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「こんな人目につくところにいて、どうして、ですって? お二人がここで密会していると聞いて駆けつけたまでですわ」
「そうか、メウチ嬢のところに届くほど私たちは噂になっていたのか。ということは、あいつもそろそろ来るな……」
「あいつ?」
オフィーリアが首を傾げると、ステッラがハッとしたように立ち上がり帽子を脱いだ。きゅっと口を結び、強い意志を持った目でオフィーリアを見下ろした。
「オフィーリア様! わたくしの婚約者に馴れ馴れしくつきまとうなど、一体どういうおつもりかしら!」
先ほどまでは顔を隠すようにしていたステッラの大声に、オフィーリアは身を震わせた。二つの意味で。
案の定、通りの人々が振り返り、侯爵令嬢の激高する姿に興味を隠せない様子で立ち止まっている。
「何の取り柄もないちっぽけな伯爵家のくせに、公爵閣下に取り入ろうなどと浅ましい限りですわ!」
暖かくやわらかい日差しの下、長いまつ毛の影が落ちるステッラの白い肌が少しだけ紅潮した。
どうして彼女は嘘をつくのだろう。オフィーリアはぎゅっと手を握りしめて考えた。
クラウディオに近付くことを彼女に責められる度に、オフィーリアは震えてしまう。
夜会で初めて彼女を見た時を思い出す。あの時もどうしようもないほど体が震えてしまった。でも、あれは……どちらかと言うと、彼女を見たと言うよりも声が聞こえた瞬間だった。そういや、彼女はあの時何て言っていたんだっけ。
「聞いてますの!? あなた!」
ステッラがいつの間にか取り出していた扇でぴしり、とオフィーリアの肩を叩く。
「メウチ嬢! なんてことを!」
ジャンがとっさにステッラの腕を引いた。一歩後ずさったステッラがバランスを崩すも、何とかテーブルに手をついて顔を上げ、オフィーリアを睨みつける。
「離して!」
「やめるんだ! オッフィー、逃げろ!」
ジャンがステッラを押さえ込んではいるが、所詮は同じくらいの体格の女性同士だ。ジャンの手を振り払い、ステッラが再び大きく扇を振り上げた。オフィーリアはぎゅっと目を閉じて震える手足に力を入れた。
しかし、一向にその手は振り下ろされない。おそるおそる目を開けると、そこには見覚えのある黒い上着があった。
「ちっ、やっぱり来たか」
ジャンがあからさまに舌打ちをする。
ステッラの腕を掴んだクラウディオが、震えるオフィーリアを見下ろしていた。
ステッラが一瞬だけほっとした表情を見せた。
「長官、違うんです」
「なぜお前がそれを言う」
「はでな音がしただけで、全然痛くなかったんです。だから、大丈夫です」
「それくらい分かっている。だいたい階段から落ち慣れてるようなお前は、これくらい何でもないだろ」
「クラウディオ、それはオッフィーに失礼だろう!」
ジャンとクラウディオが睨み合う。
そうか、ジャンが言っていた「そろそろ来るあいつ」とはクラウディオのことだったのか。自分の婚約者を追ってここまで来たのだろうか。ステッラの腕を掴むクラウディオの大きな手に、オフィーリアの胸がずきりと痛んだ。
「とりあえず、こんな人目のあるところで大騒ぎをするな。おい、ジャン。個室を用意して来い」
「何で私が」
「この状況で動けるのはお前だけだろう」
ステッラ、オフィーリア、クラウディオと順番に一人一人の顔を見たジャンが、ため息をつき肩を落として店内に戻っていく。
やっとステッラの腕を放したクラウディオは、眉間にしわを寄せながら相変わらずオフィーリアを見下ろしていた。ステッラは腕を組み、つんとあごを上げ、そっぽを向いている。
またもやジャンが公爵家の力を使って確保した個室へ全員で移動した。オフィーリアは足が震えてまともに歩けなかったが、ステッラの前でクラウディオの上着に掴まるわけにはいかなかった。何とか壁に手をかけてよちよちと歩いていると、腕をぐいと引っ張られた。
「時間の無駄だ。さっさと掴まれ」
クラウディオはそう言うと、オフィーリアに自分の腕を掴ませる。途端に震えの止まるオフィーリアに、ジャンが頬を膨らませ、ステッラが訝し気に眉を寄せた。
「わたくしの婚約者であるクラウディオ様に、その方があまりにも馴れ馴れしくなさるから注意したまでですわ」
椅子に座り、ステッラが勝ち誇った笑顔でオフィーリアを指さした。そのオフィーリアがぶるりと一度震え、クラウディオとジャンが目を細める。
「家族総出で出仕しているような格下の伯爵令嬢ごときが、ずいぶんと大それたことをなさるのね。身の程を弁えなさい」
「はいっ」
