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 確かにビガット公爵家の者たちはジャンに多大な庇護を与えていたが、ジュリエッタは別に虐待されて育ったわけではない。きちんと公爵令嬢として教育を受けそれなりの恩恵も受けていた。むしろ公爵令嬢らしく尊大で我がままだったくらいだ。ジャンに会いに行くと、今よりももっとピンク色だった髪をバカにされるので、クラウディオは年上のジュリエッタを避けていた。

 急死したジュリエッタの弔問に行ったら、いつも騒がしかった公爵家は異様な空気が漂っていた。使用人たちは極端に数が減りよそよそしく、公爵は終始イライラとしていて夫人は体調を崩し顔を見せなかった。ジャンにはなぜか会わせてもらえず、花束だけ置いて帰ろうとしたら、二階の窓からこちらを覗いている人影があった。髪型はジャンそっくりだったが、彼であるはずがない。ジャンがベッドから出られるはずがないのだ。一目でジュリエッタだと気付いた。そして、公爵家で何が起きているのかを一瞬で理解した。まだ若い王子であったクラウディオには何の力もなく、ジュリエッタにしてやれることなどない。できるのは、ただ口をつぐむことだけ。

 ジュリエッタの葬儀はひっそりと家族だけで終えたと公爵家から素っ気ない手紙が届いた。

 ほとんど外出せずに家で本を読んでいるだけのジュリエッタは、たまに読み終わった本を寄贈しに王城の図書室にやってくる。その時だけ、クラウディオの前に姿を現し、以前と同じように髪色を揶揄ってゆく。何と呼んでいいのか分からないまま適当にあしらっているうちに、クラウディオは臣籍降下し王城を離れた。それから滅多に会わなくなり、人伝に噂を聞くだけになった。

 長年一人寂しく暮らしているのだと思えば、お人好しのオフィーリアに執着するのも分かる気がする。

 しかし、それにしても、なぜ、オフィーリアなのだ……。

 もし本当にジャンの思し召しと言うのならば、一度墓参りにでも行って文句のひとつも言ってやらなければ。


 これ以上ないほどの渋面を見せるクラウディオに、長官室の面々は早々に目を逸らした。有給休暇を消化していたオフィーリアが今日は出勤する。彼女が来てくれれば少しはクラウディオの機嫌も直るかもしれない。……いや、もしかしたら、もっと悪くなる可能性もある。なぜなら、彼女は求婚してきた男の家に泊まりに行ったのだ。これは、一波乱あるぞ……しかし、どうなるのかは見てみたい。

 サムエーレとブルーノが頭を抱える中、長官室の扉が大きく開いた。


「おはようございます」


 いつものオフィーリアの声が届き、全員が顔を上げ、そして両目をかっ開いて固まった。

 そこには、馴れ馴れしくオフィーリアの腰を抱くジャンもいたからだ。


「じゃあ、オッフィー。私はもう行くね。お仕事頑張って」

「ありがとうございます、ジャン様」

「ちょっと待て、ジャン」


 手を振って帰ろうとするジャンをクラウディオが引き止めた。とろけるような笑顔を引っ込めて、ジャンが振り返る。


「何だよ、クラウディオ」

「お前は出禁にしたはずだ。部外者め」

「ビガット公爵家に逆らえるような受付嬢はいないからね」

「お前をはじき出すよう、玄関の魔導具を調整しておく」


 ジャンは腕を組んでじろりとクラウディオを見下ろした。


「愛しいオッフィーを送り届けただけだ。どこで襲われるかわからないからね」


 吐き捨てるようにそう言うと、ジャンはくるりと振り返り、オフィーリアを抱き寄せた。


「私たちは同じベッドで人には言えない、いけないことをした仲だからね。もう誰にもどうこう言われる筋合いはないんだ。じゃあね、オッフィー。クラウディオにいじめられたらすぐに私に言うんだよ」


