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「人手が足りないんだったら、私が長官室付きに立候補したかったなぁ~。私、お茶を淹れるの得意なんですよぉ。きっともっと皆さんのお役に立てたと思うんですよぉ」
管理課の職員ミランダが可愛らしく体を揺らして愛嬌を振りまいている。肩の上でくるりと内巻きにした淡い黄色がかった金髪が、フリルがたくさんついたブラウスによく似合っている。
上下の黒い官服さえ着ていれば、中に着るブラウスは自由だったのか。オフィーリアは細かく震える両手を机の下で隠しながら、そんなことをぼんやり考えていた。
ミランダはたまに長官室へ書類を届けにやって来る。オフィーリアが異動になってからは、どうでもいい書類を持ってはやたらと訪れるようになった。
「ミランダちゃん、今日も可愛いねえ」
机に頬杖をついて、サムエーレが溶けるような笑顔でミランダを呼んだ。いつもだったらこんなだらしない顔をするとクラウディオに怒鳴られるのだが、今は不在だ。思う存分、可愛らしいミランダを眺めている。
「サムエーレ様も今日も素敵ですぅ」
「ありがとー! ミランダちゃんはいつも明るくて、会うと元気がもらえるよー」
「きゃあ、嬉しいですぅ。ミランダはいつも元気いっぱいですよぉ。あっ、そろそろ戻らないと怒られちゃう~。人手が足りない時は、次は必ず私に声をかけてくださいねぇ。絶対、絶対、お役に立ちますからぁ」
大きく手を振りながら、ミランダは長官室を出て行った。サムエーレとアンジェロが閉められた扉をうっとりと目を細めて見つめていた。
「ミランダちゃんは良い子だなあ」
「副長官、奥さんに怒られるっスよ」
「若い子を見るくらいいいだろ」
オフィーリアが机の下でごそごそと鞄を漁っていると、ブルーノが心配そうにのぞき込んで来た。
「ナーヴェ嬢、あの人はただの賑やかしです。あなたの方が数倍役に立つということは皆分かっていますから、お気になさらずに……」
「私、ちょっとお花を摘みに行ってきますね!」
オフィーリアは立ち上がると、走って部屋の外に出た。廊下に出ると左右を見回し、ミランダの姿を探した。
「あのっ、ミランダさんっ」
振り返ったミランダは、さっきまでとはまるで違った冷めた目をしていた。
「何かしら」
落ち着いた声でそう返事をしたミランダは、イラついた様子で足を揺らしている。彼女が長官室で話している間はオフィーリアの手はずっと震えている。彼女が猫をかぶっているのは想定内なので、特に驚きはしない。
「あの、もしかして、体調があまり良くないのではないかと思いましてっ」
「……え?」
「これ、良かったらどうぞ」
オフィーリアはポーチに手をつっこみ、先日売店で買ったばかりの回復飴を取り出した。父と兄にお土産として渡した残りを忍ばせておいたのだ。ミランダはカールしたまつ毛を大きく揺らして目を見開き、オフィーリアの顔と飴を何度も見比べた。
「魔導省の封印付きの、本物ね。……どうして私が体調崩していることわかったの」
「えっと、今日はあまり顔色が良くないなって思って……」
本当は、ミランダが「元気いっぱい」と言った時に、ひときわ大きく手が震えたからだ。
「ふうん。優しいのね。もらっておくわ。ありがと。じゃあね」
パッとひったくるように飴を取ったミランダは、くるりと背を向けて階段を下りて行った。自分のやっかいな能力が少しは人の役に立つことができただろうか。一度も振り返らずに見えなくなっていくミランダの背中を、オフィーリアはしばらく見つめていた。
「西側階段の工事のお知らせっスか。俺たちの使わない階段っスね」
ミランダの持って来た用紙をちらりと見たアンジェロは、興味無さそうに用紙をゴミ箱に放り込み、イヤーカフの手入れを始めた。
「管理課って暇なんスかね」
「まあ、あのくらいの年の女の子は結婚相手探しで働いてるようなもんだからな。きっとブルーノ狙いなんだろ」
これまた興味なさげにサムエーレが書類から顔も上げずに答えた。
「遠慮しときます」
ミランダ撃沈。ブルーノまでもが全く興味なさそうに受け流した。その声に、サムエーレが楽し気に目を細めて顔を上げる。
「じゃあ、お前、ナーヴェ嬢が売れ残ったらもらってやれよ」
「は?」
「あはは、あの調子じゃ間違いなく売れ残るっスよ~」
「いや、ナーヴェ嬢だって好みってもんがあるのではないですか」
珍しく戸惑った表情をしてブルーノが顔を上げた。その様子に機嫌を良くしたサムエーレが、身を乗り出して話し出す。
