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■コミカライズ第四巻 発売記念SS

発売されました!


不機嫌な公爵様はウソ発見器付き令嬢の取説をご所望です 第④巻

漫画:出迦オレ先生


出迦先生の描き下ろし番外編「結構昔の話…」も収録しています。

どうぞよろしくお願いいたします!

 オフィーリアはひとり、膝を抱えてクッションの上に座っていた。

 この取調室の隠し部屋は案外、人が来ない。ここには取り調べの度に容疑者のウソのせいでオフィーリアがコロコロと転ぶので、マットやらクッションやらふわふわしたものがたくさん敷き詰められている。傍らにあったクッションを拾い上げ、膝の上にのせてぎゅっと顔を押し付けた。


 分からない。


 顔を上げ、はああ、と長めに息を吐いたらもう一度突っ伏す。


 分からない。どうしよう。もう帰りたい。帰りたい、建築院に。


 息苦しくなってまた顔を上げ、今度は膝に顎をのせた。

 ぱちぱちと瞬いて、ぼんやりと暗い壁を見つめる。別に涙が出てくるほど嫌なわけではない。嫌か嫌じゃないかって言えば、嫌じゃない。むしろ、やっかいだったはずの自分の能力が役に立つ貴重な職場だ。一生懸命がんばりたいと思っている。でも、それと同時に、長官をはじめとする錚々たるメンバーと自分なんかが同じ部屋で働いていいのだろうか、とも思ってしまうのだ。

 悩みはそれだけじゃない。

 オフィーリアは長官であるクラウディオのことを頭に思い浮かべた。すらりと背の高いピンク髪の美丈夫だ。黙って立っているだけで圧倒されてしまうあの威圧感。さすが元王子。働かなくてもいいのに、きちんと朝から晩まで真面目に働き、現場には自ら足を運ぶ。非の打ちどころのない完璧な人だ。いや、言いすぎだ。すごくこわい。いつも眉間にしわがよっているし、目をすがめて睨まれた時の迫力といったら! とにかくウソが嫌いで、ウソをついたらすごく怒られる。だからといって、本当のことを言って怒られることも大いにあるのだが。

 オフィーリアはクラウディオのことが好きなのだと思う。

 笑ってくれたら胸がそわそわしてしまうし、喜んでくれたらにまにまと頬が緩んでしまうのをとめることができなくなってしまう。機嫌のよさそうな時に名前を呼ばれたらすごく嬉しい。

 でも、オフィーリアはそれ以上のことは望んでいない。

 どうして好きなだけじゃだめなんだろう。

 この先、どうなりたいかなんてまだ考えられない。

 もちろん年頃の女の子なので、両想いとか、王子様と結婚してハッピーエンド、なんて小説のようなシチュエーションに憧れはある。しかし、もう夢ばかり追いかける歳でもない。物語はハッピーエンドで終わっても、現実はその先があることくらい理解している。

 貴族の娘として育ったので、いつかは結婚しなければならないのは分かっている。現に、唯一の親友ドメニカもかねてから想いを寄せていたブレッサンド辺境伯と結ばれた。政略結婚の多い貴族社会の中で珍しい恋愛結婚だった。オフィーリアみたいな変わり者なんかと仲良くしてくれるような、ちょっと常識はずれなドメニカだって、結局は適齢期で結婚した。

 みんなそうなのだ。恋や好き、のすぐ後には婚約、結婚があるのだ。

 それがオフィーリアにはまだ実感がない。

 まったくない。

 心が追い付いてゆかない。

 ドメニカの結婚式で見かけたクラウディオの美しさに惹かれ、ただ近くで見てみたい、そう思っただけなのだ。オフィーリアの心はまだそこにある。

 確かにクラウディオは文句のつけようもない素敵な人だ。いや、ちょっとだけ希望を言えば、もう少し優しくしてほしい、かも、しれないけど。

 オフィーリアに目をつけてからのジャンの猛アタックはすごかった。やはり女子なだけあって、オフィーリアの心のツボをぐいぐい押してくる。

 ステッラは自分を悪者にしようと画策してまで、恋人と結婚しようとしていた。

 ジャンもステッラも、やはりまずは婚約、結婚なのだ。貴族には避けられない、とはわかっている。わかっているけれど、やっぱりオフィーリアには、まだ、家族以外の誰かと一生を共にするなんてちっとも想像ができない。

 長官室の人たち、特にブルーノなんかは、けして無理強いしない形で、そっとオフィーリアの背中を押してくる。不安になったらしっかりと共に歩む姿勢を見せつつ、やっぱり前に進まそうとしてくる。

 ちょっと待ってほしい。

 歩くスピード、どころか、オフィーリアはまだ第一歩を踏み出したばかりなのだ。

 手を引かれて進んでしまったら、二歩目三歩目で大切な何かを取り残してきてしまう気がする。

 待ってほしい。手を引っ張る力をもう少し緩めてほしい。


「ううう、だからと言って、考えたところで何にも分からないんだけど……!」


 堂々巡りで混乱する頭を抱えて、オフィーリアはマットの上にぽすんと倒れこんだ。

 心地よい弾力のマットに柔らかいクッション。長官室のみんなのやさしさがこれでもかと詰め込まれたオフィーリア専用のふわふわグッズだ。

 長官室を離れたいわけではない。でも、建築院に帰りたい。誰にも会わずに建物の隅っこで剥がれかけた壁紙を修復する。あの地味だけど大切な仕事がオフィーリアにはお似合いなのだ。

