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8/6(金)「逃がした魚は大きかったが釣りあげた魚が大きすぎた件」発売されます!
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「ほわーーーー!」
神殿に入るなり、オフィーリアの足がもつれた。ブルーノとアンジェロに両側から支えられながら千鳥足で歩くオフィーリアに、神殿を警備している兵士たちがぎょっとして振り返る。
「はわ、はわわ。もっと、もっと奥の部屋だと、思いますぅぅ。おっとっとっとっと、近付いて来た感じがしてきました!」
まっすぐに体勢を保つことができずに、のけぞりつつもオフィーリアは奥の広間を指さした。こけつまろびつ、何とか辿り着いた儀式場には、式典の準備に追われる職員がちらほらといた。一番奥の祭壇には、4人の兵士が等間隔で立っている。兵士たちが守っているのは、聖遺骸だ。
この広間に入ってから、オフィーリアはもう立っていられなかった。膝がガクガクと震え、どこかに掴まろうにも手も震えているからどうにも思う様に動けない。それでも震えが一段と強くなる場所を特定し、そこをブルーノたちが確認する。広間の中央に位置する椅子の足はすぐに折れるように細工がされていた。壁のオイルランプはすぐに芯が燃えて消えるようになっていた。何とか一つ一つ見つけていくが、何しろ数が多すぎる。
「おーい、ベル兄連れてきたぞ!」
サムエーレが肩にベルナルドを担いで姿を現した。見かけないと思っていたら、サムエーレ様、直接お兄様を呼びに行っていたのね。オフィーリアは床に寝そべりながら顔だけ上げた。
「お、お兄様……」
「オッフィ!? 何して……あ……」
肩から降ろされたベルナルドがオフィーリアに駆け寄ろうとしたが、すぐにこの部屋の異変に気付いたらしい。立ち止まり、きょろきょろと辺りに視線を走らせた。
「……ここ、何だか……危険な感じがするね」
ベルナルドは慣れた手付きでオフィーリアに肩を貸して立ち上がらせると、ゆっくりと四方の壁を見つめた。
「お、お兄様。叙階の儀を邪魔しようとしている人がいるの。私じゃ特定できない。お願い、危険な物を探して。このままじゃ誰かが怪我しちゃうわ」
「そのようだね……。でも、どこだろう。何かがおかしいんだけど……分からない」
「お、お兄様が分からないんじゃ、私にも分からないわ……」
みるみるオフィーリアの瞳に涙があふれる。慌てて袖でその涙をぬぐったベルナルドは、背筋を伸ばした。
「見つけるから! 僕が必ず見つけるからっ。オッフィー、泣かないで」
「お兄様ぁぁぁぁ」
二人の様子を黙って見ていたクラウディオは、ぐるりと辺りを見回した。しかし、見た限り何の変哲もないただの広間だ。この兄妹は何を感じ取っているのか。オフィーリアが一段と震える場所にベルナルドがすぐに視線を這わせた。
「うーん、もっと何か大きな物の気がするんだけど、決定的なものが見つからないな」
ベルナルドはオフィーリアの腕を担ぎ直すと、ゆっくりと歩き始めた。膝が笑いっぱなしのオフィーリアはすでにまともに話すことができなかった。
「どう? オッフィー、近付いた感じはする?」
オフィーリアは目にいっぱいの涙を溜めてぶんぶんと首を振る。うーん、と首をひねりながらさらに足を進めると、オフィーリアの体全体がガクガクと震え始めた。
「えっ、うわっ! オッフィー、この辺り?」
舌を噛まないように口を押さえながらオフィーリアは何度もうなずいた。クラウディオたちが動きを止めて、兄妹の会話に耳を澄ませている。
兄妹が立ち止まっているのは、この広間のちょうど中央だ。祭壇に向かってまっすぐに通路が伸びているので、周りには何もない。
「えっと、床、なのかな」
ベルナルドが足で床を踏み鳴らすと、広間にその足音が反響して響いた。広間にいる者全員が固唾を飲んでその音に耳をすませている中、唐突に扉のきしむ音がした。
「お疲れ様でーす。厳かな音楽を奏でる魔導具をお届けに来ました~」
魔導省の青年ののん気な声に振り向いたベルナルドは、バランスを崩してオフィーリアを抱えたまま床にどさりと転んだ。
「今は取り込み中だ! 出て行け!」
クラウディオの怒号に青年が、きょとんとした。
「皆さん床に這いつくばっちゃって、何か探し物ですかぁ?」
全く空気の読めていない青年は、出て行けと怒鳴られたにもかかわらず軽やかな足取りで広間に入って来る。
「ああっ!!」
青年の緊張感のなさに全員がイラッとした瞬間、ベルナルドが叫び声を上げた。
オフィーリアの下敷きになったままのベルナルドが、大きく目を見開き天井を指さした。
「あれだ! シャンデリアだ!」
広間にいた全員が上を向いた。だだっ広く何の飾り気のない広間には、大ぶりのシャンデリアが吊るされていた。木製のアームにちょこんとついたろうそくの受け皿だけが唯一の装飾らしく蓮の花の形をしていた。
「ん? シャンデリアがどうかしたんですか? ああ、暗くてよく見えないのかな。じゃあ、僕が火をつけてあげましょう」
一人だけ状況の分かっていない青年が、大げさな身振りでシャンデリアに向かって大きく広げた手のひらを向けた。
「だっ、だめーーー!!」
