■コミカライズ記念SS ~王太子殿下は反抗期3~
コミカライズ連載スタートしました!
「コミックライドアイビー vol.08」 漫画:出迦オレ先生
(タイトルは 「不機嫌な公爵様はウソ発見器付き令嬢の取説をご所望です」 に改題されてます。)
いつになく長官室には緊張が走っていた。ぺらりと書類をめくる音とペンを走らせる音が時折聞こえるだけだ。
オフィーリアは余計な音を立てないように、自席に座って息をひそめている。隣の席のアンジェロでさえも口を閉じて淡々と仕事をしていた。早くこの時間が終わりますように。ただただ、それだけを祈って時計を見ていた。
隣国の式典に出席するために、二日前から国王陛下が不在にしている。王太子はまだ十四歳。実務は側近や宰相たちが務めてはいるものの、国王代理として王弟のクラウディオが指名されてしまった。王族ではなくなったとはいえ、クラウディオにはこうしてたまに公務が振り分けられることがある。いつもならため息交じりに公務をこなしているのだが、時期が悪かった。クラウディオの目の前には普段よりも多い書類が積み上がっている。しかも、取り調べの予定が詰まっていた。
彼から発せられるピリピリとした空気に、オフィーリアの忍耐力はもう限界だ。
時計の針が十二の数字を指した時、クラウディオが大きなため息をついた。
「オフィーリア、一緒に来い。仕事だ」
「えっ? はい!」
オフィーリアはさっさと部屋を出ていくクラウディオの後をあわてて追いかけた。バタバタとやかましいオフィーリアの足音に気付いたクラウディオが、少しだけ歩くスピードを緩める。
無言のままのクラウディオは馬車に乗り、王城へ向かった。きちんと正面玄関から入城し、誰の案内も受けずにさっさと歩いて行く。オフィーリアもまた何も言わずにとにかく、その背を追った。
「入るぞ」
クラウディオがノックもなしに、とある部屋のドアを開けた。中はそれほど広くはない。手前には文官らしき人たちが三人、机を並べて仕事をしていた。その一番奥の机には、本棚を背にして王太子リナルドがきょとんとした表情を浮かべて座っていた。
全員の視線を集めながら、クラウディオはリナルドの隣にある空いている机までオフィーリアを連れて行く。椅子を引くと、彼女をストンと座らせた。
これにはオフィーリアもさすがに目を丸くした。どう見たって、この席は一番奥の上座。偉い人の席だ。
「えっ? 長官、何を」
「リナルド。俺は今日忙しい。だから、代わりにこいつを置いていく」
「えっ? 叔父上、一体どういうことですか」
クラウディオの言葉に、オフィーリアとリナルドは戸惑った。立ち上がろうとしているオフィーリアの肩を両手で押さえつつ、クラウディオが片眉を上げて言う。
「こいつは実務は全く役に立たないが、書類整理と掃除程度の雑務くらいはできる。それから、勘の良さだけは人一倍優れている。こいつの助言は俺の言葉だと思って必ず従うように。分かったな」
「勘が良い……?」
リナルドは大きな瞳を瞬かせて、オフィーリアを見た。涙目でうろたえている彼女は、どう見たってそうは見えない。いや、しかし、叔父上はそんなくだらない冗談を言う人ではない。
「ちょちょちょ、ちょっ、なっ、長官、ななな」
「今日のお前の仕事は俺の代理だ」
「どういうことですかっ」
「国王代理の代理だ。国王代理なんてただ座っているだけで特に仕事もないんだ。偉そうに座っていればいい」
「そんなわけないじゃないですかー! 私帰りますー」
「お前は帰ったってろくに仕事もないだろう。いいか、俺が戻って来るまでリナルドから離れるなよ。リナルドの仕事以外は手を出すな。分かったか」
「ううう、分かりませぇん……」
「オフィーリア! 分・かっ・た・な!?」
「ひぇ……はぁい……」
涙目のオフィーリアがうなだれる。それを茫然として見ていたリナルドがハッとして顔を上げた。
今、叔父上はオフィーリアと言わなかったか? もしかして、彼女が叔父上の婚約者だというのか!?
