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3話まで一気に更新しています。これは3話目。
夜会の翌日は公休日だった。くたくたのオフィーリアとベルナルドは泥の様に昼過ぎまで眠ったものの、それでもまだ疲れは取れず、王宮に出仕する馬車の中でも二人はぐったりと座っていた。
ナーヴェ伯爵である父と兄は式部省の管轄である建築院に勤めている。王都からかなり遠い田舎にあるナーヴェ伯爵領は親戚の子爵家に管理を任せ、代々伯爵は王都に住み建築院に勤めているというごくごく平凡で目立たない貴族である。
父と兄、そしてオフィーリアの三人は毎朝同じ馬車に乗り、王宮の敷地の一番外れにある建築院へ向かう。それほど忙しい部署ではないので、帰りも定時で三人揃って帰宅する。休日もほとんど家から出ずに家族で過ごすというナーヴェ家は、仲良し家族として建築院では有名であった。
「それで、念願のストラーニ公爵はどうだったんだい。オッフィー」
兄妹の向かいに座る父シスモンドが、兄の肩にもたれかかり目をつむっているオフィーリアに話しかけた。ちなみに、父も兄妹同様に焦げ茶の髪に焦げ茶の瞳の平凡な容姿をしている。
「遠目ではとても美しくてキラキラと輝いていたけれど」
「いたけれど?」
「近くで見たら……すっごく怖かった」
父が思わず吹き出してしまい、あわてて口を押さえる。
「だからあまり期待するな、と言っただろう。公爵はとても厳格で気難しい方として有名なんだ」
「あのお優しい国王陛下の弟だなんて、信じられないわ」
「公爵がまだ王太子だった頃、年の離れた弟だから御しやすいだろう、と安易に近付いた貴族たちが、手厳しくやりこめられて尻尾を巻いて逃げたって話だよ。子供の頃からそういったことに巻き込まれた結果、なんじゃないかな。とてもまっすぐで真面目な方だよ」
「だからって挨拶しただけで睨まれるとか、おかしいでしょ」
ベルナルドは目を瞑ったまま、そうつぶやいた。
「高貴な方にそういう言い方はやめなさい。とりあえず、オッフィーのあれも見られたんだろう。非常に鋭いお方でもあるから、この先安易に近付かないように」
「言われなくったって、もう、二度と近付かないわ」
オフィーリアはだるそうに体を起こし、窓の外を見た。見慣れた建築院が見えてきて、少しだけ心が落ち着いた。
オフィーリアには生まれながらに持った特殊能力がある。
物が収まるべきところに収まっていない、もしくは不自然な状態になっている。そう言った違和感を、人一倍、いや、必要以上に察知してしまうのだ。
何かしらの違和感を覚えた時、オフィーリアの手足は震えだす。小さな違和感であれば手が震える程度だが、身に危険が及ぶような大きな違和感となると、もう立っていられないほどの震えが来る。場合によってはひっくり返ってしまう。
先日の夜会では、廊下の腐った床板に反応した。本来、廊下とは人が安全に歩くための通路であって、危険などあってはならない場所である。立っていられないほどの違和感を覚えたということは、その床板は腐り落ちる寸前で、もはや廊下の役目を果たしていなかったということだ。
困ったことにオフィーリアのその能力は、物に対してだけ反応するわけではなかった。
他人の言葉の違和感にまでもつぶさに反応してしまう。本人が心に違和感を覚えながら発した言葉、つまり嘘をつかれると体が震えてしまうのだ。どんなに優しい笑顔で「可愛らしいお嬢さんですね」と褒められても、手が震えるということは、その人はオフィーリアのことを可愛らしいとは思っていないのだ。
貴族にはお世辞やおべっかはつきものである。子供の頃から様々な嘘に反応してはすっ転び慣れていたオフィーリアにとっては、打ち身や擦り傷なんかよりも、他人の本心を知ったことによる心の傷の方がよっぽど痛いと強く思った。