「あの子だって貴族令嬢なんだから、政略結婚の覚悟くらいしてるだろ。俺は妻子持ちだし、だからと言ってアンジェロはないだろ。そうなったら、やっぱり将来有望なブルーノを押さえておきたいと、俺が父親ならそう思うね。お前ならおかしな嘘や冗談は言わないし、ぴったりだよ」
「何で俺はないんスか~」
「お前はないだろー」
ブルーノは、はあ、とため息をつくと、書類の束をトントンと叩いて角を揃えた。
「私なんかより、ずっといい人がいるじゃないですか。嘘が嫌いで、口から出る事は全て本心で、金と権力を目いっぱい使って信頼できる使用人しか屋敷に置いていない人が」
「それって……クラウディオのことか」
サムエーレがきょとんと目を見開いた。
「あいつは婚約者がいるだろ」
「ああ、忘れてました。長官があまりにもそっけないので」
「いや、まあ、確かに。あいつがあまりにも結婚しないものだから、ほとんど王命みたいな形で決まった婚約者だからな。それにしたって、婚約者を構わなすぎだよな、あれ。ステッラ嬢、美人なのになあ」
書類の束をぱちりとクリップで留めたブルーノが、不在のオフィーリアの机をちらりと見る。
「お似合いだと思うんですけどねぇ」
公休日の午後、オフィーリアとベルナルドは待ち合わせ時間よりもかなり早めにカフェに着いた。それなのに、相手はすでに店内で二人を待っていた。
「お母様!」
オフィーリアの声に笑顔で振り向いたのは、二人の母親エミリアーナだった。金髪青目の貴族らしい容姿をしているが、今は再婚し平民として暮らしている。夫は王都で仕立て屋を営んでいる。
「オッフィー! ベル! 元気にしてた?」
「うん、元気よ。お母様は?」
「見ての通りよ!」
オフィーリアは母の隣の席に、ベルナルドがその向かいに腰掛けた。母が事前に注文していたのだろう、すぐに店員が三人分のランチセットを運んできた。オフィーリアの皿からはピーマンが、ベルナルドの皿からはセロリが抜いてある。自分たちをいつまでも子ども扱いする母の優しさが面映ゆかった。
「オッフィー、手紙を読んだわよ。刑部省で働いているなんて、びっくりしたわ! すごいじゃない」
「で、でも、また建築院に戻る予定よ」
「一時であったとしても必要とされたってことでしょう。立派よ。きちんと毎日お勤めできてるの?」
「えへへ、無遅刻無欠勤よ」
「その様子だと、楽しく働いているようね。安心したわ。そちらの皆さんは、オッフィーのことを知っても仲良くしてくださっているのね」
ごくりとスープを飲んだオフィーリアが、笑顔で頷く。
「だからお母様が言っていたでしょう。いつかきっと、オッフィーのことを理解してくれる人が現れるって」
大きなパンをぶちっと二つにちぎった母が、大きい方を空になったベルナルドの皿に載せる。
「ふふふ、それで、ベルはさっきからふてくされた顔をしているのね」
「えっ、そんなことないよ……」
片手で頬を押さえたベルナルドが、母からもらったパンをスープに浸けた。
「オッフィーがベルにべったりなのかと思ってたけど、どうやら違ったようね」
「……そんなこと、ない」
「オッフィーもベルも、自分の能力を存分に活かして暮らしているようで、お母様は安心したわ。二人の能力は素晴らしいものだもの」
母の言葉に、オフィーリアはうつむいた。
お母様は昔から、オフィーリアのおかしな能力を手放しでほめてくれる。必ず人の役に立つ能力なのだ、と。
以前、クラウディオに「わざわざ危険に近付く必要はない」というようなことを言われたが、それでもオフィーリアは前に進んだ。母の期待を裏切りたくない、この能力を役立てたい。あの時オフィーリアの頭の中にあったのは、ただそれだけだった。母の言葉には、震える手足を動かし、あふれ出る涙を堪えるだけの力がある。
そういえば、クラウディオは私を無理やり止めるようなことはしなかったな。
オフィーリアはふとあの日のことを思い出した。何だかごちゃごちゃと言いながらも、壁に手をついて進むオフィーリアに合わせて一緒に歩いて行ってくれた。
「オッフィー? 顔が赤いわよ?」
「えっ! あれ? お肉がちょっと辛かったのかしら」
「ふふ、手が震えてるわよ」
「あっ!」
母はニヤニヤしながらオフィーリアの頬をちょん、とつついた。ベルナルドがそれをじとりと睨みながら、肉を頬張った。
「それで、刑部省で良い人とは出会ってないの?」
「へっ」
「オッフィーは可愛いんだから、やっとベルが離れて一人になったら、それはもうモテるでしょう」
「……そんなこと一度もないわ……」
「あら、残念。オフィーリアのことを理解してくれて、オフィーリアが心穏やかに暮らしていけるような人、いないの?」
