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「逃がした魚は大きかったが釣りあげた魚が大きすぎた件」書影を活動報告にてお知らせしております!
是非! 見てね!
オフィーリアがステッラに突き飛ばされ、階段から落ちた。
取調室横の狭い会議室で、サムエーレたちと今日の取り調べの取りまとめをしていた時だった。他部署の女性事務員があわてて扉をノックしてきた。たまたまその現場を見た女性は動転していて要領を得なかったが、なんとか話を聞き出した。
クラウディオは後をサムエーレたちに託し、部屋を飛び出した。
美術館で偶然ステッラに出会った時、しつこく嫌味を言われた。オフィーリアとはどういう関係だ。どうして二人で寄り添って歩いているのだ、と。彼女はただの部下で、美術館には仕事で来ただけだと説明しているのに、ステッラはヒステリックにクラウディオに詰め寄った。その声に嫌気がさし、面倒になったクラウディオは適当にあしらってステッラを追い返した。帰りの馬車でも窓のカーテンはすぐに閉めたものの、きっとどこかで見ていたのだろう。
ステッラが何かをしでかすのではないかという嫌な予感はあった。しかし、そこまでバカではないだろう、とも思っていた。一応、何となくオフィーリアを気にかけていたものの、四六時中見張っているわけにもいかなかった。
図書室に資料を取りに行かせれば、めったに外出しないジャンにまたもや鉢合わせしていた。しかもっ、迂闊にもジャンに、か、髪を触らせようとしていたではないか……!
……いや、……髪を触ったくらいどうってこともない。俺には関係のないことだ。
ちっ、と舌打ちをし、階段を駆け下りるクラウディオに、通りすがりの人々があわてて道を空ける。
叩きつけるように医務室の扉を開けると、ベッドに座るオフィーリアが振り向いた。元気そうな様子にほっとしたものの、そのすぐ横には椅子に座るジャンがいた。
「またお前か!!」
「……こっちのセリフだよ、クラウディオ。君はいつもいつも私たちの邪魔をするね」
「何だと。おい、オフィーリア、そいつに近付くな」
「ちょっとぉ。君、オッフィーのこと勝手に名前で呼ばないでよ」
「お前こそ、いつから愛称で呼んでいるんだ!!」
クラウディオとジャンに挟まれ、二人の顔をせわしなく交互に見ていたオフィーリアは思った。
この二人、実は仲が良いのでは。
ぎゃあぎゃあと大声で怒鳴り合っているけれど、お互いのことをよく知っているからこそ言い合える仲というか……。ちょっと楽しそうじゃない?
「嫌だ! 私は帰らないぞ! 今日はオッフィーと仲良くなるためにこんなむさくるしい刑部省までやってきたんだ」
「なぜ受付はこんな不審者を通したんだ!」
「オッフィー、悪いけど君の事を調べさせてもらったんだ。代々建築院に仕える真面目な伯爵家の箱入り娘。愛称はオッフィー。病弱でほとんど外出することもなくて、成人してからは守られるように家族と一緒に出仕している。そして、なぜか急にクラウディオに刑部省へ引き抜かれた」
「おい、知ってるか。お前のようなやつは、最近はストーカーと言うんだぞ」
「何とでも言ってくれ。私の事を心から心配してくれたオッフィーの前では、もう自分を偽るのはやめたんだ。そう、オッフィーに初めて会ったのはジャンの命日。きっとジャンがひとりぼっちの私を彼女に引き合わせてくれたんだ」
「おい、お前……!」
ジャンの訳のわからない告白をさえぎるようにクラウディオが大きな声を出したが、次の言葉が出て来ずに、そのまま口を閉じ右手で髪をぐしゃりとかき上げた。
「……ジャンの命日?」
オフィーリアのつぶやきのような質問に、ジャンがにこりと微笑んだ後、大きくうなずいた。
「ああ、ジャン・ビガットは既に死んでいるんだ」
オフィーリアはぴょんと跳び上がり、ベッドの奥に引っ込むと丸くうずくまった。