 ポッと頬を紅く染めたオフィーリアが、黙って頷いた。ニヤリと勝ち誇ったように笑ったジャンが、部屋を出て扉がパタリと閉まった。


「オフィーリアちゃん! いけないことって、いけないことって、ななな、何スか!」

「ナ、ナーヴェ嬢、今のは……」

「人には言えないいけないこと、本当にしちゃったのかい? ナーヴェ嬢」


 アンジェロ、ブルーノ、サムエーレが矢継ぎ早に尋ねる。その言葉に、オフィーリアがまた頬を紅くする。


「も……黙秘します。あんなことしたのを知られたら、お父様とお兄様に怒られちゃう……」


 嘘のつけないオフィーリアには、黙秘するしか術がない。両手で耳を塞いだまま自席へ滑り込んだオフィーリアは、紅くなった頬が収まるまで机に突っ伏したままだった。その様子に、三人が寄り添って震えあがる。


「そ、そんな……オフィーリアちゃんが」

「まさか彼女がそんな思い切ったことを」

「嫁入り前の娘が、だめだろ。いや、でも、最近の若い子はそれくらい当然なのか……?」


 ガタッと音を立ててクラウディオが立ち上がった。その表情は予想通り、渋面に怒りと冷や汗を足したようなものだった。


「おい、オフィーリア。出かける準備をしろ」

「はっ、はい! どちらへ」

「大聖堂だ」





 馬車は先日と同じ御者だった。慣れた様子で大聖堂までの道を進んで行く。乗ってすぐにカーテンを閉められてしまったので、オフィーリアは所在無げに自分の靴のつま先を眺めていた。


「……ジャンと……」


 クラウディオが口を開いたが、いくら待っても次の言葉が聞こえてこない。オフィーリアが顔を上げると、クラウディオがじっとこちらを見つめていた。さっきは鬼のような顔をしていたくせに、今は何だか不安そうに眉を下げている。こんな表情初めて見たな、とオフィーリアは首を少しだけ傾げた。


「ジャンとした、人には言えないこととは何だ」


 ぎくり、とオフィーリアが肩を震わせる。


「お前たち、……女同士だろう……」

「い、言えませんっ。あんないけないことっ」

「言わないのなら、言わせるまでだが」

「ひええ」

「誰にも言わん。だから言え。俺が嘘をついたことがあるか」

「ありません」


 きっぱりと答えたオフィーリアに、クラウディオは少しだけ機嫌を直した。が、すぐに眉を寄せてオフィーリアを睨む。イラついたように指が窓枠を叩いている。


「せめて、お父様にだけは言わないでください……絶対怒られちゃう……」

「何をされた! 早く言え!」

「ひゃあ! 歯を磨いた後なのに、お菓子を食べました! それも、ベッドの上で、パラパラとカケラが落ちる、パイを……」


 窓枠に載せていたクラウディオの腕がガクッと落ちた。青ざめるオフィーリアは両手で頬を押さえ、ゆっくりと続きを話した。


「それから、苺とクリームがたっぷりと載ったケーキを、て、手づかみで……私、あんなことしたの、初めてです。……私、ダメって思ってるのに拒むことができなかった……。だって、だって、ジャン様があまりにもおいしそうに食べるんですもの! そのまま二人で雑誌を読みながら夜更かしもして、……起きたらお昼でした。お願いです、お父様には言わないで下さい。お父様に知られたら、私……私……、しばらくおやつ抜きになっちゃう……!」


 オフィーリアは青い顔ながらも、おいしかったケーキを思い出したのか、うっとりと宙を見つめた。右手で目元を押さえ、いつの間にかうつむいていたクラウディオが大きなため息をついた。


