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「おい、オフィーリア。掴まれ」

「え?」

「お前がそんなんじゃ話が進まん。掴まれ」

「……すみません」


 その腕にそっと両手を載せると、やっと震えが治まり、オフィーリアは思わず息を吐いた。

 眉間のしわを深くしたステッラが、首を傾げながらゆっくりと椅子に腰掛け直した。


「オフィーリア、お前、一方的にごちゃごちゃと言われているが、何も言い返すことはないのか?」

「え、私ですか? あの、特に……」

「足が震えてるじゃないか。言いたいことがあるのだろう」

「うっ……、言いたいことと言うか、お聞きしたいことが……」


 そっと上目遣いでステッラを見たら、彼女はきゅっと結んでいた口を弓なりに上げた。


「許します。言いなさい」

「あの、ステッラ様は、どどど、どうしてそんな嘘をおっしゃるのですか?」

「っ!」

「ステッラ様はっ、人を悪し様に言うような、そんな方ではありません……」


 一瞬驚いた表情を見せたものの、すぐに凛とした顔を作ったステッラが、背筋を伸ばした。


「嘘なんて言っておりません。あなたの行動があまりにも目についたので注意しただけ、と言っているでしょう」

「でも、あの……」


 オフィーリアは震え始めた手でクラウディオの腕をぎゅうぎゅうと掴んだ。オフィーリアの手をしげしげと見ていたクラウディオが、視線だけをステッラに向ける。


「ステッラ。君は、俺と結婚したいのか」

「これは、したい、したくない、と言ったお話ではありませんわ。わたくしは陛下に認めていただいたあなたの婚約者ですのよ」

「質問にこたえろ。したいのか、したくないのか、だ」


 令嬢らしい優美な笑顔を作ったステッラが「結婚したいに決まっていますわ」とこたえる。オフィーリアの肩がびくりと大きく震えた。


「では、そんなに気に入らないのなら、オフィーリアをすぐにでも建築院に戻そう。それでこの話は終わりだ」

「ええ。それで結構ですわ」


 腕を組み勝ち誇ったようにステッラが見下ろしている。オフィーリアは、さっきからずっと震えっぱなしだ。


「クラウディオ様もそのような方にしつこく付きまとわれてさぞかし迷惑でしたでしょう。名誉が傷つく前に排除なされた方が良いと思いますわ」

「はうう……」

「なるほど、俺の名誉を気にしてくれていたというわけか」

「ええ、クラウディオ様に一瞬であろうともおかしな噂がたつだなんて、不名誉でしかありませんわ」

「あわ、あわわ」


 目をつむって震えを我慢しているオフィーリアをステッラが睨みすえる。


「ちょっと、あなたのことを言ってるんですわよ! 聞いてますの? さっきから変なうめき声ばかりあげて」

「ひゃあ、ごめんなさい!」

「やめてあげて、メウチ嬢。オッフィーはそういう子なんだ」


 ジャンがやんわりとステッラを止めた。そういう子ってどういう子なんですの、とぶつぶつとつぶやいているステッラを一瞥したクラウディオが口を開いた。


「ステッラ。俺は別に結婚なんてする気はないんだ。陛下の承認なんて関係ない。いつだって解消してやることだってできる。そろそろ正直に言ったらどうだ」

「何のことですの!?」

「俺と結婚なんてしたくないのだろう」

「わたくしは!」

「なぜ、わざわざ俺を怒らせようとする。結婚したくない、とそうひとこと言えば済む話だろう」

「結婚したくない、なんて、わたくしは……」


 わなわなと唇を震わせるステッラの顔色がどんどん青ざめてゆく。


「口の軽い取り巻きを引きつれ、人目のあるところを選び、オフィーリアにあからさまな嫌がらせをする。これに意図がないとは言わせない」

「……偶然ですわ、そんなこと」

「俺を誰だと思っている。……証拠もなくこんなことを言うと思っているのか」

「……!!」


 ハッとして両手で口を押さえたステッラを、頬杖をついて見ていたジャンが口を開いた。


「取り調べじゃないんだからさ、もっと優しくしてあげないと。クラウディオ」


 ぐっ、と黙ったクラウディオがわざとらしく咳ばらいをした。

 青ざめたステッラは口元を押さえうつむいたままだ。

 気まずい沈黙が続き、いたたまれなくなったようにオフィーリアがクラウディオの腕をぎゅうっと握る。


「痛てて……」

「ステッラ様! 長官はっ、長官は嫌な人ですけど、悪いひとではありません。ちゃんと話せばわかってくれる人です」

「おい、オフィーリア」


 オフィーリアははっきりと言った。クラウディオの目をけして見ずに。

 ステッラは一度肩を震わせた後、すがるような瞳でオフィーリアを見た。


「おい、お前、俺の事を嫌な奴だと思っ……」

「わたくし、わたくしは……」


 口許を手で覆ったまま、ステッラが口を開いた。


「わたくし、クラウディオ様に婚約を破棄していただきたいのです」


 ステッラの長いまつ毛から、美しく澄んだ涙が一粒落ちた。


「解消ではなく、破棄、したいのか?」


 クラウディオの声に、ステッラが黙ってうなずくと、また一粒涙が落ちた。

 誰も口を開かない。ステッラが両手で顔を覆い、身を伏せた際の衣擦れの音だけが小さな部屋に響いた。


「わたくし……結婚したい、人が、おります。婚約の解消では足りないのです。婚約を破棄して、わたくしを貶めていただきたいのです」


 すうっとクラウディオが目を細める。