「ひゃあ、や、やっぱりお化けじゃないですかー」
「こんな騒がしい幽霊がいるわけないだろう」
クラウディオに腕を引っ張られ、オフィーリアは先ほどと同じ位置に座らされた。その横にクラウディオがどさりと腰掛ける。
「ちょっと、何でさりげなく隣に座ってんの」
「お前が図々しくこいつに触れないようにだ!」
そう言ってクラウディオはジャンが伸ばそうとしていた手を叩き落とした。
「こいつは平凡な伯爵家の引きこもり令嬢だ。お前の事情に巻き込むな」
「うっ……引きこもり……堂々と言われるとつらい……」
「かわいそうに、オッフィー。こんな口の悪い奴から離れて私のところへおいで」
またもやジャンの手をクラウディオが叩き落とした。ぎりぎりと睨み合う二人の間で、オフィーリアはおろおろと手を上げ下げしていた。その左手をすばやく掴んだクラウディオが、オフィーリアを自分の方へ引き寄せる。
「こいつはそのうち元の部署へ帰す予定で預かっている状態なんだ。やっかい事に巻き込むな」
クラウディオの言葉にオフィーリアの胸が痛んだ。やはり私はもうすぐ帰されるのか。
ショックを受けてぼうっとしているオフィーリアの右腕を、今度はジャンがぐいっと引っ張る。
「ああ、だったらクラウディオはなおさら関係ないだろう。さっさとどっか行けよ」
ぐ、と言葉に詰まったクラウディオがオフィーリアの手をさらに引っ張る。それを見たジャンがさらにさらに引っ張る。何だっけ、こんな昔話があったような気がする。ええと、どんな話だったっけ。
「私はただ、オッフィーと仲良くしたいだけなんだ。邪魔をするな。それに、決めるのはオッフィー本人だろう」
眉間にしわを寄せたクラウディオがパッと手を離したので、オフィーリアはそのままジャンの元へ引っ張られた。体勢を崩しながら見上げると、クラウディオは珍しく困ったような不安げな瞳をしていた。
「長官、あの、私……お友達になるくらいだったら、大丈夫です」
なぜかものすごくショックを受けたように目を見開いたクラウディオが肩を落とし、ゆっくりと立ち上がった。
「そうか……じゃあ、俺は邪魔ということか……」
「何でそうなるんですか! 長官も一緒にいてください! 長官いないと私震えちゃうから!!」
オフィーリアは部屋を出て行こうとするクラウディオにすがりついた。クラウディオが少しだけほっとした表情に戻る。あごに手をあて、その様子を見ていたジャンが口を開く。
「ねえ、それなんだけど。オッフィーはどうして私に会うと震えているんだ」
「えっと、それは、あのう」
「しかし、今は震えていない。これは、私の態度の変化に関係していると思ってもいいのだろうか」
ジャンの青い瞳がまっすぐにオフィーリアに向けられた。目を逸らしたら、それは彼の言う事を認めることになってしまう。しかし、ごまかしたらオフィーリアは震えてしまう。いったいどうしたら。
「それが、オッフィーの秘密、なのかな」
ジャンがゆっくりと、しかしはっきりとした口調でそう言った。彼の瞳がきらりと光る。オフィーリアは視線を宙に彷徨わせた後、涙目でクラウディオを見上げたらぎょっとした顔をされてしまった。
「ちょ、長官……?」
「そ、そんな顔で俺を見るな」
「え」
見ちゃだめなの? さらに涙目になったオフィーリアは、あわあわと両手を彷徨わせた。その手を捕まえしっかりと握ったジャンが椅子から下り、床に跪く。
「公爵閣下!?」
「私の秘密を一方的に押し付けるのは確かに横暴だった。君の秘密も私が承ろう。秘密を共有し合うことで、互いを守る事にもつながるだろう」
「あ、あの、とりあえず、立ってください……!」
「私はジャンの姉、ジュリエッタなんだ」
「は?」
跪いたままオフィーリアを見上げるジャンの表情は優しく、晴れ晴れとしていた。誰にも言えなかった秘密を口にできて心が軽くなったのだろう。一方、全く準備する時間を与えられなかったオフィーリアはただただ戸惑うばかりだ。