「……そんなことだろうと思っていたんだ……!」


 ジャンのやつめ……! 思わせぶりな言い方を……! 今すぐ馬車をあいつの屋敷に向かわせ、一発殴ってやりたい。男か女かなんて関係ない。


「あの、長官」


 先に落ち着きを取り戻したオフィーリアが口を開いた。


「大聖堂には何の用事が?」

「やはり教皇にいろいろと聞きたいことがある。そのままうやむやにするのは、俺の性に合わん」

「あの、私、必要ですか?」

「教皇が本当のことを言うとは限らん。それに、お前だって当事者だろう」


 そう言っているうちに、馬車は大聖堂の前に到着した。前回同様、オフィーリアはクラウディオの上着のベルトを掴み、小さな門をくぐった。

 ラァトゥミウス教の外国人たちがいなくなったせいか、大聖堂はいくぶんひっそりとしていた。オフィーリアは初めて近くから大聖堂を見上げた。

 古めかしい大聖堂は、柱の修復跡でさえも厳かな威厳を放っている。きちんと掃除されていても消えないくすみは、たくさんの人が捧げた祈りの証しなのかもしれない。


「……長官も結婚式は大聖堂で挙げるのですか?」

「知らん。ちょっと待て、も、とはどういう意味だ」

「ジャン様が、私との結婚式は大聖堂で派手に挙げようって言ってました」

「聞かんでいい、そんな戯言」


 オフィーリアに合わせてゆっくりと歩いて大聖堂の階段を上る。きしむ扉を開き、奥の礼拝室へ向かった。初めて見る風景に興味津々できょろきょろするオフィーリアに、クラウディオが思わずクスリと笑う。

 礼拝室には誰もいなかった。人がいないとこんなにも広く感じるものか。クラウディオがそう思った時、前方の壇上で動く人影を見つけた。あのローブは教皇のものだ。

 階段を上って行くと、壇上の一番奥で雑巾片手に掃除をしている教皇と目が合った。


「おや、やはりまたお会いしましたね」


 オフィーリアはペコリと頭を下げた。目を細めてほほ笑む教皇は、とても優しい表情をしていた。


「教皇。やはり聖遺骸のことが気になって、話を聞きに来た。時間をもらえるだろうか」

「ええ、もちろんです」


 クラウディオが口を開こうとすると、上着のベルトをぎゅうっと引っ張られた。振り向くと、不安そうに瞳を揺らしたオフィーリアが教皇とクラウディオの間で視線を彷徨わせていた。頭を軽くポンポンと叩いてやると、安心したのかきゅっと口を引き結んだ。


「いつもああして、偽の聖遺骸を持ち運んでいたのか。周りのものをだまして」


 教皇が驚いた様に大きく眉を上げた。


「だまして、とは、大それたことをお言いになる。確かにあの日、神殿に運んだのは偽の聖遺骸です」


 ちらりとオフィーリアを確認したが、彼女の手足は震えていなかった。クラウディオはそっと教皇へ視線を戻す。


「そもそも、聖遺物とは、そうそう持ち運ぶものではないのです。神の御心は、常に人と共にある……」


 教皇は静かにそう言うと、雑巾を畳みなおし、慣れた手付きで壁に掛けられた大きなだ円の鏡を磨き始めた。ピカピカに磨かれた鏡は古いものなのだろう、縁が少し欠けていた。


「この鏡は、この礼拝堂で祈りを捧げる全ての人々を映します。御覧なさい、何が見えますか。それが、今、神が見ておられる景色です」


 教皇はいったい何の話をしているのだ。何だ、この胸の違和感は。さっき、教皇は何と言っていた?

『聖遺物とは、そうそう持ち運ぶものではないのです』

 聖遺物、と言ったのか? さっき、教皇は。聖遺骸ではなく?


「この鏡に映るご自分と向き合って、何を思いますか。神に見られているあなたは、どんなお姿をされていますか」


 教皇の問いにハッとしたクラウディオは、思わず鏡を見た。

 そこには、鏡越しにクラウディオをじっと見つめる、オフィーリアの姿があった。しばらく見つめ合っていた二人は、どちらからともなくそっと目を逸らした。そんな二人の様子を教皇はニコニコと見つめていた。


「落とした枝を集めて芋を焼いているのは本当ですよ。来年もやりますので、良かったらお嬢さんもいらっしゃい。他の人には内緒ですよ」


「はいっ」と明るく返事をしたオフィーリアに優しく頷いた後、教皇は背を向けて掃除を再開させた。


百合ではないのです。

ジャンは戸籍もふるまいも男なので。ただ、体が女なだけで。


百合ではないのです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 心が男なら女同士ではなく男女わかる [一言] 好意を見せずに独占欲だけは見せ口を開けば脅迫する駄上司にヒロインを得る資格なし。ジャン=ジュリエッタ頑張れ!
[良い点] そうか、百合ではないのかー。 [気になる点] ……百合ではない……? [一言] あれ?百合とは……? いや、振る舞いが男なら……ハッ!ならばベルばら、は……!?
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