 侯爵令嬢を貶める、とはいったいどういう意味だろう。どうしてそんな。


「身分差を解消したいのか」

「はい……わたくしを、侯爵令嬢ではなく、ただの女にしてほしいのです」


 頬杖をついていたジャンが、きょとんとした表情でステッラを見上げている。さすがにそこまでは想像していなかったのだろう。

 驚いて緩んだオフィーリアの手をそっと外したクラウディオが、その頭を優しく一度撫でた。


「相手は子爵家の三男だな」

「……はい。我が家の補佐をしている子爵家です。家督を継ぐわけでもない彼は、言わば平民。父が私との結婚を許すはずがありません」


 ジャンが上着のポケットからハンカチを取り出し、ステッラの涙を押さえる。さすがの彼も少しは同情したらしい。

 もしかしたら、家督に囚われた自分の身の上と重ねているのかもしれない。オフィーリアはそんな二人をぼんやり眺めていた。


「わたくしの有責でクラウディオ様から婚約を破棄されれば、もうわたくしにはろくな結婚相手は見つからないでしょう。そうなれば、父だって手近なところで手を打つことでしょう。お願いします。クラウディオ様のお力で、わたくしを糾弾してくださいませ」


 クラウディオもジャンもオフィーリアの様子をじっと見ている。そう、オフィーリアはちっとも震えていないのだ。それはステッラが本心を語っているということ。

 そうだ。夜会で初めてステッラを見た時、彼女は「クラウディオの隣に立ててうれしい」と言っていたのだ。心には別の人のことを想いながら。


「長官……」


 オフィーリアが見上げると、クラウディオがぐっ、と息を呑んだ。思わず伸ばしそうになった腕をあわてて引っ込め、彼は考え込むように眉間を揉んだ。


「……ステッラ、お前がオフィーリアに目を付けたころから、俺はお前の身辺調査をした。お前はその辺の頭のおかしな令嬢とは違って、賢いはずだからな。でなければ、陛下が俺の婚約者に選ぶはずがない」

「……」


 肩を落としうなだれるステッラは、何も言えなかった。どうして気付かなかったのだろう。刑部省の長官であるならば、身辺調査などすぐにされるであろうに。


「幼馴染の子爵家の三男との関係はすぐに洗い出せた。いつ、それを俺に言ってくるのか。それとも隠したまま俺と結婚するのか。婚姻後に愛人を持つなどこの国では当たり前のことだからな。どうするのかと思っていた。それが、こんな手を使ってくるとはな」


 ふう、とため息をついたクラウディオは、呆れたように腕を組んだ。


「そこでだ」


 口を歪め、心底嫌そうにジャンを睨んだクラウディオは、一度舌打ちをしてから身を起こす。眉をひそめたジャンも首を傾げながらも姿勢を正して耳を傾けている。


「ジャン、お前の親戚になら跡取りを探している適当な貴族がいるだろう。その三男を養子にさせろ」

「は!?」

「お前、以前言っていただろう。跡取りがいない家が多くて、親戚中で子供を取り合っているから自分のところにまともな養子がまわってこない、と」


 額に手をあてたジャンが目をつむった。何とか断る理由を考えているのだろう。しかし、期待に瞳を揺らしているステッラを見て、口を引き結ぶ。


「……そいつは優秀なんだろうな」

「子爵家の執務を実際にこなしているのはそいつだ。だからこそ、メウチ侯爵家に出入りしていてステッラと出会ったのだろう」

「ちっ。あてはあるよ。跡取りがいない伯爵家だ。話だけはしてやろう。だが、あとはそいつ次第だよ」


 両手で口を押さえたステッラは、声も出せずに肩を震わせている。椅子の背もたれに深く体重をかけたクラウディオがつぶやく。


「俺の親戚筋は王族に近すぎてそう簡単には養子は取れない。歴史あるビガット公爵家の親戚なら、侯爵も説得しやすいだろう。あとは、ステッラ。自分で父親を何とかしろ」

「はい……ありがとうございます」


 ステッラが涙目で頭を下げた。

 これからきっと大変だろう。王弟と伯爵家の養子では立場が違いすぎる。メウチ侯爵が利益よりも娘の幸せを優先してくれる人だといいのだが。

 以前、ステッラが貴族から平民となったオフィーリアの母のことを聞いてきたのは、もしかして自分の身と重ねていたのだろうか。平民となったとしても、愛する人と一緒になれば幸せになれるのかどうか。それを知りたかったのだろうか。

 オフィーリアはすっかり震えの止まった手を握りしめた。

 それにしても、こんなことになるなんて。まさか……。


「まさか……長官が振られるだなんて……」

「あ゛あ゛!?」

「オフィーリア様!?」

「オッフィー! 言うねえ!」


 あわてて口を押さえたが遅かった。


ステッラは普通の令嬢なので、きつく問われると割とすぐ落ちちゃいます。

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― 新着の感想 ―
[良い点] オフィーリアさん、プルプルしてるだけじゃないですね!怒鳴られてる分、長官をグサグサえぐっていきましょう!
[良い点] > 「あ゛あ゛!?」 貴族のw出していいw声じゃないwww ナイス!オッフィー!!
[一言] 長官は嫌な人ですけど、悪いひとではありません。 まさか……長官が振られるだなんて…… オフィーリアちゃん正直すぎて笑ってしまいます。 そのうち「長官はただオトナゲないだけです」とか言いそ…
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