「ジャンは二十年前に死んだ。弟の死を受け入れられなかった父が、姉のジュリエッタが死んだと届けを出し、それ以来私がジャンになったんだ」
「は? え? ジュ、ジュリエッタ?」
「やめろ、ジャン。落ち着け。一方的に押し付けるな。オフィーリアが混乱している」
クラウディオがぱちりとジャンの手を払い、目を白黒させているオフィーリアをがくがくと揺さぶった。ハッと意識を取りもどしたオフィーリアは、まだ跪いているジャンを見下ろし、すぐ隣にいるクラウディオを首が折れる程見上げた。
「あの、長官は、ジャンさんとはどのようなご関係で……?」
ジャンの話は全く要領を得ない。これは事情を知っていそうなクラウディオに聞いた方が良さそうだ。少しだけ冷静になったオフィーリアはそう判断した。
「……ビガット公爵家は古くから王家と縁続きの貴族で、俺と同じ年のジャンとは幼馴染だった。ビガット公爵邸は王都でも外れの閑静で自然の多いところに建っていたから、周りのうるさい奴らに飽き飽きしていた俺はジャンの見舞いと称してはいつも逃げ込んでいたんだ」
「長官がまだ王子様だった頃ですか」
「あの頃は、つやつやピンク髪の美少年でねえ、今みたいにドスの利いた睨みなんて一切しない卑屈な王子様だったんだ」
ジャンが話の腰を平気で折ってくる。ぎりりと歯ぎしりの音がして、クラウディオがドスの利いた睨みを利かせる。全く動じる様子のないジャンはニコニコと微笑みながら立ち上がり、オフィーリアの隣に腰掛けた。
「弟のジャンは生まれた時から心臓病を患っていた。仲良くしたって得の無い弟に、クラウディオだけは最期まで見舞いに来てくれていたんだ。ベッドからほとんど出ることのなかった弟は、クラウディオだけが唯一の外界との接点でね、次はいつ会えるのか、といつもそれだけを楽しみにしていたんだ」
ジャンの姿を思い出したのか、クラウディオが微かに眉を寄せ、口を引き結んだ。
「結局ジャンは死んでしまったのだけれど、跡取りを亡くした両親はひどく悲しんで、特に父はそれを受け入れることができなくて……姉のジュリエッタが急死したと届けを出した。私は、それ以来、ジャンとして生きているんだ」
そんなおかしな話があるだろうか。死を受け入れられなかったからと言って、生きている娘を死んだと届け出るなんてこと。でも、きっとそれが受理されたから、彼は、彼女は、ジャンとして生きている。信じられないけれど、オフィーリアの体がどこも震えないということは、これが真実だということなのだ。
目を見開いたまま動けないオフィーリアに、目を細めたジャンが続ける。
「ああ、すっきりした。聞いてくれてありがとう。私はきっと、この秘密を共有したかったんだ。ジュリエッタが死んだ日に偶然出会った君と、私は」
オフィーリアはジャンの顔を正面からしっかりと見た。女性と言われれば確かに女性にも見えるが、仕草や雰囲気はどう見ても男性だった。それはきっと彼女が男性として生きた年月がそうさせているのだと無理やり理解させられたオフィーリアは、くらりとめまいがした。
「だって、そんな。周りの方は」
「ジャンと私はよく似ていたからね。それも父が未練を断ちきれなかった理由のひとつだったのだろうね。屋敷も、事情を知っている使用人は本当に身の回りの世話をする数人だけさ。父は私が二十の時に死に、母はこの秘密の重責に堪えられずに領地に籠っている」
からりと笑って話すジャンが信じられなくて、オフィーリアは何て言ったらいいのかわからなくて、ぽろりと一粒涙を流した。
「私のために泣いてくれるんだね」
オフィーリアの涙を親指で拭ったのは、ジャンなのかジュリエッタなのか。
「こんな、悲しい嘘は、初めてです……」
オフィーリアの瞳から、もう一粒涙がこぼれた。
名前も性別も、そして生きていることさえも嘘なのがジャンです。
クラウディオ、ちょっとだけ自覚しはじめました。ちょっとだけですけどね。