18
オフィーリアが泣きやんだ後、ジャンは楽しそうに手を振って帰って行った。「あいつはもう二度と通さないように」とクラウディオが受付にきつく言いつけているのを、オフィーリアはぼんやりと見ていた。そして、クラウディオを追う様に歩き出した。
「別にジュリエッタだって、それまでは大切に育てられていたんだぞ? ただ、結果的にああなってしまったが」
「ふぁい……」
泣き止んではいるが、ぐずぐずと鼻を鳴らして歩くオフィーリアを、人々が気の毒そうな顔をしてすれ違って行く。きっとまたクラウディオが泣かせたと思われているのだろう。
クラウディオはちらりと隣を歩くオフィーリアを見て、何かを思い出したように立ち止まった。
「そう言えば」
「はい」
クラウディオに合わせて足を止めたオフィーリアが、きょとんと見上げる。
「お前がどうしてあの夜会に出席したのか、結局聞いてなかったな」
「……! あ、あの夜会って」
「王家主催の夜会だ。お前と兄が廊下の床板を踏み抜いた、あの夜会だ」
「ええっと、それは……」
オフィーリアの顔がみるみる青くなっていく。
夜会に行ったのは、美しいクラウディオを近くで見たかったというただただ邪な気持ちがあったからだ。確かクラウディオは容姿の事を言われると烈火のごとく怒るんじゃなかったでしたっけー!?
「あの、えっと、お兄様の結婚相手を探しに……」
「おい、手が震えているぞ」
「いや、あの、友達が! いて! 久しぶりに会いに」
「手も足も震えているじゃないか。怒らないから言え。俺は嘘が嫌いだと言っているだろう」
「お、怒ってるじゃないですか……!」
「う、怒ってないっ! だから言え」
オフィーリアは急にきりきりと痛んできた胃のあたりを両手で押さえつつも、覚悟を決めた。もちろん、怒られる覚悟だ。
「あのう、ブレッサンド辺境伯の結婚式に、私も参列しておりまして。そこで、長官を見かけまして」
「ふむ、気付かなかったな」
「で、王都へ帰って来たら、兄に夜会の招待状が来ておりまして」
「うむ」
「参加者名簿に長官の名前がありまして」
「ああ」
「……もう一度、できればもっと近くで、一目、近くで長官を見てみたいと思いまして……! 恐れ多くも、調子に乗って参加してしまいました!」
オフィーリアはそう叫ぶと、深々と頭を下げた。
「俺を、見てみたくて?」
「はい……。長官ほど美しい方を見たことなくって、その、目に焼き付けて一生の思い出にしようと」
オフィーリアは頭を下げたまま、クラウディオの怒声を待っていたが、それは一向に降りかかってこなかった。恐る恐る顔を上げると、クラウディオはあごに手をあて何かを思案している最中だった。
「あの、長官……?」
「……お前は……俺の外見が好みなのか」
「えっ!? そ、そうはっきり言われると、恥ずかしいですけど、あの、もし姿絵が街で売っていたら即買いすると思います」
「……そうか」
クラウディオはそうつぶやくと、神妙な顔つきのままどこかへ歩いて行ってしまった。どうしたのだろう、と不審に思いつつも、とりあえず怒鳴られなかったことに胸をなでおろすオフィーリアであった。
「わあ、すごい物々しい行列ですね」
「騎馬の兵士が先導する馬車に聖遺骸が乗っています。その後ろの馬車に教皇が乗っています。教皇よりも聖遺骸の方が尊いということになっていますので」
「一生懸命働いている人よりも骨の方が偉いんですね」
オフィーリアの無邪気な感想にブルーノが思わず吹き出す。叙階の儀を明日に控え、聖遺骸が大聖堂から神殿に運ばれてきたのを、オフィーリアはブルーノに連れられ見学に来ていた。
王宮の敷地と一般区域を仕切る門の前には、聖遺骸を運ぶ行列を見学しようとするたくさんの市民たちが群がっていた。
「そうですか。教皇は一生懸命働いていましたか」
ブルーノが笑いながらたずねた。
「ええ、教皇自らほうきを持って庭掃除されてましたよ」
オフィーリアが自信を持ってそう言うと、ブルーノが「なるほど。確かに骨は掃除しませんもんね」とまた笑った。この国の国民は国教ユヴトゥミウス教を信仰するということになっているが、ブルーノもそれほど敬虔な信者ではないのだろう。
「さて、そろそろ戻りましょうか。今日は多分、今回の事件の最後の取り調べになります」
クラウディオたちが取り調べをしていた貴族たちの目的が、叙階の儀だということまでは分かっていた。
他国から入国させた者たちの足取りを追うという、ブルーノとアンジェロの地道な調査のおかげで、彼らが美術館と大聖堂に足繁く訪れているということが判明した。今も、門の外には市民に混じった異国の者たちがじっと中の様子を観察するように眺めている。
オフィーリアの能力では、彼らの目的までは分からない。叙階の儀で何らかの邪魔をしようとしていることまでは突き止めたが、それ以上の事はやはり彼らが口を割らない限り分からないのだ。
叙階の儀を中止することはできなかったので、兵部省は警備を増やし、儀式の関係者をしらみつぶしに調査している。
ブルーノは一般市民が容易に入れないはずの敷地内にぽつりぽつりといる、官服を着ていない者たちに目を留めた。
