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「へっ?」
オフィーリアが転がった枝を指の隙間からのぞき見ると、ぴたりと体の震えが止まった。
兵士たちがはっとしたように顔を上げ慌てふためく。
「指示があるまでお前たちはここで警備を続けろ。このことは他言無用だ」
枝を布に戻したクラウディオが兵士たちに告げる。戸惑いながらも頷いた兵士たちから視線を外し、クラウディオはオフィーリアの腕を取った。
「おい、行くぞ」
「へ? ど、どこへですか」
その言葉に返事もせずに、クラウディオはオフィーリアの腕を引っ張ったまま広間を走り出た。
待たせていた馬車にオフィーリアを押し込み、自分も乗るとすぐに扉を閉めた。
「王城へ行け。金蓮花の門でいい」
御者にそう命じ、クラウディオは深く腰掛けると目を閉じた。腕を組みイライラとした様子に、オフィーリアは何も言えずに隅っこで縮こまっていた。
窓の外の景色が止まると、クラウディオは雑にオフィーリアを抱き上げ、馬車から降りた。
こじんまりとはしているが豪奢な装飾がほどこされた門の向こうに、頑丈そうな大きな扉があった。屈強な兵士が三人立ちふさがっていたが、近付いて来るのがクラウディオだと分かるとすぐに道を空け扉を開いた。クラウディオに腕を掴まれたまま引きずられるように歩くオフィーリアは、きょろきょろと周りを見回した。クラウディオに気付いたメイドたちがすぐに頭を下げ身を低くする。
「あ、あの、長官、ここは」
「ああ、お前はここを通ったことはないか。金蓮花の門は、いわゆる王族専用の通用口みたいなもんだ」
「ふぁっ! そそそ、そんなところを、私がっ」
「俺がいるんだから構わん。おい、そんなことよりもお前、もっと早く歩けないのか」
「これが最高速度ですぅぅ」
ちっ、と大きく舌打ちをした後、立ち止まったクラウディオは、左手をオフィーリアの腰にがっちりと回し小脇に抱えた。
「んひゃあ! やめてください! みんな見てます!!」
「うるさいっ! お前が遅いからだ!」
クラウディオはオフィーリアを抱えたまま走り出した。深く頭を下げながらも興味津々で二人の様子を見ているメイド。クラウディオに声をかけようとして無視される大臣。蹴り飛ばされる衛兵。
「きゃああ、も、もっとゆっくりぃぃ」
「無理だ!」
「どこに行くんですかあああ」
「陛下の部屋だ。多分、そこに教皇もいる」
「ぎゃああああ、嘘でしょ! わたっ、私まで、何でっ」
「うるさい! 舌を噛むぞ!」
「んぐー!」
両手で口を押さえて足をばたつかせるオフィーリアを抱え、クラウディオは階段を駆け上がり、衛兵が止める間もなく一番奥の扉を蹴り上げた。
派手な音を立てたわりには壊れた様子もない扉がぱたりと閉じた。さすが王城の扉は作りが違うわぁ。気絶寸前で現実逃避し始めたオフィーリアは遠い目でその閉じた扉を見つめていた。
引き止めようとする近衛騎士たちの手を振り払い、クラウディオはずんずんと部屋の中央へ進んだ。
「……お前のその扉の開け方、久しぶりに見たよ……」
意外とシンプルで座り心地の良さそうなソファに腰掛けた国王が無表情のままにクラウディオに声をかけた。その向かいのソファには、笑いをこらえた表情の教皇が座っていた。
「陛下、教皇。無礼をお許しください」
「許してほしいという態度ではないだろう」
「そうですか。火急の用件ですのでご容赦を。教皇、神殿で保管している聖遺骸。あれは偽物です。おそらく神殿に持ち込まれる前にすり替えられていたかと」
クラウディオが早口でまくし立てると、教皇は紅茶のカップを持ち上げたまま目を見開いて固まった。
「……なぜ、そのようなことを?」
「話は端折るが、神殿に危険物が仕掛けられた疑いがあり調べていたら分かった。見張りの兵士はそばを離れていない。聖遺骸の箱は俺が開けた。中身はただの木の枝だった」
「なるほど」
教皇は紅茶には口をつけずに、上品に袖を押さえながらそっとカップをソーサーに戻した。ゆっくりと顔を上げると、ちらりと国王に目配せをする。その様子に、クラウディオは少しだけ目を見開いた。
「クラウディオ、そちらのお嬢さんは? そろそろ下ろしてやったらどうだ」
「ひぃっ」