 オフィーリアはぎゅっと目をつむって、力強く起き上がった。あまりの心地よさに、このままでは眠ってしまいそうだったから。勤務時間中にさすがにそれはだめだろう。

 散らばったクッションを並べなおし、きちんとドアに鍵をかけて部屋を後にした。

 今日は予定されていた全ての取り調べが終わっている。今頃、長官室は取り調べのまとめで大忙しの頃だろう。しかし、オフィーリアの仕事はほとんどない。なるべく邪魔をしないようにゆっくりと廊下を歩いた。

 廊下の窓の外をぼんやりと眺めていたら、誰かが階段を上ってくる気配がした。咄嗟に身構えたオフィーリアの視界に、見慣れた焦げ茶色の髪があらわれた。


「あっ! オッフィー!」

「お兄様!」


 階段に姿を見せたのは、兄ベルナルドだった。

 建築院の緑色の制服を着て、大きなリュックを背負っている。どうやら刑部省の建物の修繕調査に来たようだ。


「よかった。ばったり会えたらいいなって思ってたから」


 心底嬉しそうに笑う表情を見れば、体の震えなんて確認しなくても、ベルナルドが本心からそう言っているのが分かった。

 オフィーリアは何だか目の奥がじわっと熱くなった。


「私も嬉しい。お兄様に会えて」


 そう言うと、ベルナルドがいっそう目を細めて嬉しそうに微笑む。


「へへ。本当はこっちの担当じゃなかったんだけど代わってもらったんだ。すごく渋られたんだけどさ、一回ランチおごる約束で何とかなった」

「そうなの? 刑部省は階段が多いからあまりやりたがる人がいないんじゃなかった?」

「前まではね。でも、最近は修復場所の少ない、点検だけで終わる楽な部署として行きたがる奴が多くなったんだ」

「あ……、そうなのね……」


 ベルナルドに意地悪な視線を送られ、オフィーリアが苦笑いした。

 簡単な修繕ならオフィーリアがさっさとやってしまったし、手に負えないものは建築院に報告して直してもらった。オフィーリアがうろうろしている限り、大きな修繕個所などこの建物には存在しないのだ。


「今日は定時で終わりそう?」


 ベルナルドに尋ねられ、オフィーリアがすぐに首肯する。


「じゃあ、一緒に帰ろう。迎えに来るよ」

「うん! 玄関前で待ってるわ」

「王城前の店でシュークリーム買ってから帰ろう。ポイントカードがいっぱいになったから、3割引きになるんだ」

「本当!? じゃあ、いっぱい買えば買うほどお得ってことでしょ?」

「うーん、そういうことじゃないと思うなあ」

「シュークリームと、あと、ロールケーキも買いましょう。クリームがはみ出してるやつ!」

「いいね! 月替わりロールケーキ、今月は何だったっけ」


 修繕調査もそこそこに、一通り建物を歩いてめぐった二人は、玄関前で別れた。

 さっきまで重かったオフィーリアの足取りは、すっかり軽くなっていた。

 おいしいシュークリームのせいだけではない。

 兄ベルナルドと並んで歩いたことで、オフィーリアの心を苛む取り留めないことはすっかり胸の奥に押しやられてしまった。

 兄はいつだって、オフィーリアと足並みを揃えて一緒に歩んでくれる。無理に手を引っ張ることもないし、背中を押すこともない。昔から、優しい瞳でオフィーリアが歩き出すのを待っていてくれる。

 ベルナルドだって、伯爵家の跡取りとしていつかは結婚しなければならない。オフィーリアも同じだ。きっとそれは、近々やってくるだろう遠くない未来だ。


 分かっている。

 分かっているのだ。


 オフィーリアとベルナルドは顔を上げて前にどんどん進むタイプではない。しっかりと自分の足元を見据えて、進むべき道を確認してから一歩一歩進みたいのだ。


 今はまだ。今はまだ、前に進みたくない。

 

 クラウディオと共に生きてゆきたくないわけではない。けしてウソをつかない、傍にいると震えが止まる大切な人だ。

 ゆっくりと、ゆっくりと。

 オフィーリアは急ぐことなく、足がもつれないように、一歩一歩自分の意志で進んでゆきたい。

 

「じゃあ、僕は建築院に帰るけど。長官室まで送っていこうか」


 リュックを背負いなおしたベルナルドが妹の顔を覗き込む。


「ううん、平気。部屋の前まで来たら、皆に挨拶しなきゃいけなくなるわよ」

「うわあ、それは勘弁」

「人の気配にすごく敏感な人たちだから、ドアを開けなくてもきっとお兄様がいることに気づくはずよ」

「こわ~。挨拶なんて緊張するから、悪いけど僕はやっぱりここで帰る。じゃ、後でね、オッフィー」

「うん、お兄様。あとで」


 手を振ってベルナルドと別れた。

 長官室までの足取りは軽かった。

 未来のことはまだ分からない。自分がどうしたいのかだってまだ分からない。

 あせることなく、オフィーリアはじっくりと自分なりに考えたい。

 ベルナルドの顔を見ただけで、ずいぶんと心が軽くなった気がする。


「別にシュークリーム買ってもらうからじゃないんだからね」


 誰に言い訳をしているのか、オフィーリアはそうつぶやいてから、長官室のドアを開いた。


めずらしくひとり悩むオフィーリア。

やっぱり彼女のすぐそばで寄り添えるのはベル兄だけ。

今のところは……ですけどね。

両想いになったところで、そうとんとん拍子に結ばれない、それがウソはつです。

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