クラウディオたちは聞き逃さない。
「この人たち、私たちのことを知ったうえで、聞いているわ。見ていたって言うのも、本当なのよ」
「オッフィー……」
「私たちが嘘をつくなんてこと、できるはずないじゃない」
「オッフィー……でも、それは」
オフィーリアが落ち着いたようなので、ひとまず一歩後ろに下がったブルーノは、クラウディオに指示を仰ぐように視線を移した。
「話す気になったのなら、さっさと話してもらおうか」
クラウディオが足を組みかえると、その衣擦れの音に少しだけ顔をのぞかせたオフィーリアは、すぐにまたベルナルドの腕に顔を押し付けた。
「わたっ、私じゃ無理! お兄様お願いっ!」
「えっ! ぼ、僕!? そんなあ」
「こんな大勢の前でしゃべったことないもの! 私は無理!!」
「どっちでもいいからさっさと話せ!!」
バン! とクラウディオが机を叩いた音に、オフィーリアとベルナルドが飛び跳ねた
「ううう、無理ですぅ~」
「話す気になったんじゃないのか!」
「だって、だって、公爵閣下が怒ってるんですもの~~」
涙目ながらもきちんと抗議するオフィーリアに、サムエーレが思わず噴き出した。
「長官、ちょっと黙っててもらえます?」
「なぜだ!」
「声がでけえ」
「うるさい!」
「こっちのセリフだよ」
クラウディオとサムエーレのやり取りで、少しだけ正気を取り戻したベルナルドが居ずまいを正した。
「あの、僕が話します。この話を家族以外とするのは初めてで、うまく説明できるかわかりませんが」
自分にしがみつくオフィーリアの手をぎゅっと握ったベルナルドが、覚悟を決めたように話し始めた。
「妹は、人や物の嘘がわかるんです」
「嘘ぉ?」
サムエーレが呆れたような表情を見せる。それでも、ベルナルドは力強く頷いて、話を続けた。
「あるべきものがあるべき姿であるべきところにない時、オフィーリアの手足が震えます。先日の夜会では、中庭に出た時に渡り廊下の近くでオフィーリアの足がもつれて転びました。ただ、その震える理由まではわからないんです。だから、二人でその正体を確認しに行きました」
「うーん」
想像していた解答ではなかったことに、サムエーレが頭を掻いた。じっとオフィーリアの様子を観察しているクラウディオが「続けろ」と言う。
「外壁には異常はありませんでした。だから、中に入り廊下まで行ったのですが、誰もいませんでした。誰かが嘘を吐いたのではないのなら、その廊下のどこかが異常な状態であるということです。だいたいあの辺りなのは分かったのですが、床板なのか壁なのか、それとも天井なのかは分かりませんでした。だから、僕が実際にそこへ行って確認しようとして……床を踏み抜いて落ちました」
「なるほど、つまり、床板はすでに腐っていて、上を人が歩くことができるような状態ではなかった。床板として機能しない状態ということは、それはすでに床板として否である。だから、妹は震えたということか?」
「おおむね」
「ほう」
あごに手をあてクラウディオは考える仕草をした。やっと刺さるような視線から解放されたベルナルドがほっと小さく息を吐くと、すぐにクラウディオは顔を上げた。
「それで、そんな話を俺が信用するとでも?」
今まで以上に冷たい視線を向けられ、ベルナルドが呼吸を止めた。
「お兄さん!? 大丈夫? 息して! 息!」
アンジェロに背中をさすられ、何とか呼吸の仕方を思い出したベルナルドが肩で息をする。
「アンジェロ、お前、嘘ついてみろ」
「へっ」
「早く」
「俺、女っス」
オフィーリアの膝が跳ね上がるように一度持ち上がった。全員の視線がその足にそそがれた。
「そんな見え透いた嘘じゃだめだろ。お前しか答えを知らないようなことだ」
そう言いながら、ブルーノがアンジェロの隣へ歩いて行った。
「急にそんなことを言われても思いつかないよ」
「お前、庶務課のマーリンちゃんとはうまく行ってるのか?」
「マーリンちゃんとは、まあまあ、そこそこ」
「はわわ、この人、嘘ついてます! 浮気してます!」
オフィーリアが震える手で膝を押さえながら言った。眉をひそめたブルーノに、アンジェロがあわててすがり付いた。
「浮気じゃないっ……ふ……振られました……」
ブルーノがオフィーリアを見ると、彼女の震えはぴたりと止まっていた。魂が抜けたように床にぺたりと座ったアンジェロは、しばらく再起動は無理そうである。
「ふむ。続けろ」
クラウディオに促されたサムエーレが、膝にポンと手を置きすらすらと話し始めた。
「俺は今日朝六時に起き、すぐに鍛錬を始め」
ガクガク、とオフィーリアの膝が震え始めた。確かに起きてすぐはぼうっとしているので鍛錬なんてしていない。サムエーレは一度言葉を切ったが、すぐに話を続けた。
「朝食にビーフシチューを食べ」
「……」
オフィーリアの震えが止まった。
「部屋に戻った後、届いていた書簡のチェックをし」
「……」
「ひとつひとつ丁寧に返事を書き」
ガクガクガク。
「紅茶を飲み」