人に会うことをなるべく避け、自宅に引きこもっていたオフィーリアであったが、それではいけない、と父が同年代の少女が集まるお茶会に彼女を放り込んだことがある。とある貴族邸の見事な庭で行われたお茶会には、同等の貴族位の令嬢たちが集められていた。
デビュタント前の令嬢が集まり友人関係を事前に作っておくことはよくあることだった。それでも貴族の令嬢である以上、そのお茶会は社交界と変わりがなかった。当たり障りのないご機嫌取りの言葉で相手の腹をさぐる少女たちを目の前にして、オフィーリアは全身ががくがくと震え、芝生にうつ伏せにつっぷしたまま動けなくなってしまった。何とも不気味なオフィーリアの行動に、令嬢たちは遠巻きに距離を取って行った。
しかし、その中から一人の令嬢がすっとオフィーリアに手を差し出した。
「あなた、大丈夫? 歩けるなら屋敷へ連れて行くし、歩けないなら誰か大人を呼んで来るけど。どうする?」
その令嬢の手がオフィーリアに触れると、体の震えがぴたりと止まった。彼女は本心からオフィーリアの心配をしてくれている。
「あ、ありがとう……ございます。動けそうです」
「そう。じゃあ掴まって。ゆっくりなら歩けそうね。涼しい部屋で休ませてもらったらいいわ」
令嬢は片手でオフィーリアを支えながら、もう片方の手で顔やドレスについた土をはらってくれている。ゆるいウェーブを描いた金髪に、エメラルドのような緑の瞳。彼女は、モランド伯爵家のドメニカと名乗った。オフィーリアと同じ年で、今まで国境近くの遠い領地で過ごしていたが、デビュタントを控えて王都へ出てきたばかりらしい。
「あの、ドメニカ様。お茶会に戻らなくていいのですか」
オフィーリアが体調不良を訴えたので、屋敷のメイドが庭の見える部屋に通してくれ、さっぱりとしたお茶を用意してくれた。メイドは現在、オフィーリアの父に迎えに来るよう連絡を取るために部屋を出て行ったばかりである。
「ええ。私、直射日光って苦手なの。だから、こうして涼しい所で休めて良かったわ。あなたのお父様が迎えに来るまで、サボらせてもらうわね」
紅茶のカップを持つオフィーリアの手が微かに震えた。ドメニカは体調不良のオフィーリアをひとりにしないように、この部屋に残ってくれているのだ。世の中には優しい嘘というものもあるのかと、オフィーリアの目には涙が浮かんだ。
あわてて迎えに来た父に連れられ、オフィーリアは何とか無事に家に帰ることができた。あっという間に『おかしな令嬢オフィーリア』の噂は若い社交界に広まった。さすがに父も、もうオフィーリアを無理やり人込みに放り込むようなことはしなかった。
お茶会の数日後、ドメニカがお菓子を持ってオフィーリアのお見舞いに訪れてくれた。震えたり転んだりせずに楽しく会話をするオフィーリアの様子に、父も兄も、屋敷の使用人たちも泣いて喜んだ。念願のオフィーリア初めてのお友達である。
その後も、ドメニカはオフィーリアの元を何度も訪れた。家から出られないのは病弱だから、と信じ切っているドメニカがオフィーリアの体調を心配してくれるたびに、オフィーリアは心が痛んだ。しかも、自分の嘘にも反応してしまうため、大丈夫、と返事をする度に体が震えてドメニカをさらに心配させてしまうのだ。
自分の嘘に耐えられなくなったオフィーリアは、自分の秘密をドメニカに打ち明けた。気持ちが悪い、と嫌われてしまうかもしれない。でも、彼女にもう嘘はつきたくない、と正直に話したオフィーリアに、きょとんとしたまま動かなかったドメニカがやっと口を開いた。
「じゃあ、オフィーリアの前では、いっさい気を遣わなくていいってこと?」
戸惑いつつもうなずいたオフィーリアに、ドメニカはにっこりと笑った。
「私ね、田舎育ちだから思った事すぐに口に出しちゃって、いつも怒られるの。でも、オフィーリアにはそっちのほうがいいってことね。助かるわ。これからもよろしくね」
離すつもりだった手をしっかりと握ってくれたドメニカの言葉に、オフィーリアは丸一日涙が止まらなかった。
