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【メイプルノベルズ様から 「不機嫌な公爵様はウソ発見器付き令嬢の取説をご所望です」 に改題され電子書籍化されます】2022年12月23日よりピッコマで先行配信スタート!
「だーかーらー、要するに、ナーヴェ家は超~察しの良い家系ってことなんスよ」
黒板の前に立っていたアンジェロはそう言い、チョークを放り投げた。カシャン、と軽い音をたててチョークが欠ける。
生徒よろしく一列に並んで座っていたサムエーレ、ブルーノ、そしてクラウディオが眉間のしわを深くした。
「うーん、話の六割、いや、五割くらいは理解したが……。ナーヴェ嬢が察しが良い、と言われても、な?」
サムエーレが頭を掻きながら、隣にいるブルーノに目配せする。
「私は八割ほどは理解しましたよ」
「そっちじゃなくて」
黒板にはアンジェロ博士による難解な図式がいくつも描かれており、専門用語を交えた複雑な考察についていけなくなった面々が次々と話から脱落していった。
「俺もサムエーレと同感だ。オフィーリアが察しが良いなどとはとうてい思えない」
ブルーノがそっと憐れみの視線を送ってくる。何しろ、クラウディオは決死のプロポーズをオフィーリアに気付いてもらえなかったばかりなのだから。
「今は性格の話じゃないっス。ナーヴェ家の能力の話をしてるんスよ」
黒板消しで黒板を雑に消し始めたアンジェロが、巻き上がる粉塵に顔をしかめる。
「ナーヴェ家は察しが良い、つまり空気読みばっかりいるんス。例えば、俺と副長官を見た目で比べたら、どう見たって副長官のほうが重そうっスよね? でも、俺とブルーノだったら微妙じゃないっスか。でも、オフィーリアちゃんのおじいちゃんはそれが分かるんス」
「重さの違いは祖父は分かるが、父は分からない。その違いはなぜだ」
クラウディオが腕を組み直して、背もたれにふんぞり返る。アンジェロの考察には半信半疑、と言ったところだ。
「実際に検査したわけじゃないから予想でしかないっスけど、じいちゃんは重量に興味があったんじゃないスか? 父親は計算、もしくは数字が好き、とか。ベル兄は、もちろん建築」
「じゃあ、オフィーリアは」
「そうなんス! オフィーリアちゃんの存在がまた例外中の例外。ここを調べることができれば、ナーヴェ家の特殊能力の解明ができるかもしれないッスね」
アンジェロは頭の後ろで腕を組み、ぶつぶつつぶやきながら考えを巡らせ始めた。ブルーノもあごに手を置き考え込む。
「直系長男のみに遺伝されていた能力が、ナーヴェ嬢にも発現したというのも不思議ではありますね」
「うーん、ナーヴェ家は遺伝された能力が強い人の子孫なんだと思うっス」
「能力の弱いものは傍流に流れ、徐々に血が薄まっていった、ということか」
クラウディオのつぶやきに、アンジェロが頷く。
「まあ、妙に勘がいい、察しがいい、空気読み、っていう性格くらいは受け継いでいるかもしれないっス」
アンジェロの言葉にクラウディオがハッとする。その様子にサムエーレが気付いた。
「心当たりでもあるのか? クラウディオ」
「いや……その」
珍しくクラウディオが口ごもり、三人が視線を向ける。
「……ナーヴェ家は古くからある由緒正しい伯爵家だ。親戚縁者は、特に目立つこともなく、かといって落ちぶれることもなく……。平々凡々と暮らしているものばかりだ」
「なるほど、その時々でうまく空気読んで立ち回り、被害被らないようにしてるってことっスね。そもそも、俺の予想では、直系長男ってのも別に関係ないっスね。直系長男はたいてい大切に大切に育てられるもんス。ナーヴェ家は代々気性が穏やかな人たちっぽいので、本人の長所を伸ばしてのびのび教育してきた結果だと思うっス」
クラウディオを始め、全員が額に手を当て考え込んでしまった。
「まあ、確かに……アンジェロの家も同じようなものですしね」
ブルーノのつぶやきに、サムエーレが苦い顔をする。アンジェロの両親は二人とも研究者で、勉強と研究以外のことは子供たちに全く教育をしていない。彼の特徴ある話し方だって、実のところ敬語の使い方がほとんど分からないから全ての言葉に「っス」をつけてごまかしているのだ。
「オフィーリアちゃんがナーヴェ家の能力を受け継いでるっていうのは不思議はないんスけど、ただ、体が震えるっていうのは理解できないんスよね。あーあ、調べたいっス。まずは血液検査、それから細胞も一部採取して、できれば一日中脳波の測定もしたいっスね」
「ダメだ」
顔をしかめたクラウディオに即座に注意され、アンジェロがペロッと舌を出す。同僚で人体実験をしてはいけない、という理性はあるらしい。ギリギリ……ほんとギリギリのところで……。
半信半疑のまなざしでアンジェロを一瞥したブルーノが、口を開いた。
「ところで、当のナーヴェ嬢はどちらへ?」
クラウディオが眉間を揉みながら目を閉じた。
取り立てて重要な取調べのない本日。昼休みの時間を過ぎても戻らないオフィーリアを責めるものなどいない。彼女は取調べ以外は特に仕事はないのだ。
「オフィーリアちゃんは、外へランチへ出たっスよ。ミランダちゃんに強引に連れられて」
アンジェロがとろんとした瞳を細める。すぐさま、ブルーノが声を上げた。
「ミランダ嬢に!? あの二人、いつの間に仲良くなったんですか?」
外回りをしていて昼前に帰って来たブルーノは知らなかった。