「んぎゃっ!」
オフィーリアに踏みつけられたベルナルドが悲鳴を上げた。足を大きくもつれさせながら駆け出したオフィーリアはそのままの勢いで青年に体当たりした。
「わああ、何? 何ですか?」
「火をつけちゃだめですぅぅぅ!!」
「え、何で」
今度は青年を下敷きにしたオフィーリアは、震える両手で青年の広げた手を押さえている。
「いつまで抱き合っている!」
クラウディオがべりっと引きはがすように両脇に手を入れてオフィーリアを持ち上げた。まるで子供のように持ち上げられたままのオフィーリアは、しばらく呆けていた後、ハッと思い出したように天井を見上げた。
まさにシャンデリアは下ろされようとしているところだった。
「オフィーリア、お前はなぜまだ泣いているんだ」
「ううう、さっきまでは心配の涙ですぅ。今のは安心の涙ですぅ」
「お前の涙腺、何か詰めておいたほうがいいんじゃないのか……?」
クラウディオの呆れ声に、オフィーリアはあわてて両手で涙をぬぐった。
シャンデリアがゆっくりと天井から離れた時、心配そうに見ていたベルナルドの表情が少しだけ緩んだ。
「はあ、やっぱりこのシャンデリアに何か仕掛けられているんだと思います。この広間の違和感がなくなりましたから」
「シャンデリアは天井から外されれば、家具からただの物になったってことか」
不思議そうにあごに手をあて首を傾げたサムエーレに、ベルナルドが頷いた。
刑部省へ持ち込み調べるために、警備の兵士たちも手伝って大きなシャンデリアを広間から運び出した。代わりのシャンデリアを設置するために走り回っている人たちもいる。危険物はなくなったが、式典担当の官吏たちの忙しさは変わらない。紫色の官服が入れ替わり立ち代わり広間を出入りしていく。
「オッフィー、僕たちは邪魔になるからもう帰ろう」
ベルナルドが差し出した手をオフィーリアは掴むことができなかった。隣に立っていたクラウディオがその異変に気付く。
「オフィーリア? お前、手が」
ガクガクと震えるオフィーリアの手を、ベルナルドが掴んだ。とたんに足の力が抜けて、そのままオフィーリアはその場に座り込んだ。床に伸ばされた足が細かく震えていた。
「わわわ、どっ、どうして? まだ震えが止まらない」
「オ、オッフィー、もう建物じゃないよ。僕は何も感じない」
兄妹の会話を聞いていたクラウディオが小さく舌打ちし、再度オフィーリアを持ち上げた。
「ここで見ていないのは、もうあそこしかない」
「ひぃっ、ふわわ、おろ、下ろしてぇぇ」
ベルナルドからひったくるようにオフィーリアを連れ出したクラウディオは、しっかりとした足取りで歩き出した。そのすぐ後ろをベルナルド、ブルーノが追う。
広間の一番奥、低い階段を二段上った先に祭壇がある。そこでは四人の兵士が立っていた。そのさらに奥の台の上に無造作に細長い箱が置いてある。聖遺骸だ。
勢いよく階段を上って来たクラウディオに、兵士たちが思わず身構える。相手が王弟だと気付きほっとしたような表情になったが、それでも訝し気に眉間にしわを寄せている。
「お前たちはずっとここにいたのか」
クラウディオはそう言うと抱き上げていたオフィーリアを床に下ろし、ゆっくりと四人の顔を一人一人見ていった。年長らしい兵士がまず口を開いた。
「は。我々はこの場所へ聖遺骸が運び込まれた時からずっとおります」
「交代はせずに?」
「は。交代はこの後、2時間後の予定です」
「ここに誰か来なかったか? その聖遺骸に触れたものは?」
「おりません。官吏の方と警備兵が出入りしておりましたが、祭壇へ上って来た者はおりませんでした」
ちらりと横目でオフィーリアの様子を窺うと、変わらず震えてはいるが、眉を下げたまま首を振った。この兵士は嘘を言っていないということだ。
「ちょ、長官……あの、まさかなんですけど……」
「ああ、俺も多分同じことを考えている」
オフィーリアが震える両手を祈るように強く組み、ぎゅっと目を閉じた。腕を押さえたからだろうか、その分膝が大きくガクガクと震え始めた。兵士たちがオフィーリアを訝しむように軽く身構えた。
「クソッ、聖遺骸はすでに偽物にすり替えられた後ってことか!」
クラウディオは兵士の一人を突き飛ばし、聖遺骸の箱に手をかけた。
「何をするおつもりですか! いくら王弟殿下であっても」
「ちょちょちょ、長官~~! ダメですよ!!」
「黙れ! 俺に指図するな!」
止める兵士の手を払い強引に箱のふたを開けると、そこには美術館と同じように、薄汚れたボロボロの布が入っていた。ためらうことなく布に手をかけたクラウディオは、一気に布を引いた。
「ひゃああ!」
とっさにオフィーリアは両手で目をふさいだ。いつのものだか知らないが、どこの骨の一部であろうと怖いものは怖い。今すぐこの場から逃げ出したかったが、足が震えて一歩も動けなかった。
「……これは……?」
最初に口を開いたのは兵士だった。
布の端を掴んでいたクラウディオが、目を細め歯噛みした。
「木の枝だな。比較的新しい」
クラウディオが叩き落とすように手を払うと、布の中から干からびた細い木の枝がころりと転がった。
このあと、シャンデリアを片付けて戻ってきたアンジェロにからまれて、なかなか建築院に帰してもらえなかったベル兄。