オフィーリアもドメニカも十九才になった。ほとんどの貴族令嬢が二十才前には結婚する。例にもれず、ドメニカも数か月前にお嫁に行ってしまった。彼女の実家があるモランド伯爵領のすぐ近くにある、ブレッサンド辺境伯と結婚したのである。ドメニカが密かに想いを寄せていた辺境伯との年の差婚であった。
最初で最後であろう親友の結婚式に、オフィーリアは一生分の勇気を振り絞って参加した。日中は馬車に引きこもり、夜は宿の部屋に引きこもり、どうにかこうにか片道二週間の距離のブレッサンド辺境伯領まで辿り着くことができた。
そして、結婚式当日。
古めかしく厳かな教会に集まった参列者たちの中に、クラウディオ・ストラーニ公爵がいたのである。
国王陛下の代理として出席してくださる、とドメニカからは事前には聞いていた。だが、その美しい姿は噂に聞いていた以上であった。
男性にしては珍しいピンクブロンドの髪はつやつやとしていて、上品に緩く編んで肩に垂らされていた。同じ色の長いまつ毛が濃い瑠璃色の瞳を覆っている。高い鼻梁に形の良い薄い唇。まるで天女かと見間違うほどの美貌であったが、高い身長と意外とがっちりとした体格はやはりどう見ても男性だった。
噂にたがわない美しさに、オフィーリアはすっかり彼のファンになった。しかし、家と建築院の往復しかしない彼女は、もう二度と彼の姿を見ることはないだろう。
公爵の顔もうろ覚えになってきた頃、兄のもとへ王家主催の夜会の招待状が届いた。添えられた出席者名簿には、ストラーニ公爵と婚約者のステッラ・メウチ嬢の名前がある。ステッラも社交界では一二を争う美女と有名である。彼女が二十二才まで全ての縁談を断っていたのは、一途にストラーニ公爵への純愛を貫いたから、との噂だった。
国一番の美男美女が並ぶ姿はさぞかし絵になることだろう。
オフィーリアはめずらしく夜会へ参加することにした。ひと月にわたるブレッサンド辺境伯領への旅を無事こなすことができたという自負が彼女の判断を狂わせたのかもしれない。
夜会に参加していたストラーニ公爵は結婚式の時とは全く違う鋭い目つきをしていて、遠目にも不機嫌なのが分かるほどだった。まさに氷点下の態度に震えあがる人々。純愛を貫いた婚約のはずなのに、全く相手にされていないステッラ。
兄の腕にしがみつきながら公爵を眺めていたオフィーリアだったが、参加者たちの口先ばかりの会話にやはり足が震えてもつれっぱなしだった。慣れない人込みに押し出されるようにして兄とはぐれてしまったオフィーリアは、よたよたとバランスを崩してもがいていた。
気が付けば公爵の後ろ姿が近くに見え、ワイングラスに口をつけたステッラが公爵と会話を始めた。少し低めの美声が耳に心地よいと思った時、オフィーリアの膝ががくんと崩れた。
何とかその場で留まろうと、令嬢としてはありえない姿で踏ん張って耐えていたが、公爵に話しかける貴族のおべっかに足の力が完全に抜けてしまった。そのまま公爵の背中に飛び込んで行きそうになった寸前で、兄に助けられたのである。
怪しすぎる行動を取るオフィーリアに、公爵は冷たい視線を向けた。震えが一瞬で止まったことで、彼が本気で怒っているのがわかった。その場をごまかそうとする兄の嘘のせいで再び震え始めた膝を必死で押さえていたので、優しく声をかけてくれたステッラに返事をすることができなかったのが今でも悔やまれる。
公爵があんな怖い人だったなんて。やっぱり人前になんて出るもんじゃなかったわ。
あの日のために新調したドレスはすぐに孤児院に寄付した。ていねいに解体されて布小物として再生されバザーに出されることだろう。
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第6話からは、明日より月~土AM11時に一話ずつ更新となります。
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