リナルドはまだ成人前とはいえ、王族である。クラウディオが婚約するらしい、ということくらいは伝えられていた。てっきり刑部省の優秀な女性官吏が相手だろうと想像していたが、まさかこんなオドオドとした平凡な令嬢だったとは。
このことはまだごく限られた者にしか知らされていない極秘情報だ。この部屋にいる文官たちに聞かせるわけにはいかない。リナルドはぐっと固く口を閉じた。
「俺は取調べを二つ終えたら戻って来る。それまで、リナルドを頼んだぞ、オフィーリア」
「はぁい……」
「叔父上!」
さっさと帰ろうとするクラウディオをリナルドが呼び止めた。
「代理とはいえ、国王の仕事をないがしろにするとは! しかも、この方は納得されていないようだが! あなたには責任感というものがないのか!」
「俺は国王の仕事と同じくらい刑部省長官の仕事に真摯に向き合っている。余計なことを言うと、オフィーリアの持病の挙動不審に障る。お前は黙って目の前の仕事を終わらせろ」
リナルドの鼻先に人差し指を突き立て、クラウディオはそう言い切った。リナルドの隣の机では、オフィーリアが必死の形相で椅子にしがみついている。
ちらりとそれを見やると、クラウディオは颯爽と部屋を後にした。
はあ、とため息をついたリナルドは、隣の席でオフィーリアがうなだれているのに気付いた。しまった、また大きな声を出してしまった。怖がらせるつもりはなかったのだ。
そう反省しながら、そっと横目で彼女の様子を窺い見る。
恋人同士のような甘い雰囲気は皆無ではあったが、叔父上が自分の代理にする程には信頼関係が築かれているのだろう。リナルドはしばらくの間、オフィーリアの観察を行うことにした。
オフィーリアは、本を本棚に戻そうとすれば他の本を落とす。お茶を淹れようとすれば、近くの花瓶を倒す。掃除を始めればゴミ箱をひっくり返す。見ている方の心がつらくなるような有様であったが、書類整理だけは違った。
文官がサインを終えた書類を分類していたオフィーリアが、ふと手を止める。忙しなく視線を動かした後、震える手でおそるおそるその書類を文官の元へ戻した。
「あの、この書類、見直した方がいいと思います……」
眉をひそめた文官が書類に目を落とすと、あっ、と声を上げた。誤字があったようだ。文官から感謝され、オフィーリアは戸惑いつつも嬉しそうに引きつった笑みを浮かべた。
「資料を取りに書庫へ行ってくる」
リナルドは立ち上がって言った。
「そのようなことは私が。殿下はおかけになっていてください」
一番端に座っていた文官があわてて立ち上がった。軽く手を上げてそれを止めたリナルドが椅子の背に掛けていた上着を取る。
「いや、君たちは忙しいだろう。それくらいのことは自分でやるよ。仕事を続けてくれ」
上着を羽織ったリナルドはそのまま部屋を出て行った。それをぼんやり眺めていたオフィーリアは、残された文官たちの視線に気付いた。
「あっ、私も行ってきます!」
そうだった、リナルドから離れるな、とクラウディオに言われているのだった。
オフィーリアはあわてて姿勢のよい細い背を追った。
「成人前の私には見ることのできない書類も多い。叔父上なんかよりも、私の方こそただ座っているだけなのだ」
書庫の本棚から引き抜いた本をパラパラとめくりながら、リナルドが自嘲気味にそうつぶやいた。入り口すぐ横にある簡素な椅子に腰掛けながら、オフィーリアはリナルドの独り言とも取れる言葉に返事をすべきかどうか迷っていた。
書庫に入った途端、オフィーリアの体がぶるりと震えた。だから、不敬ながらも自分だけこうして椅子に座って震えに耐えている。きっと古びて形をなしていない本があるのだろう。よく見れば本棚も釘が飛び出ているところがある。修繕道具の入ったリュックを持ってくれば直すことができたのに。