「きっと捕まっていないだけの不審者もこの中に紛れているのでしょうね。彼らの目的が分かればいいのですが」
「儀式の邪魔ではないのですか?」
「邪魔だけなら警備を厚くして阻止すればいいだけの話ですが、捕まえた貴族たちは入国させたものを出国させる手筈も整えていました。我々はそこが気になっています」
「へえ……怪しそうな人、片っ端から捕まえちゃいます?」
オフィーリアがブルーノの腰の剣を指さすと、ブルーノは困ったように眉を寄せた。
「そうしたいところですが、そう言った輩を逮捕するのは兵部省の者たちで、我々にはその権限はないのです。これは護身用で……もし襲われれば、現行犯逮捕することはできますが。そもそも、何となく怪しいってくらいで逮捕はできな……ナーヴェ嬢!?」
濃い緑色のチュニックを着た男とすれ違った瞬間、オフィーリアが両足を上げて尻もちをついた。男の隣を歩いていた、官服を着た中年の男が驚いて駆け寄ってきた。
「お嬢さん、大丈夫ですか!?」
「は、はひ、大丈夫です……」
「おっ、おわわわあああ、すみません、話に夢中になってしまって、ぶつかってしまったのだろうかああああ、うぉぉぉぉ、女性に何てことをーー!」
チュニックの男も非常に恐縮しながら頭を下げる。頭を下げるとでっぷりと突き出た腹が窮屈そうだ。もしかして本当にぶつかったのだろうか、と思ってしまう程の太り具合だ。ブルーノはオフィーリアを抱き起こし、その右手をさりげなく握った。
「女性がひっくり返るほどぶつかるとは。気を付けていただかないと。あなたたちは儀式の準備の方ですか?」
中年の男が着ているのは、式部省の中でも式典担当の薄紫色の官服だ。そして、太った男の来ているチュニックは一般的に動きやすい作業服とされており、商人が好んでよく着ている。官服の男がこくこく、と何度も頷いた。
「はい。明日行われる叙階の儀の準備で慌ただしくしておりました。お嬢さんには大変申し訳ないことを」
ぎゅっとオフィーリアの手を握ったブルーノが太った男を見上げた。
「あなたは」
大きな腹を抱えるようにして心配そうにオフィーリアを覗き込んでいた男は、ブルーノに話しかけられ、緊張したように眉を上げた。
「私は神殿に商品を納めに参りました」
「この街の商会の方ですか」
「はっ、はい! そうです。夢中で商品の説明をしていてっ、そのっ、女性とすれ違ったのにも気付かずっ、あああ、私は何てことを! おっ、おっ、おぅっ、お怪我は! ございませんでしょうか!」
オフィーリアが空いている方の手をぶんぶんと振る。
「わわわ、大丈夫です! わたっ、私、とっても丈夫なので!」
「そそそそそんな、こんなに細い体をしてっ、私に突き飛ばされるだなんて、なんて災難なんだぁぁぁ」
「ふああああ、気に、気にっしないでっ、くださぁぁい!」
「ほああああ、こんな若いお嬢さんに気を遣わせるだなんて、あああああ、私はぁぁぁぁ、おおおおおお神よぉぉぉぉ、罪深い私にご沙汰をお下しくださいぃぃぃ」
「わあああああ、そんな思いつめないでぇぇぇぇ」
「ほぉぉぉわああああああ」
「ひぃやぁぁぁぁ」
「ぅおおおおおおお」
「はわわわわわわー」
「あの、私にも分かる言葉で会話してもらえますか」
ブルーノの冷めた表情で我に返ったオフィーリアは、恥ずかしそうに居ずまいを正すと、ゆっくりと立ち上がって膝についた土をはらった。
「ほら、大丈夫ですから、気にしないでください」
「本当に申し訳ありませんでした」
商人と名乗った男が最後に深く頭を下げ、官服の男と神殿の方へ歩いて行った。声が聞こえない程度まで距離が離れるとすぐにブルーノがオフィーリアの腕を取って走り出した。
「ブルーノさん!?」
「あの商人を捕らえます!」
「えっ、あの人とは本当にぶつかっていないんです! 誤解ですぅぅぅ! 私とぶつかったくらいで逮捕だなんて」
「違います、商人だと名乗った時、あなたの手は震えたでしょう! あいつは商人ではありません」
「えっ、そうだったんですか!?」
「最後の意味の無い遠吠え以外では、ずっと震えていたでしょう」
「遠吠え……」
「きっと、職員との会話も全部嘘だったんです。だからあなたはすっ転んだんでしょう」
そうだった。あの太った男とすれ違った時に、オフィーリアはいきなり転んだのだ。あまりにもうろたえて謝られてしまったので、こちらも動転してしまいすっかり忘れていた。
「そういえばそうでした」
「しかも、あの男、ラァトゥミウス教の信者でした」
「ラァ……トゥミウス教?」
「そうです、ユヴトゥミウス教から派生した新興宗教です。詳しい話はアンジェロが専門ですが。あの男が、おお神よ、と言いましたね。あの時の独特な祈り方は、ラァトゥミウス教のものでした」
「ブルーノさん、よく冷静にそんなとこ見てましたね」
「お手柄です、ナーヴェ嬢」
お手柄なのはブルーノさんなのでは。
オフィーリアはそう言いたかったが、ブルーノに引っ張られ走っているので、息切れしてそれ以上話すことができなかった。
明日ぅぅぅぅ土曜日もぉぉぉぉぉ更新しますぅぅぅぅぅぅ
見っ、見っ、見てくださいぃぃぃぃぃぃぃ~~