昼休みのベルと同時に、苦虫を噛み潰したような表情で長官室にやって来たミランダがオフィーリアの腕をひっつかんで拉致して行ったのを。彼女は、部屋出る直前だけは、いつものほんわかとした笑顔を浮かべ、ドアを叩きつけるようにして出て行った。あまりにもあっという間だったので、誰も声を上げることはできなかった。
オフィーリアは、両手を膝に置いて身を固くしていた。
「ミランダから聞きましたわよ、オフィーリア様」
目の前には、腕を組み居丈高にオフィーリアを睨むステッラがいる。そして、その横には勝ち誇ったような笑みを浮かべるミランダが座っていた。
三人は貴族向けのカフェでテーブルを囲んでいた。席と席の間は広く距離を取り、背の高いパーテーションで区切られている。
テーブルの上には、本日のオススメランチセットが二つ。ステッラの前には紅茶と茶菓子が置いてあった。
ざくり、と、ミランダがサラダにフォークを刺し、ゆっくりと口に運ぶ。その様子をぼんやり眺めていたオフィーリアは、ステッラのわざとらしい咳ばらいにハッとして顔を上げた。
「本当に、本っ当に! あなたの鈍さにはほとほと呆れてしまいました。さすがにこれはストラーニ公爵閣下がかわいそうですわ。あなたには迷惑をかけましたのでこれ以上関わるつもりはありませんでしたけれど、むしろ、恩返しのつもりでしっかりと教育をしてさしあげます!」
ステッラはそう言うと、目の前にあった紅茶を一気に飲み干した。すぐにミランダがティーポットを手に取り茶を注ぐ。
ステッラがクラウディオとの婚約を解消した途端、あの取り巻き令嬢たちはいっせいにいなくなった。しかし、なぜかミランダだけはステッラから離れることはなかったようだ。
つい先日のこと。食堂へコーヒー豆を取りに行ったオフィーリアは、すぐにミランダにつかまった。長官室では猫を被っている彼女ではあるが、オフィーリアの前では素のつっけんどんな姿を見せる。その方が体の震えが起きないので、オフィーリアにはありがたい。
いつまで長官室に居座るつもりだ、と問われたオフィーリアは、クラウディオから告げられた言葉をそのままミランダへ話した。
「長官にそう言われたので、今後も刑部省に勤める予定です。よろしくお願いいたします、ミランダさん」
深く頭を下げたオフィーリアの後頭部をミランダは驚愕の表情で凝視していた。
「ちょっと、あんた! その話、他の人にはしていないでしょうね!」
両手でオフィーリアの肩を揺さぶり、ミランダが叫んだ。戸惑いつつもオフィーリアが頷く。
「あ、あの、私にはそんなお話をする友人も、そもそも話しかけてくれる人もいないので……ミランダさんが初めて聞いてくれました」
「何嬉しそうにしてんのよ! バッカじゃないの!」
この話、絶対に誰にも話しちゃだめよ! ときつく言いつけると、ミランダは廊下を駆けて行ってしまった。
そしてその後、昼休み開始の時刻と同時に、こうして王都のカフェに拉致されているのだ。
「オフィーリア様。きちんとお聞きしますわね。ストラーニ公爵閣下から、何て言われたのかしら?」
居ずまいを正し、凛とした笑みを浮かべたステッラがたずねた。何のことか分からないオフィーリアは、首を傾げる。
「ほら、早く言いなさいよ。ずっと一緒にいよう、って言われたんでしょう」
イライラしたように指でテーブルを叩きながら、ミランダが身を乗り出す。今日も彼女の長いまつ毛は完璧な角度で上を向いている。可愛らしい顔が近付いてきたので、オフィーリアは少しだけ頬を染めた。
「え、えっと。正確には、『ずっと、俺のいるところにいたらいい』です。早く建築院に帰りたいって思ってたんですけど、必要とされると嬉しいものですね! 微力ながら刑部省でお役に立てているのだと思えば、やる気がどんどん湧いてきてしまって。すっかり建築院に帰る気はなくなっちゃいました」
オフィーリアは一気にそう言うと、えへへ、と笑った。
「あんた、鈍いにもほどがあるわよ。純真無垢な顔してそんなことをいけしゃあしゃあと! 私なんかより、よっぽどあんたの方が女に嫌われるタイプなんだからねっ! だから、嬉しそうな顔をするんじゃないわよ!」
ミランダに叱られ、オフィーリアは緩んでしまった頬をあわてて両手で押さえた。
「えへ、私、お昼休みにこうしてお友達とラ、ランチ、するの初めてで……。嬉しくって」
「一方的に責められてんのよ?! どういう神経してるのよ。だいたい、私はあんたのお友達なんかじゃないわよ」
「で、でも、あの、本音をぶつけてくるのって、それって、本当のお友達がすることですよね? 憧れてたんです。友達にこうして親身になってもらうの」
オフィーリアはテーブルの下で、そっと両手を握っては閉じ、握っては閉じした。先ほどから、両手は全く震えない。それはステッラもミランダも、本心を語ってくれているということだ。
「……何この子。ちょっと怖くなってきたわ。ステッラ様、この後はお願いします」
椅子に深く腰かけ直したミランダが顔をしかめる。だまって二人の話を聞いていたステッラは、するりと扇を開いて口元を隠した。
「オフィーリア様。あなた、閣下のお言葉を間違って解釈なさってますわよ」
「え?」
「長官室勤務の期間延長の話ではありませんわ」
「ええっ? そんな、制服の予備をもう一着注文したところなのに」
「制服は、まあ、もう一着あってもよろしいでしょう。でも、閣下はそんな話をしたのではないのだと言っているのです」
オフィーリアは両手を確認した。その後は、膝を。そして足首を。どこも震えていない。
ステッラとミランダにじっと見つめられ、オフィーリアはぎゅっと身をすくめた。
明日もAM11時に更新です。
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