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「クラウディオ、これは貸しだからな! 私とオッフィーのデートを邪魔しやがって! もう帰るっ」
結局あの日は、ジャンがぷりぷりと怒ってお開きとなった。ステッラはオフィーリアに謝罪し、店の外で待っていた侍女と護衛に連れられて帰って行った。
「オフィーリアちゃん、一緒に来てくれて助かったっス。あ、重くないっスか? 持つっスよ」
「いえ! 大丈夫です。と言うか、アンジェロ様の両手はもういっぱいじゃないですか」
「長官と一緒の時はもっと持ってるっスよ」
オフィーリアとアンジェロは、資料集めのために王都の中心街にある古本屋に行っていた。オフィーリアがお話し好きの店主のおじいさんの長話を聞いている間に、アンジェロが本を選び、大量に購入してきたところだ。
「めったに客が来ないから、あのじいさん話が長いんスよ。良い本が揃ってるだけにじいさんの相手する時間がもったいないっスよ。オフィーリアちゃんがいてくれて助かったっス」
オフィーリアはなぜかまだ建築院に帰してもらえない。気の置けない人たちとこうした雑用をこなす日々は楽しくもあり、正直なところまだここにいたいと思う。
一時期しょんぼりとしていた兄も、最近ではやっと一人での仕事に慣れてきたようで何も言わなくなった。聞けば相変わらず修繕実績はトップのままで、すでにオフィーリアの戻る席はなくなっているような気すらする。
「じゃあ、俺は部屋に本置いてくるから、オフィーリアちゃんは先に長官室に戻ってていいっスよ。その本、全部こっちにのっけてくださいっス」
「わわわ、落ちそう! 大丈夫ですか」
だーいじょーぶぅーっス、と言いながら、アンジェロがふらふらと暗い廊下の方へ歩いて行く。研究者でもあるアンジェロは自室を与えられていて、そこに資料などを大量に置いている。今回買った本も、彼が精査して必要な部分だけを長官室に持ってくるそうだ。アンジェロの自室は見ない方がいい、とブルーノに言われている。それがどういう意味なのかは、あまり想像しないようにしている。
「オフィーリア、戻ったのか」
振り返ると、クラウディオがこちらに向かって歩いて来ていた。外出していたのだろう。外套を着ている。
「はい。街の古本屋さんにアンジェロ様と行ってきた帰りです」
「ああ、あのじいさんの店か」
あのおじいさんはこのおっかないクラウディオにも長話をするのだろうか。クラウディオは意外と優しいところがあるので、きちんと話を聞いていそうだな、と思った。
あの話し合いの後、クラウディオとステッラの婚約は解消された。ステッラの父である侯爵は、娘が長年クラウディオに恋をしているという噂を鵜呑みにしてこの婚約を勝手にすすめたそうだ。相手が平民ではないのなら、と、ステッラの恋人が養子に行った先で落ち着いたら二人は結婚することになったそうだ。
この話をさっさと取り進めたクラウディオの行動の早さに、オフィーリアは素直に感心した。
円満に解消されたはずの二人の婚約なのに、クラウディオの横暴さにステッラが見切りをつけたという噂がなぜか流れている。今だって、こうして並んで歩いていると、いつオフィーリアが怒鳴られるのかとすれ違う人たちが心配そうな表情を見せる。
「オフィーリア」
「はい」
隣を歩くクラウディオが、ぽつりとオフィーリアの名前を呼んだ。しかし、その続きがなかなか聞こえてこない。
「長官?」
「……」
「?」
「俺の家にいる使用人は俺が厳選したものたちばかりで、全員嘘やお世辞を言わない」
「……へえ、そうなんですね」
「ああ。その分愛想はないかもしれんが、そのものたちとなら、きっと、お前も震えずに過ごすことができると思う」
「? そうかもしれないですね。私のせいでうちは使用人が少ないので、休みの日は私が掃除や洗濯をしているんです。そういう使用人さんたちがたくさんいてうらやましいです」
「……そうだろう! うらやましいか」
「はいっ、さすが公爵家は違いますね!」
「そうか! 伝わらないか!」
「? はいっ、すみません、伝わらないです!」
「そうか! ははははは」
「はい! あはははは」
そんなプロポーズ伝わるかーーー!!