ガクガクガク。
「その後、馬に乗って出勤」
「……」
「まっすぐに長官室に向かい」
ガクガクガク。
「真面目に仕事をしました」
「……」
オフィーリアの震えが止まり、クラウディオが首を傾げた。
「真面目ではないだろう」
「あの、本人が真面目に働いた、と心底思いこんでいれば、それは嘘では……ない、かと……」
うっかり口を挟んでしまったベルナルドのだんだんと尻つぼみになる声に、サムエーレが胸を張る。
「俺は自信をもって、真面目に働いていたと自負しております」
「次、ブルーノ」
クラウディオに指名されたブルーノは、上を向いてちょっと考えた後、ゆっくりとオフィーリアに視線を移した。
「私は、ブルーノ・マルキ。伯爵家の長男です。よろしくお願いいたします。」
「よ、よろしくお願いいたします」
軽く頭を下げられ、オフィーリアもつられて頭を下げる。膝は震えない。
「長官の名はクラウディオ・ストラーニ公爵閣下」
「……」
「非常に優しく、人当たりも良く」
「ほわわわわっ」
ガクガクガク。オフィーリアの手足が同時に激しく震え始めた。
「いつも笑顔で朗らかで」
「はわっ、はわっ、あわわ」
「仕事は正確で非常に厳格」
「……」
「部下への労りを忘れることなく」
「ひぃ、きゃあああ」
「毎日定時退社を促してくれ」
「はにゃ、ふわ、はわわ」
「休日出勤なんて一度も命じたこともない」
「ひぃぃ、もう、もう止めてくださいぃぃぃ」
椅子からほとんど滑り落ちた格好で、オフィーリアがガクガクと震えている。隣ではベルナルドがおろおろとブルーノとクラウディオの間で視線を彷徨わせていた。
「長官が怒鳴る日などない」
「あぅ、ふおおっ」
調子に乗って参加してきたサムエーレの声に、椅子に座り直そうとしたオフィーリアはまた床に尻もちをついた。目に涙をいっぱい溜め、恨めしそうに睨むオフィーリアに、ブルーノが申し訳なさそうに手を合わせた。
「信じられませんが、本当のようですね」
「お前らが俺をどう思っているのかがよく分かった」
「真実を述べたまでです」
「あはは、長官も嘘をついてみてくださいよ」
いつの間にか復活したアンジェロが気安く言った。
「俺は嘘はつかん」
クラウディオが腕を組み、ぷいと横を向いた。
嘘をつかない人なんてこの世にいるの? オフィーリアは思わずクラウディオの顔をまじまじと見つめてしまった。
「今だけっスよ。実験じゃないっスか。何かないんスか? 長官しか知らない秘密」
「秘密の暴露の場じゃないぞ」
「オフィーリアちゃんの前では嘘つけないんだから、そういうことでしょ」
アンジェロの言葉に、オフィーリアの表情が強張った。眉を下げたベルナルドがオフィーリアの肩をさすっている。
「ほら、ほら、長官、早くぅ~」
「黙れ、この小僧めが」
「ひどいっス」
「ああ、ちょうどいいものがある」
クラウディオはそう言うと、応接室を出て行った。どこへ行ったのか、クラウディオはなかなか戻らず、オフィーリアとベルナルドはその間ずっとアンジェロのおしゃべりに付き合わされていた。
「おい、外にまで声が聞こえているぞ!」
「あっ、長官。どこ行ってたんスか。ベル兄と俺、同じ年だったんスよ! ちょっと、聞いてくださいよ」
アンジェロをさらっと無視したクラウディオは再びソファに腰を下ろすと、黒い箱をサムエーレの膝の上に放り投げた。
「ああ。なるほど」
箱を見たサムエーレがそうつぶやき、箱のふたを少しだけずらして片手を中に突っ込んだ。ごそごそと手を動かすと、中から何かを取り出した。
「ナーヴェ嬢、これは何だかわかる?」
オフィーリアは身を乗り出すようにしてサムエーレの差し出した手を見た。手のひらには、銀色のコインが一枚載っていた。
「お金。銀貨です」
「そう。じゃあ、これは?」
再び箱に手を戻し、今度は茶色のコインを取り出した。それを見たオフィーリアの手がぶるぶると震えた。
「えっ? それ、偽物ですか?」
「おっ。よくわかったね。見た目では分からないのに。次、これ」
今度は紙幣を一枚取り出した。オフィーリアの手がまた震えた。その後もサムエーレは次々と箱から硬貨と紙幣を無作為に取り出し、オフィーリアの震えに従って選り分けていった。
「こりゃすごいな。百パーセントの確率で贋金を見分けるとは。これはつい最近とある地方で出回った贋金で、鑑識が終わったばかりのものなんだ。まだ終わってないのもたくさんあるから、ナーヴェ嬢に手伝ってもらったら鑑識も喜ぶだろうなあ」
サムエーレの期待のこもったまなざしに、オフィーリアは肩をびくつかせた。オフィーリア自身は何もしていないのだ。ただ、貨幣を見せられ震えていただけなのである。
「……」
「長官? どうしたんですか」
腕を組んでじっとオフィーリアを睨んでいたクラウディオが、ニヤリと笑った。その恐ろしい笑顔に、オフィーリアはとてつもなく嫌な予感がした。
第6話以降は、月~土AM11時に一話ずつの更新となります。
よろしくお願いいたします!