そんなことを考えていたら、開けたままにしておいた扉がパタンと閉まる音がした。立ち上がり、ドアノブを掴んだが動かない。ガチャガチャと音を立ててひねってみるも、扉はびくともしない。
「どうした」
オフィーリアの様子に気付いたリナルドが振り向く。
「扉が勝手に閉まって開かなくなってしまいました」
「何だって!」
つかつかと早足で歩いて来たリナルドも同じようにドアノブを回す。が、当然開かない。扉に耳をあててみると、外に誰かがいる気配がした。
これはまずいぞ。閉じ込められた。
壊れている様子はないのにおかしいな、とオフィーリアがぶつぶつとつぶやいている。この部屋は書庫がゆえに、直射日光が当たらないように換気のための小さな窓が高い位置にあるだけだ。
「ななな、なるべく私から離れてくれ。あ、いや、すまない。私が離れよう」
きょとんとしているオフィーリアと目が合い、リナルドはパッと顔をそむけた。
「こうして二人きりで密室にいるのを知られるとまずい。あなたは叔父上のこここ婚約者、なのだろう?」
リナルドの言葉にオフィーリアがかすかに目を見開いたが、すぐに首を傾げる。分かる。自分よりも背の低いような子供と一緒にいて何をやましいことがあるというのだろうか。彼女の表情がそう言っている。リナルドはムッとしながら数歩後ろに下がり、先ほどまでオフィーリアが座っていた椅子に腰かけた。
「あなたは部屋の奥へ避難していてくれ」
オフィーリアはこくりと頷き、素直に部屋の奥へ進んだ。なぜだか、やたらと周りをきょろきょろと見回している。そして、壁に手をつくと急にしゃがみこんだ。
「殿下、殿下」
本棚の向こうの見えないところにいるオフィーリアのささやき声が部屋に響いた。
「どうした」
「ここに、隠し扉があります」
「え?」
リナルドがすぐにオフィーリアの元へ駆けつけた。オフィーリアは何もない木の床を指さしている。手で板を押してみても特に異変はない。しかし、リナルドは思い出した。王城には緊急時用の隠し通路がそこかしこに用意されているのだ、と。まだそれがどこにあるのかは教えてもらってはいないのだが、確かに王太子教育の時間に聞いた記憶がある。
「ええと、確か落ち着いてよく見ること、と……」
リナルドははいつくばって、床板を凝視した。わずかにでも隙間があれば。そして、一本だけ木目が合わない部分を発見した。人差し指を這わせれば、爪の先がひっかかる部分がある。隠し通路とはいえ、隠し過ぎだろう。こんなもの、誰が見つけられるというのだ。
慎重に爪をひっかけて持ち上げれば、音もたてずに正方形の形で床板が持ち上がった。成人男性が一人通れるくらいの穴だ。オフィーリアとリナルドならば余裕で通れるだろう。
目が合った二人は、同時に頷いた。
「殿下、私が先に行きます」
「そんなことはさせられない。私が先に」
「いえ。私、とても勘が良いので、危険があれば事前に除けることができます。だから信じてください」
オフィーリアはそう言うと、迷うことなくぴょんと穴に飛び下りてしまった。思わず叫びそうになってしまったリナルドがとっさに手で口を押える。コツン、コツン、と足音が聞こえ、どうやら中は階段になっているようだ。リナルドもそれに続いた。
階段は短かった。多分、三階から二階に下りる程度の長さだった。開けた床板はきちんと閉じてきたので、中は真っ暗だ。どこかの隙間から差す淡い光を頼りに、オフィーリアが壁を撫でる。ひざ下の辺りで手が止まり、カラカラと音を立てて小さな引き戸を開けた。
「殿下、ここから下の階へ出られそうです」
明日11時の更新で一旦完結です。