元気よく返事をしたオフィーリアに、ステッラがばつが悪そうに口を歪める。彼女を止めようともしないクラウディオとジャンの様子にも、どうにも調子が狂っているようだった。
「おい、オフィーリア。俺と話している時とはずいぶんと態度がちがうじゃないか」
「だ、だって……ステッラ様は怒ってるようで本当は怒ってないけど、長官は怒ってるような時は本当に怒っているから……」
「ああ、確かに怒っている」
「わああ、ごめんなさい!」
「怒られている理由はわかっているのか! 誠意のない謝罪などなんの意味もない」
「ひぇ……ご、ごめ、……あの、その、何で怒ってるんですか」
「……そ、それは……」
口ごもるクラウディオに、オフィーリアが首を傾げる。
自分はいったい何をしてしまったのだろう。取り調べのない日のオフィーリアは特に仕事が無いので、今日は半休を取っている。しかし、一人だけのんびりカフェでケーキをむさぼっていたのがダメだったのだろうか。仕事は自分で見つけるものだ、と聞いたことがある。
「あの、お仕事を休んだことが悪かっ」
「違う。休暇の許可を出したのは俺だ」
食い気味で否定された。では何だ。
クラウディオもお菓子が食べたかった? いや、絶対違う。こんなこと言ったら絶対怒られる。
うーん、と頭をひねったオフィーリアはポンと手を打った。
「長官もジャン様とお茶したかったんですね」
そうだった。二人は仲が悪そうに見えて実は結構仲が良さそうだった。子供の頃からの付き合いだとも言っていた。ぽっと出のオフィーリアにジャンを取られたと思っているのではないだろうか。
「あ゛あ゛!?」
とても高位貴族とは思えない鳴き声が聞こえた。真っ青になって目を逸らすオフィーリアを、クラウディオが睨みつける。
「あの、すみません。分かりません。どうして怒っているのですか……」
これ以上ないくらいに肩を落としたオフィーリアが尋ねると、クラウディオがぴたりと動きを止めた。そのまましばらく固まった後、微かに舌打ちが聞こえた。
「……俺にもわからん」
ぽかんとしたオフィーリアが震えていないのを確認したジャンが、大きなため息と共にテーブルに突っ伏した。何が起きているのかわからないステッラは、形の良い眉を寄せ三人の顔を見回している。
「わからないって、わからないって、何だよ……。どうして私が馬に蹴られなきゃいけないんだ……」
ジャンがうめき声を上げると、何とかそれを聞き取ったステッラが唇をきゅっと噛んだ。
「お二人はやはりそういうご関係でしたのね! クラウディオ様、わたくしという婚約者がいながら、お戯れが過ぎますわ! そんな取るに足らない小娘のどこが良いんですの」
ステッラの低い声を聞いたオフィーリアがぶるぶると体を震わせる。
「……ステッラ、君は本当に俺と結婚したいのか」
「当然ですわ」
ぴょん、と椅子の上でオフィーリアが跳ねる。テーブルに突っ伏したままのジャンが再び大きなため息をつく。クラウディオは腕を組んで天井を見上げている。
そんな訳のわからない三人の様子に、ステッラが目を吊り上げた。
「さっきからいったい、何なんですの! とにかく、あなたはさっさと建築院に帰ればよろしいんです! 父に言って、すぐにでも異動させてさしあげますわ! 目障りなのよ!」
ステッラが扇を持った腕を大きく振り上げた。その腕を同時に押さえたジャンとクラウディオが、これまた同時に舌打ちをする。震える手で頭をかばい縮こまっていたオフィーリアは、やっぱりこの二人仲いいな、ととんちんかんなことを思っていた。
「オフィーリア様、あなたさっきから震えてばかりですわね。何か言うことはありませんの?」
押さえられた腕を振り払い、ステッラがオフィーリアを冷たく見下ろした。そんなことを言われたって、好きで震えているわけでもないし、ステッラの意図がよくわからないので何てこたえていいのかわからないのだ。しかも、ドメニカ以外の令嬢とほとんど話したことのないオフィーリアには、侯爵令嬢ステッラに対する口のきき方もわからない。
わからない、わからない。もう何もかもわからない。いったい、どうしろと言うの!?
急に頭を抱え込んで悶絶し始めたオフィーリアに、ステッラが肩を震わせた。
「ちょっと、あなた大丈夫ですの? やっぱり持病がおありなんじゃ」
「こいつのこれは病気ではなく、ただの情緒不安定挙動不審だ。気にするな」
「じょ、情緒不安定きょど……、え? 何ですって?」
「気にしなくていいと言っているだろう」
はあ、とため息をついたクラウディオが、右腕をテーブルの上に伸ばした。
明日の更新はお休みです。
26日(月)にお会いしましょう。
ファービュラスでプレシャスな週末をお過ごしください。