国王と教皇の4つの目が向けられ、オフィーリアは息を呑んだ。顔も分からないくらいの遠目でしか見たことのない国王陛下が目の前に。違う意味で足が震え、今下ろされてもまともに立てる気がしない。クラウディオの上着の裾を掴み涙目で見上げると、大きなため息を吐かれた。
「こいつは俺の部下です。まあ、ちょっといろいろあって、こいつはこのままで大丈夫です」
「お前、私と話すときはだいたい話を大きく省いて話すよな。私はもっとお前と話したいのだが」
「陛下、そんなことよりも。本物の聖遺骸を探すご命令を。これは範囲が広すぎて俺の指示だけではどうしようもない」
「いや、いい」
国王のその一言にクラウディオの纏う空気が変わり、部屋の温度が少し下がった。
「このままでいいのだろう? 教皇」
「ええ、仰せの通りです」
「どういうことだ」
クラウディオがそう言うと、教皇はかすかにほほ笑んだ。
「そういうこと、なのです」
クラウディオがさらに温度を下げたが、全く動じる様子の無い教皇は柔らかく目を細めた。それはまるで、言う事を聞かない子供を諫めるような、慈悲深い微笑みだった。
「では、あれは、偽物のままでいい、ということなのだな」
クラウディオがじろりと二人を睨んだ。オフィーリアを抱える腕に力がこもる。
「そんなことは言っていない。何もしなくていい、と言っておるのだ」
「陛下」
国王は紅茶をすすり、クラウディオの方を見ない。じろりと睨まれた教皇は困ったように笑うと、オフィーリアに視線を移した。
「あなたとは、きっとまたお会いすることになるでしょう。公爵と一緒に」
クラウディオの上着で顔を隠し目だけを出した格好のオフィーリアは、教皇の予言めいた一言に首を傾げた。体はどこも震えていない。教皇はその場限りのお愛想ではなく、確信しているのだ。オフィーリアと再び会うことを。
「んぎっ」
立ち上がろうと身を起こしたら、クラウディオに抱え直され変な声が出た。
「ちょ、長官、くるし……」
「もういい。帰るぞ、オフィーリア」
「おい、待てクラウディ……」
「これ以上話すことなどない!」
叩きつけるように扉を閉めて部屋を出たクラウディオは、大股で、しかしゆっくりと歩いた。表情は眉間にしわを寄せた不機嫌そのものなので、誰も近寄っては来ない。
「あのう、長官。そろそろ下ろしていただいても」
じろりと見下ろすと、クラウディオはオフィーリアを抱える腕を放した。何とか転ばずに着地したオフィーリアは、おずおずと顔を上げた。
「あのう、へ、陛下と教皇様のお話は、結局何だったのでしょうか」
しばし見つめ合った後、ついっと目を逸らしたクラウディオは悔しそうに口を歪めた。そして、再びゆっくりと歩き始める。
「聖遺骸は盗まれたままでいいと言うことなのでしょうか」
「聖遺骸は、元々、偽物を持って来ていたんだろう。いつもそうしているのか、それとも今回だけそうしたのかは知らないが」
「えっ。じゃあ、本物は大聖堂に置いたままってことですか」
「あの二人が話している時、お前は震えなかっただろう。知っていたんだ、聖遺骸が偽物であることを」
ただの木の枝を、あんなに大勢の兵士に守らせて来たとは。オフィーリアは昼間見たばかりの仰々しい行列を思い出した。
「あっ! もしかして、大聖堂に行った時に教皇様が拾っていた木の枝は、焚き火用じゃなくて……偽遺骸のための……」
「だろうな。お前があの時震えていたのは、タイルが剥がれていたからだけではなかったんだ」
足の長さが違うので、クラウディオはゆっくり歩いているが、ついて行くオフィーリアは小走りになる。ゆっくりと考えることのできないオフィーリアは、ただただクラウディオの言葉を頭の中で反芻する。
「あの時の教皇様は、誰かが大聖堂に忍びこもうとしていたことに気付いていなかったのに。その前から、盗まれるような予感がしていたのかしら」
「知らん」
不機嫌にさらに不機嫌を重ねたクラウディオに、さすがにオフィーリアは口を閉じた。
慣れた様子で王城のいわゆるプライベートスペースを歩くクラウディオに、そういえば長官はここで育ったのか、と思い出した。周りを見回せば、すれ違う人皆が道を空け、クラウディオに頭を下げていく。頭では分かっていたつもりだったが、オフィーリアは明らかな身分の差を実感したのだった。
クラウディオは王弟です。
なので、この国王はお父さんじゃなくて年の離れたお兄さんです。