おかしな能力を嫌がらずに、心穏やかに過ごせる人。
頭に浮かぶのは、ピンク色の髪の美人の顔。あの人のそばにいると、なぜだか体の震えが止まる。それはなぜだろう。彼がけして嘘をつかないから? しかし、オフィーリアは考えるのを止めた。それ以上のことは、考えない方がいい。
「あら、その顔はいるのね」
「オッフィー!?」
ベルナルドが動揺してガチャンガチャンと皿を鳴らし、店内の客が一斉に振り向いた。オフィーリアもつられて動揺しながら、胸の前で何度も手を振る。
「まさか、そんなことあるはずないわ。長官室にいるのは、エリートすぎて雲の上の人たちばかりなんだから」
「残念ねえ。ベルナルドはどうなの? オッフィーと離れたら、他の女の子にやっと目が移ったんじゃない?」
「僕みたいなやつ、相手にする令嬢がいるわけないだろ……」
「そうよ、お母様。聞くだけかわいそうよ」
「ひどいよ、オッフィー」
母の笑い声に再び店内の視線が集まる。目尻の笑い涙をぬぐいながら、鞄に手をつっこんだ母が、二つの紙袋を取り出した。
「はい、二人にプレゼント。お母様が心を込めて縫ったんだから」
「わあ、ブラウスだわ」
「僕のはシャツだ」
伯爵家の次女だった母は、もとより刺繍が得意だった。お見合いで父と結婚したが、本当は幼馴染の仕立て屋の息子に心を寄せていた。貴族令嬢としての務めを果たしていた母の嘘を暴き、平民に落としたのはオフィーリアだ。
それでも、母はいつも伝えてくる。奇跡の離婚はオフィーリアのせいではない。おかげで今の幸せがあるのだ、と。
きっと夫と一緒に仕立ててくれたのであろうブラウスをオフィーリアは抱きしめた。
「ありがとう、お母様。明日からこれを着て仕事に行くわ」
「あら、刑部省の既定のブラウスじゃなくていいの?」
「いいみたい。皆、けっこうおしゃれに着くずしているわ。刑部省の官服ってね、袖や裾に刺繍が入っていて可愛いのよ」
オフィーリアの話に、母とベルナルドがきょとんとした。
「オッフィー、その刺繍糸は魔導具だって知ってるよね?」
ベルナルドの問いに、今度はオフィーリアがきょとんとした。
「糸が、魔導具ってどういうこと?」
「刑部省の玄関は身分証を見せなくても入退館できるでしょう。刺繍糸に一人一人の個人情報を登録してあるんだ。玄関に魔導具が設置されていて、その刺繍を感知して本人かどうか管理しているんだよ。制服を着ない人はそもそも認証の必要のない高位な人。これ、有名な話だよ。知らなかったの?」
「知らなかったわ……」
いまだぽかんとしているオフィーリアを見て、ベルナルドが気まずそうに頬を掻いた。
「確かに言われた通り、オッフィーを甘やかしすぎたかもなあ」
「お兄様、誰に言われたの? そんなこと」
「……えっと、友達……」
オフィーリアじゃなくても、ベルナルドの嘘はわかりやすい。おどおどと目を逸らす兄を見て、くすりと笑った母は、最後のデザートをパクリと食べた。
「二人ともその年になってもまだ婚約者候補もいないなんて絶望的ね。ベルの結婚式にはシャツを、オッフィーには手袋を仕立てようと思ってお母様は練習しているのよ。この努力を無駄にさせないでちょうだい」
「「……はぁい」」
仲良く声をそろえて返事した兄妹に、母は優しい笑顔を向けて街の人込みに消えて行った。
「ね、ねえ、オッフィー。その、もしかして実は刑部省に好きな奴がいるとか……、いや、その」
「お兄様?」
「ねえっ、ままままさか、あのアンジェロとか言う奴じゃないよね? それだけはやめてほしい!」
「それはないから安心して」
「そ、そうだよね……あいつは何か歪んだ趣味を持っていそうな気が……」
お兄様ったら、妙なところで勘が良いのね。とは、オフィーリアは口にしなかった。他人の趣味趣向を不用意に話すものではないし、そもそもあまり口にしたくない趣味だ。
「お兄様、お母様にはああ返事したけど、やっぱり私には結婚なんて無理だと思うわ。私とずっと一緒にいるなんてことできる人、いないもの」
「そうだよね! 大丈夫、オッフィーには僕がいるからね!」
手をつながんばかりにウキウキしだしたベルナルドの変わりように、オフィーリアは少しだけ眉を下げた。『でも、お兄様は結婚しなきゃだめよ』と本当は続けるつもりだったのだが、とても言える雰囲気ではなくなってしまった。
優しい兄の隣を譲る準備はいつだってできている。顔の広そうなサムエーレ様あたりにどなたか紹介してもらえないか、今度聞いてみよう。
あまり人のいない道を選んでくれている兄の背中をオフィーリアはゆっくりと追った。
サムエーレは顔が広いのであって額が広いわけではないですよ。