笑いながら歩いてゆくクラウディオとオフィーリアの背後の柱の影で、たまたま二人を見かけて奇しくも会話を盗み聞きしてしまったブルーノがバシバシと壁を叩いていた。
「ナーヴェ嬢、何だか今日は機嫌が良さそうだね」
めずらしく真面目に仕事をしていたサムエーレが書類から顔を上げた。本棚に本を戻していたオフィーリアが、くるりと振り返って笑顔を見せる。
「はいっ。今夜は久しぶりにジャン様のお家にお泊りに行くんです!」
長官室の室温が5度下がった。ブルーノがぶるりと体を震わせ、腕をさする。オフィーリアはそんなことには気付かずに、鼻歌を歌いながら本の片づけを再開した。
なぜだか最近はあまりジャンが姿をあらわさない。花束も送られてこない。ほっとするような、それでいてさみしいような、オフィーリアは複雑な気持ちを抱えていた。
それが、昨日になってジャンから連絡が来た。外国から最新のボードゲームを入手したから徹夜で遊ぼう、と。その言葉を聞いて、オフィーリアの心にずっとかかっていた靄のようなものがさっと晴れた。そして、オフィーリアは自分の気持ちに気が付いたのだ。
「もしかしてオフィーリアちゃんは……ビガット公爵と、けっ、っこん、するっスか……?」
「バカッ! アンジェロ! 今ここで聞くことじゃないだろっ」
あわててブルーノがアンジェロの口をふさいだ。クラウディオはさっきから執務机で書類に目を落としたままだが、これが聞こえていないわけがない。
きょとんとしたオフィーリアがアンジェロに振り返った。
「結婚? しないですよ。ジャン様は、とっても気の合うお友達です。ちょっと押しが強いけど、好きな食べ物も好きな本も同じの、仲良しさんなんです」
オフィーリアには世話焼きの兄がいるが、一緒に楽しめる姉が欲しいとも思っていた。そう、ジャンは、もとい、ジュリエッタはまさに楽しい姉のような人だとオフィーリアは気付いたのだ。
長官室の室温が5度上がった。ちらっとこちらを見たクラウディオとオフィーリアの目が合う。
「あの、長官。それで、私の異動願いなんですけど……」
クラウディオがびくりと肩を震わせる。
「あ、ああ。それな。忙しくて、まだ手をつけていない」
「!?」
がくん、とオフィーリアの膝が崩れた。バランスを崩したオフィーリアが近くの机に左手で掴まった。
「いや、ええと。こいつらもまだまだ人手が足りないと言っているし」
ガクガクッ。立っていられないオフィーリアが今度は右手で本棚に掴まった。
「……」
「ちょ、長官……?」
「いや、実はお前の異動願いはなくしてしまっ」
ガタガタガタッ。大きく震えたオフィーリアが、本棚の前で尻もちをついた。あわててブルーノが駆け寄り、手を貸して立ち上がらせる。サムエーレがわざとらしく伸びをしながら席から立ち上がった。
「あー、腹が減ったな! ブルーノ、アンジェロ、食堂で飯にしよう!」
「副長官、ご一緒いたします」
「えーっ、いいとこっスよ、今」
「バカッ! 空気読めよっ」
サムエーレとブルーノがアンジェロを引きずってあっという間に部屋から出て行ってしまった。
ぱちくりと目を瞬かせながら、オフィーリアが閉まった扉を見つめていた。
「あの、長官。異動願いですけど」
「えー、あー、全く不本意ではあるが」
ガタガタッ。
「その、俺はどうでもいいのだが」
ガクガクガクッ。
「……」
「……長官?」
「…………」
目元を手で隠しうつむいたクラウディオが、机の上に置いたもう片方の手をぎゅっと握った。指の隙間から見える瑠璃色の瞳は何だか困っているように見える。
「あの、長官。異動願いは取り消……」
「オフィーリア」
「ははははいっ」
「……異動しなくていい」
「……はい?」
「ずっと、ここに……俺のいるところに、……いたらいい……」
しばらく呆けていたオフィーリアは、ハッとした後、自分の手足を確認した。
これっぽちも震えていない。
と、いうことは、これは……クラウディオの本心。
そう気付いたら、急に顔が熱くなってきた。
「……はい。います、このままずっと」
頬を真っ赤にしたオフィーリアがそうこたえると、クラウディオが目元の手を少しだけずらして顔を上げた。
「今度はちゃんと伝わったのか?」
「はい、伝わってます」
頬に両手をあてていたオフィーリアが、ぴっと気を付けの姿勢を取った。
「しっかりと長官室勤務、がんばります!」
「ん?」
「取り調べ以外でもお役に立てるように、勉強します!」
「は?」
「ずっと長官と一緒に働けるように、精進します!」
「お前、俺の言った意味を絶対理解してないだろ……」
はああ、とクラウディオが頭を抱えて机に突っ伏すと、扉がガタガタと揺れ始めた。
「ちょ、押さないでくださいっスよ」
「お前もっと端に寄れよ、聞こえないだろ」
「お二人とも、そんなに扉にくっついちゃったら開いちゃいますよ……ああっ」
バタン、と両開きの扉が大きく開き、床に倒れ込んだアンジェロの上にサムエーレが飛び込んだ。その後ろから眉を下げたブルーノが、そっと顔をのぞかせた。
「皆さん、食堂に行ったんじゃなかったでしたっけ」
「ええと、ちょっと忘れ物を?」
「オフィーリアちゃん、これからも長官室勤務続けるっスよね!?」
床に這いつくばっているアンジェロに、オフィーリアが笑顔を見せる。
「はい! これからもずっと、皆さんと一緒です」
「ああー、長官。あんなんじゃ、伝わらないですよ。彼女には」
「……お、お前ら……」
この後、クラウディオの落とした雷によって、長官室が揺れたとか揺れなかったとか。
長いお話にお付き合いいただきありがとうございました!